第十話 遅れてきた勇者
リコリスの一撃により、魔王の拳が押し返される。
それは信じがたい光景だった。
セルンですら苦労していた攻撃を、リコリスはいとも容易く凌いでみせた。神器を解放した彼女の力は、全員の想定を遥かに超えていた。
「まだまだぁああああ――ッ!」
リコリスは拳を押し返しただけで終わらず、自分から攻撃を仕掛けていく。
地上をまっすぐ駆けていくと、魔王の巨大すぎる胴体に蹴りを打ち込む。それは山脈に対して攻撃を仕掛けたも同然の一撃。だがその一撃で、魔王は体勢を崩した。膂力ではない。別のなにかが働いているとしか思えない威力であった。
「感じる。みんなの声を、想いを感じる」
リコリスの両手両足、そして首もとに光が集うと、純白に輝く武装が具現する。
これこそがリコリスの神器『愛と勇気の御伽噺』――それは、他者からの想いを自らの力に変えることができる神器であった。
今、リコリスは自分に向けられる想いを感じ取っていた。
みんなの無事を祈るシャルティエの想いを、大勢の人々の想いを感じ、それらが力に変わっていく。
一人一人の思いは小さいものかも知れない。今の魔王に対していえば、砂粒も同然のものでしかない。だが大勢の想いが集まれば、魔王とだって渡り合える大きな力になるのだ。
「みんなの想い、たしかに受け取った!」
全身に満ちる想いを力に変えて、リコリスは再び魔王に立ち向かっていく。
「この想いを背負って、みんなの分まで私は戦う!」
一撃一撃に、勝利を願う白の世界のみんなの想いを乗せて、リコリスは打ち込んでいく。
魔王はその度に肉体を崩していく。威力はもちろんだが、なによりもその想いによって、全身を崩壊させずにはいられなかった。
ここに至って、魔王はリコリスだけを敵として見定めて動き出した。
彼女に向かって、拳を振るう。
再び、それをリコリスの拳が打ち砕く。
魔王が同胞の怒りを収束させて戦っているのならば、リコリスはみんなの願いを背負って戦っている。その拳の一撃一撃が、魔王と同じく世界と同じ重みを持っているのだ。
魔王は戦慄した。
自分とまともに戦えるリコリスが、しかし未だに解放位階でしかない事実に恐怖せずにはいられなかった。
もしもこの先、彼女が覚醒に至ったとしたら、そのときは……。
「■■■■■■■■■■■■■――ッ!!」
魔王は猛り、同胞の神器の力を解放する。
リコリスの拳を万象の魔法陣で受け流すと、万象を切り裂く刃をもって、彼女を周囲の空間ごと斬り捨てんとする。
これにはリコリスも深い傷を負わされる。完全に避けたはずなのに、完璧には避けられなかった。
やはり強い。魔王は強い。たとえ解放ができるようになっても、相手の方が間違いなく格上だ。
「負けない!」
だけど戦う。声に出すことで勇気をふるいたたせ、リコリスはなおも拳を振るう。
「私は負けない! セルンさんが戻ってくるまで、絶対に負けない!」
自分の勇者を信じながら、魔王と戦い続ける。
◇◆◇
トアレはゼスティによって作られた封印の中で、嘆き悲しんでいた。
「マスター。マスター。マスター」
主を呼びながら、必死になって結界を叩き破ろうとする。
だが内側からゼスティの結界を破ることはトアレには難しかった。トアレは神器、セルンの武器だ。セルンがいなければ、その力を十全には振るえない。そのセルンが死に瀕しているとなれば、より力は弱まっていく。
「マスター! マスター! マスター!
結界を叩きながら、トアレは思い出す。
自分が結界なんぞにくくられてしまったことで、無防備に魔王の一撃を受けてしまった主。あれでは死んでしまっているかも知れない。そんな弱気が忍び寄ってくる。
「大丈夫だ! 我は信じている! マスターは生きている!」
それを振り払いながら、トアレは絆を信じて結界を叩く。
そのとき、わずかに結界に隙間ができた。どうやら外で誰かがこの結界を見つけてくれたらしい。
だが開いた隙間は本当に極僅かだ。これでは外の景色を見ることはおろか、セルンから力を受け取ることも難しい。絆を巡らせることができなければ、トアレは無力だった。
「くっ、マスターが危ないのに、こんな大事なときに我は!」
自分の弱さに悪態付く。
セルンの強さは信じられても、トアレは自分自身のことはそこまで信じられない。一人でいると、どうしてもそういう風に考えてしまう。自分の弱さを嘆いてしまう。
それを――
「愚かな。あなたはまだ、そんなことを言っているのですか?」
もう一人の自分が、鼻で嗤う。
気が付けば、トアレの目の前に瓜二つの漆黒の少女が佇んでいた。セルンの黒の神器、トアレにとっては対を成す存在であり、もう一人の自分とも言える存在だ。だからこそ、ほんのわずかな隙間でも彼女ならば入ってこられる。
「お前、なぜ? 消えたのではなかったのか?」
「いいえ、消えてなどいません。わたしはマスターの魂より生まれた神器。マスターが死ぬか聖戦が終わるまで消えない。ただ、あなたが選ばれたがために見えなくなっていただけ。ですが、そのあなたが封じられてしまった。つまりはそういうことです」
彼女はトアレに向かって、勝ち誇るように告げる。
「あなたがあまりにも体たらくだったので、ついまた表に出てきてしまったわけです。マスターの神器として、あなたに代わってマスターを守るために」
「マスターを? では――」
「ええ、魔王の一撃を受けたとき、マスターはわたしの加護を得ていました。生きていますよ。当たり前でしょう」
「そうか。そうか! うむ、当たり前だな!」
「そう。だから、あなたもマスターに選ばれた神器として、当たり前のことをしなさい」
黒の神器は手を伸ばすと、トアレの手を強引につかむ。
繋いだ手を通して、彼女の力が贈られてくる。
「わたしに残った力をあげます。だから、その力でマスターの役に立ちなさい」
「お前……」
本当は悔しいだろうに。本当は、自分こそがセルンの神器として戦いたいはずなのに、彼女は主のために最善と思われることを実行する。
「それでよいのか?」
「これでいいのです」
その輪郭を霞ませながら、彼女は笑う。
今度は見えなくなったわけではない。その存在自体が消えていく。
「あなたのためではない。わたしはマスターの神器として、マスターの役に立つことをするのです」
「……そうか」
彼女の気持ちは痛いほどにトアレにもわかった。
逆の立場ならば、トアレも同じことをしただろう。
だからトアレは、彼女の力のすべてを受け取ってーー……。
◇◆◇
「おりゃぁああああああ――ッ!」
リコリスはなおも戦い続けていた。何度も何度も拳を振るい続ける。
その威力は衰えることはない。だがじょじょに攻撃がまた魔王に通じなくなり始めていた。
肥大化を続ける魔王の宇宙。広がれば広がるほどに、魔王の力は高まっていく。異世界より流出する神の加護が、彼を強く強く変えているのだ。
聖戦の舞台となった世界も、いよいよ魔王の質量に耐えきれず、崩壊を始めようとしていた。このままではすべてが平らに押し潰されてしまう。
「はぁ、はぁ……みんな、私にもっと力を!」
リコリスは自分に力を分けてくれるみんなに呼びかけるが、返ってくる力は微々たるもの。魔王の強奪に対し、リコリスのはあくまでも相手の好意を受け取るだけ。なりふり構わなくなったときの力の上昇度合いは、魔王の方が遥かに大きかった。
「ありがとう、みんな」
これが今、リコリスが受け取れるすべての想い。その上限。リコリスはみんなに感謝して、ありがとうという気持ちを胸に魔王に向かっていく。
対して、魔王は貪欲に強さを求める。
この世界を肯定する敵を抹殺するために、この世界を否定する異界の力をかき集める。異界の神の力は強大だ。いくらでも力が供給されてくる。だが一度に受け取れる量には限界がある。それを増やしてもらうには、言うまでもなく神への供物が必要だ。
自らの魂はとうの昔に捧げている。自分の魂に結びついた他の魔王候補たちの魂もくべられた。
他に、捧げられるものは……。
『いいよ。お兄様。お兄様の勝利のためなら、わたしは喜んですべてを捧げるから』
魔王の中で、彼女は笑う。
魔王が唯一、大事に大事に守っていた一番大事な魂が神へと捧げられていく。
『だから勝利を。わたしたちに勝利を。黒の世界に勝利を!』
「■■■■■ッ!!」
愛すべきものの魂と引き替えに、魔王は本当の意味で神の領域に到達した。
崩壊する世界にとどめを刺すために、紅蓮に燃え盛る拳を振り下ろす。
「させない!」
リコリスがそれを迎え撃つ。
これはこの聖戦の世界を壊すだけでは終わらない。振り下ろされれば最後、白の世界に甚大な破壊をもたらすだろう。
「みんなは、私が、守る!」
全身全霊を賭ける。だが止まらない。
すべてを終わらせる神の鉄槌。それは今のリコリスでは止められなかった。
「くっ、まだ、まだ!」
「そうだ! まだだとも!」
必死になって拳を止めようとするリコリスの隣に、ユーゴが現れて力を貸す。
「君一人にやらせるものか! 私はユーゴ・テンペスターだ!」
リコリスとユーゴ、二人は全力を振り絞る。覚醒者と、覚醒を超える解放を発現したリコリス。その二人の協力しても、しかし魔王の鉄槌は止まらなかった。
このままでは、拳を止めるどころか自分たちが先にその力にあてられて消滅しそうだった。
だが――それでもいい。
それでも、止めるのだ。
「止める! この命に代えても、絶対に!」
リコリスは魂の叫びをあげ、命を振り絞ろうとして、
「――いや、それはダメだろう。約束は守るもんだ」
その前に、放たれた雷光が彼女の代わりに魔王の拳を受け止めてみせた。
「あ」
「悪いな。遅くなった」
魔王の拳を光り輝く大鎌をもって防ぎつつ、勇者はリコリスに笑いかけた。
「ユーゴも。悪かったな」
「本当だ。君は本当に、毎回遅刻するのが得意だな」
ユーゴは皮肉げに笑い、セルンに言う。
「任せても、いいか?」
「ああ、任せてくれ」
限界だったのだろう。ユーゴはセルンにあとを託すと、気を失って倒れてしまう。
「……セルンさん」
リコリスもまた、安堵のあまり気を失いそうになるところをぐっと堪えて、セルンの顔を見上げた。
「私、神器の解放できるようになりました」
「ああ、ちゃんと見てたぞ。すごいじゃないか」
リコリスの声は意識を失っていたセルンにも聞こえていた。必死にがんばるその後ろ姿を、セルンは目を覚まして最初に目に焼き付けた。
「格好よかった。まさに勇者の背中だったさ」
本当に、心の底からそう思う。
解放位階であれなのだ。もしもリコリスが覚醒位階に達していれば、間違いなくセルンを凌ぐ勇者になっていただろう。あるいは、ローリエに匹敵する最強の勇者になっていたかも知れない。
だけど――今の勇者はセルンだから。
「今度は俺が、お前に勇者の背中を見せる番だ。だから、ありがとう。少し休んででくれ。マリエールが心配して待ってるぞ」
「うん。わかった。マリーちゃんと二人で見てる。応援してるか、ら……」
セルンに想いを託し、リコリスもまた意識を失った。セルンは彼女を抱きとめると、優しく地面に寝かせる。
自分の背中を見るのにこれ以上ない場所だ。危ない? いいや、わずかたりとも傷つけるつもりはない。
「さて、と。お前も、待たせて悪いな」
セルンは魔王を見上げる。
意識を失う前よりも大きく、強くなった魔王。
いくらセルンがマリエールによって完全回復したといっても、前の状態の魔王にあれほど苦戦したのだ。勝てる道理はない。
前までのセルンであれば、の話だが。
セルンがその手に握る雷光の切っ先は、完璧に魔王の拳を食い止めていた。決して押し負けることなく、その力は拮抗している。
それが魔王にはわからない。なぜすべてを捧げた自分に、貴様ごときに勝てるのか、と。
「決まってるだろう。俺一人じゃないからだ」
そうつぶやくセルンの傍らに、純白の少女が現れる。
「そうだ。マスターは一人ではない。マスターには我がいる!」
トアレはセルンの右腕に抱きつき、その温もりをもって主の力を高めていく。
「いや、あえて言おう! マスターの隣には我々がいると!」
それだけなら前と同じだ。けれど、今は違う。
トアレとは逆側に、漆黒の少女が現れる。彼女もまた、セルンの左腕に抱きつくと、その温もりをもって主の力を高めていく。
それはあり得ない光景だった。
白と黒、二人の神器が共に具現し、寄り添っている。
けれど――それを成すのがセルン・ベルクルト。白と黒、二つの世界の境界に生まれた少年であり、その魂から生まれた神器なのだ。
トアレは自慢げに胸を張って告げる。
「主と神器の想いをひとつにする。それこそが我が覚醒神器の力。だがそれは、我とマスターの二人だけをひとつにする力ではなかったのだ」
セルンにはもう一人、神器がいる。ならば彼女の手もまた、トアレの力は結ばせることができる。
「なあ、もう一人の我よ。やはり我にすべてを託すのではなく、こうした方がよいだろう?」
「……業腹ながら、全面的に同意します」
トアレの言葉に、黒の少女はそう答える。
彼女はもう二度と寄り添えないと思っていた主を見上げ、幸せそうに微笑む。
「マスター。不出来な身ではありますが、精一杯、がんばらせていただきます」
「ああ、期待してるぞ」
そう、二人の絆で足りないのなら、今度は三人の絆を合わせればいい。
これこそが、勇者セルン・ベルクルトのみに唯一赦された力なれば。
「行くぞ、二人とも!」
「「はい、マスター!」」
黒と白、二つの聖痕を輝かせながら告げる主の言葉に、声を揃える二人の神器。
そして三人で一人の勇者は、声を揃えて謳い上げた。
「「「神器覚醒!」」」
其は――
「「「共に――『勇者に捧ぐ英雄歌』!!」




