第一話 隔離都市「天原」
その街は三方を山に囲まれ、残りの一方は海に面した構造になっている。
名を隔離都市「天原」。日本という国の中にある、特殊な事情から隔離された街であり、一般人とは言えない人たちが主に集められた土地である。
そんな街の中。街の中央区にある学校に行くために、自宅のある東区の山から坂道を下っている少年が居た。
左手には落石防止の石壁が、右手には街を一望できる風景がガードレールを挟んで望むことが出来る。そのありふれた山道を歩く少年はお世辞にも真面目には見えない。
ズボンは学校指定の黒いズボンだが、上半身はどう見ても私服だろうパーカーである。頭髪は染めたのかと思わせるように、光に反射すると緑色にほのかにきらめく。だが何よりも目を引くのは、ズボンのポケットから飛び出している「人形」だった。
女の子を意匠したものは、こちらも髪が緑で背中に白い羽が小さくデザインされている。少なく見積もっても少年が持とうと思えるような人形ではなかったのだ。ポケットから姿を現すということは携帯電話のストラップだろうか。
まぁ、最も奇妙なことはその人形が喋っている、と言う点にあったのだが。
「よかったな、翔太! キミが死に瀕したのは先週のことだというのに今は普通に〝トウコウ〟とやらを行えるまでに回復した……褒めても、いいんだぞ?」
明るい性格を悟らせる口調。しかしどこかその明るさとは矛盾した、老成された雰囲気も感じさせる口調で人形はぶらぶら揺れながら少年に声を掛ける。
「……あぁ、あぁ。ホントにその件は大変お世話になりました。ラビエルのおかげで俺は再びこうして人生を謳歌できてます」
対し、どこかうんざりした口調で翔太と呼ばれた少年は返す。実際ラビエルと知り合ってまだ一週間だが同じような遣り取りを少なくとも一日に七回はしているので、翔太の対応も投げやりになっている。
ラビエルはそれでもどこ吹く風で、とても上機嫌だったが。そんな一人と一つは、静かな山道を騒がしく移動していく。
「うんうん。感謝は大切だぞ、翔太? あれほどの重傷だ。この〝神の薬〟たる私の力が無くては後遺症も、傷が残ることもなくピンピンしてることは不可能だっただろうしな」
人形のくせに頷く動作や、瞼を閉じる動作が違和感を感じさせないラビエルである。
翔太はすぐ近くの木の葉から垂れ落ちる水滴を僅かに目で追いながら会話する。
「まぁ、な。本当に感謝しても感謝しきれないことだと思ってるよ。今こうして歩いていることも信じられないくらいだしな」
「そうだろう、そうだろう。家族にも私の存在含めて自慢してくれればよかったのに。キミの家名はなんと言ったかな、羽根倉だったか? 妖人としては中々の力のある家系だろう? 天人についてはもしかしておおらかではないのかい?」
「そんなわけじゃねぇけど……いきなり全てを語ることも出来ないだろう? 普通の人間ならともかく、妖人が同時に天人でもあるなんて話、俺は少なくとも聞いたことはないし過去に前例もないだろうしさ」
「ふむ……そういうものか?」
「そういうもんだ」
濡れて黒く染まったアスファルトを翔太は歩く。ラビエルはその歩調に揺られながら話すことをやめない。
「しかし〝ガッコウ〟とやらは昼から開始するモノなんだな。長く旅してきたが、今まで見てきた世からはとてもそう思えなかったので驚いているぞ」
「何言ってんだ? 学校は普通に朝からだぞ」
ラビエルは人形の身で器用に翔太を見上げる。
「何? では翔太はどこに行こうというのだ?」
「そりゃ学校だろ」
「……しかしガッコウはもう始まってるのだろう? それでは〝チコク〟というモノではないか」
「遅刻だな」
今度はがっくりとうなだれるラビエル。心なしかラビエルの身が、振り幅が大きくなったような気がする翔太だ。
「私の契約者が、なんともまぁ嘆かわしい……」
太陽は彼らの頭上で燦々と輝いている。誰にどう聞いても全員が昼だと答える時間帯であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
翔太とラビエルは山道を下りきり住宅街へと出てきていた。
「……この街は異常に妖人や天人が多いように思えるな」
話す人形はすれ違う人達から視線を投げかけられるが、その誰もが大して驚きを表していない。ラビエルは人の世について熟知しているというわけでもないが、人は話す人形についてここまで無関心なものであったろうかと小さな首を傾げ――ようとして、頭に付いた紐のせいで叶わず、逆に体が微妙に持ち上がる奇妙な動きになる。
「そりゃここは隔離都市、非日常集積特区・天原だしな。妖人も天人も他二つの特区と同じように、日本に居る三分の一程度はここに集められている」
ちょうど横断歩道が赤信号になり、立ち止まりながら説明する。
「なんだそれは?」
「あん? お前知っててこの街に来たんじゃないのか?」
「いや、たまたまだな」
「……今更ながら、先週の幸運に感謝するよ」
翔太はそう言いつつラビエルの頭を二度、軽く叩いて青に替わった横断歩道を渡っていく。
六月という時期も相まって梅雨入りした最近の気候は雨が多い。ここ一週間断続的に降る雨が作った水溜りを避けながら、今ここからでも遠目に見える目的地を眺めながら歩む。
「ここは日本政府が作り上げた三つある特区のうちの一つ。三つの特区ではそれぞれ魔人に対抗するための人材を集め教育する役割がある」
「ほう。最近の人間は見上げた志を持つものだな。昔は魔人の脅威に怯えるだけだったのに、今では立ち向かう気概を手に入れたか」
腕を組みうんうん頷くラビエル。本当に人形ながら器用な動きをするものである。
「過去からその生まれ持った力のために世界中で異人扱いされていた妖人と、お前らのような存在と契約して魔人に対抗しうる力を得た天人を集めてるんだよ、この街は。
そりゃ勿論普通の人もいるにはいるが……そもそも過去と違い、俺達のような存在が公に認知された時代だ。技術を発展させてきた人間がただ未知に怯える時代はとうの昔に終わったというわけ」
「なるほど。もうキミたちのような妖人が化け物と蔑まれることもなく、天人ような存在が神の御使いやら聖人だとか讃えられる時代ではないということか」
「いや、少なからずそういった人間もいることはいるが……そうだな。妖人や天人はそういった生き物なんだと、そう知れ渡ってはいる……そして魔人という存在もな」
そんな彼らの横を幼い男の子と女の子が駆け抜ける。彼らもよく見れば耳が動物に酷似したものであったり、ふさふさの尻尾を生やしていたりした。
「妖人の子どもが――まだうまく人化出来ない幼い子どもが気兼ねなく走り回れる日が来ようとは思わなかったぞ」
「あらゆる奇跡を司る天人が一般人と同じように生活してるところを見たら驚くぜ」
彼らの背後で異形の幼子たちが、世界中のどこでも聞けるような笑い声を上げている。変わった住人以外は特にどこの住宅街でも変わることない都市を、不思議な人形を持つ少年が歩いていく。
◇◆◇◆◇◆◇◆
妖人。それは古の時代から存在していた異形の者たち。動物に酷似したものも含め只人とは異なる外見的特徴と膂力、能力を生まれ持った者たちである。有名なもので例えるならば「狼男」は大変ポピュラーな妖人である。
元々その異形から迫害される過去を歩んできた彼らは同族の繋がり、とりわけ血の繋がりはとても強固だ。
天人。また女性の場合は天女とも言う。それは古に聖人として扱われ様々な奇跡を遺した者たち。神だ天使だ精霊だと呼ばれた存在と契約し、奇跡を行使する力を得た人間である。彼らが契約した存在をルーツに神話が作られたというのが現代の主流な見解だ。魔法などは最も典型的なものだと言える彼らの奇跡である。
ただあまりにも分れすぎた神話体系故に本来無用な争いを生み、同族を「魔女狩り」などという行いで狩ってしまう過去から、やはり彼らは「元人間」だったのだろう。
魔人。それは人が悪魔だと悪霊だと恐れた存在に乗っ取られた人間。最早自我はなく悪魔たちの器と化した、世界に負の感情を抱き世界を捨てた人間。
世界を脅かす能力は天変地異に、害ある生き物の大量発生に形を変えて顕われる。しかしそれは通常の自然現象では測れない。その未知数は時に規模であり、時に質であったりと、ただ世の中を脅かす魔に魅入られた者たちだ。
昔から現代まで、どう捉えても普通とは言えない存在を敢えて集め、同じように普通とは言えない被害をもたらす存在に対抗するために育てることを目的とした土地がここ、隔離都市・天原なのである。