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「始まったな」
激しい音が突如として鳴り響いた。それを皮切りに、各所で闇を照らす光や、夜の静寂を破る怒号と爆音が発生し始めた。
基本的に向こうは生命力も弱い上に魔法も使ってこない魔物ばかりだ。学園の周りはある程度見晴らしもいいし、遠距離武器を使ってくるほど賢い魔物は少数のみ。しかも向こうが攻め手だ。こちら側が有利になるのは当たり前と言えるだろう。
一番多いのは、繁殖力に優れているゴブリンとハウンドドッグ。ゴブリンは緑色の肌をした子鬼で、ハウンドドッグは凶暴なドーベルマンといった感じだ。
リザードは一メートルほどのトカゲ、スライムは自律移動するゲル状の塊、コボルドは犬頭の人間、オークは猪頭の人間、ホブゴブリンは一回り大きなゴブリンだ。
コボルドやオーク、ホブゴブリン辺りは弓矢や小型投石器を使ってくることがあるが、今回は狂乱状態のため、やはりただ突っ込んでいくのみだ。
「それにしても……何故この学園に向かっているのでしょう?」
クリスタが顎に手をやりながらそう言った。うーん、考えている姿も様になるな。
「そうだな……例えば、この学園にはある謎の生物が隠されていて、魔物たちはそれを目指しているとか?」
「そんな突拍子も無いことはさすがにありえませんわ」
冗談で言ってみたところ、クリスタに一蹴される。俺もそんなことは思っちゃいない。そんな新世紀のあれに出てくる使徒じゃあるまいしな。
それにしても、随分安定した戦線だ。あんな短時間で組んだのだからバランスが悪くなりそうなものだが、そんなことはなかった。今回は大量の雑魚を相手に防衛するタイプの戦いなので、広範囲に攻撃できる人が要となる。その広範囲攻撃が得意な人の戦力がバランスが取れているのだ。
お、なんかあっち側は魔物の数がちょっと多いな。これはどうなるだろうか。
密集した魔物たちがそこに殺到する。その集団の真ん中に――炎が爆ぜた。
爆音とともに、ゴブリンの集団がはじけ飛ぶ。周りの魔物も巻き込み、一気に相手の数が減った。
「安心と信頼の何とやら、ってところだな」
小さく呟いて、目頭を押さえて瞬きする。暗い中で派手な光を見てきたから疲れてきた。
安心感が強すぎる。そもそも各班には教員や、このエリート校で長い間学んできた三年生が必ずいるのだ。もはやあの程度の魔物は取るに足らない。しかも地の利もこちらにある。
リーダーが三年生のところはちょっと手際が悪いが、それでもそこらの冒険者よりよっぽどいい。全員がそれなりに訓練されているから、こうした本番でも動けるのだろう。
教員たちがいる班についてはもはや心配していない。つーか教員一人で三年生二十人分ぐらいの働きが出来るのだ。
この学園の教師たちは揃って戦闘力が高い。歴史や国語といった魔法に関係ない座学の先生も、冒険者ならば即座に有名になるほど強い。綾子さんとイザべラさんを抜いても小国なら教師だけで潰せると言われているほどなのだ。
「それにしても、数が減らないね」
シエルがぼそりと呟く。
確かにそうだ。もう全体的に見て百単位で葬っているはずだが、それでもまだ遠くの方にわらわらと動く黒い集団が先が見えないほどまで続いている。
「あんなに魔物がいるんだなぁ」
考えてみればそれも当たり前か。広大な草原や大きな山の中に住んでいる魔物のほぼすべてがこの学園に集まってきているのだ。
「これは……戦力的に問題なくても、前線の人たちの魔力が持たないかもね」
ルナが険しい顔をして呟いた。
そうか……魔力の問題があったな。それに、夜中だから眠いだろうし、目の前でたくさんの魔物を殺している以上、修羅場をくぐってきているであろう生徒たちとはいえ精神的には決してよくないはずだ。これだけの数がいたらまだまだ時間がかかるだろうし、長期戦になったらさすがにまずいだろう。
そうか……人海戦術は怖いな。向こうはほぼ無限に死をも恐れず狂って襲い掛かってくるが、こちらは少人数でおぼ絶え間なく魔法を発動しなければならないのだ。
「心配する必要はないよ。王国や騎士、それにギルドには連絡を飛ばしてあるから、応援に駆けつけてくれるはずだ」
そんな俺たちの会話に、優しげなハスキーボイスで後ろから入ってくる人がいた。
「せ、生徒会長?」
そう、この魅力的な声を持つ人は、この学園の生徒会長だ。
すらっとした身長に、明るい茶髪のボブカット、中性的な顔立ちで、学園内の女子からは『お姉さま』と慕われ、人気の上ではクリスタと二分する。
この学園にも生徒会は存在し、教師と一緒にイベントや行事の企画運営を行っている。基本的に成績優秀者が務めるが、中でも生徒会長は一番だ。
この生徒会長も例に漏れず、三年生の中で一番の実力者だ。その天性のカリスマ性もあり、これからの社会を先頭で引っ張っていく一人になるだろうと目されている。名前はエリナ・コートブル。
当然と言うべきか、彼女も精鋭班に加えられていたようだ。
「え、エリナさん、いきなり話しかけてきてどうしたんですか?」
シエルが少々親しげに問いかける。
「ああ、シエルか。いや、ちょっと後輩の不安を払拭しておこうと思ってね」
エリナ先輩も親しげだ。
前にシエルから聞いたが、前に社交界で会って以来妙にウマが合うそうだ。どちらもタイプは違えどボーイッシュだから、どこか通じあうものがあったのかもしれないな。
それにしても……気付かなかったな。考えてみれば、こういった場合には普通に騎士団とかには連絡を入れるか。この学園は古代遺物の通信機も置いてあるし(なんでも揃ってるな)、即座に連絡を入れられるだろうしな。
「ふむ、君がヨウスケ君か。男性で魔法が使えて、しかも無属性魔法の」
エリナ先輩は俺の顔を見て、興味深げにそう言った。そ、そんなことされても俺としては居心地が悪いだけなんですけど……。
「ところで、君にとって魔法とはなんだい?」
そして、先輩は黙考したのちにこんなことを聞いてきた。……あ、もしかして、この人って変人?
嫌な予想を否定して貰おうと、シエルに視線を移す。
「…………」
あ、無言で首を横に振ってる。もしかしてシエルも同じような事をやられたのだろうか。
「い、いきなり問いかけられてもぱっとは出てきませんね。あー……うー……便利グッズ、でしょうかね」
必死に考えたのち、真っ先に思いついた言葉を言ってみる。
「ほほう? その心は?」
その答えを聞いた先輩は、興味深げに突っ込んでくる。
「これがなければ日々の生活は一気に不便になりますし、こうして魔法が使えるおかげでいい友達にも会えましたしね。……あー、前者は別として、後者の理由については便利グッズって言い方はすこし酷いですかね」
いかんいかん。口が滑る。なんというかこの人……やたらと顔を見て話してくるせいで緊張してしまう。しかも俺より身長高いし。……くそう。
「ほう、君はそう考えるのか……面白い子だ。今までそう答えてきた人は見たことがないな」
エリナ先輩はそう言って、「時間を取らせて済まなかったね」と言い残して去っていった。
「……マイペースだな……」
俺は肩を落としてげんなりとしながら呟く。
「わ、悪い人ではないんだよ?」
シエルが困ったようにフォローを入れる。その言葉の詰まり方が……妙に印象に残った。
■
「三班、五班で魔力切れが出た模様です。貴方と貴方はそれぞれ援護に回ってください」
それから数分後、イザベラ先生が生徒を指名して指示を出した。二人ともリボンの色が赤だから三年生だな。
指示された先輩二人は返事をしてから即座に櫓を降り始めた。
「魔力切れ? まだちょっと早くないか?」
その指示を聞いていた俺は首をかしげる。確かに、あれだけ魔法を連発していれば消費してもおかしくはないが……それにしたって早すぎる。この学園に通い、なおかつこうして戦闘に積極的に参加する以上、魔力量はそれなりにあるはずだ。
「初めての戦闘で舞い上がって、必要以上に大規模な魔法を使ってしまっていたのでは?」
俺の疑問にクリスタがそう言った。だが、クリスタも何か不自然だと思っているようだ。
「貴方達の疑問はもっともです。どうにも、全体的に見て消費魔力が多くなってしまっているようです」
そんな俺たちの会話に参加してきたのは、まさかのイザベラ先生だった。
イザベラ先生は自分の手のひらの上で小さな風を発生させる。
「……やっぱり、変換効率が悪くなっていますね。これだと消費魔力は多くなるでしょう」
イザベラ先生は深刻な表情で言ったのち、答えを求めるようにこちらを見てくる。
「ま、『魔力の変換効率が悪くなる』って、まさか……っ!?」
シエルはそれを聞いて何か思いついたようだ。俺とクリスタとルナもほぼ同時に思いつく。
「まさか……マギディストラクション!?」
クリスタが歯噛みしながらそう言った。
マギディストラクション。この前のシエル誘拐事件にて、シエルの抵抗力を奪い、クリスタを戦闘から離脱させた古代遺物だ。魔力の属性変換を阻害し、消費魔力を多くしたり、果ては魔法自体を使えなくさせる恐ろしい魔道具だ。
「はい、恐らくその可能性が高いでしょう」
イザベラ先生はやや緊張した声で肯定する。
「さきほどから、少しずつ、気づかないレベルで……変換効率が時間が経つにつれて悪くなっていっています。このままのペースで進むと……かなり危ないです」
そのこめかみには、つーっ、と汗が一筋垂れていた。
「貴方達は魔力量がかなり多いと担任のマリア先生から聞いていますので、あと少ししたら、この精鋭班がほぼ全員動き出すことになるでしょう。また、これはあくまで憶測ですが……魔物がこの弱いものだけで済むとは思えません。それに――多分これから、変換効率はもっと悪くなります」
イザベラ先生はそう言って、手に持っているリストを覗き込んでブツブツと呟き始めた。多分、リアルタイムで作戦を考えているのだろう。
その時――
ビー、ビー! と、イザベラ先生の腰に下げられている通信機の古代遺物から、サイレンが鳴りだした。
「はい、なんですか?」
イザベラ先生は作戦の組み立てを中断して通信機に耳を当てて相手に問いかける。
「――はい、はい……分かりました。はい。……引き続き、そちらで偵察と監視を行い、異常があったら知らせて下さい」
恐らく相手は、教師の中でも偵察が得意な人たち。
『緊急連絡します』
突然、イザベラ先生の声が大きく響き渡った。これは風属性魔法で空気の振動を大きくしているのだろうが――発動までのタイムラグが短すぎだ。相当の技術を持っているぞ。
『ただいま偵察班からの連絡より、この学園に『第一渾沌』の魔物が狂乱状態で大量に押し寄せているとの報が入りました。そのペースは速く、あと数分でここに到着する模様です』
『っ!?』
その緊急連絡で、櫓の上に動揺が走った。
だ、第一渾沌の魔物までもがここに押し寄せているなんて……。……考えてみれば、ホブゴブリンは獣の山にも住んでいるとはいえ、ほとんどいないはずだ。ホブゴブリンの主な生息地は第一渾沌。むしろ、集団の中にホブゴブリンの姿が見受けられた時点でそれを警戒しておくべきだった。
「この集団狂乱状態……範囲が広すぎるぞ……!」
思わず八つ当たり気味につぶやいてしまう。幸い、このあたりにはエフルテ以外に全くと言ってもいいほど人里はないし、エフルテ方面の魔物は動いていない。
『さきほどギルドと騎士団より連絡がありました』
今度は精鋭班に入っているマリア先生の声が響き渡った。緊急時はスイッチが変わるため、普段のような情けなさはない。マリア先生もさっき連絡を取り合っていたが、相手はギルドと騎士団か。
『エフルテ方面にも魔物が押し寄せているそうです。ここよりもはるかに軽度ではありますが、それでもエフルテの防衛のため、騎士団と冒険者は拘束されているそうです。よって、ここに来るのは遅れるでしょう』
淡々と伝えられた内容は、またしても悪いものだった。
「くそっ……どんどん悪い方向に進んでやがる……っ!」
このままだと物量で押し切られるぞ……。変換効率が悪い原因もはっきりしないし、そろそろ前線も限界のはずだ。
「……仕方ありませんね」
イザベラ先生が小さく呟いた。
「クリスタさん、シエルさん、ルナさん、ヨウスケさんは前線に向かってください。第一渾沌の魔物と衝突するタイミングで戦闘に参加するように」
ついに、俺たちに指示が出された。
「場を引っ掻き回して、魔物たちの進行を阻むような動きをしてください。また――これは憶測になりますが、これからもっと恐ろしい脅威が待ち受けている予感がするため、引っ掻き回すにしても魔力は極力温存するように」
『はい』
指示に対して返事をする。
クリスタ、シエル、ルナと、次々櫓を降りていく。
「ところで、イザベラ先生」
「はい、なんですか?」
そして俺は、それに続かず、梯子の手前でイザベラ先生に問いかける。
「先ほどから、憶測とは口で言っていますが……その根拠は?」
そう、さっきから疑問に思っていたのだ。この先生はどちらかと言うと理論派に見える。なのに、今回は憶測に基づいてやけに慎重に動いている。
「……そうですね。指揮官を任されている割には、少々無責任な指示が多いですね」
イザベラ先生は、少し黙考したのちにそう答えた。
「貴方が疑問に思うのも無理はありません。それに、憶測にもこれといった根拠もないです」
イザベラ先生は、そんな衝撃的な事を淡々と口にする。
「ただ、強いて言うなれば――――」
少しの間を挟んで、先生は口を開く。そして、かけているメガネをゆっくりとはずして――
「――女の勘、ですね」
――自信に満ち溢れた、優しい笑顔を浮かべた。




