第四話 さよならを超えるため
「信じられないな」
理外の誘いに対し、セルンはにべもなくそう言い放った。
「聖戦の終了と共に、神器は回収される。勝者も敗者も例外なくだ。それが聖戦のルールだし、それを超えて神器を残せるなんて言葉は信じられない」
「でも事実よ。わたしたちには、そのルールを超える方法が存在する」
「その言葉を信じるとでも?」
ゼスティは敵だ。そんな相手の吐く甘言ほど、信じられないものはない。
「証拠を提示してもらわないことには、考慮する余地すらない」
「それは……」
「……どうやら、無駄な時間だったみたいだな」
「待って!」
席を立とうとするセルンを、ゼスティが止める。
彼女はしばし悩んだのち、
「……それがわたしの覚醒神器の力なのよ」
苦渋の決断で、自分の致命的な秘密を暴露した。
「ありとあらゆる現象、ルールから切り離し、閉じこめる。それがわたしの覚醒神器『救済を拒む小世界』の力。それでコーラルっていう勇者候補の神器を封印すれば、聖戦終了時の神器回収を乗り切れるわ」
セルンは以前、ゼスティと戦ったときのことを思い出す。
彼女によって強引にトアレとの関係性を断ち切られた。それはいずれ復活する程度のものだったが、一瞬とはいえトアレを完全に隔離されたのだとすれば説明はつく。
掛け値なしに危険な能力だった。なにかを守る目的にも使えるが、攻撃に利用すれば、相手の神器を完全に封殺できるというわけだ。
だからこそ、セルンは驚きを隠せなかった。それは決して、相手に伝えてはいけない類の情報だ。相手側に能力を知られてしまえば、切り札としての効力は半減してしまう。
逆に言えば、それだけこの交渉が向こう側にとっても重要だということだが。
「……ルールからの隔離。その話が本当なら、たしかに神器も残せるかも知れない」
「そうよ。だから」
「けどやっぱり信じられないな。そんな神器の力があるはずがない」
ゼスティがここでその情報を切ったという意味を考慮しても、セルンには彼女の言葉が信じ切れなかった。
「なっ、ここまで言っても信じられないの!?」
「そうだ。神器は聖戦のために生み出されたもの。持ち主如何によって能力が変わるとはいえ、聖戦のルールを破綻させる能力は持てないはずだ」
もしもそんな能力が許されるのなら、これまでの数千年の間に聖戦は破綻していただろう。聖戦の存在を許さないなんて、これまでの勇者魔王ならばいくらでも魂から叫んできたはずだ。
「もしもお前の覚醒神器の能力が、神器を封印できるものだったとしても、聖戦のルールを超えられるとは思えない」
「超えられるわ! わたしは絶対のルールを超えるためだけに覚醒したんだもの!」
「でも証明はできない。違うか?」
「それ、は……」
ゼスティは再び思い悩む様子を見せる。なにかしら、自分の覚醒神器の能力を証明する方法はあるようだった。
ならば、それを見せてもらわないといけない。
「それは?」
セルンは追い詰めるような口ぶりで急かそうとして、
「――セルン・ベルクルトよ。姫を追い詰めるのはそれくらいにしてやって欲しい」
この場にはいない、第三者の声が突如として響いた。
ゼスティとは違う少女の声。それはゼスティが身につけたスカートの裾の奥から聞こえてきていた。
「今の声は? 二人きり で話をするんじゃなかったのか?」
「……今の声はこれよ」
セルンの訝しげな眼差しに、ゼスティは観念してスカートから一冊の本を取り出した。
黒い表紙を金で飾りたてた立派な装丁の本だ。
一体そんなものをどうやってスカートの内部にしまっていたのかセルンが疑問に思っていると、その本はゼスティの手を離れ、一人で宙に浮きあがった。
「初めまして、近くも遠い世界の同胞よ。儂は魔王候補ミルヒアイゼン・ヴォルゼンツアーじゃ」
「……黒の世界には、本にしか見えない種族も存在してるのか?」
「いやはや、さすがに我らもそこまで人間を辞めてはおらんよ。こんな姿をしておるのは儂だけじゃ。正確には、かつてミルヒアイゼン・ヴォルゼンツアーだったものの残り滓、神器に宿った彼女の魂の残滓に過ぎない。お主の愛しのローリエと似たような状態と言えばわかりやすいかの」
「なるほど。神器に死者の意志が残ってるのか」
「そういうことじゃ」
なにせ、あの世から魂の一部を招来できる神器もあるくらいだ。死してなお、その意識の欠片を神器に残せる者がいてもおかしくはない。
「だから、今ここにいる人間はお主と姫の二人で間違っておらん。なにせほら、儂ってば可憐な本じゃし?」
詭弁ではあったが、セルンはそれ以上その部分は突っ込まなかった。向こうからしたら、ここは敵のお膝元。なんの保険もなく二人きりになんてなるはずがなかったのだ。ましてや、ゼスティという少女が見た目相応、いや、見た目よりも幼く人生経験にも乏しければなおさら心配だろう。
「ミルヒ。どうして出てきたの? 交渉はわたしに任せるって言ってたのに」
「姫よ。お主はこの男の話術で、いいように情報を搾り取られようとしておったのじゃ。半ば姫の神器の力は本物だと思いつつも、こやつは行けるところまでは行こうと疑い続けている振りをしておったのじゃよ」
「え?」
ゼスティが驚いた顔でセルンを見る。
セルンは悪びれた様子もなく、肩を竦めた。
「そりゃ、行けると思ったらそうするだろう。敵同士なんだから」
「な、な、なっ!」
ゼスティは怒りで顔を赤くして、ばん、とテーブルを叩いた。
「は、恥知らず!」
「そっちがお子様なだけだ」
「わたしは子供じゃない! もう立派な大人の女性だもん!」
「姫よ。それ以上はいけない。恥の上塗りが上手すぎる」
「どういうことよ!?」
別にセルンも交渉が得意というわけではない。先程の追い詰めるしゃべり方も、話術なんて呼べるほどのものでもないだろう。
ただ、それでも重要な秘密をしゃべりかけてしまうくらい、ゼスティが未熟というだけで。
ミルヒアイゼンに宥められ、お菓子を頬いっぱいに詰め込んだところで、ゼスティはなんとか気を落ち着ける。
そのあと、彼女の代わりにミルヒアイゼンが交渉のテーブルについた。
「セルンよ。先程の話の続きじゃが、姫の覚醒神器の能力は本物じゃぞ」
「そこはある程度信じてるよ。そんな嘘を吐く理由がない。けど俺がさっき言ったことも本音だ。どんな神器であっても、聖戦のルールを超えられるとは思えない」
「ふむ。まあ、もっともな意見ではあるな」
頷くように上下にぷかぷかと浮きつつ、ミルヒアイゼンは続けた。
「本来であれば、たしかにそのような神器は存在し得ない。だが今回にかぎっては特別なのじゃ」
「特別?」
「そうじゃ。此度の聖戦は、数千年の聖戦の歴史にあって、唯一、例外として始まった聖戦じゃからな」
「それは前の聖戦から十年で始まったことを言ってるのか?」
「そう。そこからして、まず本来の聖戦のルールであればあり得ないことなのじゃ。早い話が、聖戦という儀式の基盤がじゃっかんではあるが今狂っておる。いや、ローリエ・エルジェラントによって狂わされたといった方が正しいか」
前回の聖戦における勇者と魔王の引き分け。ローリエが選んだ史上初めての選択肢。それは問題の先送りにしかならなかったはずだった。
けれど、それでも勝者と敗者しか本来あり得ないはずの聖戦を、わずかではあるが狂わせていたのだ。
その結果が今回の通常よりも開催の早すぎる聖戦であり、ゼスティの本来ではありえない神器であった。
「聖戦のルールが狂っておる証明は、なにも姫の神器だけではない。セルン・ベルクルト、お主もまたその証明に一役買っておるのじゃぞ?」
「俺が?」
「そうじゃ。勇者候補でもあり魔王候補でもある。敵味方のどちらの陣営にもついているなど、本来のルールからすればあり得ないじゃろう? 二つ世界の血が混ざっておるからといって、通常であれば、お主はどちらか片方にしかなれなかったはずなのじゃ。その魂が寄る辺とする世界の側しかな」
「……考えたこともなかったが、そう言われればたしかに納得できるな」
「であろう? ならば、姫の神器がそういうものであり、結果としてコーラル嬢の神器を聖戦後まで残せることにも納得してもらわねば困るの」
ミルヒアイゼンが話を最初に戻し、それに続くようにしてゼスティが改めて言った。
「だから、あなたが仲間になってくれるのなら、あなたは聖戦後もローリエと一緒に生きることができるわ」
「ローリエと一緒に……」
「そうよ。好きなんでしょ? 愛してるんでしょ? なら、いつまでも一緒にいたいでしょう? ましてや、一度悲しい別れを強いられたのなら、なおさらそう思うはず。いいえ、思ってないといけない」
「…………」
「悩む必要なんてないはずよ。それとも、あなたはこの世界がそんなにも大事なの? 愛しい人よりも大事に思っているの?」
「……そう、だな」
ゼスティの言うとおり、悩む必要はないはずだ。
セルンはローリエを愛しているし、いつまでも一緒にいたいと思っている。
神器として蘇った以上、聖戦の終わりと共に別離が約束されていると思ったが、それさえどうにかなるのなら、悩む必要なんてないはずだ。
ない、はずなのだが……
「……決められないようね」
ゼスティはどこか失望したようにそう零すと、席を立った。
「いいでしょう。なら、ローリエとの戦いが終わるまでは返答を待ってあげる。わたしの申し出を受けるにせよ、受けないにせよ、あなたはローリエがその理想を叶えようとするのを止めないといけないのだから」
「ローリエが勇者に選ばれればしまえば、話自体がご破算になるからな。けどそれを言ったら、俺はどうなる? ローリエに勝った時点で、俺が勇者に選ばれるかも知れないぞ?」
「それはないわ。聖戦の意志は、少しでも迷いのあるものを勇者に聖別なんてしない。ええ、そうよ。あなたはローリエに勝ったとき、否応なく自分の本当の気持ちを知ることになる。世界を滅ぼしてでも、愛しい人と添い遂げたいという醜い自分の気持ちにね」
やはりゼスティは、最終的にはセルンが自分の申し出を受けると確信しているようだった。
自分の左手をセルンの左手に絡ませると、距離を詰め、ゼスティは下から見上げるようにセルンを見つめた。
「期待してるわよ、セルン・ベルクルト。あなたには、魔王様の仲間として聖戦に出てもらう。かつての同胞を、友達を、殺して、殺して、殺して、その血を真っ赤に染めて。そんな罪にまみれた手で、愛した女を抱きしめるの。ああ、きっと死ぬまで罪悪感に苦しむことになるわ」
彼女は嗤う。セルンを見つめる瞳は、底抜けに暗い瞳だった。闇が広がり、その奥で憤怒と憎悪が渦巻いている。
「レイリアを死に追いやったあなたを、わたしは絶対に赦さない。永遠の苦しみを与えてあげるから、泣き叫びながら喜ぶといい。その顔に、満面の笑みでキスしてあげる」
「……悪趣味だな」
「ええ、知ってるわ。でも、だって、愉しいんだからしょうがないじゃない!」
頭のねじが外れたような哄笑を響かせながら、ゼスティは開いた『門』を通して自分の世界に帰っていく。
ゼスティの後ろをぷかぷか浮きながら、一冊の本が追いかけていく。
「……昔はあんな娘ではなかったよ」
その途中、一度止まると、後悔をにじませた声で彼女は言った。
「半年前までの彼女なら、人の不幸を楽しむなんてことはしなかった。人の幸福に一緒になって微笑み、人の不幸に一緒になって涙する。そんな心優しい娘だったのに。いつもいつも、お兄様お兄様と魔王様のあとをついていって……」
きっと、聖戦が彼女を変えたのだろう。
多くの人の運命を狂わせる。それが聖戦というものなれば。
「ゼスティを戦いに駆り出さなければならなくなった時点で我らは負けたも同然……ああ、まったく、魔王様の言っていたとおりじゃったわ」
『門』を潜り抜けながら、誰かに懺悔するようにかつて人間だった者はこぼした。
「彼女のような子供が普通に笑って暮らせる世界を、我らは目指していたはずなんじゃがなあ」




