第一話 機械仕掛けの神
彼ら五人は理想の関係だった。
お互いに信頼し、尊び、その上で優先すべき目的のために自分の命を捨てられる。優先すべきは、この戦いに勝利すること。そのために自分の命を燃やし尽くし、仲間たちは自分たちの王を前へ前へと送り出す。
「行け!」
そう言って、一人が死んだ。
「お願い!」
そう託して、一人が死んだ。
「大丈夫」
そう信じて、一人が死に。
「あなたなら勝てる」
そう祈って、最後の一人が死んだ。
「うぉおおおおおおおお――ッ!」
王もまた、仲間たちを愛しているからこそ、振り返ることなく、その屍を乗り越えて敵を目指す。
携えるは覚醒の刃。一振りをもって山を絶ち、海を別つ勝利の剣。世界すべての希望を背負い、今、若き王は燃え盛る天地を駆け抜けて、敵の懐に辿り着く。
そして――一閃。
すべて費やして振るわれた剣は閃光となって、敵の身体を見事切り裂いてみせた。
大切な仲間四人の命と、未来を生きるための命すべてを犠牲にして、ついに王はその偉業を達成したのだ。
「お見事」
王の敵として立ちはだかった女は、偽らざる賞賛を口にする。
「まさか私の髪の先を二桁も斬り飛ばすなんて。すごいわ、魔王。心の底から驚いた」
「…………」
「え? なにか言った? もうちょっと大きな声で言ってくれない?」
「っ!? お前は一体なんなんだ!?」
渾身の一撃が、敵の髪をわずかに切り裂いたのみで終わったことを知り、魔王は嗚咽混じりにそう絶叫した。
「なんなんだ!? お前は一体、なんなんだよ!?」
「なんだと言われても、あなたの前に立っている以上、可能性はひとつしかないでしょう?」
乱れた赤い髪を手櫛で整えると、彼女は淡々と名乗った。
「私はローリエ・エルジェラント。この聖戦であなたと戦っている、ただの勇者よ」
「勇者? 勇者だと? お前がただの勇者だと!?」
魔王は双眸と額の瞳から血の涙を流し、目の前の理不尽を糾弾する。
「ふざけるなよ化け物が! その強さ、その理不尽な強さ、どう見ても邪神の一柱だろうが! 言え! どこからどうやって迷いこんできた! 我らの世界を賭けたこの大事な聖戦に、一体なにをしに来たのだ!?」
ローリエの胸ぐらを掴みあげ、魔王は泣き叫ぶ。
その身体は足先から光の粒子となって消えようとしていた。先程の一撃で、魔王はすべての力を使い果たしていていた。もはや戦う力は残っておらず、このまま消え去るしかない。
できることは叫ぶことだけ。目の前に理不尽を許さないと、怒りをもって問い質すことしかできなかった。
「答えろ邪神よ! なぜ? なぜ? なぜなんだ!?」
「――現実をみなさい、魔王ハルバス・グリームニル」
ローリエは魔王の手を振りほどくと、自分の右手を彼の目の前に突き出した。
「この刻まれた白い聖痕を見なさい。これが私が勇者である証よ」
「それは、けど、だが!」
魔王は頭を掻きむしると、糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちる。
「だが、だが、お前が本当に勇者なのだとしたら、あまりにも惨いじゃないか? 俺たちは必死だった。必死だったんだ。滅び行く世界を救おうと、死に行く民を守ろうと、必死の想いでここまで来たんだ……!」
炎の中に消えた仲間たちを想い、今なお自分の勝利を信じて祈っている黒の民たちを想い、魔王は涙を流す。
「なのに……それでできたのが髪を少し切っただけ? なんだよそれ理不尽すぎるだろ! お前たちは前の聖戦に勝ったじゃないか! その前も、その前も、勝って繁栄を手にしたんじゃないか! なら今回はいいだろ俺たちはもう滅びる寸前なんだよ!」
魔王は地面に拳を打ち付け、血が出ても打ち付け続け、やがて絶望も露わにその事実をつぶやいた。
「……次の聖戦まで、黒の世界は持たない。俺たちはこの聖戦で勝てなければ滅びるしかないんだ……」
魔王の口からこぼれ落ちたのは、どうしようもない敗北宣言だった。
いや、もう魔王側の敗北はとうの昔に決まっていた。勇者は無傷に等しく、魔王は死に体。どう足掻こうと、勝利と敗北の天秤は揺るがない。
「……ごめん。ごめん、みんな……俺が弱かったから……俺がなにもできなかったら……」
ついに身体を起こしている力もなくなった魔王は、そのまま地面に俯せで倒れると、やがて意識を失った。
最後までごめんなさいと、みんなに謝りながら。
「……ああ、ほんと」
足下に倒れた魔王を見下ろして、ローリエは噛みしめるようにつぶやいた。
「最低な気分。私だって、好きでこんな理不尽に強いんじゃないのに」
ローリエの胸に押し寄せたのは苦い感情だけだった。
魔王を倒し、自分の世界を救った喜びなんて欠片もない。
当たり前のように勇者となって、当たり前のように聖戦に臨み、当たり前のように魔王に勝利して、今、当たり前に後悔している。
まるで深海の底に一人沈められたかのよう。足が重く、呼吸も満足にできず、動くことすら億劫だ。
このまま怠惰に縛られて、なにもすることなく世界が滅びる様を見ようか?
そんな風に思い、けれど。
「ローリエ!」
自分の勝利を喜ぶ、純粋な仲間の声を聞いた。
振り返ると、子犬のように一人の子供が駆け寄ってくるのが見えた。
灰色の髪に紅い瞳の少年だ。彼はローリエの身体に傷がないことを確認すると、ほっと胸を撫で下ろして笑みを浮かべた。
「よかった。怪我はないみたいだな」
その笑顔、その言葉、それを与えられて、ローリエの身体が軽くなる。
救ってもらったと、そうまた思う。
「セルン。怪我はないって、それちょっと酷いな。女の命である髪を切られたんだよ?」
「本当だ。少しだけ不揃いだな。けど、それで終わったんならいいじゃないか」
セルンは倒れ伏す男を見て、なんとも言えない複雑そうな表情を見せる。
「なにせ今日の相手は魔王だったんだから。ローリエでも万が一ってこともあるだろ?」
「おっと、心配してくれてたんだ?」
「心配? いやしてないし。ローリエが負けるわけないしさ」
そう言いつつも、セルンは頬を染めてそっぽを向く。素直じゃない彼が本当はどれだけ心配してくれていたが、ローリエにはよくわかった。
「ありがとう、セルン」
こんな化け物を心配してくれるのは、世界中でセルンくらいだろう。
本当に、セルンには感謝しないといけない。
ローリエはセルンの頭を軽く撫でると、やるべきことをやるために、魔王との戦いでも抜かなかった勇者の刃を準備する。
「神器解放――」
聖痕を掲げ、世界に告げる。
ローリエ・エルジェラントの魂の形を。
「狂え――『機械仕掛けの神』」
神器の解放と共に、ローリエの手の中に紅の剣が現れる。それは刀身を陽炎のように揺らめかせた、炎の剣。
天蓋が燃え始め、大地に紅蓮が迸る。抜いた瞬間から世界を灼き滅ぼしていく、まさに世界を滅ぼすべく生み出された神器であった。
「ローリエ? なんで今更神器の解放を?」
セルンが疑問を顔に浮かべて、ローリエに問う。
「魔王にとどめを刺すのか? けど、そいつはもう動けない。なにもそこまでする必要はないんじゃないか?」
唯一、この戦いを最初から見守っていたセルンは、魔王とその仲間たちにある種の感銘を受けたらしい。
それも仕方がないか。世界と人々を守るため、力を合わせて戦った彼らこそ、まさに人間の気高さと美しさの証明だった。
なればこそ、ローリエは剣を振るうのだ。
「大丈夫よ、セルン。魔王にとどめは刺さない」
「そうか。……けど、ならなにを?」
「決まってるわ」
ローリエは笑って、くるりと手首を返す。
そして無造作に、その刃を自分の胸に突き立てて、
「理不尽な神様を殺してやるの。なにもできなかった私にだって、意地はあるもの」
「……ぇ?」
セルンが目を瞬かせる。意味がわからないと、その目が訴えかけてくる。
それに心動かされるけれど、ぐっと堪えて手に力を込める。
たとえこの行為によって、セルンが永遠の後悔に囚われようとも。
たとえ自分の死によって、セルンが永遠の絶望に停滞しようとも。
最後まで彼が憧れた勇者を貫くために、ローリエにはこの選択肢を選ぶしかないのだ。
だから――最後に彼に見せる笑顔は、彼に覚えてもらうための最高の笑顔で。
「じゃあね、セルン。世界で一番大好きよ」
最強で最高の勇者は、魔王がその命の灯火を消すのとまったくの同時に、祝福だけを残して。
自殺した。
――ああ、なんて残酷なのだろうと、そんな光景を夢に見た少女は思う。
先代勇者の死は多くの人を苦しめることになった。
聖戦の勝利を奪われた白の民すべてと、彼女にとって最愛の少年。
そして自分もまた、彼女の死によって呪われた者の一人だ。
彼女が自分の願いを押し殺し、本当の機械仕掛けの神となっていれば、今頃黒の世界は滅び去り、次の聖戦なんて起こらなかった。
聖戦が起こらなければ神器は与えられず、自分もこうはならなかった。
だから憎む。
「ローリエ・エルジェラント。この裏切り者め。私はあなたを、絶対に赦さない」
だから愛する。
「ね? セルン。あなたもそう思うでしょ?」
自分と同じく、彼女によって呪いを残された少年を、何度も彼女の思い出の中に出てくる彼を、愛している。
彼とならば、きっと。
彼とだけは、きっと。
「私たち、仲良くなれると思うの。仲良くなって――」
赤い髪の少女は自分の首を自分で締めながら、恍惚の笑みを浮かべる。
「――一緒にローリエ・エルジェラントを殺しましょう」
何度目かの衝動的な自殺は、けれど途中で防がれる。
少女の右手の聖痕が輝くと、その口が勝手に動き、勝手に魂が駆動する。
「ああまた――そう、私は、だから、死にたいのに、けれど――神器、解放――」
歪められた魂は、デザインされた魂は、一分の狂いもなく、その真名を謳い上げる。
「蘇れ――『機械仕掛けの勇者』
その刹那、少女は変わる。
儚げな在り方は消え失せて、その身体に満ちるのは絶対的な覇気。
赤い髪を炎のように輝かせ、少女はベッドから起きあがると、どこからともなく聞こえてきた魂の叫びを聞いて笑みを浮かべる。
「――ええ、私も愛してるわ。セルン」
そう囁いて、彼女は部屋を飛び出し、愛しい仲間へ会いに行く。
「……ローリエ」
そして彼が自分を見つけ、自分の名前を呼んだ瞬間、笑顔を浮かべてこう答えた。
「ええ、そうよ。久しぶりね、私のセルン」
勇者候補序列一位、ローリエ・エルジェラント。
それが少女の、名前であった。




