第一話 ローリエ・エルジェラント
ハスターとの戦いのあと、セルンとローリエは向かい合って闘志を露わにした。
二人のその様子に、他の仲間たちも声をかけられない。
「それでどうする? セルン。このまま戦う? それとも、一度ユーストリアに戻る? セルンは初めて覚醒神器を使ったんだから、今は一度身体を休めた方がいいと思うけど?」
「気遣いありがとう。けど問題ない。このままやれるさ」
ただ、ひとつだけ、セルンには戦う前に心残りがあった。
「戦うのはいい。だけど、その前にひとつだけ教えてくれ。ローリエ、前回の聖戦で自殺したのはなぜだ?」
「自殺!?」
セルンのこの発言に、リコリスとゼノが驚く。
それもそうだろう。これを知っているのはセルンと、ローリエの記憶を垣間見たコーラルの二人だけだ。
前回の聖戦の結末。セルンにとっての最大の疵。ローリエの死の謎を、どうしても彼女の口から聞かなければならなかった。
「答えてくれ。ローリエ」
「そう、ね。今のセルンにならきっと言っても大丈夫でしょう。それに、もう予想はついているんでしょ?」
試すような素振りでローリエは尋ねる。
たしかに、セルンは今となってはローリエの行動の理由に気が付いていた。勇者候補に選ばれ、戦って、なぜ彼女が聖戦を引き分けに持ち込んだのかは予想がついている。
即ち――
「ローリエはこっちの世界だけじゃない。黒の世界も救いたかったのか?」
「正解」
頷いて、ローリエは昔話を始める。
「私は先代勇者ローリエ・エルジェランド。すべてを救おうとして、そして失敗した愚か者よ」
◇◆◇
ローリエが最初、その疑問に行き着いたのは、まだ幼い子供の頃のことだった。
ある日、ローリエは学校である物語に触れた。それは授業の教材にも使われるような、白の世界では最も有名なおとぎばなし。勇者が魔王を倒して世界に平和をもたらす、聖戦を子供向けに描いた物語だった。
その物語の中で、勇者は絶対正義の守護者として描かれ、魔王は卑劣で邪悪な侵略者として描かれていた。
だから当然、その結末は勇者の勝利で終わる。
魔王は滅び去り、物語はめでたしめでたしで終わりを告げるのだ。
それに周囲の子供たちはなんの疑問も持っていないようだった。勇者様格好いいと、男の子たちは憧れて、女の子たちは恋をする。
けれどその中で、ローリエだけは倒された魔王の行く末に思いを巡らせていた。
勇者に負けた魔王の世界はどうなるのだろう?
そもそも、どうして魔王は異世界に侵略なんてしてきたのだろう?
そうした疑問を教師にぶつけても、返ってくるのはお決まりの言葉。勇者は善人で、魔王は悪人。ただ、正義が勝ち、悪が負けた。それだけの話だと。
納得ができなかった。
どうしようもなく、その結末に納得がいかなかった。
だから自分で聖戦について調べて回った。
その中で、やがてローリエは気付いた。聖戦と呼ばれるものの正体に。
これは正義と悪の戦いではなく正義と正義、いや、もっと原始的な両世界による生存競争なのだと。
勇者と魔王はそれぞれの世界の代表でしかなく、従ってそこに正義も悪もない。
長年の疑問に答えが出た。けれど、ローリエはそこで思考を止めなかった。
勇者も魔王も、世界の仕組みによって永遠の闘争を強いられているというのなら、真に正さなければならないのはその世界の仕組みの方だ。
きっとどこかにあるはずだ。勇者も魔王も、どちらも救われる結末が。
そう信じ、そう願い、けれど答えを見つからないまま、ローリエはその運命の日を迎えた。
巡り来た聖戦のとき。勇者候補に選ばれたローリエは、その世界救済への狂おしい想いをもって最強の神器を手にし、すぐに覚醒にも至った。そうして、勇者の後継であるテンペスターを下し、瞬く間に勇者に聖別されることになったのだった。
「勇者になった私には時間があった。どうやら、魔王側は聖別に時間をかけているようだったからね」
思い返すようにしながら、その場の全員に聞こえるような大声でローリエは語り聞かせる。
「まあ、それも無理はないでしょう。あちらからすれば、三度の敗北のあとの正念場。下手な魔王なんて選べない。だから私は、まだ聖戦には時間があると判断して、これ幸いとして勇者としての特権を行使した」
「勇者の特権?」
「そうよ、リコリスちゃん。勇者には他の誰にもできない特権があるの」
話に食いついてきたリコリスに対し、ローリエはその特権について教えてあげた。
「勇者だけは代償なしに黒の世界に行くことができる。そう、私はね。勇者になったその足で黒の世界に渡ったの」
目的は簡単だった。相手側の事情や向こうにしかないかも知れない知識を知ることで、どうにか聖戦を互いに利のある形で終わらせようとしたのだ。
その目論見は半分成功し、絶望的に失敗した。
「向こうの世界に渡って、私は多くを知った。向こうにはこちらの世界では失伝していた聖戦についての知識もあったわ。たとえば、聖戦が五千年近く昔に栄えていた古代文明によって、なんらかの目的のために生み出された儀式である事実とかね」
「聖戦が人間の作り出した儀式?」
「そうよ、セルン。聖戦は元はと言えば、誰かが仕組んだものなの。それを聞いて、私はその誰かを呪うと共に希望を抱いた。誰かが仕組んだものであれば、抜け道があるんじゃないかと。それで最初に思いついたのが、戦いを引き分けに持ち込むこと。勝利でも敗北でもない第三の選択肢を選ぶことで、儀式が狂うことを企んだ」
それはたしかに少しだけ成功した。百年周期であった聖戦を、十年という短い周期に変更させたのは間違いなく彼女が初めてだろう。
ただ、それに意味はなかった。引き分けは結論の引き延ばしであって、根本的な解決にはならない。
しかし、それは終わったあとだからこそ言えるのであって、そのときのローリエには可能性のある未知の選択肢だった。
「最初、私はね。魔王に直接、戦いを引き分けようと持ちかけようとしたのよ。向こうだって戦いたくて戦うわけじゃないだろうし、きっと話を聞いてくれると思って。……今になって思えば、それは繁栄世界に生まれた者の傲慢だった」
黒の世界で歴史を継承する者たちから聖戦の知識を手に入れたローリエは、そのまま魔王と会うべく黒の世界を巡り、その惨状を目の当たりにすることになった。
「黒の世界は絶滅に瀕していた。あちらの世界の人々は飢え、モンスターの脅威に怯え、明日をも知れない中、それでも魔王という希望に縋って必死に生きていた。聖戦に勝てさえすれば、魔王様さえ勝利すれば、自分たちは助かる、子供たちに明るい未来がやってくる。そう願って、助け合って生きていた」
そんな彼らを前にして、そんな人々の希望を背負った魔王に、どうして引き分けてくれと言えるだろう?
引き分けで得られるものが、両世界の繁栄だなんて言い切れない。むしろ逆に、両方ともが滅びに苛まれる可能性もある。
白の世界は最悪大丈夫だ。三度の繁栄によって、一度の滅びなら凌げるかも知れない。
だが黒の世界は無理だ。今回の聖戦に負けた場合、百年後までどう足掻いても生存できない。
「魔王は絶対に私の申し出に頷かない。そう理解できた。……勇者と魔王は絶対に分かり合えないのだと、どうしようもないほどに理解できたのよ」
そうして、ローリエは魔王と会うことなく、黒の世界から逃げ帰った。
胸にあったのは絶望だけ。戦いを一度始めてしまい、勝者と敗者が生まれてしまった以上、もうその傾いた天秤を釣り合わせることはできない。
最初から、誰もが幸せになれる選択肢なんてなかったのだ。
「私の追い求めてきたものは、存在しない理想だと思い知らされた。私にできるのは、あちらの世界のためにこちらの世界に滅びをもたらすか、あるいは向こうの世界に引導を渡すことだけだけと思った」
ローリエの眼差しがまっすぐセルンを見つめる。
白と黒を混ぜ合わせたような灰色の髪と、綺麗な紅の瞳。そして、両腕に輝く白と黒の聖痕。
「そんなときに、私は奇跡に出会った。セルン・ベルクルト。白の世界と黒の世界、両方の血を継ぐ少年。あなたに出会って私は救われた。私の追い求めてきた理想は。まだ見つからないだけで、どこかにあるのかも知れないと信じなおすことができたの」
「だから俺を仲間にしたんだな」
「そう、あなたを自分の傍に置いておきたかった。あなたを見るたびに、自分の理想を諦めないでいられたから。……でも、私は特別な存在ではなかった。最後の最後のそのときまで、引き分け以外の未知の可能性を思い描けなかった」
そして、その選択肢は自分の死をも意味していた。
それはいい。問題は、自分がそうすることで疵を負ってしまう仲間の存在だった。
「悩んだわ。セルンは私のことが大好きで、私もセルンのことが大好きだったから、本当に、悩んだ」
「……その結果、ローリエは自分の理想を貫くことを選んだ。魔王を力ずくで、引き分けに持ち込んだ」
「そう。たぶん、これは結論の引き延ばしにしかならないと薄々は察しながらも、それを実行に移した」
「なんだよ、それ」
セルンは歯を食いしばる。
なんてことはない、すべてはセルンの考えたとおりだった。
「なら、ローリエを殺したのはやっぱり俺だ。俺がいなければ、ローリエは魔王を殺して生き延びていたんだから」
「でも生き延びた代わりに、私の心は死んでいた。命よりも大事な魂に悔いを残した。セルンは私の魂を救ってくれたのよ」
「俺は、それでもローリエに生きていて欲しかった!」
セルンはあのとき言えなかった、本当の想いを伝える。
「無様でもいい。格好悪くてもいい。たとえ黒の世界が滅んでも、俺はローリエに生きていて欲しかった!」
「うん。ごめんね、セルン」
「謝るなよ。謝られたって俺は……」
過去は変えられない。ローリエは理想を貫いて死んだ。死んだのだ。
ローリエは語る。そのあとのことを。
「死んだあと、私の魂はどこかわからない場所に向かった。あの世なのかな? それはよくわからない。ただ、そこはとても暗くて、たくさんの魂があって、怨嗟の声であふれていたことだけは覚えている。そこでどれだけの時間過ごしたかはわからない。ある日、私を呼ぶ声に気が付いた」
「それが……」
「そう、コーラル。私になることを強要された可哀想な女の子」
ローリエは自分の胸に手をあて、そこにいる器の少女に語りかけるように言う。
「彼女の神器が私の魂を呼び戻した。もちろん、死んだ人間を生き返らせることなんて誰にもできない。今も私の魂は、あの暗い場所にある。ここにあるのは、そこからすくい上げられた一欠片」
だけど、とローリエは続ける。
「それでも、私はローリエ・エルジェラント。そうだと自分を認識している。だから私が今するべきことは、昔となんら変わらない」
ローリエの理想を聞いたからこそ、その場にいる全員が理解できた。彼女が目指しているものがなんなのか。
「私は白と黒、両方の世界を救う」
「そんな選択肢はない」
セルンはその理想を否定する。
「でも、どこかにはあるかも知れない」
ローリエは子供のような理屈で、それに反論する。
「今は見つからないだけかも知れない。なら、今ここにいる私がするべきことは、それが見つかるまでの時間を稼ぐこと」
「もう一度勇者になって、もう一度聖戦を引き分けに持ち込むつもりか?」
「いいえ。それじゃあ、黒の世界がもたない」
ローリエは首を横に振ると、はっきりと告げた。
「勇者は、次の聖戦には負けないといけない」
「……本気で、言ってるのか?」
「ええ、私は本気よ。そうして、次の百年後までに答えを見つけ出す。今回のように、なんとかして神器として蘇って、何度だって私はこの聖戦を繰り返す。二つの世界が救われるまで、何度だってね」
真顔でローリエは言い切った。
全員が、彼女の狂気を理解した。
歴代の誰よりも強かった先代勇者。それはつまり、それだけ魂にかけた想いが強かったということ。
死してなお、変わることのない理想の怪物。
それが先代勇者、ローリエ・エルジェラントという人間だった。
「コーラルのことはどうする? 負けるってことは、彼女を殺すってことなんだぞ?」
セルンのわずかな希望を込めた問いかけに、しかしローリエは迷うことなく答えた。
「仕方ないわ。二つの世界を救うためだもの。仕方のない犠牲だと思って諦めてもらうしかない。人一人の命と天秤になんてかけられないから」
「…………」
「安心していいわ。もうこれ以上、彼女を不安がらせるつもりもない。彼女はこのまま眠っていてもらう。聖戦が始まるそのときまでね。死の苦痛もすべて、私が背負って持っていく」
きっと、誰よりも彼女をその身に宿したコーラルは、ローリエについて知らないながらも理解していたのだろう。
ローリエを殺す。そうしなければ殺されるのは自分の方なのだと、彼女はわかっていたのだ。
「それじゃあ、ローリエ。俺と戦いたいって言葉、その意味はそういうことなんだな?」
「ええ、そうよ。セルン」
ローリエは覚悟を決めた瞳で、かつての最愛の仲間を見て言った。
「あなたを殺す。そうすれば、次の勇者はまた私になる」
それが意味するところは白の世界の敗北だ。
滅びが世界中に溢れかえり、このハスターによって灰燼と化した地と同じことが世界中で起きることになる。
それは許してはいけない。絶対に。
「……そうか」
セルンは空を一度見仰ぐと、万感の思いをこめてつぶやきをもらし。
次に前を向いたとき、その目は強い目になっていた。
「トアレ、行くぞ。目の前にいるのは、絶対に倒さなければならない敵だ」
「応とも! 勇者になるためには、絶対に倒さなければならない敵である!」
セルンは戦闘態勢に移る。
トアレはもう、大丈夫なのかとは聞かなかった。
「だがマスター、正直なところ、この覚醒状態をこのまま長く維持することは厳しい。短期決戦が望ましいぞ」
「わかってる!」
セルンは覚醒神器を構え、雷光となってローリエに仕掛けた。
「ええ、そうよ。セルン。それでいいの」
ローリエもまた、神器を掲げる。
「自分の大切のために、相手の大切を殺し尽くす。勇者は、魔王は、ずっとずっとそれを繰り返してきた」
セルンに向ける眼差しに込められた愛情と慈愛に陰りはなく、だからこそ、少しだけ残念そうに。
「本当は、あなたにこそ、この永遠の地獄を終わらせて欲しかった。勇者にも魔王にもなれるあなただけが、この理不尽な世界の仕組みを変えられると信じてた」
そう言って、真正面から剣を振り下ろした。
紅蓮が迸り、セルンにむかって突き進む。
だがそれは今のセルンになんの痛痒も与えなかった。
いくら強いとはいっても、ローリエのそれは解放位階。覚醒に至ったセルンには通じない。
「ローリエぇええええええ!!」
叫びをあげると、セルンはローリエに鎌を叩きつけた。
ローリエは剣でそれを受け止めるが、剣はすぐに破壊され、肩から脇腹までを切り裂かれる。
致命傷。だが傷もなければ血も出ない。
ローリエは大きくセルンから距離を取ると、口元に不適な笑みを浮かべた。
「コーラルは殺せない。だから手加減をしてくるとは思ったけど、なるほど、そう来たか」
「今の一撃、神器としてのローリエだけを狙わせてもらった」
「たしかに今の私は神器そのもの。だから、神器殺しの力が通用する」
ローリエの存在感が揺らぐ。セルンがしたことは、無理矢理コーラルの解放を解除させることだった。器であるコーラルに怪我をさせられない以上、そうするしかない。
「ふ、ふふっ、やっぱりダメね。今の私じゃ、今のセルンには敵わない。最初からわかってたことだけど」
「諦めろ、ローリエ。その理想は叶わない」
「諦める? 諦めるですって? ないわ。あり得ない。私は勇者コーラル・エルジェラント、最後の最後まで諦めなかった愚か者よ!」
ローリエは壊れた剣を構え、天高くに向かって炎を放った。
「なんのつもりだ?」
「わからない? これはね、合図よ」
「合図?」
「そうよ。ねえ、セルン。あのハスターがどこの世界から、次元の壁を壊して来たかわかる?」
「それは……まさか!?」
「私の理想は勇者候補には理解されない。ええ、わかっていたわ。けれど今回にかぎっては、向こう側は喜んで理解者になってくれるでしょうね」
「神器解放――『拒絶の庭』」
戦いに割り込むように響き渡る第三者の声。
ハスターが開いたまま塞がっていなかった次元の壁を越えて、三眼の魔王代行がその顔を見せる。
彼女の神器によって作られた結界が、セルンの周囲に張り巡らされる。すぐさまセルンは結界を破壊するが、そのときにはすでに、ローリエの腕をゼスティ・グリームニルがつかんでいた。
「セルン。ユーストリア勇者学校で待ってなさい。すぐに決着をつけに行くわ。次は私も覚醒してから会いに行く」
黒の世界へと消えながら、ローリエはセルンに告げる。
「勇者選抜、最後の戦いよ。その勝者が次の勇者になる」
「ローリエ!」
「ええ、そうよ。私はローリエ。永遠の勇者、ローリエ・エルジェラントよ!」
その名乗りを最後に、ハスターの開いた『門』は閉じる。
「待て! ローリエ!」
セルンは覚醒神器の力を使い、『門』を開いて彼女を追おうとするが、その途中で神器の覚醒が解けてしまう。
「すまない、マスター。力が、もう……」
「トアレ……くっ!」
セルンは倒れるトアレを抱き留めると、ローリエが消えた空をにらむ。
かつて仲間だったのに、セルンはローリエのことをなにも理解していなかった。
けれど今、すべてを理解して、自分がやらなければならないことがなんなのか、それがわかった。
「ローリエ、お前は俺が止める。必ず止めてみせる!」
それが元仲間として、勇者を目指す者として、セルンの選択であった。




