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第八話  今、世界を滅ぼして


 

 身体に満ちる全能感。左手の神器から注がれる力は、セルンがかつて感じたことのない程に強大なものだった。


 代わりに、身体の内側から激痛が走った。

 神器はセルンの肉体への負担を斟酌することなく、全力で力を預けてくる。


 その姿勢はセルンを破壊する目的ではなく、勝利を追い求めるためのもの。あなたの願いを叶えるためならば、すべてを破壊してでもそれを叶える。そんな強い意志が伝わってきた。


 トアレが相棒として共に戦う形だとすれば、この神器は従者としてすべてを捧げてくると言えばいいのか。


 信頼ではなく信仰。セルンを神であるがのように崇め奉り、ゆえにこそ容赦というものはない。


 あなたならば大丈夫。この程度で潰れるはずがない。盲目的な絶対視は、セルンの限界を超えてもなお、力の給与を止めたりはしない。


「ぐっ!」


 セルンは身体の中で暴れ回る力の行き場を外に求め、大鎌を振るった。闇の奔流がハスターに向かって放たれ、大打撃を与える。


 それは一撃ごとになお強く、際限を知らずに強力になっていく。

 そのたびにセルンの身体は崩壊し、命が削れ、魂が欠け落ちていく。


「……なるほど」


 口から血を吐きながら、セルンは理解する。


「お前、トアレじゃないな?」


『はい、マスター』


 トアレとよく似た、けれど別の誰かの声が脳内に直接響く。


『私は黒の神器。究極にして無謬なる、あなたの神器です』


「黒の神器……」


 セルンは自分の左手の甲に視線を向ける。


 闇の中でも、別種の輝きを放つ紋章がそこには刻まれている。

 それは希望という名の灯り、魔王候補の証である黒い聖痕だった。


 ……その可能性があることは、セルンも薄々察してはいた。


 白と黒の両方を血が混ざった自分の出生を思えば、あちら側にも選ばれている可能性はあったのだ。少なくとも、セルンには勇者候補として選ばれるに足る素質があるのだから。


「俺の魔王候補としての神器か」


『はい、マスター。あなたが黒の世界に足を踏み入れたときに目覚め、今、ようやくあなたのお傍に』


 淡々と、感情を感じさせない声で彼女は言う。


『どうぞ私を使ってください。私ならば、マスターの覚醒を邪魔することはありません』


「覚醒の邪魔?」


『そうです。マスターはすでに覚醒に至っていてもおかしくはない器。けれど、覚醒が叶わなかったのは、すべて勇者殺しが邪魔をしていたからに他なりません。神器でありながら心を持ったあれが、マスターの枷となっていたのです』


「……そういうからには、今トアレはいないのか?」


『はい。あれは私と代わり、魂の根底で封じられています。白と黒、使える神器はどちらか片方だけ。すべてを私に譲り、眠りにつきました』


「……あいつか最近、悩んでいたのはそれか」


 旅の途中から、トアレはなにかと考え込んでいることが多かった。なにか悩みでもあるのかと聞いても答えてくれなかったが、どうやら自分がセルンの神器としてふさわしくないなどと思い悩んでいたらしい。


 結果として、自分で自分に見切りをつけ、黒の神器にその座を譲ったという。


「そうか」


 セルンのその一言に様々な想いを込めると、黒の神器を構えた。


「お前なら覚醒まで行けるんだな?」


『はい、マスター。私は心なき刃ですから』


 言葉どおり、その声に感情は込められていない。どこまでも冷たい無機質な声。


「わかった。――なら、行くぞ」


 セルンは闇の大鎌を握ると、地面を蹴った。


 黒い流星が地上から空へと放たれ、ハスターを狙う。

 近距離からその鎌を振るえば、巨大な闇の刃となってハスターを切り刻んだ。


 それに怒ったハスターが風の刃を叩きつけてくるが、そのすべてを広がった闇が吸収、無効化する。


『無駄です。我が力は闇を喰らう闇。その程度の攻撃は効果はありません』


「強いな」


『……恐縮です』


 セルンが率直な感想を述べると、神器の意志が粛々と答える。


 実際に、黒の神器の力は明らかにトアレを超えていた。


 攻撃力も、防御力も、セルンに注ぎ込まれる恩恵も、すべてがトアレを上回っている。加えて、その意志は戦闘中に余計な感情を露わにすることはない。どこまでもセルンの言うとおりに動き、敵を抹殺する。


 まさに究極。まさに無謬。人が武器に求めるものの理想である。


 セルンの動きはどんどんと速く、鋭くなっていき、ハスターに与える損傷も増大していく。


 いよいよハスターも再生力の限界に近付きつつあり、その肉体を一回り小さくなりつつあった。


 否――それこそがハスターの狙いであり、その肉体が圧縮されるように縮んでいく。


 そうして五メートルほどの大きさにまで縮んだハスターの動きが、目に見えて変わる。無数の小さな口が融合し、前後左右四つの唇に変わると、そこから高密度の風を吹き出す。


 不快な汚泥色の、邪悪な風の翼だ。それを翻し、ハスターは飛ぶ。


 その速度は音速を超え、物理法則すら無視して動き回る。さしものセルンもその動きを目で追い切れず、数発のタックルを身体で受けてしまう。


 身体がバラバラになりかねない威力の攻撃だったが、黒の神器がダメージを吸収してくれたことで、戦闘続行に支障はない。


 だがあの速さを捉えるのは厳しい。いくら威力が高まっても、当たらなければ意味がない。


「やっぱり覚醒しかないか」


『はい、マスター。今こそ、覚醒のとき』


 黒の神器が答え、さらにその力をセルンに注いでいく。

 セルンは口から血反吐を吐き、傷口が開いて夥しい血を流す。


 痛々しい姿。だがそれがどうだというのだろう。覚醒さえすれば、その傷すらもすべて治る。


 だから躊躇することはない。黒の神器はセルンの魂が生み出す想いを、すべて力に変えてセルンに捧げる。


 勝利を。勝利を。あなたに勝利を。


 そのためにすべてを捧げ、世界すらも滅ぼそう。


 それこそが覚醒に至る条件。この宇宙において、最も強大な力である『滅び』にその魂を同調させることこそが、唯一無二の条件なのだ。


 そして、セルン・ベルクルトは最初からその条件を満たしている。


 愛しい女を失った後悔と、最愛を欠いた世界への絶望。なにより、無力だった自分への憎悪。


 それは世界を滅ぼすほどの怒りだ。ひとたび解放すれば、三千世界を焼き尽くす究極の力となるだろう。


 どうやら勇者殺しは、主がそんな破壊に身を任せることを心配していたようだけど、黒の神器はそうは思わない。


 主の心配など道具の役割ではないし、結果として、主が魔王ごと仲間を殺してしまったとしてもそれがなんだというのか。


 たとえ世界が滅びても、最終的に主が勝利していればそれでいいのだ。


『そうですよね? マスター』


「……ああ、そうだな」


 黒の神器の言葉に、セルンは頷いた。


 今、上空ではハスターとローリエが戦いを繰り広げていた。炎と風が激しくぶつかり合っている。


「あそこにいるのは俺の知っているローリエかも知れない。けれど、それでも、俺がローリエを殺してしまったことに変わりはない。俺が俺を、どうしようもなく許せないのも変わらない」


 その上で、彼女にふさわしい男になるために。

 自分の愛こそが最強なのだと証明するために。


「力が欲しい。勇者さいきょうになるための強い力が!」


 だから寄越せ。すべてを。


『はい、マイマスター!』


 黒の神器は主の命令を受けて歓喜する。


 力が求められている。自分が求められている。すべてを滅ぼす力を寄越せと、すべてを捧げることを願われている。


 道具としてこれ以上の喜びがあろうか。心の奥底から込み上げる多幸感に、黒の神器は法悦に達しながら祝詞を唱える


『神器覚醒――』


 そうして、すべてを無に帰す究極の覚醒が…………


『…………あ、れ……?』


 発動することはなかった。


 セルンの身体にも変化はない。際限なく注がれる力は行き場を失い、彼の中で荒れ狂っては傷つけている。


『どうして? どうして?』


 黒の神器は混乱も露わに、さらに力を注いでいく。


 それによって主がさらに傷つき、血塗れていく事実に気付いて絶叫する。


『なぜ? マスターは強い。本当に強いの! だから神器さえ間違えなければ、覚醒だって簡単で。心を持たない私なら、マスターを覚醒させられるはずなのに!』


「たぶん、その考えは間違ってない」


 セルンは自分の左手の聖痕を見ながら、はっきりと告げた。


「お前は強い。たしかにトアレよりも強いよ。お前が最初から目覚めていたら、きっと今まで手こずっていた奴らも簡単に倒せただろう」


 ハスターをここまで追い詰めたのがその証拠だ。あの状態はたしかに強力だが、これまでのような風の守りを失っている。あれは最終手段の類なのだ。


 それを解放位階で成し遂げた黒の神器の強さは計り知れない。この上、さらに覚醒までしたら、手がつけられない究極の神器となるだろう。


 けれど。それでも、彼女はひとつだけ勘違いしていることがある。


『なぜ? なぜ? なぜ? わからない。私は勇者殺しとは違うのに……なぜ、どうして?』


 いよいよ力の供給が、セルンの命を脅かす段階にまで膨れあがっていた。


『ああ……ぁああ……マスターが、マスターが死んじゃう……!』


 それに気付いた黒の神器が、咄嗟に解放を解除する。


 セルンの左手から闇が消え、傍らに少女の姿となって現れる。

 トアレとよく似た容姿の、黒髪に黄金の瞳を持った少女だった。


 彼女は面と向かって血塗れの主を見ると、その瞳に涙を浮かべ、跪いて頭を下げた。


「マスター、申し訳ございません。わ、私……ご、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


「……ああ、やっぱりそうだ」


 その姿を見て、その涙を見て、セルンは納得した。


「お前もトアレと一緒だ。きちんと心があるんだよ」


「私に心が……」


「そうだ。どれだけ冷たい振りをしても、俺にはお前の言葉ひとつひとつに熱い想いが感じられた。強過ぎて、それこそ解放の真名すら聞こえないほどにな」


 顔を上げた少女は呆然と目を見開いて、それから自嘲するように口元を歪ませた。


「そう、ですか。私も、勇者殺しと同じだったのですね。いえ、自覚していなかっただけ、あれよりもタチが悪い。マスターを傷つけるだけ傷つけて、それで……」


 その姿が闇の輝きとなって足下から消えていく。


「なんと愚かだったのでしょう。私はただ、あれに嫉妬していただけ。マスターに選ばれた彼女に、トアレと名前を与えられた彼女が羨ましくて……だから彼女を追い詰めたくて、マスターに認めてもらいたくて……マスターの神器にふさわしくないのは、私の方でした」


 彼女はそう結論を出した。

 だから迷うことなく、潔く去っていく。


「お目汚しを致しました。お許しくださいませ、マスター」


「……こっちこそ悪いな。お前を選ぶことができなくて」


「いいえ。いいえ。よいのです。わずかな瞬間であったとはいえ、マスターの神器として使っていただけました。それだけで私は十分です」


 少女は最後に顔をあげると、頬を染め、可憐な微笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。愛しのマイマスター」


 その笑顔と感謝の言葉を最後に、セルンには名前すら伝わらなかった黒の神器は消えた。


 代わりに、白い光と共に、見慣れた純白の少女が現れる。


 トアレはドレスの裾をぎゅっと握り、顔を俯けたまま上げない。上げられない。


「……どうやら、なにがあったのかはわかってるようだな?」


 こくん、とトアレは頷く。


「お前は勝手に自分に見切りをつけて、勝手に誰かに託して消えた。俺に一言も相談せずに、だ」


 トアレはまるで親にしかられる子供のように、無言で頭を垂れる。


 その頭に手を伸ばせば、彼女はびくりと身体を震わせた。


 怒られると思っているらしい。実際、セルンは怒っていた。


「勝手に自分で決めて、勝手に消えて、それで俺が喜ぶとでも思ってたのか? なにも知らないまま、ただ力だけを与えられて、それで俺が本当に喜ぶと?」


「……だって、我は弱い。我がいると、マスター覚醒できない。勇者に、なれない」


 トアレはぽろぽろと涙を零しながら、本音をぶちまける。


「我、マスターが好きだから。大好きだから! だからその願いを叶えて欲しくて、だから、だから……!」


 顔を上げたトアレは涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。


「不細工な顔だな。たしかに、最強で最高の神器って謳い文句には疑いの余地ありだな」


 そう言いながら、セルンは伸ばした手をトアレの頭に置いた。


 そのまま、優しく撫でる。


「けどな、俺だってそうだ。お前やもう一人のあの子も最高の主だって言ってくれるが、お前たちがそこまで言ってくれるようなすごい奴じゃない。たくさん失敗して、それをずっと後悔し続けて、未来に進むことができないような男だよ」


 セルンは過去に縛られている。夢も希望もなければ、勇者になるという願いだって独善的なもの。


「世界を救う? なんだそれまったく興味がないぞ。みんなを守る? いや別に他人がどうなろうと気にしないんだが」


 リコリスが聞いたら怒りそうなことを口にするセルン。だがそれが嘘偽りのないセルンの本音だった。


「お伽話に出てくるような格好いい勇者には、到底向いてない男。それが俺だ。お前の主だ」


 それがセルン・ベルクルトという人間の正体だった。


「けどな。俺はそれでも目指すんだ。自分で自分を必死に誤魔化しながら、こんな自分だって格好いい勇者になれるんだと、そう信じて言い張り続けるしかないんだよ」


 神器じぶんの所為でセルンは覚醒になれないんだと彼女は言う。


 なにを馬鹿なことをセルンは思う。


「足らないのは、俺が自分自身が勇者になれるって信じる心だ。俺は俺を誰よりも信じられない」


「そんなことない! マスターはすごい! すごいのだ!」


「そうだ。そんな俺が、それでもそう言い張り続けられたのは、他でもない、お前がそう言ってくれたからだ。俺が勇者にふさわしいってトアレが言ってくれたから、俺は自分を信じてここまで来られたんだ」


「マスター……」


「だから頼むぜ、相棒。お前が傍で言ってくれなくなったら、他の誰が俺は勇者になれると言ってくれるんだ?」


 それはもう一人の神器では無理なこと。魔王候補の神器である彼女は、セルンを最強の破壊者にはできても、格好いい勇者にはできない。


「もう一度言うぞ、トアレ。俺は、お前がいてくれるから勇者になれるんだ」


「マスター……」


「もう泣くな。勇者は辛いときこそ笑うもんだ。だから、笑え。笑って、俺と一緒に叫んでくれ。心のかぎり!」


 セルンは笑う。


「俺は――」


 それを見て、トアレも笑う。


「マスターは――」


 そして二人は声を揃え、叫んだ。


「「――勇者になるんだぁあああああああ!」」


 それがあの日の誓いだった。

 二人で力を合わせて最強で最高の勇者になろうと、そう二人は誓ったのだ。


 だから足らなかったのは力ではなく、ただ、お互いを信じる心だった。


 けれど――もう大丈夫。


 セルンは勇者になれると誇ってくれたトアレを信じている。

 トアレは勇者になると約束してくれたセルンを信じている。


 二人一緒ならば、どんな過去も痛みも乗り越えられる。

 たとえ世界すべてが否定してきたとしても、二人で一緒に超えて見せよう。


 ――さあ、弱い世界じぶんを滅ぼす時間だ。


 二人は手を繋ぎ、その温もりを強さに変え、此処にすべてを超える。


「「神器覚醒――」」


 刹那、温かな黄金の光がすべてを塗りつぶした。




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