第十二話 約束
「さよなら、俺の魔王。お前は最後まで、立派な魔王だったよ」
理不尽に対する怒りを胸に戦い、一度は神にすべてを捧げてまで世界を救おうとした優しい王様は死んだ。
聖戦は、勇者の勝利で終わった。
それを証明するように、灰色の大地と空が白く染まっていく。世界から黒が駆逐され、白い光がどこからともなくやってきては、セルンの勝利を祝福するように世界を純白に包み込んでいく。
セルンにはわかった。この光は神器の輝きだ。
勇者候補たちに配られていた白の神器が宿主の魂から分かたれて、この世界に還り始めているのだ。
そしてそれは、勇者も例外ではない。セルンの右腕の聖痕が、ゆっくりと光になって消えていく。
「マスター」
セルンの目の前に、トアレが立った。
光の中、純白の少女は一際美しく輝きを発していた。
「……もう、行くのか?」
「そうみたいだ。まったく、余韻もなにもあったものではない。ここは一度仲間と合流し、勝利に沸き立つところであろうに。さすがは聖戦、空気が読めない」
「本当にな。いつだって、聖戦って奴の終わりは呆気ない」
たくさんの少年少女が、長い間、必死になって戦って、勇者と魔王がどれだけ白熱した戦いを繰り広げても、その終わりは一瞬だ。すべての神器は世界に還り、聖戦の世界が崩壊し、生き残った者たちは自分たちの世界に戻る。
「でも、マスター。楽しかったよな?」
「ああ、楽しかった」
トアレの問いかけにセルンは頷く。
色々なことがあった。嬉しいことも、辛いことも、たくさんあった。
だけどすべてをひっくるめて、掛け替えのない日々だったと今は思う。
「トアレ。全部、お前があの日、俺を選んでくれたお陰だよ」
「ふふん、当たり前である! 最初に言ったであろう? 我は最強で最高の神器なのだと」
「そうだ。お前は間違いなく、俺の最強で最高の神器だったよ」
「マスターも、最強で最高のマスターであった」
二人はそう言って笑う。自分に出来る、最高の笑顔を浮かべる。
別れは笑顔で。見送る側も、見送られる側も、最高の笑顔でと決めていた。
ちゃんと笑えているかな、とセルンは少しだけ心配に思う。
笑顔はあまり得意ではなかった。大好きな人を失ったときに、一度は笑い方そのものを忘れてしまった。
けれど……きっと、大丈夫だろう。
トアレがやってきて、セルンは笑うことを思い出した。
監獄島で過ごした半年間も、そこを出たあとの駆け抜けるような日々も、セルンはたくさん笑うことができた。
トアレが馬鹿をやるたびに、友達ができるたびに、仲間ができるたびに、たくさんたくさん笑ったのだ。
だから大丈夫。トアレが取り戻してくれた笑顔だ。彼女にきっと、最高の笑顔を返せているはず。
それに、あの約束だってある。
いつかまた二人で、と約束したのだ。
セルンは現実に帰り、トアレは世界に還ってしまうけれど。
きっと、永遠のお別れじゃない。
だから――
「ありがとう、トアレ。お前が俺の神器で、本当によかった」
セルンは心からの愛情を込めて、光へと溶けていく彼女に笑顔と感謝を贈った。
その言葉にトアレは嬉しく泣きそうになって、だけど最初からずっと決めていたから、お別れは笑顔でと決めていたから、ぐっと出そうになる涙を堪える。
ちゃんと笑えているかな、とトアレは少しだけ心配に思う。
トアレは主が大好きだったから、本当はお別れなんてしたくなかったから。
けれど……きっと、大丈夫だろう。
胸には主と過ごした思い出がたくさんある。
主と一緒に笑い合った日々の思い出が、たしかにあるのだ。
自分は消えてしまうけれど、この想いは消えない。セルンもきっと、自分のことをずっと覚えていてくれるだろう。
だから大丈夫。二人の絆は、決して消えることはない。
それに、あの約束だってある。
いつかまた二人で、と約束したのだ。
トアレは世界に還り、セルンは現実に帰ってしまうけれど。
きっと、永遠のお別れじゃない。
だから――
「ありがとう、マスター。あなたが我の勇者で、本当によかった」
トアレは心からの愛情を込めて、遠くなっていく彼に笑顔と感謝を贈った。
そうして世界に光が満ちていく。
二人の間に、光が雪のように降り積もっていく。
大好きな笑顔が光の向こうに消えていき、やがて見えなくなる。
それでも決して、セルンは涙は見せなかった。
最後の最後まで、彼は強がるように笑っていた。
◇◆◇
世界が光に満ちたあと、聖戦の世界の崩壊が始まった。
空間に亀裂が走り、孔が開く。その孔の向こうに見えるのは、世界の外、白と黒の世界の光景だった。
白の世界では、空から光が舞い落ちるのを見て、人々は勝利に沸いていた。
黒の世界では、空の闇が色を濃くしていくのを見て、人々は敗北に嘆いていた。
特にセルンの心を切り裂いたのは、初めて目のあたりにする黒の世界の人々の姿だった。
前回の聖戦の引き分けによって、わずかではあるが停滞していた滅びが、今、再びその勢いを増して黒の世界を包もうとしていた。
大地は裂け、空の闇からは無数のモンスターたちが現れて、人々に襲いかかっていく。
絶望に膝を屈する老人がいた。周囲の人々を守るため武器を取り、戦いに挑もうとする若者がいた。少しでも幼い妹を危険から遠ざけようと、彼女を背負って必死に逃げる子供がいた。
そこにあったのは、白の世界となにも変わらない、誰かを愛することができる人間が必死に生きようとする姿だった。
それでも彼らの末路は決まっている。他でもない、セルンが確定させた。
モンスターたちを産み落とす空の闇より、そのとき一際巨大なモンスターが現れる。支配者級を超えた力の波動を放つ邪悪な神性。その降臨により、黒の世界は聖戦の舞台よりもなお呆気なく崩壊を始めた。あれが人の世界を終わらせるまで、数分もかからないだろう。
黒の世界は滅びる。生き残る者はいない。
その犠牲を最後に、永遠に続くはずだった絶望の螺旋は終わりを告げる。
聖戦は、二度と起こることはないだろう。
「…………」
セルンは黒の人々の末路を見て思う
あるいは今ここで、黒の世界へ向かって共に滅びを迎えるべきだろうか?
今ならまだあちらの世界に行けるだろう。ここから足を踏み外すように転がり落ちれば、黒の世界に漂着できる。
たとえ誰も救えないのだとしても、せめて……。
そう思って揺れるセルンの手を、握って引き留める手があった。
驚いて横を見ると、いつの間にやってきたのか、リコリスの姿があった。
彼女はぎゅっと手を握ったまま、セルンに言った。
「みんなで一緒に帰る。そう約束したよね?」
「リコリス……」
「セルンさんが帰らないと、トアレちゃんも帰って来たことにならない。ならないから」
「……そう、だな」
セルンは踏みとどまる。その行為に意味なんてない。罪悪感から逃れるためだけの、卑怯な行為でしかないのだ。
歯を食いしばって耐えるのだ。たとえこの光景を思い出して、満足に眠れる夜がなくなるとしても、ここで最後まで見届けることがセルンの責任なのだ。自分の願いのために魔王を殺した、セルンの罪なのだ。
そう思って前を向くセルンの手を握ったまま、リコリスは隣に並んで黒の世界の悲劇を見つめる。
「リコリス。お前は見ない方がいい」
「ううん、私は見ないといけない。だって、私はセルンさんの仲間だから」
「そうですよ、セルンさん。これは全員で背負うべき光景です」
リコリスとは反対の方の手を握って、マリエールも言う。
「あなた一人に背負わせはしません。絶対に」
「そうですよ、セルン様。これは、みんなで決めた終わり」
「私たち全員が選んだ結論だ。そうだろう?」
レナスロッテとユーゴも、黒の終わりを見届けるべくやってくる。
喉まで出かかった謝罪の言葉を飲み込んで、セルンは再び黒の世界を見た。
セルンとその仲間たちは、等しくこの罪を背負い、ひとつの世界の終わりを最後まで見届けた。
「みんな、ありがとう」
終わりの終わりを見届けて、セルンはみんなの顔を一人ずつ見てお礼を告げる。
リコリス。マリエール。レナスロッテ。ユーゴ。みんな、セルンにとって掛け替えのない仲間たちだった。
別離と罪の代わりに手に入れた、大切なもの……その尊さに感謝しながら、最後の勇者は、聖戦の終わりを告げる言葉を口にした。
「帰ろう、俺たちの世界に。――みんなが待ってる、ユーストリア勇者学校に」




