第九話 天秤世界
セルンは今の今まで、神器の解放をしていなかった。
正確にはできなかったといった方が正しい。ゼスティの結界で神器を封じられた影響だろう。だがここぞというタイミングで復活したトアレのお陰で、敵を倒すことができた。
雷光の一撃を喰らったレイリアが、地面に落下する。翼はもがれ、身体を覆っていた闇も消え去っていた。
それでもまだ生きていた。セルンはとどめを刺すべく槍を構え、彼女の顔を見て動きを止めた。
「お前は……」
レイリアのそのあどけない素顔を、セルンは知っていた。
屋台に満月焼きを買いに来ていた、あの生真面目な少女だった。
「……そうか。あのときトアレが感じた神器の気配は、お前のものだったのか」
「……まだ、だ」
セルンのつぶやきに答えるように、レイリアはゆっくりと立ち上がる。
その身体はボロボロであり、右腕は炭化して使い物にならない。それでも、彼女は黒い翼を再構築し、戦いを続行する姿勢を見せる。
「まだだ……まだ、私は死ねない。こんなところでは死ねないんだ!」
ボロボロの身体で向かってくるレイリア。
セルンは鞭のような動きで繰り出される翼の一撃を、雷光の槍で受け止め、弾き、切り裂く。
レイリアは羽がもがれるたび、新しい羽を再構築して襲いかかってくる。だが段々とその大きさは縮んで行き、やがて片方しか作り直すことができなくなった。
それでもレイリアの闘志は衰えることはない。
「こうしている今も、みんなが飢えに苦しんでいる! モンスターの脅威に怯えている! 私が、魔王候補に選ばれた私が、戦って守らなければならない人たちがたくさんいるんだ! 私が死んだら、一体誰が彼らを守るというんだ!」
レイリアは血を吐きながら最後の力を振り絞ると、残った翼を巨大な刃に変え、魂の叫びをあげる。
「だから帰るんだ! みんなのところに! 私が、みんなを守るんだぁああああああああ!!」
振り下ろされた魂の一撃。
けれど、それはセルンの神器殺しの雷光の前に、跡形もなく消し飛ばされる。
「ぁ……」
今度こそレイリアの神器は機能を停止し、その身体から放たれる威圧感が消え失せる。強化によって瀬戸際で押さえられた傷が開き、彼女は全身から夥しい血を流し始めた。
致命傷だった。もう助からない。
「まだ、だ。私は、まだ……」
それでもレイリアは拳を握り、セルンへとふらつきながら向かってくる。
セルンは槍を構えた。しかし雷光が先程までよりも弱くなっていることに気付く。
「トアレ」
『マスター。こやつはもう助からない。だから、もうよいのではないか?』
「トアレ」
『我らがとどめを刺さずともどうせ。だから……』
「トアレ!」
『……はい、マイマスター』
セルンが鋭い声で叱咤すると、雷光の輝きが元に戻る。
これでいい。セルンとて、トアレの気持ちがまったくわからないわけでもない。今のレイリアの姿に、その魂の叫びに、思うところがないと言えば嘘になる。
それでも目の前にいるのは、大勢の人間を殺した殺戮者。ここでセルンがとどめを刺さなければ、後々に多くの問題が残るだろう。
「トアレ。お前は武器だ。だから感傷は必要ない。……罪もなにもかも、お前を振るっている俺にあるんだ」
『それは違う、マスター。我とあなたは一蓮托生。喜びも、痛みも、分かち合うに決まっているではないか』
「……そうか」
覚悟を決めて、セルンは槍を振るった。
狙うは心臓。この一刺しをもって、今日の地獄を終わらせる。
「レイリア!」
だが間一髪のところで邪魔が入った。結界がセルンとレイリアの前に築かれ、槍の切っ先を弾く。さらにセルンの周囲に凶悪な結界が張り巡らされ、動きを縛る。
その隙に現れた紫色の髪の少女――ゼスティがレイリアを抱きしめ、大きく後ろに下がる。
「レイリア! しっかりして! 死んじゃダメ!」
「ゼスティ……」
「大丈夫よ。きっと助かる。レイリアは『王皇種』でわたしの英雄なんだもの。助かるに決まってるわ! すぐに『門』を開くから、だから一緒にみんなのところに帰りましょ?」
「それはダメだ、ゼスティ……」
手を握り、涙を流しながら訴えてくる友が鞄を取り出したのを見て、レイリアは弱々しく首を横に振った。
「まだ、ラクサスが戻ってきていない……まだ、戻れない……」
「でもこのままじゃ、あなたが死んじゃう!」
「そうだな。……どうやら、ここが私の死に場所らしい」
レイリアはようやくその事実を受け入れることができた。その上で、もう一度自分の足で立ち上がる。
「行ってくれ、ゼスティ。ラクサスと合流して、黒の世界に帰るんだ」
「そんなの嫌! レイリアがいないとわたし、わたし……!」
ゼスティの額に瞳が現れ、ゆっくりと開いていく。
「あいつがいるとレイリアが帰れないなら、ここでわたしが殺すわ! だから!」
「ダメだ」
レイリアはゼスティの額を人差し指で小突くと、生気のない顔で、けれど優しい笑みを浮かべた。
「ゼスティの見立ては正しかった。彼はきっと勇者になる。なにせーー」
雷光が煌めき、ゼスティの貼った結界がすべて吹き飛ばされてしまった。右手を純白の光で染めた勇者候補が、赤い瞳で二人をにらんでいる。
セルンと戦ったレイリアには確信があった。
間違いない、セルン・ベルクルトという勇者候補はーー
「彼は黒の世界の住人だ。いや、その血が混ざっているというべきか。きっと父親か母親のどちらかが、私たちの世界から紛れ込んだ『王皇種』なのだろう」
「白と黒のダブル……そんなことがあり得るの?」
それが事実だとしたら、恐らく歴史上初めての存在だろう。いや、過去現在未来通して、そんな希少種は彼だけに違いない。
隣り合う白と黒は永劫の戦いを運命付けられている。その住人同士が交わり、あまつさえ子供を産むなんて、まさに奇跡という他ない。
「彼をここで殺したら、勇者の誕生がいつになるかわからない。ゼスティ。自分の使命を思い出せ」
「レイリア……」
そのとき、街の中心部から突然紅蓮の輝きが迸った。それがユーストリア勇者学校を覆っていた結界を、粉々に打ち砕いてしまう。
「……もう本当に時間はないようだ。行ってくれ。すべては魔王様のために。そうだろう?」
「……すべては、魔王様のために」
ゼスティは涙を拭って頷くと、親友に別れの言葉を告げた。
「さようなら、わたしの英雄」
「ああ、先にみんなところに行ってくるよ」
「うん、先に行って待ってて。わたしもすぐにそっちへ行くわ」
その言葉を最後に、ゼスティは振り返ることなく走り去った。
セルンは彼女を追おうとしたが、それをゼスティが残した結界が邪魔をする。
その一瞬の空白を利用して、レイリアが最後の切り札を切る。
「すまない、みんな。みんながせっかく作ってくれたドレスを破かせてもらうよ」
戦いでボロボロになっていたドレスの前を切り裂くと、レイリアは自分の胸に指を突き立て、心臓をえぐり出す。
『奴め、一体なにを!?』
「……まずい!」
セルンはレイリアがなにをしようとしているのか気が付いたが、止めるにはあまりにも遅すぎた。レイリアが天に掲げた心臓は、神器解放のときと同じ闇を纏うと、強烈な黒い光を放ち始める。
「間に合え!」
セルンは全速力でシャルティエたちが隠れている方に走り寄り、雷撃を盾のように周囲に展開する。
そんなセルンの動きを見て、レイリアは「まったく」とつぶやいた。
「……一族の誰かは知らないが、とんだ怪物を残してくれたものだな」
けれど、現状では彼という存在は希望にもなりうる。
どうあれ、黒の世界には早急に勇者が必要なのだから。
すべては聖戦の勝利のために――ああ、そのために必死になって戦った、長くも短い半年間だった。
レイリアは空を見上げる。
「ああ、なんて綺麗な青空なんだろう。まさかこんな空の下で死ぬことができるなんて思ってもみなかった」
心残りは山ほどある。けれど、それでも、死ぬにはあまりにもいい日だった。
レイリアは自分の神器本体を天高く放り投げると、
「どうか、魔王様。黒の世界のみんなにも、こんな澄み渡る青空を」
そっと、祈るように大切な人たちの幸せを願った。
刹那、臨界点を迎えた闇が急激に膨れあがり、巨大な爆発を起こした。
灼熱する漆黒の闇が、すべてを跡形もなく吹き飛ばしていく。
爆発のあとに残ったのは、神器を展開して戦友を守ったセルンだけだった。
あとはなにも残っていない。
ここに、黒の英雄は死んだのだ。
だから――彼女の怒りを止められる者はもういない。
「ああ、レイリアが死んじゃったわ」
遥かな蒼穹。そこに仲間である隻腕の大男と共に浮かび上がったゼスティは、爆発を耐え抜いたセルンたちを見下していた。
両目は現実を否定するように硬く閉じられ、開かれているのは額の第三眼。燃えるような怒りの眼差しが、英雄を死に追いやった男を殺さんばかりににらみつけている。
否、彼女が見ているのは彼だけではなかった。
開かれた異界への『門』を背に、彼女はユーストリアの街に存在する勇者候補を含めた全員に怒りを振りまいていた。
「白の民よ。我らの用意した地獄を見て、夢から覚めたか?」
憎悪を隠そうともしない声で、彼女は語りかける。
「我々は世界の命運をかけた戦争のただ中にいる。お互いを滅ぼすまで続く、殺戮の中に生きている。今日貴様らが味わったこれこそが、貴様らにとっての本物の現実だと、思い出してもらえただろうか?」
敵意を隠そうともしない声で、彼女は語りかける。
「怒ったか? 悔しいか? それとも、助けて欲しいと命乞いをしたくなったか? だが無駄だ。我らは誰一人として許さない。勇者だけではない。勇者候補だけではない。貴様ら白の民、そのことごとくを殺し尽くすまで止まることはない」
殺意を隠そうともしない声で、彼女は語りかける。
「我らを止めたくば、聖戦をしよう。そのために――さあ、勇者はいずこだ! 魔王様はすでにおられる! あとは貴様が現れさえすれば、この瞬間にも聖戦は始められる!」
けれど、彼女に返ってくる勇者の声はない。白の世界に、勇者はいない。
今は、まだ。
「勇者はいない、か。――ならば我らが、さらなる殺戮をもって勇者を目覚めさせてやろう」
自分を見上げるセルンと、そして別の場所で見上げているもう一人の誰かを見て、三眼の侵略者は告げる。
「我が名はゼスティ。百人の魔王候補の一人にして、魔王の意志を代弁するもの」
宣戦布告を、する。
「魔王代行、ゼスティ・グリームニルである!」
◇◆◇
ゼスティとその仲間が黒の世界に帰ったことで、戦いは終わった。
けれどそこからが大変だった。
魔王軍の突然の襲撃。それによって大勢の人間が殺された。しかも場所は勇者候補たちのお膝元と来れば、勇者候補たちに対して激しい非難が飛ぶのも無理はない。
勇者選抜委員会は各国からの問い合わせに対し、こう答えた。
『たしかに勇者候補たちは、虐殺を止めることはできなかった。しかし、勇者候補の一人が犯人を誅殺するに至っている』
仇は取ったことを前面に押し出し、非難を最小限に抑えようとしたのだ。結果、セルンの名前は広く世界に伝わることになった。
さらに序列九位のジョーイが、半ば譲る形で自分の地位をセルンに明け渡したため、ユーストリア勇者学校の中でも、セルンの地位は一気に跳ね上がることになった。
加えていえば、敵の爆発によって出た大勢の怪我人を、マリエールがその神器をもって治療して回ったことによって、セルンとそのパーティーは大勢の人からの賞賛を受けることになる。
……結果だけを見れば、大会へ参加した目的以上の成果を、セルンは得たことになるのだった。
当然、そのことを素直に喜ぶなんてできなかったが。
ゼスティとレイリア、二人の魔王候補がこの街と勇者候補たちに残していった爪痕はあまりにも大きかった。
前日のクラウドの件もあって、勇者候補たちから勇者選抜を降りるという声がたくさんあがった。当然、そんなものは認められるはずもないが、ならばと学校から逃げ出す者が複数いたのも事実だった。
そして、違う形で衝撃を受けた者もいた。
「ねえ、セルンさん」
襲撃から一週間が経ったある日、セルンはリコリスに空き教室に呼び出され、質問をされた。
「私、ずっとセルンさんとレイリアっていう魔王候補の戦いを見てたんだ。それで思ったんだけど、あの人って、もしかしたら私たちと同じだったんじゃないかな?」
「同じ?」
「うん。守りたいものがあって、そのために必死になって戦っていたんじゃないかって、あの叫びを聞いてそう思ったの。もちろん、彼女がしたことは許せないけど、それでも……あの人は悪人じゃなかったって、そう思うんだ」
「……だから?」
「だから、つまり、その、なにが言いたいのかというと……」
リコリスも自分の中で考えがまとまっていないのだろう。けれど、それでも確かめずにはいられなかったのだ。
そして、セルンにはリコリスがなにを聞きたいのかが察しがついた。
「……ねえ、セルンさん。黒の世界は、本当に邪悪な魔王と、邪悪な生き物が住んでる世界なのかな?」
「そうだな。そう聞いてる」
「うん、私もそう教わった。黒の世界のことはなにもわかっていないって。でも、でもさ、それは間違っていて、本当は私たちと変わらない世界があるんじゃないかな? あのゼスティって人、百人の魔王候補って言ってた。それって私たち百人の勇者候補と同じで、なら魔王も勇者と同じなんじゃないかな? ただ呼び方が違うだけで、今私たちがやっていることと、同じことを向こうもしてるだけなんじゃないかな?」
「……そうだとしたら、どうするんだ?」
「……セルンさん、否定しないんだ?」
「もう本当は、リコリスの中でわかってることなんだろう?」
いや、リコリスだけじゃない。各国の上層部は当然のこととして、勇者候補の中にも薄々は勘付いている者も多いだろう。
黒の世界の真実に。この残酷な世界の真実に。聖戦の、真実に。
「リコリス。悪いことは言わない。それ以上は深く考えるな」
「セルンさん……」
「それは考えても意味のないことなんだ。俺たちは黒の世界には行けない。その住人とは、本来は聖戦で戦う以外に接点はない。だから、向こうの世界がどんななのかとか、どんな人が住んでいるんだとか、魔王とはどういう存在なのかとか、それは考えてもどうしようもないことなんだよ」
黒の世界のことはわからない。
魔王のことも聖戦で戦う敵という以上のことはわかっていない。
そうでなければならないし、この先もそれが判明することはないだろう。
「勇者は聖戦に勝たないといけない。そうしなければ、この世界が滅ぶことになる。それ以上のことは考える必要はないんだ。ないんだよ」
「そうかも知れない。でも、でも私は……」
リコリスは納得できないという顔で、でもどうしようもない現実に、なにも言えずに顔を俯ける。
「……ねえ、セルンさん。勇者は、聖戦で魔王と戦うんだよね?」
「そうだ」
「勝ったらこの世界は救われる。なら、負けた向こうの世界はどうなるんだろう?」
「決まってる。俺たちが負けた場合と、同じことが起きるだけだ」
「……勝つか負けるかしか、ないのかな?」
「……昔、同じことを考えた人を俺は知っているよ」
セルンの脳裏に、かつて似たことを言った人の言葉が蘇る。
『――ごめんね、セルン。私は魔王よりも、本当はこんな仕組みを作った誰かのことをぶん殴ってやりたい』
その人が最後にどんな決断をし、そしてその決断がどんな結果を生んだのか、そのすべてをセルンは仲間として見届けた。
だからこそ、現実を突きつけるようにリコリスに言った。
「聖戦には勝利か敗北しかない。引き分けは問題の先送りにしかならなかったから。……誰もが幸せになる選択肢なんて、最初からどこにもなかったんだよ」
◇◆◇
聖戦――それは世界の命運をかけた勇者と魔王の殺し合いだ。
白は勇者を。黒は魔王を。
それぞれ百名の少年少女の中から選出し、これを殺し合わせる。
勝った側の世界は向こう百年栄え、負けた側の世界は百年の間、数多の滅びに蹂躙されることになる。
それが天秤の両極のごとく干渉し合う、白と黒の二つの世界の絶対法則。
ゆえに勇者と魔王が和解することはーー未来永劫、絶対にあり得ない。
三章はこの話で終了となります。
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