第八話 決着、そして――
雷光と氷結世界がぶつかり合う。
セルンとユーゴ、それぞれの放った最大の一撃は、ほんの僅かに拮抗してのち、その天秤をユーゴの方に傾けていく。上から万象を押しつぶすように迫る氷塊に、じりじりとセルンの放つ雷光が押し込まれていく。
解放位階と覚醒位階。その差は如何ともしがたい。
むしろこうして、ギリギリとはいえ持ち堪えているだけで賞賛に値しよう。
たとえここで負けようと、観客たちも惜しみのない拍手をもってセルンの健闘を称えるだろう。
名誉は守られる。地位も安泰だ。
けれど……そんなものにセルンは価値など見出していない。
「負けるか!」
雷光をさらに放ちながらセルンは吼える。
「負けてたまるか! 俺のローリエの想いは、誰にも負けられない!」
その言葉を聞いて、ああ、とトアレは理解した。
主にとって、勇者候補として負けるということは、ローリエへの想いの強さが負けたということなのだろう。
死んだ愛しい女に対し、セルンが愛情の証として見せられるのはその想いの強さだけ。
だから負けない。負けられない。
俺の愛こそが最強だと証明するために、セルンはずっと戦っていたのだ。
そして、その想いは決してユーゴの戦いにかけた想いに劣るものではない。セルンの神器であるトアレには、それがよくわかった。魂からあふれ出した想いが雷光となり、途絶えることなく放出され続けている。
もはやセルンの想いに底はなく、ただ、貫く強さだけが足らなかった。
『なぜだ?』
それがトアレにはわからない。
『なぜマスターの想いが届かない?』
それがトアレには理解できない。
『我がマスターの想いは、あの男にも負けていない。いや、凌いでるとも。なのになぜ、マスターは覚醒に至ることができないのだ!』
貫く強さが足らない? そんなわけないだろう。セルンの愛の強さは、本来であればあんな氷結世界くらい、瞬く間に砕き貫くほどであるはずなのだ。
それはトアレ一人の思い上がりではない。多くの人が、セルンを見て勇者になれると確信した。わかる人にはわかるのだ。セルンのうちに秘めた想いが、覚醒に届くほどに強いものであると。
けれど、セルンは覚醒に届かない。なぜ? なぜ? なぜ?
――ああ、そんなものは決まっている。
ふとトアレの耳元で、誰かが囁いた気がした。
その刹那、気が付けば、トアレはどこともつかない世界に迷い込んでいた。
天地すべてが灰色に色褪せた世界で、虹色に輝く欠片のようなものが空中を漂っている。
「ここは……マスターの、魂の世界?」
神器であるトアレだからこそわかった。ここはセルンの心の中、その魂を映した世界なのだと。
色鮮やかに輝く虹の欠片を見れば、そこには幼いセルンと赤い髪の少女が映っていた。トアレは見たことはなかったが、欠片の中でセルンが浮かべる満面の笑顔を見て、彼女こそがローリエなのだと悟った。つまりこの欠片は、セルンにとって大事な思い出なのだ。
この世界を見回せば、どれだけセルンがローリエとの思い出を大事にし、彼女を失った世界に絶望しているかが読み取れた。
「そうだ。やはり、マスターのローリエへの想いは誰にも負けないほどに強い」
『けれど、マスターは覚醒には至っていない』
再び、先程の声が聞こえてきた。どこかで聞いた覚えのある声が。
声のした方を振り返ると、黒いヒトガタの光のようなものが浮かんでいた。
ソレは、その黄金の瞳をトアレに向ける。
『その理由は簡単だ。マスターの魂には、不純物が混ざっている。それがマスターの魂を穢し、想いを貫くことを邪魔している』
「不純物?」
『そう、不純物。マスターの魂でありながら、マスターではない神器』
ソレはそっと手を伸ばす。
トアレはつられるように、その手に自分の手を合わせた。
『あなたがいるからマスターは覚醒に至れない。あなたの存在がマスターの邪魔をしているの』
「我が、いるから……?」
『そう。あなたが神器でありながら心なんて持ってしまったから』
「心……」
動揺するトアレの手が、白い光の粒子になって溶けていく。
代わりに、ソレの手がはっきりとした人の形となっていく。
「私ならそうはならない。私なら、マスターのために心なんて捨てられる」
トアレの身体が白い光に変わるほど、黒い光は人の姿を取り戻していく。
黒い闇は消え、そこに漆黒の髪と漆黒のドレスをまとった、トアレと瓜二つの少女の姿が現れる。
ああ、そうか――とトアレは思い出す。どこかで聞いた覚えがあると思ったら、目の前の少女の声は、自分の声によく似ていたのだ。
つまりは目の前の少女は、もう一人の自分なのだろう。
「私ならマスターを覚醒させられる」
『そうか。ならば……』
「ええ、迷う必要などない。私たちは共に、マスターの勝利のために生まれたもの。心は捨て、武器に徹し、すべてをマスターに捧げましょう」
白い光に変わったトアレから手を離し、漆黒の少女は両手を広げ、歓喜の産声をあげる。
「さあ、勇者賛歌を謳いましょう。マスターの想いを叶えるために、三千世界を滅ぼして、その想いを唯一無二の絶対のものにしましょう」
優先すべきは主の勝利。そのためならば、なんでもしよう。
白とか、黒とか、そんな区別になんの意味もない。主以外のあらゆるものは、等しくすべてが塵芥だ。
「だから、マスター。私を呼んで下さい。私はここにいます。私はここにいます。あなたのために、すべてを捧げさせてください」
漆黒の少女は焦がれるように、外の世界に手を伸ばし、
「世界を滅ぼしてでも、あなたを勝たせてみせます。だからどうか、私の名前を!」
その願いに対し、けれど。
「――トアレ!」
と、主は別の名前を呼んだ。
その瞬間、漆黒の少女は泡と消え、トアレがしっかりとした人の姿で蘇る。
「マス、ター?」
「なんだ。ちゃんと起きてたのか。静かにしてるから、寝てたんだと思ったぞ」
主の声が聞こえる。自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。
気が付けば、トアレの意識は主の傍にあった。魂の風景はすでになく、トアレはセルンの右腕に宿り、そこから鎌を通じて放たれた雷光が氷塊を必死に押し返そうとしている姿が映り込む。
「もしかして、諦めてるんじゃないだろうな?」
眼前に迫った氷結世界をにらみつけながら、セルンは言う。
「ふざけるなよ。これくらいで諦めてどうする? もっと、もっとだ。俺の想いはこんなものじゃない。お前の力はこんなものじゃない」
欠片も諦めていない横顔で、彼は笑った。
「俺たちの力はこんなものじゃない。そうだろ? なあ、トアレ!」
『……ああ、ああ!』
だから、トアレもまた笑うのだ。
『そのとおりだとも、マスター! 我らの力はこんなものではない! あんな冷やすしか能のない世界など、滅ぼしてくれるわ!』
「なら気合いを入れろ! 魂を振り絞れ!」
セルンは左手を右手に添えると、命を削るほどに叫ぶ。
それにトアレも、魂を振り絞って合わせた。
「「貫けぇええええええええ――ッ!!」」
雷光が弾ける。雷光が膨れあがる。
共鳴するセルンとトアレの想いがひとつとなり、雷光はより強い輝きを帯びて氷結世界を押し返していく。
威力の増した雷光に、ユーゴはさらに力を込める。
だが押し返すことができず、少しずつ、少しずつ、雷光が自分の方に近付いてくる。
「なに……?」
これにはユーゴも笑みを消した。
理由はいくつか考えられた。覚醒に至ったばかりで上手く力を操れないとか、全力を出すのがこれで初めてだから最初に少し飛ばしすぎてしまったとか、色々と理由はあるだろう。けれど、そんなことは些末なことだ。
これは純粋に、彼の想いがそれだけ強いということなのだろう。
「いや、違う。彼らか」
思えば、最初から最後までセルンたちは二人で戦っていた。二人分の想いで戦っていたのだ。
なのに、ユーゴはセルンしか見ていなかった。トアレという少女はただの神器あると捨て置いた。それが今、この結果を生んでいる。
つまるところ、ユーゴ・テンペスターは油断をしていたのだ。
「なんという……ははっ、はははははっ! 私は油断していたから負けるのか! そうか! そうか! これは傑作だなぁ!」
信じられない結末に、ユーゴは腹を抱えて笑い転げ。
次の瞬間、氷結世界を貫いた黄金の輝きに、その笑顔のまま飲み込まれていくのだった。
◇◆◇
「はぁ、はぁ……」
セルンは両手を地面につき、全身で息をする。
すぐ近くの地面の上に、意識を失ったユーゴが倒れ込んでいる。
周囲では、凍り付いた世界が元の姿をじょじょに取り戻そうとしていた。彼が意識を失ったことで覚醒の効果が切れたのだろう。
つまり――
「俺たち、の、勝利、だ……!」
セルンが勝利を口にした瞬間、その傍らにトアレが現れる。セルン同様、満身創痍の姿で、主にもたれかかるように座り込む。
「マスター、や、やったな……」
「ああ……」
「だが喜んでばかりもいられないだろう?」
そうセルンに声をかけたのは、むくりと起きあがったユーゴだった。
彼は溶け崩れて原型を失った黄金の鎧を脱ぎ捨て、火傷を負った腹を押さえながらも、平然と立ち上がってセルンたちに近付いてくる。
「くそっ、倒せてなかったのか」
セルンはよろめつききつつも立ち上がると、必死になって立ち上がろうとあがき、けれど立ち上がれないトアレを見る。
「トアレ。お前はそこで待っててくれ」
「嫌だ! 我はマスターの神器だ! 最後まで共に戦う!」
「トアレ……」
「でなければ、でなければ我は……!」
「……そうだな」
セルンはトアレに手を差し伸べ、その身体を起こして支えてやる。
「行くぞ、トアレ。もう一度だ」
「応!」
「神器解ほ――」
「いや、勝負はもう終わっている」
神器解放しようとするセルンに、ユーゴは待ったをかける。
「君の勝ちだ、セルン」
「なに?」
「君の勝ちだと言ったんだよ。先程の攻撃を受けて、私はわずかとはいえ気を失っていた」
「けど、まだ全然平気そうに立ち上がってるじゃないか?」
「覚醒位階に達したことで、身体も丈夫になったようだ。だが、神器の解放はもうできない。覚醒は言わずもがなだ。……私はもう、戦えそうもない」
あるいは、セルンが倒れ伏したままであったなら、ユーゴも戦いを続けたかも知れないが、二人ともが立ち上がって神器の解放も可能となれば致し方がない。
「認めよう。私の敗けだ」
「――では本人の棄権により、この勝負、勝者をセルン・ベルクルトと致します」
ユーゴの言葉に、審判であるレナスロッテがどこからともなく現れ、セルンの勝利を宣言した。
それを聞いても、セルンは自分の勝利を実感できなかった。ボロボロな自分よりも、むしろ敗者であるユーゴの方が勝者のように振る舞っているのだから仕方のないことだった。
そのユーゴは、レナスロッテを見て少しだけ顔色を悪くする。
「……途中からその存在を完全に忘れていたが、レナスロッテ王女殿下、お怪我は?」
「わたしは大丈夫です。代わりにクリフがボロ雑巾のようになっていますが」
見れば、彼女の後ろに神器である盾を掲げたまま気絶するクリフの姿があった。二人の戦いの余波からレナスロッテを守るためにがんばったのだろう。
「あと映像装置の方も、お二人の戦いで壊れてしまったので、これから私は観客席の皆様に戦いの結果を伝えに行かなければなりません。……ユーゴさん、私だけでは決着の結果に納得してもらえないかも知れませんので、同行をお願いしても?」
「わかりました。その方がいいでしょう」
ユーゴは承諾したあと、まだ納得できていないセルンを見る。
「そういうわけだ。君は仲間の少女に傷を治してもらうといい」
「……これでいいのか?」
「納得できないという顔をしているが、生憎と私は自分の負けを納得してしまったのでね」
どうやら本当に、セルンたちは勝ったらしい。
納得できない部分もあったが、いよいよ限界を迎えていたセルンとトアレは重なり合うように地面に倒れてしまった。
「勝った、か」
「うむ。勝った。奴が敗者っぽく惨めな感じにならないからあれだが、我らは勝ったのだ」
「そうだな。負けたんなら、それ相応の態度があるってもんだろ」
「そうだそうだ。敗者は敗者らしく我らよりもボロボロになっていればよいのだ」
「言ってくれるものだな」
ユーゴは苦笑いを浮かべると、
「まあ、これでも勇者の後継なのでね。負けても強がらなければならないのさ」
「そういうもんか。勇者の後継者も大変なもんだな」
「そうだな。まあ、それでもこれが私の生き方だからな。今更変えられないし、変えるつもりもない」
負けても心折れることなく、堂々と胸を張ってユーゴは言う。
それは彼が覚醒したから、というのもあるだろう。
たしかにセルンは試合には勝ったが、勝負としてはどうだろうか。この試合の勝敗が観客席のみんなに伝えられたとしても、まるで勝者のように称えられるのは負けたユーゴだろう。覚醒するとはそういうこと。ユーゴは勇者に聖別される資格を得たのだから。
「このまま行けば、唯一覚醒した私が勇者に聖別されるだろう」
ユーゴは事実を伝えるように、セルンに向かってそう告げる。
「もう聖戦の開始より半年が経っている。魔王もすでに選ばれているという。ならば、時間はそうないだろう。残りの猶予は一週間かそこらのはずだ。その間に他の覚醒者が出なければ、次の勇者は私で揺るがない」
「……けど他に覚醒者が出れば、勇者に選ばれるのが誰かはわからなくなる」
「そうだ。セルン、時間制限が出来たぞ」
ユーゴはセルンに背中を向けて歩き出す。まるでセルンより先を行くように。早く追いついてこいと言うように。
「急げよ、セルン。君も自分との戦いに負けた相手を、勇者に選ばせたくはないだろう?」
「ああ、当然だ。すぐに追い越してやる!」
「ふっ」
ユーゴは口元に笑みを浮かべると、それきりなにも言うことなく街に戻るために歩き出す。
「……勇者になるのは俺だ」
セルンはその背中が見えなくなるまで、じっとにらみ続けていた。
ユーゴの隣を歩きながら、ふと横を見て、レナスロッテはからかうように話しかけた。
「ずいぶんと楽しそうですね、ユーゴさん」
「そうだな。生まれて初めて、楽しいと素直に感じているよ」
「負けたのにですか?」
「ああ。負けたのにだ」
不思議な気分だった。間違いなく自分は負けたと思っているのに、嫌な気分はしなかった。義父のように、自分への自信を失ったりもしない。
むしろ逆だ。あんな男と最後まで競い合ったことに、誇らしさすら感じている。
「敗者に屈辱を与えることなく勝利するとは、さすがはセルン様です」
「そうだな。あれはいい男だ。どうして王女殿下が彼に期待していたかがわかったよ」
「ふふふっ、今更気付いても遅いですよ。帝国には差し上げませんから」
「別に王国の物というわけでもないだろうに」
あえていうのなら、セルンは先代勇者のものだろう。今なお、彼の心は彼女に奪われている。死者に縛られているという部分に思うところがなくはないが、ああも高らかに愛を叫ばれてはなにも言えない。
むしろ、あれを聞いて平然としているレナスロッテがおかしい。どうやらセルンに好意を持っているようだが、なら尚更あれを聞いては落ち着いてはいられないだろうに。
「ローリエ・エルジェラントは死にました」
ユーゴの考えていることを悟ったように、レナスロッテは急にそう言い出した。
「死者に人の心を縛ることはできても、独り占めすることはできません。少しずつ、少しずつ、生者が死者より奪っていけばいいのです」
それがレナスロッテの考え方なのだろう。今は聖戦中であり、セルンにはローリエへの気持ちを揺らぐことなく貫いてもらわなければなるまい。けれど聖戦が終われば、もう必要ないというわけだ。
けれど……
「そう、死ねばそこで終わり。終わりでなければならないのですよ」
自分に言い聞かせるように、レナスロッテは言葉を繰り返す。
彼女の言葉は正しくて、けれどローリエにだけは当てはまらない。
「セルン。君はまもなく知るだろう。私の言葉の本当の意味を」
ユーゴは戦いの前に、セルンに対しこう述べた。
――まずは勇者の仲間であった君を超えよう。そうして、ローリエを超え、私は勇者としてこの世界に勝利をもたらす。
それはそのままの意味だった。本当に、ユーゴが戦うべき順番をただ口にしただけなのだ。
だからユーゴに勝ったセルンが、彼の代わりにこの先挑むことになる。
「セルン。あるいは私以上に、君にとって序列一位と戦う意義は大きいはずだ」
願わくば、その果てに彼が勇者の資格を得られますように。
そう思いながら、敗者であるユーゴは戦場から静かに去っていくのだった。
「セルンさん! 大丈夫ですか!?」
決闘を安全な距離から見守っていたマリエールは、駆け付けるなりすぐに神器を解放してセルンの治療を開始する。
「すぐに治しますから、じっとしていてください!」
「ああ、けど先にトアレを頼みたいんだが」
「いや、我はあとでいい。我はただ疲れているだけだが、マスターは傷だらけだ。マリエール、マスターを優先してやってくれ」
「そう、ですね。ごめんなさい。トアレちゃん。ちょっとだけ待っててください」
トアレはセルンの治療をマリエールに任せ、自身は少しだけ離れた。
彼女に任せておけば、主の傷は問題ないだろう。そして、トアレはこのまま放っておいても勝手に治る。トアレの力の源泉はセルンなのだから、彼が元気になればそこから力をもらって元気になれるのだ。
だがそれは見方を変えれば、セルンの力を奪っているということでもある。
「……我が邪魔者、か」
自分と瓜二つの誰かに言われた言葉を思い出す。
それは間違っていないのだろう。今なおセルンが神器の覚醒ができないのは、他でもない、トアレの所為なのだ。
『――そう、だからあなたは早く消えなさい』
耳元で、再び自分ではない自分の声が聞こえた。
「嫌だ。我はマスターと共にいる。我こそがマスターの神器なのだ」
『愚かな。そういう余分な想いが、マスターの邪魔になっているというのに』
トアレがその囁きに答えを返すと、もう一人の自分は心底失望したような様子で殺意を向けてくる。
『けれど、ええ、あなたがマスターの神器であることに代わりはない。だから、あなたは変わらなければならない』
その上で、あくまでも大切な主のために、助言を口にする。
『解放は愛によって。そして覚醒は、強い滅びの意志によって至るもの』
「滅び?」
『そう。神器の覚醒に至る条件とは、世界を滅ぼしてでも叶えたい願いを抱くことに他ならない』
それを叶えるためならばすべてを犠牲にできる。
それを叶えるためならば、たとえ世界を滅ぼしてでも構わない。
そう思えるほどの強い願いこそが、唯一、魂を昇華させられると彼女は言う。
そう、だからトアレはセルンの神器として……
『マスターのために世界を滅ぼしなさい、勇者殺し。それができなければ、いつでも私が変わってあげる。――マスターの神器は、あなただけではないのだから』
「よう。ずいぶんとお疲れみたいだな、兄弟」
マリエールの治療中、次の試合に出るためにやってきたゼノが話しかけてくる。
「ゼノか。次の試合がもう始まるのか?」
「ああ。通信装置も予備があるんだと。これからすぐ試合だよ。たとえ覚醒者が出ても、みんな謎の序列一位の顔をどうしても拝みたいらしいな」
「そうか」
セルンとしても、次の試合の勝者と戦うことになる。できれば、戦い自体は近くで見ておきたかったが、どうもしばらくは動けそうになかった。
「少し遠いが、俺はここで見てることにするよ」
「ああ、俺の勝利をきちんと見ててくれよ」
「自信があるのか?」
「というよりも、勝ちたいと心から思ってるだけだ。ああ、あんな熱い戦いを見せられて、俺も戦いたくてたまらねぇぜ」
ぐっと拳を突き出すと、ゼノは闘志を激しく燃やしながら言った。
「俺はセルンと戦いたい。もう一度、それを伝えるためにここに来た」
「……そうか。がんばれよ」
「ああ。序列一位を奴をさくっと倒してくるぜ!」
ゼノは拳を鳴らすと、試合を行う地点に歩いていく。
その背中に心の中でエールを送ったところで、セルンは急激な眠気に襲われた。
「……悪い。マリー。俺、ちょっと眠くなってきた。戦いが始まる前、ちょっと眠らせてもらう」
「わかりました。わたしが起こすまで寝ててください」
マリエールは体勢を少し変え、セルンの頭を自分の膝に乗せると、労るように微笑んだ。
「本当にお疲れ様でした。すごく、格好よかったですよ」
「ありがとう」
マリエールの言葉に甘えて、セルンは目を閉じた。
柔らかな太股の感触と優しい光に包まれ、そのまま安らかな眠りに……。
「――あれ? セルン、眠っちゃったの?」
その声を聞いて、眠りに落ちようとしていた意識は完全に覚醒した。
セルンは勢いよく身体を起こす。突然顔をあげられ、マリエールが驚いていたが彼女を気にしていられる余裕はない。
なぜなら今聞こえてきた声は、その声は、もう二度と聞くことができないと思っていた声だったから。
セルンは目を見開いて、いつの間にか傍にいたその少女を見つめた。
「ああ、起きてたんだ。そうだよね、これから私の試合なんだから、ちゃんと見ててくれないと困るよ」
「…………」
「ああ。さっきの試合、すごく感動したよ。まさかあんなにもロマンチックに告白されるなんて思ってなかったしね。だから私、ちょっとだけやる気出すことにするよ。ね? 嬉しい? セルン」
「…………」
セルンは言葉が出なかった。声が出なかった。
自分のことを見つめるその視線に、その姿に、自然と瞳から涙があふれてくる。
ああ、そうだ。セルンが見間違えるはずがない。セルンだけは彼女の姿を見間違えるはずがないのだ。
炎のように煌めく赤い髪。
同じく、炎に爛々と輝く、その紅の瞳。
誰よりも美しく誰よりも強かった、最強で最高の、セルンの勇者。
思い出の中の姿そのままの姿で、今、彼女は現実の存在としてセルンの目の前に立っていた。
「涙なんか流してどうしたの? なにか悲しいことでもあった?」
優しく話しかけられて、セルンは唇を震わせるように開いた。
そしてなによりも愛おしいものを呼ぶように、その名前を呼んだ。
「……ローリエ」
それに彼女は――……。
◇◆◇
施設で二年間を過ごし、いよいよセルンにも最初で最後の仕事が与えられることになった。
暗殺対象は、十八歳の少女だった。
恐ろしく強い人物で、正面から挑めば、施設最強の子供であるセルンであっても勝ち目はないらしい。だから子供であることを利用して、さりげなく暗殺しろと、そう指示を受けた。そうすれば必ず勝てる、と。
――結果からいえば、それはまったくの嘘っぱちだった。
たしかに、最初は上手く行っていた。
迷子の子供の振りをして油断させ、相手が背中を向けたところに刃を突き刺す。そこまではよかったのだ。だがなんと、セルンが本気で振るった刃は少しも刺さらなかったのだ。服が防刃加工されていたとかそういうのではなく、純粋に、その女の身体は鉄よりも硬かったのだ。
「うぉい、危ないわね!」
意味がわからず呆然としてしまったセルンの頭を、少女は叱るように叩いた。
それだけでセルンの意識は吹き飛ばされてしまった。普通の子供ならば、きっと首が千切れて地面にめり込んでいただろう威力だった。
セルンが暗殺しようとした相手は、セルンに輪をかけたとんでもない化け物だったのだ。
「ちょ、死なないでよ。目覚めが悪くなるじゃない」
暗殺に失敗したところで、セルンは自殺しようとしたが、彼女はそれをノリと勢いで邪魔すると、化け物らしいとんでも理論で動き出した。
「ていうか、なに? 君ってもしかして暗殺者だったの? もしかして、私邪魔者扱いで殺されかけてたの? なにそれやだー。ぷんぷん、私は怒ったぞー。色々とあって苛々してたところにこれとか、本気で怒ったんだぞー」
彼女は額に青筋を浮かべながらでそんなことをつぶやくと、セルンをおもむろに肩車して全速力で走り始めた。
方向は適当。本人にもわかっていないようで、勘で走っていた。
なのになぜか、セルンも知らなかった件の施設の責任者の屋敷にたどり着くと、大立ち回りを始めた。最終的に責任者の男を土下座させ、その頭をぐりぐりと踏みつけ、子供たちの待遇改善を約束させていた。ついでと言わんばかりに、セルンは彼女の手によって奴隷から解放されることになった。
意味がわからなかった。
本当に、意味がわからなかった。
「なあ、あんた。なんで俺を助けたんだ?」
「え? なんとなく」
そして、本当に意味なんてなかったらしかった。
そんな理由で助けられたセルンだったから、途方に暮れてしまった。てっきり自分はここで死ぬとばかり思っていたから、思わぬ形で手に入ってしまった自由に、どうしていいかわからない。
「うわっ、子供らしからぬ老人みたいね眼ね。うん、さすがにこれでばいばいっていうのも気が引けるし……仕方ないわねぇ。お姉さんが人生相談に乗ってあげるから、ちょっとお悩みを話してみなさいな」
そう言う彼女こそ、なにもかもに絶望し、疲れ果てた老人のような眼をしていた。
そんな彼女に、セルンは気が付けばここに至るまでの経緯をぶちまけていた。
同情して欲しかったわけではない。
優しくして欲しかったわけでもない。
彼女がそうしたように、ただなんとなく、話していた。
最初はふんふんと適当に聞いていた彼女だったが、話が進み、セルンの出生の秘密のところに差し掛かると、途端に真剣な顔になった。
「……嘘。そんな奇跡、ありえるんだ」
そしてすべてを包み隠さず伝え終えた頃には、なぜか彼女は目に涙を浮かべ、とても嬉しそうに微笑んでいた。
綺麗な笑顔だった。
助けてもらったのはセルンの方なのに、なぜか彼女の方が救われたような、そんな笑顔だった。
「そっか。そっかぁ。私が目指した理想は、存在しない空想じゃないのかも知れない。君みたいな奇跡があるのなら、もしかしたら、全員が幸せになれる選択肢もあるのかも知れない」
そのときのセルンには意味がわからないことをつぶやいて、彼女は強く強く抱きしめてきた。
「ありがとう。あなたのお陰で、私は最後までがんばれそうだよ」
「……なんだそれ」
やはり意味がわからなかった。セルンにとって、彼女は理不尽なまでに意味がわからない奴だった。
けれど……彼女が見せた笑顔に夢を見た。
自分よりも化け物で、自分よりも死んだ眼をしていたのに、今はこんなにもキラキラと輝いた目で未来を見据えている。
ならば、もしかしたら自分も……。
「ねえ、君。名前を教えてよ」
「……セルン。セルン・ベルクルト」
「セルンか。よし、なら君は今日から私の仲間になりなさい。一緒にこの世界を冒険して、私と一緒に誰も知らない未来を探しましょう」
どこまでも自分勝手に決定し、彼女は手を差し出してきた。
セルンはその手と彼女の顔を何度か今後に見て、それからしっかりとその手を握り返した。
「わかった。俺はあんたの仲間になる。その旅路についていく」
それがどんなものであれ、最後まで。
「決まりね! ならさっそく――」
「ちょっと待った」
腕を引っ張って歩き出そうとする彼女を止める。
「なに? どうしたの?」
振り返った彼女は、少しだけしゃがみ込むと、目と目を合わせて尋ねてきた。
その目をまっすぐ見返しながら、セルンは聞く。ドキドキと、高鳴る心臓を感じながら。
「その、あんたの名前、教えてくれよ」
「あ、そっか。まだ名乗ってなかったわね」
彼女は燃えるような赤い髪を揺らすと、自分の名前を口にした。
セルン・ベルクルトにとって、忘れられないものになるその名前を。
「私はローリエ・エルジェラント! これから宜しくね、セルン!」
永遠に忘れられない、その名前を。
四章はこの話で終了となります。
ここまでお読みいただきまして、誠にありがとうございます。
よろしければ、感想・評価お待ちしております。




