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第三話  蠢く脅威



 ジョーイ・パリジュンーーそれが序列九位に位置づけられた勇者候補の名前だった。


 性別は男。年齢は十九歳。出身は商業国家マドラス。父親は大きな商会の番頭で、本人は行商人として生計を立てていた。


 ただし、商人としての彼は有名ではなく、別の分野でその名前は轟いていた。


 行商の傍ら、趣味で各国の美食を食べ歩いた彼は、いつしか旅の美食家として名を馳せるようになっていたのだ。彼が太鼓判を押した料理屋はたちまちのうちに繁盛し、逆に低評価を下した店はあっけなく潰れたという。


 彼の食道楽は勇者候補に選ばれても続いた。


 加えて、彼とそのパーティーは各種料理の普及活動に手を出し、これを大成功させた。ジョーイ率いるパーティー『グルメレポート』は、学術都市ユーストリアの食文化を半世紀先に進めたとさえ言われていた。


「そんな勇者候補ジョーイ・パリジュンが、この度、街を盛り上げるためにこんな企画を開催することにしたんだって」


 リコリスが持っていたチラシを机の上に出す。


「なになに、『第一回ユーストリアお菓子王決定戦』……だと!?」


 ケーキやクッキーが描かれたチラシを見て、トアレが目を輝かせる。


 そこには有志の参加者を募り、街全体を舞台にしたお菓子の屋台販売を行い、人気投票をもって、最も優れたお菓子を決める大会を開く旨が書かれていた。


「な、なんという素晴らしい企画を考えつくのだ! この勇者候補、天才か!」


「でしょでしょ! 開催は一週間後、私もお客として絶対に行こうと思ってたんだ! けど、セルンさんの話を聞いてて、これに参加者として出てみたらどうかなと思って。ほら、ここ見て」


 リコリスはチラシの一部分を指で指し示す。


「大会優勝者には金一封と、主催者であるジョーイ・パリジュンがなんでもお願いを叶えてくれるんだって。もちろん、彼が叶えられる範囲になるけど、セルンさんの目的は十分その範疇に入るよね?」


「なるほど、つまり大会に優勝して、ジョーイに序列戦を引き受けさせようってことか」


「そういうこと。マリーちゃんなら優勝も狙えるし、いい考えでしょ?」


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 マリエールが慌てて首を横に振る。


「わたしが優勝なんて無理ですよ! この大会には、各国から腕に覚えがある人たちが集まってるって聞いてます!」


「そんなことないよ。マリーちゃんの作るお菓子は、一流の料理人にだって負けないよ! ね? シャルちゃんもそう思うよね?」


「たしかに、このお菓子はなかなかの物だとは思いますが」


 貴族らしく上品にお菓子を口に運んだシャルティエは、その甘さに一度口元を綻ばせたあと、難しい顔をする。


「けれど人気投票ということは、大会当日にたくさんのお菓子を作って売らなければなりません。いくら美味しくとも、食べてもらえなければ評価なんてしてもらえませんもの。そして大量のお菓子を作るには、材料の調達が必要不可欠。そちらはどうしますの? 開催まで一週間もないとなると、大抵の材料が品薄になって手に入りませんわよ」


「ほら、やっぱり難しいですよ! 別の方法を考えましょう!」


「……いや、それならなんとかなると思うぞ」


「セルンさん!?」


 リコリスの案を後押しするようなセルンの発言に、マリエールは勢いよく顔を向ける。


「お菓子の材料ですよ? 小麦粉とかお砂糖とか新鮮な卵とか、たくさん手に入るんですか?」


「ああ。あんまり貸しを作りたくはない相手だが、頼めば用意してくれる相手に心当たりはある」


 レナスロッテに頼めば、お菓子の材料くらい簡単に用意してくれるだろう。見返りになにか求められるかも知れないが、彼女もお菓子の材料くらいで大層な要求はしてこないはずだ。


 むしろ、ああいう手合いはこういう簡単なお願いを定期的にしておかないと、無茶な手回しでもしてきそうな感じがあった。


「だから、やるかどうかはマリーのやる気次第になるな」


「で、でも、わたし自信がありません」


「ならば自信がつくまで試行錯誤を繰り返せばよい。マリエールよ、味見なら我に任せておけ!」


「お菓子作りは趣味みたいなもので、売り物を作った経験なんて……」


「マリエールさん、負けたところでなにか罰則があるわけではないのですから、試しにやってみるのもよろしいのではなくて?」


「でもせっかくパーティーとして初めて行動するのに、最初から躓くのは」


「マリーちゃん」


 一歩を踏み出せないでいるマリエールに、リコリスが満面の笑顔で言った。


「私、マリーちゃんがやるなら、全力で応援するよ!」


「リコちゃん……」


 マリエールは親友の顔を見て、ぎゅっと胸の前で手を握り、あの日の決意を思い出す。


「……わかりました」


 マリエールは顔を上げ、セルンの眼をまっすぐ見て言った。


「セルンさん。このマリエール・フェルト、あなたの仲間として大会で優勝を目指します!」







「――って、大見得切って宣言しちゃいましたけど、どうしましょう?」


 その夜のこと、自室の床にぺたんと座り込み、マリエールは頭を抱えていた。


 優しい色彩の可愛らしい部屋のベッドには、遊びに来たリコリスが腰掛けている。マリエールが実家から持ってきたクマのぬいぐるみを抱きしめ、悩む親友の姿に苦笑する。


「セルンさん、期待してるって言ってたね」


「うん。期待してくれるのはすごく嬉しいけど、ダメだったときのことを考えると押しつぶされそうです。せっかく仲間に選んでもらえたのに、失敗して失望されたらどうしましょう?」


「そのときはそのとき、次がんばって名誉挽回すればいいよ。仲間になったのにやれることがなにもないーって嘆くよりかは、失敗するかもしれなくても挑戦するべきだと私は思うな」


「リコちゃん、それ聞いてたんですね」


 リコリスはどうやら、マリエールに出来ることでパーティーに貢献できるよう、色々考えて今回の提案をしてくれたらしい。


「リコちゃん。わたしに活躍できる場を用意してくれたんですね」


「応援するって言ったでしょ?」


「……ありがとう」


 マリエールは笑顔を浮かべる親友に笑い返すと、腕まくりをして立ち上がる。


「よし、こうなったらやれるだけやってみます! 明日は一日、寮の調理場を借りて試作品作りです! リコちゃん、手伝ってください!」


「任せて! 私、昔からあれを潰すのとお芋を潰すのは得意だよな、って師匠たちにも褒められたことがあるんだから!」


「では材料を混ぜ合わせたりするのを任せますね」


 あれってなんだろうと頭の片隅で思いつつも、お菓子作りのことで頭一杯のマリエールは深く聞くことはなかった。




 



       ◇◆◇







 お菓子大会に参加することが決定した翌日、セルンは昨日とは別の学校の会議室で、レナスロッテと二人きりの密会を行っていた。


 トアレはマリエールのお菓子作りの味見役として呼ばれ、クリフも席を外しているので、本当にセルンとレナスロッテの二人だけだ。


「まさかセルン様からお誘いいただけるなんて思っていませんでした。しかも密室に二人きりだなんて。ふふっ、わたくし、これからなにをされてしまうのでしょう?」


「冗談やめろ。お姫様に手を出したとか、これ以上の悪評を広めてたまるか」


「いえいえ、ある意味では勇者的行動だと称えられるかも知れませんよ?」


「そんな勇者にはなりたくない。あと距離が近い」


 今回学校側から借り受けた会議室は、来賓をもてなすための貴賓室に近かった。立派な革のソファーに、毛足の長い絨毯。壁際には調度品まで並べられている。


 二人はソファーに座っているのだが、なぜかレナスロッテは向かいのソファーではなく、セルンの隣に腰掛けてじょじょに距離を縮めてくる。今日も綺麗に編み込まれた髪から、甘い香りが漂ってくる。


 もっとも、相手がレナスロッテという信頼の置けない相手ということで、まったくドキドキはしないが。


「話がしにくいから離れてくれ」


「セルン様はいけずですね。登校初日に可愛らしいお仲間を作った人とはとても思えません」


「マリーのことか。そりゃ把握してるよな」


「ええ。けれど、マリーと呼んでいるなんて、この短期間でずいぶんと親しくなったのですね」


「仲間だからな」


「そういうことにしておいてあげましょう」


 レナスロッテは身体を離すと、一度立ち上がって紅茶の準備をすると、テーブルに並べて向かいのソファーに座り直す。


「それではお話しと行きましょう。わたくしの方からもお話ししたいことはございますが、まずはセルン様の方からどうぞ」


「ああ」


 セルンは昨日の話し合いで決まったことをレナスロッテに説明した。


「それで材料の調達をお願いできないかと思ってな。お金はなんとか工面するから、伝手だけでも紹介して欲しい」


「では明日、必要と思われる現品をお渡しいたしますね」


「明日? さすがに今から動いて明日までに用意するのは、姫さんでも難しくないか? 来週までに用意してくれればいいんだが」


「いいえ。お菓子の材料でしたら、すでに大量に用意してありますので」


 その言葉を聞いて、セルンは背筋を冷たくした。


 セルンが大会に出ることを決めたのは昨日の放課後のことだ。それまでは、大会が開催されることすら知らなかった。だというのに、目の前の少女は、セルンたちが大会に出ることを前もって予測してみせたというのか?


「ふふっ、わたくしを甘くみないでくださいませ。言ったでしょう? お役に立って見せます、と」


 どこか底の知れない笑みを浮かべ、レナスロッテは紅茶のカップを傾けると、


「まあ、今回はただの偶然ですが」


 あっけらかんとそう言った。


「……どういうことだ?」


「種明かしをしますと、実はわたくしたちのパーティーも、本来であればその大会に参加する予定になっていたのです」


「姫さんたちが?」


「ええ。うちに一人、お菓子作りに異常な情熱を燃やしている仲間がいるので」


「そうなのか」


「まあ、クリフなのですが」


「……そうなのか」


 あの顔と体格で趣味がお菓子作りらしい。セルンは可愛らしいエプロンをつけたクリフの姿を思い浮かべてしまい、苦い表情になる。


「しかし、本来であれば、ってことは参加はやめになったのか」


「はい。他に急ぎでやらなければならないことが出来てしまったので、クリフには泣く泣く諦めてもらいました。なので、使う予定だった材料が余っているのです。それをセルン様にお渡ししたいと思います」


「それは助かるが、急ぎでやらないといけないことというのは?」


「そうですね、それがわたくしから話したかったことになるのですが」


 セルンの用件が終わったところで、レナスロッテは真面目な顔で口を開いた。


「テオドール・フィックスの件です」


「……そうか。『サーカス』を潰しに動いてたのは、姫さんだったのか」


 ミシェラの言葉の意味を、今になってようやくセルンも理解できた。なるほど、テオドールも敵に回してはいけない人を敵に回したものである。


「姫さんが動いたってことは、俺が知らないところでも色々とやらかしてたみたいだな」


「ええ、それはもう。これ以上野放しにしておくと、レムルス王国出身の勇者候補全員が、他の国から白い眼で見られる程度には酷いものでした」


「あいつの悪行が別の国の勇者候補たちにばれないうちに、内々で片を付けようとしたわけか」


 政治的な思惑だった。立場上仕方のないことかも知れないが、レナスロッテも色々と大変なようだ。


「それで? 姫さんが動いたってことは、テオドールは捕まったのか?」


 半ば確信しての問いかけに、レナスロッテは首を横に振った。


「取り逃がしたのか?」


「ええ、業腹ながら。……これから先のことは、ここだけの話にしてください」


 レナスロッテは声を潜めると、事の顛末を語り始めた。


 テオドールたちは廃劇場に立てこもっていたこと。『サーカス』のパーティーメンバーは全員投降してきたが、テオドールだけは投降せず、クリフたちが実力行使に出て廃劇場に踏み込んだこと。しかし、どこにもテオドールの姿は確認できなかったこと。


「取り逃がしておいて言うのもあれですが、わたくしの包囲は完璧でした。用意されていた抜け穴にも人員を配置し、確実に捕まえられるようにしていたのですが」


「逃げられたと。……まさか」


 セルンはある可能性を頭に過ぎらせた。他でもない、セルンがつい一週間前にしてしまった失態だ。


 クラウドの一件も把握していたレナスロッテは、同意を示すように頷いた。


「わたくしも同じ考えです。テオドールは、恐らく異界への『門』を開いて黒の世界に逃げたものと思われます」


 最悪の事態だった。こんな短期間に、立て続けに『門』が開かれてしまうとは。


「今、専門家を呼んで、廃劇場に『門』を開いた名残がないかを確認させています。『門』を開いた場所には、この世界には存在しない物質が付着していたり、大気中のマナの乱れがありますから。それが見つかれば、ほぼ確実でしょう」


 そして向こう側に渡ったということは、その脅威はまだ終わっていない。


「『門』を開いて黒の世界に渡ったのであれば、いずれ逆にこちらの世界に『門』を開いて戻ってくるはずです。つまりテオドールは、もう一度『門』を開く可能性が高い」


「世界への影響は? 現状でどれくらい出てる?」


「世界各国でモンスターの大量発生が確認されています。委員会に自国の勇者候補を派遣してくれという要請がいくつも来ていますので、これは間違いありません。それ以外にも、いくつかの穀物地帯で作物が突然枯れ始めたという話も聞きました」


「……滅びの現象そのものだな」


「ええ。やはり『門』を開いた場合に起こる災厄は、滅びのそれと同じだと考えていいでしょう」


「そしてそれは、開くたびに加速していく」


「そうなります。これまでに『門』が開かれた回数は延べ四回、それでほぼ滅びの初期状態と同じ災厄が降りかかっています」


「ちょっと待て。四回? クラウドの一回とテオドールの一回以外にもあるのか?」


「……これも一般には開示されていない情報ですが、聖戦が始まって一ヶ月後に、二回『門』は開かれています。時期から見て、この行為によって絶滅していたモンスターが再び現れるようになったと考えていいでしょう」


「馬鹿な。一体どこの馬鹿が?」


「判明していません。わたくしが知ったのも、専門家による調査によって突き止めたからですし、場所もこのユーストリア勇者学校でしたので、犯人を絞り込むことも難しいです」


 一般的な良識を持つのならば、異界への『門』を開くなんて真似はしない。その誰かは、追い詰められたクラウドやテオドールといった者たちと同様の、どこか外れた精神性を持っている。そんな狂人が勇者候補の中に混ざっているというのは、背筋が寒くなる話だった。


「黒の世界側から『門』を開かれる。これはまず間違いなく止められません」


 自らの失態が招いた結果であるレナスロッテは、苦々しい表情で現実を受け入れる。


「ですが、それ以上の暴挙は必ずや止めなければなりません。テオドール・フィックスは、見つけ次第即時殺害すること。これをわたくしは勇者候補全員に徹底させるよう、委員会に上奏する予定です」


「それがいいだろうな」


 テオドールはこの世界の敵になった。死ぬ以外に勇者候補を物理的に辞めることができない以上、殺害以外に対処方法はないだろう。


 同時に、セルンはレナスロッテが自分に先んじて伝えてきた理由も察した。


「テオドールはどうやら俺に多少の興味があったみたいだからな。もしかしたら、俺のところに現れるかも知れない」


「ええ、わたくしたちの調査でも、彼がセルン様に興味を抱いていたことを把握しています。ですので、セルン様。もしも彼が目の前に現れた場合は……」


「責任をもってこの手で討つ。約束しよう」


「ありがとうございます」


 レナスロッテは頭を下げ、感謝を述べる。


「ただ、敵わないと悟った場合は、自分の身の安全を優先して撤退してくださいね」


 そのあと、予想もしていない忠告をしてきた。


「……テオドールはそんなに強いのか? 俺が勝てないくらいに?」


 てっきり、本人以上にレナスロッテはセルンの力を評価していると思っていただけに、彼女のこの言葉には警戒も募る。テオドールとはそれほど強いのか、と。


「まさか。あれはたしかにそこそこの使い手でしたが、セルン様なら間違いなく勝てるでしょう」


 その部分ははっきりと否定した上で、レナスロッテは懸念を告げる。


「ですが、次に彼が現れるとき、一人きりだとはかぎりません」


「……そういうことか」


 テオドールは黒の世界側から、こちら側への『門』を開けられる。それはつまり、彼を利用すれば、向こう側の勢力が、こちらの世界に無傷で攻め込んでこれるということ。


 レナスロッテは話の締めくくりとして、セルンに迫っている脅威の本当の名を述べた。


「魔王軍による襲撃の可能性があります。どうか十分にご注意をお願いします」


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