第69話
純白の法衣を纏った異端審問官トップと、獄炎を纏う魔軍の過激派将軍。
絶対的な死の象徴を前に、俺の腕にしがみついていたサクリアとユエルの体が、小刻みに、そして激しく震え始めた。
「いや……こないで……っ」
「アルト、逃げて! このままだとアルトが殺されちゃう!」
十数年前、幼かった俺から二人を奪い去った元凶。
最強の魔王と剣聖にまで上り詰めた彼女たちでさえ、魂に刻まれた『大切な人を奪われる恐怖』のトラウマの前では、ただの怯える少女へと引き戻されてしまうのだ。
「フン。無様なものだな、剣の器よ。その男ごと浄化の光で消し去ってやろう」
「魔王の面汚しめ。貴様の愛する者の首を撥ね、再び絶望の玉座に縛り付けてくれる」
冷酷な宣告と共に、神話級の聖魔法の光と、空間を焼き尽くす魔界の獄炎が、リビングの中央に向かって放たれようとした。
『せっかくの誕生日パーティーなのに、部屋が焦げたら敷金を引かれるじゃないか』
俺は深く、重いため息をついた。
サクリアとユエルの震える手を優しく解き、俺は一歩前へ出る。
そして、コタツの上に転がっていた、先ほど百均で買ってきた『宴会用の巨大クラッカー』を無造作に拾い上げた。
「……何をする気だ、下等生物」
「その程度の玩具で、我らの力に対抗できるとでも?」
傲慢に見下ろす二人の強者に向かって、俺は無表情のままクラッカーの紐に指をかけた。
「他人の家に土足で上がり込んで、俺の大切な家族を泣かせるな」
俺の『スローライフの平穏を脅かす者への静かな怒り』と『絶対に家族を守る』という意志。
それが、俺の無自覚な規格外魔力を通じて、ただの厚紙と火薬でできた百均のクラッカーに限界突破のエネルギーとして圧縮されていく。
パンッ!!!!
能天気な破裂音。
だが、クラッカーの口から飛び出したのは色とりどりの紙テープなどではなかった。
ゴロロロロォォォォンッ!!!!!
星すらも砕く極大の殲滅閃光と、神の奇跡すら強制的に書き換える概念破壊の波動が、凄まじい衝撃波となって直列に放たれたのだ。
「「な、なんだこれはぁぁぁぁっ!?」」
断末魔を上げる暇もなかった。
神殿のトップと魔軍の最強将軍が放とうとしていた獄炎と聖光は、クラッカーの光の濁流に飲み込まれ、彼らの身体ごと文字通り「宇宙の塵」となって次元の彼方へと吹き飛んでいった。
後には、キラキラと舞い散るパステルカラーの紙吹雪と、完全に沈黙した空間の亀裂だけが残されている。
「よし、ゴミ掃除終わり」
俺がクラッカーの残骸をゴミ箱にポイッと捨てると、リビングには死んだような静寂が落ちた。
「……え?」
「あ、あれ……?」
サクリアとユエルが、ポカンと口を開けて虚空を見つめている。
十数年間、彼女たちを縛り付け、毎日のようにうなされるほどの恐怖を与え続けてきた『絶対的なトラウマ』が。
ただの宴会用クラッカーの一撃で、あっけなく消滅してしまったのだ。
「二人とも、怪我はないか? 怖がらせてごめんな」
俺が振り返り、いつものように優しく頭を撫でてやると、二人の大きな瞳からポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
「アルトぉぉぉっ!!」
サクリアとユエルが、俺の胸に勢いよく飛び込んでくる。
それは恐怖の涙ではない。過去の呪縛から完全に解放された安堵と、この男だけは絶対に自分たちを守り抜いてくれるという、限界を突破した愛情の涙だった。
「私、もう何も怖くないわ……! アルトが、私の全部の暗闇を吹き飛ばしてくれた……っ!」
「ずっと、ずっと一緒にいる! アルトのお嫁さんになるの!」
俺の首に腕を回し、顔中を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながらすり寄ってくる二人。
だが、感動的なシーンの裏で、残りのヒロインたちの瞳にはドス黒い炎が宿っていた。
「……あいつら、私たちがアルトのために作ったケーキの火を吹き消したわね」
ミサリアが、手にしたお玉をギリッと握りつぶす。
「ええ。アルト様のお誕生日に泥を塗るなど、万死に値します」
イルマがバインダーを投げ捨て、箒を構える。
「残党がまだ空間の向こうにいるようだな。お姉ちゃんたち、ちょっと『大掃除』してくるわね。アルトはそこでケーキでも食べてて」
ミサリア、イルマ、タチアナ、リゼ、レム、ネリアの六人が、地獄の悪鬼のような笑顔を浮かべ、残された空間の亀裂の向こう側へと突撃していった。
数秒後、亀裂の向こうから「ぎゃああぁぁっ!」「お許しをぉぉっ!」という神殿騎士と魔軍兵士たちの悲鳴が木霊し、すぐに次元の穴は綺麗に塞がった。
やれやれ、相変わらず騒がしい家族だ。
俺が苦笑していると、胸に抱きついていたサクリアとユエルが、涙を拭ってトロンと熱を帯びた瞳で見上げてきた。
「ねえ、アルト……。トラウマも消えたことだし、さっきの続き、しましょう?」
「うんっ! ファーストキスのプレゼント、私たちが一番にもらっちゃう!」
背伸びをして、俺の唇に迫り来る二人の絶世の美女。
目を閉じかけたその瞬間。
「「「抜け駆けは許さないわよぉぉぉっ!!」」」
次元の掃除を光の速さで終わらせて帰還した六人のヒロインが、雪崩を打って俺にダイブしてきた。
「うおわっ!?」
ドサァッ!!
八人の凄まじい愛情のタックルを受け、俺は巨大なバースデーケーキを背にして仰向けに押し倒されてしまった。
そして、誰の唇が誰に当たったのかもわからないほどの、超密着カオスな同時キス(?)が勃発する。
「んんっ! 私がアルトの唇を……ってこれイルマのほっぺたじゃない!」
「ちょっとお姉ちゃん、どいてよ!」
「アルト様ぁっ!」
ケーキの甘い匂いと、八人の女の子たちの極上の熱気に包まれながら、俺の人生で最も騒がしくて、最も幸せな誕生日パーティーは、限界突破のドタバタの中で夜更けまで続くのだった。




