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第46話

黄金のシチューでアルトが死の淵から蘇った翌朝。

物置部屋の薄暗い空間に、鼓膜を劈くような金属音が響き渡った。


ガンッ! ガンッ! ガンッ!


「おいアルト! 起きているか! 緊急案件だ、今すぐ準備しろ!」


蝶番が吹き飛ぶほどの勢いでドアを蹴り開けてきたのは、ブラックギルド『奈落の底』の人事査定官だった。

分厚いバインダーを小脇に抱え、血走った目で部屋の中を睨みつけている。


「昨日討伐した魔獣の納品数が足りていない! クライアントからクレームが来ているんだ。今日から追加で七十二時間の連続潜り込み任務に入ってもらう。もちろん代休はなしだ、これはお前の査定に関わる重大な……」


査定官の早口なビジネス用語が、途中でピタリと止まった。


部屋の中央。

粗末な木箱をテーブル代わりにしたその前に、湯気を立てる温かいスープと、綺麗に焼かれたパンが並べられていたからだ。

そして、その奥には、頭に包帯を巻いたまま無表情で立ち上がろうとしているアルトの姿があった。


「……行かないと。俺が、やらないと、怒られる」


焦点の定まらない目で、アルトが自分の剣に手を伸ばす。

その手首を、白く細い指がそっと、けれど絶対に逃がさないほどの力強さで掴んだ。


「アルト。ご飯が冷めちゃうわ。座ってちょうだい」


私だった。

私はアルトを木箱の前に座らせると、ドアの前に立ち塞がった。

手には、シチューをかき混ぜるために使っていた大きな木べらを握っている。


「なんだお前は。そこをどけ。そいつはギルドの所有物だ。納期が遅れれば、我々のボーナスが減るんだぞ!」


苛立った査定官が、私を突き飛ばそうと手を伸ばしてきた。


その瞬間。


ミシミシッ……!


査定官の足元の石畳が、蜘蛛の巣状にひび割れた。

私が微笑みを浮かべたまま、ほんの少しだけ魔力を解放したのだ。

昨夜、アルトを救うためにこじ開けた私の魔力回路は、普通の魔法使いの何十倍もの出力を誇る異質なものへと変貌していた。


「……な、なんだ、この重圧は……っ!?」


査定官の顔から血の気が引く。

見えない巨大な手で頭を押さえつけられているかのように、彼の膝がガクガクと震え、バインダーから大量の業務指示書が床に散らばった。


私は床に落ちた『七十二時間連続任務』と書かれた紙を、スッと拾い上げた。


「私のアルトは、昨日から体調不良で有給休暇を申請しております。このような過酷なスケジュールは、労働基準に違反しているのではないですか?」


「ゆ、有給だと!? ふざけるな、我々奈落の底にそんな甘えた制度は……っ!」


「ないなら、今から作ってください」


私は完璧な営業スマイルを浮かべたまま、手にした業務指示書を木べらで軽く叩いた。

ただそれだけの動作。

しかし、私の掌から流れ込んだ超高密度の魔力によって、紙の束は一瞬でチリ一つ残さず消滅し、その余波で背後の石壁にポッカリと大穴が空いた。


「ヒッ……!?」


「次は、そのバインダーごと『処理』しますよ。それとも、あなたのその口うるさい頭ごと、次元の彼方に飛ばして差し上げましょうか?」


声のトーンは、あくまで優しく、丁寧なお姉ちゃんのそれだ。

しかし、放たれる殺気は本物。

アルトの睡眠時間を奪う者、アルトに無給の残業を強いる者。それはすべて、私がこの手で排除すべき世界の害悪に他ならない。


「ば、化け物め……っ! 覚えていろ!」


恐怖で完全に腰を抜かした査定官は、這いつくばるようにして廊下を逃げていった。


これが、後にブラックギルドの幹部たちから恐れられることになる『第一の壁』の誕生だった。

どんなに強力な魔獣よりも、どんなに過酷なダンジョンよりも先に突破しなければならない、アルトを溺愛する最凶の義姉という名の絶対防壁。


私は壁に空いた大穴を布で適当に塞ぐと、何事もなかったかのように振り返った。


「さあアルト、お待たせ。冷めないうちに食べましょうね」


アルトは目を丸くして私と、壁に空いた大穴を交互に見比べていた。

しかし、漂ってくるスープの匂いに負けたのか、ゆっくりとスプーンを手に取った。


「……これ、美味しい」


「ふふっ。いっぱい食べて、今日はいっぱい寝るのよ」


外の世界がどれだけ黒く濁っていても、この四角い部屋の中だけは、私が絶対に温かく保ってみせる。

アルトがスープを飲む姿を見つめながら、私は静かに、そして狂気的に、そう心に誓い続けていた。

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