第二話 それぞれの覚悟
黒の世界、その闇に染まった空の下。
ゼスティはローリエを自分の世界に引っ張り込んだところで手を離し、その身体を荒野の上に放り出した。
「ちょっと、いきなり手を離さないでよ。痛いじゃない」
「うるさい」
ゼスティは怒りの眼差しでローリエをにらみつける。
「話はすべて聞かせてもらったわ」
「なら面倒がなくていいわね」
ローリエはハスターと戦いながら、密かにその風を使って、黒の世界に思念を送っていた。かつて黒の世界を旅したローリエには、魔王代行たるゼスティが他者の思念を観る『千里眼』の一族であることがわかっていた。彼女ならばきっと、ハスターの異変に気付き、自分の思惑にも気付いてくれるだろうと。
セルンに昔話を聞かせたのも、その実、『門』の傍で聞き耳を立てていた彼女への事情説明だった。
自分の目的とあなたの目的は一致している。だからいざというときは助けてね。
今の自分では、覚醒に至ったセルンには勝てないことは最初からわかっており、そしてハスターとの戦いでセルンが覚醒に至ることが予想ついた段階で、ローリエはこうなるように動いていたのだった。
「話の通りよ。私が勇者になれば、聖戦で魔王に負けてあげる。どう?」
「そうね。勇者の放つ言葉としては最高のセリフね」
そう言いつつも、ゼスティは怒りと憎しみを隠そうとしない。
「問題はね、あなたが先代勇者であり、聖戦であなたが殺した先代魔王が、私の実のお兄様だということよ」
「ああ、そうなんだ。同じグリームニルだしね」
「そうよ。だから」
「でも、それがなに? あなたは魔王代行で、今のこの聖戦のために戦ってるんじゃないの?」
「っ!?」
ローリエにそう言われ、ゼスティはそれ以上なにも言えなかった。
そう、個人の感情に囚われているときではない。彼女の言うとおり、ゼスティは聖戦の勝利のために、今の魔王のために戦っているのだから。
「……いいわ。魔王代行、ゼスティ・グリームニルの名において、あなたを保護してあげましょう」
「感謝するわ。早速だけど、ひとつだけ頼みがあるんだけど」
「図々しい奴ね。なに?」
「うん。セルンに神器殺しに力を注がれたから、私の意識はもうすぐ消えることになるわ。コーラルの様子からして、また表に出てくることは難しいでしょう」
「じゃあどうするのよ? 拷問でもして、神器を解放させればいいの?」
「概ねそのとおりよ。そして、それに最も適した奴が向こうの世界にいる。その男をこちらの世界につれてこれば、私はどうやら覚醒もできるみたいよ」
「へえ。けど、異界への『門』はどうするの?」
「それなら大丈夫。勇者や魔王でなくとも、覚醒神器なら『門』は代償なく開くことができるわ」
「なるほど。ミルヒの予測どおりなわけね。いいでしょう。その男の名前と特徴を言いなさい」
ローリエは意識を失う間際、その名前を口にした。
ゼスティはニヤリと笑うと、コーラルとなった彼女を結界で封じ込め、早速その元男爵様をさらいに出かけるのだった。
◇◆◇
セルンたち一行を乗せた馬車は、ユーストリア目指して走っていた。
御者席でゼノが手綱を握り、他の三人は馬車の中に入っていた。
セルンとリコリスが向かい合って座り、トアレはセルンの膝に頭を預けて寝息を立てている。公国を出発し、かれこれ二十四時間近く経つが、その間ずっと彼女は眠り続けていた。
「トアレちゃん、だいぶ疲れてたみたいだね」
「ああ。神器の覚醒はだいぶ負担になるらしい。それと、ローリエとの決戦のときに全力を出せるよう、必死になって回復してるんだろう」
「ローリエさんか」
リコリスは少しだけ迷ったあと、セルンに尋ねた。
「セルンさんは大丈夫なの?」
「大丈夫? なにがだ?」
「ローリエさんと戦うことだよ。セルンさん、ローリエさんのことが好きなんでしょ?」
「ああ。好きだよ」
「なら戦うの辛いよね? 無理してない?」
「大丈夫さ」
心配してくれるリコリスに、セルンは穏やかな顔で言った。
「ローリエの理想を聞いて、止めないといけないと思った。けどそれは、別にローリエのことが嫌いになったわけじゃない。むしろ話を聞いて、ローリエらしいとある意味惚れ直したくらいだ」
セルンにとって、ローリエは昔からああいう人だった。
我が道を行き、そのためにいつも周りを振り回す。迷惑だがどこか憎めず、その在り方にセルンは憧れていた。
「ローリエのことが好きだからこそ、俺は俺の手で彼女を止めるんだ。他の誰にも譲るつもりはない」
「好きだからこそ、戦うの?」
「好きだからこそ、戦うんだ」
「……そっか。うん、そういう好きもあるんだね」
リコリスにもわからないでもない価値観だった。かつての闘技場では、そういう人たちは大勢いた。好きだからこそ、尊敬しているからこそ、全力でその人のことを殺しにかかる。殺せることが、殺されることが、誉れだという戦士の考え。
「……いいなぁ」
と、リコリスはぽつりとつぶやいた。
セルンにそこまで思ってもらえるローリエが、リコリスは羨ましかった。恋心を自覚したリコリスではあったが、セルンが心底ローリエに惚れているのはわかっていたので、最初から失恋も同然の状況だった。
いや、別に諦めるつもりはないけれど。
「リコリスこそ、本当はローリエについていきたかったんじゃないのか?」
「え?」
リコリスが思い悩んでいると、逆にセルンからそんなことを聞かれた。
「私がローリエさんに? どうして?」
「どうしてもなにも、前に言っていただろ? 聖戦に勝利と敗北以外はないのかって。リコリスもローリエと同じで、二つの世界を両方とも救いたいって思ってるんじゃないのか?」
「それは……うん、そうだよ」
リコリスもその点においては、ローリエと同感だった。
「救えるのなら黒の世界も救いたい。でも、そのためにこっちの世界をみんなを危険な目に遭わせるっていうのは、違う気がするんだ」
ユーストリアで暮らすようになって、ローリエにはたくさんの知り合いができた。友達ができた。親友ができた。
その人たちを守りたいと思った。その輝きを守ることが勇者なのだと思った。
それは聖戦の真実を知ってもなお、変わらない根底にある願いだった。
「私、この馬車の中で、コーラルちゃんとたくさんお話ししたんだ。色々なことをお話しして、友達になった。だから、ローリエさんがその理想のためにコーラルちゃんを犠牲にするっていうのなら、私はそれを許さない」
コーラルの友達として、リコリスは怒りをもってその拳を握りしめる。
「みんなの幸せのために戦うのはいい。でも、そのためになにかを犠牲にするっていうのは間違っている」
「そうか。そうだな」
セルンもリコリスと同じだった。
目の前に白と黒、両世界が助かる選択肢があるのなら喜んでそれを選ぼう。それがいくら困難な道であっても、そこにあるのなら勇気をもって選べるはずだ。
けれど、そんなものはどこにもない。あるかも知れない、という淡い祈りのために多くの人を犠牲にはできない。
……そういう意味では、ローリエの理想は破綻している。
いつかすべてを救うために、今目の前にある命を切り捨てる。理想のために現実から目を背けたその在り方は、生前のローリエとは少しだけ違った。
彼女は今の自分は魂の一欠片だと言った。ここにいる自分は死者である、と。
妄執に取り付かれているのかも知れない。理想のために生きて死んだ彼女は、もはやそれしか考えられないのかも知れない。
「やっぱり、止めないといけないな」
だとするなら、止めることこそが愛だろう。セルンはそう思う。
覚悟を決めたその真剣な顔をみて、リコリスはきゅーと胸を締め付けられる。
「あのね、セルンさん。私がローリエさんについていかなかった理由はもうひとつあるんだ」
「もうひとつ? それってなんだ?」
「それはもちろん」
トアレを膝枕しているため、身動きのとれないセルンに自分の顔を近付けると、リコリスはその唇を不意に奪った。
時間を盗まれたように、セルンは動きを止める。
そうして十秒か、二十秒か、それとも一分以上か。それすらわからない静寂のあとで唇を離すと、リコリスはえへへと笑って言った。
「好きな人の味方をしたいって思ったからだよ!」
「…………」
「セルンさん。ずっと言えなかったけど、セルンさんが勇者になったら私を仲間にして欲しいな。そばにいて、あなたのことを支えたいの」
「…………」
「あの、セルンさん? 聞いてる?」
「……聞いてる」
セルンは顔を赤くすると、リコリスの唇の感触が残る自分の口を手で隠す。
「リコリス。俺のことが好きなのか?」
「そうだよ。一目惚れだったんだ」
「そ、そうなのか。……気付かなかった」
「うん、私も昨日まで気付かなかった。でも気付いたからには、がんがんとアピールしていかないとね! 愛とは躊躇しないことって師匠たちも言ってたしね!」
「お、おう。そうか」
言うべき事はたくさんあった。自分はローリエのことが好きだとか、気持ちは嬉しいけど応えられないとか、けれどセルンは気恥ずかしくて、しばらくなにも言うことができなかった。
ずっとローリエを追いかけ続けてきたセルンにとって、今リコリスに奪われたものが、紛れもないファーストキスであった。
「あー、その、リコリス」
「あ、セルンさんがローリエさんのことが好きなのはわかってるから安心してね」
話を切り出そうとすると、先回りしてそう言われてしまう。
「私がその上でセルンさんのことを好きになっただけだから。ううん、ローリエさんのことを好きなセルンさんを好きになったのかな? どちらにせよ、私はセルンさんを諦めるつもりはないし、絶対に振り向かせてみせるから! この気持ちはマリーちゃんにも、誰にも負けないよ!」
リコリスは笑う。太陽のように輝く笑顔を見せる。
「私、ローリエさんよりもいい女になるから、覚悟しておいてね!」
それはまさに、恋する乙女の無敵の微笑みであった。
「青春だねぇ」
壁越しに聞こえてきた若者二人の初々しいやりとりに、ゼノは目を細めつつ笑みを浮かべる。
ローリエが反旗を翻したことは、白の世界にとっては最大の危機と言える。けれど、誰も絶望的な気持ちにはなっていない。
それは信じているからだ。セルンという男ならば、きっとやり遂げてくれると信じているから、今こうして未来を信じて笑えるのだろう。
「……こりゃ、俺も覚悟を決めないといけないか」
だからこそ、ゼノも彼の兄貴分として覚悟しないといけない。
大切な仲間たちの未来を守るため、倒さなければならない敵の姿を脳裏に思い浮かべる。
ローリエがバルザックとコーラルの話を聞いていたとするならば、覚醒するために、そして未来永劫、神器として聖戦に参加するために、間違いなく彼の力を利用するだろう。となれば、この先もう一度奴と相対する瞬間が来るはずだ。
「そのときは……」
この手ですべての決着をつける。
セルンとローリエの戦いの邪魔はさせない。
ーーたとえ、この命に代えようとも。




