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第一話  船上にて



 レムルス王国に向かって、レヴェナント号は順調な航海を続けていた。


 その船内にある部屋の中でも、一際広く豪奢に作られたレナスロッテの部屋で、セルンは彼女と向かい合ってソファに腰を落ち着けていた。


 レナスロッテはお付きのメイドが淹れてくれた紅茶のカップを優雅に傾け、ほぅ、と吐息を吐く。


「ようやく、こうしてセルン様と落ち着いて話す時間が取れました。お待たせしてしまって申し訳ございません」


「気にしてないさ。姫さんこそ、出航から色々と忙しくしていたみたいだが、もう大丈夫なのか?」


「ええ。本国でセルン様を迎え入れる手配をしていたのですが、万事滞りなく終わりました。この船はレムルス王国の西にある、ユーストリア勇者学校へ直接向かうことができます」


「直接? 学校に港があるのか?」


「はい。厳密にいえば、ユーストリア勇者学校のある学術都市ユーストリアの港ですが、あの街自体がユーストリア勇者学校のために整備された街のようなものですので」


「なるほど。その勇者学校について、色々と聞いてもいいか?」


「もちろんです。わたくしの知ることであれば、なんでもお話しさせていただきます。なんでも聞いてくださいませ」


「それじゃあ、遠慮なく色々と教えてもらおうか」


 そこからセルンはレナスロッテに様々なことを聞き始める。


 学校のこと。勇者選抜のこと。ずっと監獄島にいたセルンの外の知識は十年前で止まっている。今、島の外の世界がどうなっているのか、知る必要があった。


 特に気になるのが、先の聖戦の影響だった。


「十年前の聖戦、ローリエと魔王の戦いは引き分けに終わった。これは聖戦の歴史上、初めてのことだと俺は聞いたが、具体的にどういった影響が出たんだ?」


「セルン様が憂慮されているのは、引き分けが敗北と同じ影響を及ぼさなかったのかと言うところだと思いますが、結論から申しますと、この十年の間に『滅び』は確認されていません」


 聖戦に敗北した場合、滅びと呼ばれる現象が世界各地で巻き起こる。


 大地の荒廃。疫病の蔓延。そして、モンスターの大量発生などである。その災害の規模は、国のひとつやふたつが簡単に滅亡するほどだと伝えられていた。


「むしろ、勝利したときに得られる繁栄が続いていたという印象です。我々も注意深く事態の推移を見守っていたので間違いありません。学者たちは、聖戦の引き分けで起こるのは現状維持である、と結論づけていました。我々は前々回の聖戦で勝利したため、引き分けでも勝者の繁栄が続いたのだと」


「そうか」


 監獄島で作物が収穫できていたので、そうだとは思っていたが、改めてセルンは安心する。


 しかし、レナスロッテは逆にそこで表情を曇らせた。


「ただ、この半年は少しだけ状況が異なっています」


「と言うと?」


「……つい先日のことになりますが、隣の帝国領でモンスターの復活が確認されました」


「……聖戦で勝利していない以上は、滅びの一端が現れもおかしくはないのか」


「ええ。聖戦が新たに始まったことで、繁栄と滅びの境界が揺らいでいるのでしょう。恐らく、聖戦の勝敗がはっきりと決まるまで、この不安定な状態は続くと思われます。いえ、時間が経てば経つほど悪化していく可能性も否定できません」


「今が平和だから猶予がある、ってわけじゃないんだな。姫さんがこのタイミングで俺を迎えに来たのも、それが理由だったりするのか?」


「……まったくないとは言いません」


 レナスロッテはカップをテーブルの上に置くと、言いづらそうに口を開く。


「お気分を悪くされると思ったので、これまで申し上げるのを控えていましたが、セルン様を監獄島より戻ることを全員が喜んでいるわけではございません」


「それはレムルス王家が、ってことか?」


「はい。その、わたくしがずっと説得し続けて、今回様々な要因が絡まった結果、ようやくお迎えに行くことができたというのが本当のところです」


 その言葉もかなり柔らかい表現なのだろう。実際は相当反対され、レナスロッテが半ば強行策に出たに違いない。でなければ、セルンが戻ることを選んだこの段階で、様々な根回しに走る必要はなかっただろう。


 セルンは先の聖戦の戦犯である。このことに一番腹を立てているのは、他でもない、レナスロッテの父であるレムルス王国の国王である。


 先代勇者ローリエ・エルジェラントはレムルス王国の出身だ。勇者候補になって旅立ったときの援助もレムルス王国が行っている。


 勇者が聖戦に勝利したとき、送り出した国が各国の中で一番その利益を得られるように、敗北したときも送り出した国に責任が問われる。


 今回は引き分けだったため、まだいい訳は立っただろうが、それでもレムルス王国は各国からかなり責められたはずだ。


 当時、まだ幼かったセルンが、勇者の仲間だったからという理由で島流しにあったのも、国王の怒りというよりも、責任を誰かに押しつけたいがための行為だったのは想像に容易い。


 もっとも、セルンとしては処刑されずに流刑で終わったことに、軽く驚いたものなのだが。


 あるいはあのとき、誰かが擁護してくれていたのかも知れない。たとえば目の前のお姫様とか。


 普通なら、さすがに当時八歳の子供が国の政治的決定をどうこうできたとは思えないが……。


「わかった。俺はあまり歓迎されてない。妙な真似をしたらまた監獄島に逆戻り、ってことだな」


「すみません。多少窮屈な思いをさせることもあるかも知れません。ですが、それも聖戦が終わるまでです。聖戦が終わったあとは、すべての国が勇者として勝利を持ち帰ったセルン様を崇め奉るでしょう」


「それもそれで嬉しくないが」


「わたくしは嬉しいです。そうなれば、この想いを遂げることも叶うかも知れません」


 レナスロッテは囁くようにつぶやいて身を乗り出すと、セルンの手に自分の手を絡ませた。


「わたくし、全力でセルン様を手助けします。これでも一国の姫です。ユーストリア勇者学校でも、それなりに支持者を集めています。セルン様のお仲間として、きっとお役に立ってみせますから」


「それはありがたい。が……」


 セルンはするりとレナスロッテの手から逃げると、出航前から言っておかなければならないと思っていたことをレナスロッテに告げた。


 すると彼女は驚いたように目を見開いて、それから悲しそうに顔を歪め、やがて口元にうっすらと笑みを浮かべた。


「……なるほど。それがセルン様のお考えなのですね。承知しました」


 セルンの予想どおりに、レナスロッテは食い下がってきたりはしなかった。粛々と、セルンの申し出を受け入れる。


「それじゃあ、姫さん。あんたの騎士の力をこの先借りることもあると思うが、そのときはよろしく頼むよ」


「ええ、ご随意に。上手く使ってやってください。クリフは脳筋なところが玉に瑕ですが、基本的には優秀な人間ですので」


 話し合いが終わり、部屋を後にしようとするセルンを扉のところまで見送りに行きながら、そこでレナスロッテは気になっていたことを尋ねた。


「ところで、セルン様。今日はトアレさんの姿が見えないようですが?」


「あいつか。あいつは……」








「我、つらたん」


 白い顔をさらに青白くして、トアレは甲板の端に座り込んでいた。


 彼女のところに戻ってきたセルンは、レナスロッテの部屋に行く前より悪くなっているトアレの顔色を見て、呆れ混じりに心配する。


「神器が船酔いするとはな。大丈夫か?」


「大丈夫でない。身体全体がゆらゆら揺れて気持ちが悪い。うぅ、陸地が恋しい。畑が恋しい」


「これは重傷だな」


 トアレは最初こそ監獄島を後にしたことにしんみりしていたが、半日後には今のような酷い船酔いに悩まされるようになっていた。


「マスター、目的地にはあとどれくらいで到着するのか、聞いてきてくれたか?」


「ああ。思ったよりも本土と島は近かったし、この船のスピードも相当なものだからな。予想よりも早く到着するぞ」


「ほ、本当か!?」


「ああ。五日もすれば着くらしい」


「い、五日……」


 希望から一転、トアレの顔が絶望に染まる。


「む、無理。そんなの絶対に耐えられない! 我、もうお家帰る!」


「お前なぁ」


 約束? 麦わら帽子? なにそれ? というすべてが台無しになる台詞だった。


「そうだ。マスター、神器解放をしよう! そうすれば、この船酔いも治るかも知れない!」


「それ、もし治らなかったら暴走しないか?」


「……しないよ?」


「解放禁止が決定しました」


 うわーん、と泣くトアレ。だがその途中、込み上げてきた吐き気を我慢できずに、海の方を向いて盛大に戻し始めた。


「ま、ますたぁ。背中、さすって」


「はいはい。水ももらってきてやるよ」


「ありがとう……うぅ、我、もう二度と船には乗らないからなぁ」


 そのあと胃の中のものをすべて戻して、ようやくトアレの気分も落ち着いたようだった。


「そういえば、レナスロッテと話をしてきたみたいだが、なにか面白い話でも聞けたのか?」


「それなりにな。勇者選抜のこととか、学校のこととかも色々聞けたぞ」


「ふむ。あれで一国の王女ということか。なかなか物知りだな。マスターの仲間としては、まあ、使えないこともないというところか」


「俺の仲間?」


「ああ。無論、マスターの一番の仲間が我であるが、四人まで聖戦に連れていけるからな。レナスロッテも今後の功績次第では、仲間として連れて行ってやらんでも――」


「レナスロッテが仲間になる件なら、さっき断ってきたぞ」


「なぬ!?」


 トアレは驚いてセルンを見上げる。


「断ったのか? レナスロッテを仲間にするのを?」


「ああ」


「それは、あのクリフとかいう騎士に気遣ってか?」


「それがまったくないと言えば嘘になるが、一番の理由はもっと別のところだな」


「もしや足手まといになるくらい弱いのか?」


「いや、あいつは強いよ。普通にな」


 たしかにレナスロッテはクリフほど身体を鍛えているわけではない。だがセルンの勘は、彼女が強者であると囁いていた。もし戦った場合、すんなりとは勝たせてもらえないだろう。


「第一、姫さんの神器がどんなものかわからないからな。勇者候補の場合、実力を測るにはまずそれを突き止めてからにしないと意味がない」


「ならばなぜ拒否したのだ? 我も別に好いているわけではないが、あれは金も権力も兵力も持っているだろう? マスターをこうして迎えに来てくれたということもあるし、なによりマスターが勇者にふさわしいと理解しているところは我的に高評価なのだが」


「けど、信用ができない」


 セルンはレナスロッテを仲間に引き入れなかった理由を、簡潔に述べた。


「クリフがあそこまで忠誠を誓ってるんだ。悪い奴ではないんだろう。聖戦のこと、世界の行く末のこと、きちんと考えて行動もしている。けど信用できる人物かと言うと、それは違う気がするんだよ」


「と言うと?」


「……俺は姫さんと昔に会ったときのことを覚えてない。それは本当だ。けど、レナスロッテ・レムルスって名前自体はローリエから聞いたことがある」


「そういえば、文通相手だと言っていたな」


「ああ。旅の途中、ローリエが度々手紙を贈っていた相手がいたが、その相手がレナスロッテなんだろう。で、俺は気になって、その手紙の送り主はどういう人間なんだと聞いたことがある」


 ローリエ曰く、レナスロッテ・レムルスという当時八歳の少女は……


「一番敵に回してはいけない幼女、というのがローリエの当時のレナスロッテに対する評価だった」


「……それ、どういう幼女だったのだ?」


「わからん。ローリエもあんまり教えてはくれなかったしな。けど、あの天下無敵のローリエがそんな風に評した相手なんだ。たぶんあれ、だいぶ猫被ってるぞ」


「そういうものか?」


「大なり小なりどこの王族も腹に一物抱えているもんだしな。姫さんだけが例外ってこともないだろう」


 基本的にセルンは王侯貴族というものを信じていない。

 モンスターとは違う意味で、あれらはある種の魔物であると思っている。


 もちろん、中には信頼するに値する人物もいるだろうが、少なくともセルンが以前の旅で知り合った王侯貴族の中に、尊敬できるような人物はいなかった。


「それにあの人、もっと前に俺を迎えに来ることができたのに、あえて今のタイミングまで遅らせた可能性もあるからな」


 自分で言うのもなんだが、セルンはローリエに関してはちょろい自覚があった。あの手紙がある以上、どのタイミングでやってきても、七割方セルンは勇者選抜に参加していただろう。


 だが彼女は半年経つ今の今まで迎えに来なかった。本人の言うとおり、来たくても来られなかった可能性もなくはないが、セルンにはローリエがあそこまで評した相手が、たった十年でそんな清楚で大人しいお姫様になっているとは考えられなかった。


 恐らくは全部計算尽くでやっている。セルンを迎えに行くのはこの瞬間こそが最良であると、そういう計算の上で。


「姫さんが俺を次の勇者にしようと企んでいるのは本当だろう。協力を仰げば、この上なく頼りになる仲間になるかも知れない。けど、背中は任せられない」


「そうか。ならば仕方あるまい。強さは重要だが、信頼関係も仲間には必要だからな」


「この先、そんな相手が見つかればいいがな」


 セルンは大海原の彼方を見る。


「……ユーストリア勇者学校、か」


 果たしてそこに、セルンの求める本当の仲間はいるのだろうか?


「……マスター、我、また気持ち悪く……うぷっ」


 そして本当に、無事にトアレは辿り着けるのだろうか?


 そんなことを思いつつ、再びセルンはトアレの背中をさすり始めるのだった。








 レヴェナント号の私室で、レナスロッテ・レムルスは一人静かに紅茶の香りを楽しんでいた。


「姫様。クリフです。今、お時間よろしいでしょうか?」


 そこへクリフが訪ねてくる。


「どうぞ」


「失礼致します。……おや?」


 部屋へと入ってきたクリフは、レナスロッテの顔を見るなり眉をあげる。


「姫様。ずいぶんと楽しそうにされていますが、なにか面白いことでもあったのですか?」


「面白いこと、ですか? ええ、そうですね。ありました」


 レナスロッテは先程のセルンとの会話を思い出す。


「セルン様に、面と向かってお前は仲間にできないと言われてしまいました」


「なんと!?」


 クリフは驚いたあと、申し訳なさそうに頭を下げる。


「それはもしかしたら自分の所為かも知れません」


「いいえ、違いますよ。まったくなかったと言えば嘘になるかも知れませんが、純粋に、セルン様はわたくし個人を見てそう判断されたのでしょう」


「そう、なのですか?」


「ええ、きっと。仲間はやはり、自分の目で見て選びたいのでしょう」


 レナスロッテは笑う。仲間になるのを断られたにもかかわらず、いつも以上に楽しげに。


「神童も大人になればただの人になると言いますが、ふふっ、セルン様は十年前と変わらない。たった八歳で勇者の片腕となり、あのローリエ・エルジェラントをして、最高の仲間と言わしめたまま成長してくださっていました」


 それがレナスロッテには嬉しかった。

 初恋のあの人が、そのままのあの人でいてくれたことがレナスロッテには嬉しかったのだ。


「好き。大好き。セルン様だけがわたくしを理解してくれる。わたくしの予想を飛び越えていってくれる。ああ、ローリエ。わたくしの親友。あなたのやり残した仕事を、セルン様ならきっとやり遂げてくれますわ」


 従者から顔を隠し、レナスロッテは笑う。嗤う。


 天使の微笑みとはとても言えない、悪魔のような、けれどどこまでも純粋な微笑みを浮かべて、可憐なお姫様は誰にともなく囁いた。


「すべては、聖戦の勝利のために」


 そうして様々な人物の様々な思惑を乗せたまま、船は勇者選抜の舞台であるユーストリア勇者学校に向かって、静かに進んでいくのだった。




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