表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星嶺高校の氷凪くんは、たぶん恋を知らない。~恋愛偏差値0のアオが、学年1位の美少女とギャルを救い救われる話~  作者: にめ
2学期:文化祭

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
80/80

第51話 届かない距離(2)

第51話 届かない距離






 残された青は、しばらく動けなかった。


 扉の向こうから、如月先生が「氷凪、入っていいわよ」と呼ぶ声がしたが、すぐには足が前に出なかった。


 今、自分は何を言われたのか。


 いや、言葉の意味はもう理解している。

 理解しているのに、感情が追いついていない。


 付き纏うな。

 金輪際、凛花に近づくな。

 その要約が頭の中で冷たく反響する。


 青はようやく教室に入り、如月先生の前の席に座った。先生は一瞬だけ青の顔を見て、何かを察したように視線を細めたが、何も聞かなかった。


「模試の結果は悪くないわね」

「はい」

「このままなら東都も十分射程圏内。けれど油断はしないこと」

「わかっています」


 会話は淡々と進む。

 志望校。出願。今後の学習計画。どれも大事な話のはずなのに、青の耳にはどこか遠く聞こえた。


 それでも返事はできる。

 思考は止まっていない。

 ただ、胸の奥だけが異様に冷たかった。


 面談を終えて廊下に出ると、もう夕方の光は薄くなり始めていた。

 校舎の窓ガラスに、灰色の空が映っている。


 青は一人で廊下を歩いた。


 足音だけが静かに響く。


 理屈で考えれば、雪城の母親の言いたいことはわからなくもなかった。

 受験期だ。余計な感情で揺れるべきではない。

 雪城家ほどの家なら、娘に求めるものも高いのだろう。

 学年一位の生徒会長。進路も、将来も、本人だけのものではないのかもしれない。


 自分は、凛花の邪魔なのか。


 その考えが浮かび、青はそれを否定できなかった。


 文化祭のあと、凛花は交際を断った。

 それも結局、こういうことだったのではないか。

 本人の理性だけでなく、その背後にはもっと大きな何かがあったのかもしれない。


 もしそうなら、自分が近くにいること自体が、凛花を苦しめることになる。


 陽葵のことを思う。


 病室で笑っている妹の顔。

 限られた時間の中でも、前を向こうとするその強さ。

 守りたいと思う存在が苦しむなら、自分はどうするべきか。


 答えは簡単だった。

 少なくとも、余計な負担にはなりたくない。


 青は立ち止まり、窓の外の夕暮れを見た。

 空はひどく冷たく、遠かった。


 次の日から、青と凛花の会話は目に見えて減った。


 もともと教室でべったり話す関係ではない。

 生徒会や学級委員の仕事で言葉を交わすことが多かっただけだ。

 だから周囲の多くは、最初すぐには気づかなかった。


 けれど、少し注意して見ればわかる。


 青は凛花を必要以上に見なくなった。

 凛花も青に話しかける時は、用件だけを短く告げる。


「この書類、あとで生徒会室に」

「わかった」

「……それだけよ」

「ああ」


 それだけ。


 文化祭前なら、そのあとにもう一言二言、自然な会話があった。

 今はない。


 まるで、糸を一本ずつ丁寧に切っていくような距離の取り方だった。


 結愛は、その異変に最初に気づいた一人だった。


 昼休み、教室でパンを食べながら、彼女は何度も二人の様子を目で追っていた。


 凛花は以前よりも笑わない。

 いや、もともと表情の豊かなタイプではないが、それでも最近は明らかに楽しそうではない。授業中もどこか上の空で、頬杖をつく回数が少し増えた気がする。


 青は青で、何事もない顔をしているくせに、時々ひどく無機質になる瞬間がある。話しかければ返事はする。だが、ふっと目の奥の温度が消えるようなときがあった。


 結愛はもう我慢できなかった。


 放課後前の休み時間、青が席で参考書を閉じたタイミングを見計らって、結愛は机の横に立った。


「青」

「何だ」

「凛花となにかあった?」


 青の指先が、ほんのわずかに止まった。


「……いや、なにも」

「絶対うそ」

「うそじゃない」

「だって、ぜんぜん会話してないじゃん。なんか最初に戻ったみたい」

「互いに受験勉強で忙しいんだ」

「それにしてもさー」


 結愛はちらっと前方の凛花を見る。

 凛花は窓の外を見ていた。何も考えていないような顔で、でも実際はたくさん考えているとわかる横顔。


「凛花ちゃんも、最近ぜんぜん学校楽しそうじゃないし。なんかあったでしょ」

「……気のせいだ」

「青」


 結愛は名前を呼んだ。

 普段の明るさを少しだけ落とした、まっすぐな声で。


「私、そんなに鈍くないよ」

「……そうか」

「そうだよ」


 青はそこで何か言いかけて、結局黙った。

 説明できないわけではない。

 ただ、説明してしまえば、それは凛花の家庭の事情を勝手に明かすことになる気がした。自分が傷ついたことよりも、そちらの方が躊躇われる。


 それに何より、一度「わかりました」と答えてしまった以上、自分からその約束を軽く破るのは違うと思った。


「悪い」

「……謝るってことは、なにかあるんじゃん」

「言えないだけだ」

「どうして」

「そういうこともある」


 青はそれだけ言うと、再び参考書を開いた。

 会話を終わらせるための態度だと、結愛にもわかった。


 けれど、その横顔は少しだけ苦しそうで、だからこそそれ以上は追えなかった。


「……わかった」


 結愛はそう言って引いたが、もちろん納得などしていない。


 その日の生徒会室でも、凛花はどこかおかしかった。


 資料の確認中、珍しくページを一枚飛ばし、青に指摘される。


「凛花、そこ」

「……え」

「一枚抜けてる」

「あ……ごめんなさい」


 言ったあと、自分で驚いたように凛花は目を伏せた。

 青も一瞬だけ顔を上げた。

 教室では「雪城」でも、生徒会では自然に「凛花」と呼んでしまっていたのだと、今さら気づいたようだった。


 短い沈黙が落ちる。


「……失礼した」

「ううん。大丈夫」


 それきり、二人はまた黙った。


 凛花は指先で書類の端をなぞりながら、唇をきゅっと結んでいた。

 母親にあんなことを言わせてしまったのは、自分のせいだと思っていた。

 本当はあの場で止めたかった。

 青に何も言わせず、ただ傷つけるだけのあの言葉を、取り消したかった。


 けれどできなかった。

 母に逆らえなかった。

 その弱さが何より悔しかった。


 そして青は、約束を守るように距離を取っている。

 それが優しさだとわかるからこそ、余計に苦しい。


 凛花はうつむいたまま、小さく息をついた。

 視界がぼやけそうになり、慌てて瞬きをする。


 泣く資格なんてない。

 そう思った。


 放課後。


 結愛は真凛と一緒に校舎を出ていた。

 夕方の空気は朝よりさらに冷たく、吐く息がうっすら白い。二人は並んで歩きながら、最初は他愛ない話をしていた。


「ていうか次の英語の小テストやばくない?」

「やばい。今回ちょっと無理」

「珍しく弱気じゃん」

「だって単語多すぎるし」

「それなー」


 そんなやり取りをしていた真凛が、校門を出たあたりで急に口をつぐんだ。


「……結愛」

「ん?」

「ちょっと、言おうか迷ってたことあるんだけど」

「なに」

「青のことなんだけどさ」


 結愛は足を緩める。

 真凛は少しだけ言いづらそうに視線を逸らした。


「私、見ちゃったんだよね」

「なにを?」

「三者面談の日。廊下で、青が……凛花ちゃんのお母さんに、なんか言われてるの」

「え?」


 結愛が立ち止まる。


「怒られてる、っていうか……うまく言えないけど、なんかすごい空気だった。たまたまトイレ行くとき見えただけで、近くまでは行ってないから内容までは聞こえなかったんだけど」

「……凛花ちゃんのお母さん?」

「うん。すごい綺麗な人だったから覚えてる。でもめちゃくちゃ怖かった」


 その瞬間、結愛の中でいくつもの違和感が一気に繋がった。


 模試。

 三者面談。

 その直後から減った会話。

 青の不自然な沈黙。

 凛花の曇った表情。


 全部、そこに繋がる。


「……そっか」


 結愛の声が低くなる。

 真凛が不安そうに覗き込んだ。


「結愛?」

「ありがとう、真凛。教えてくれて」

「う、うん。なんか関係ある?」

「ある。たぶん、すごく」


 結愛はぎゅっと手を握った。


 怒りが湧いていた。

 単純に、理不尽だと思った。

 青はきっと、自分からは何も言わない。

 凛花だって言えない。

 だから二人とも、苦しいまま黙って距離を取っている。


 そんなの、ずるい。


 大人の事情とか、家の都合とか、受験とか。

 大事なのはわかる。

 わかるけれど、それで本人たちの気持ちを踏みにじっていい理由にはならない。


「結愛、顔こわいよ」

「……そう?」

「うん。かなり」

「そっか」


 結愛は一度だけ深く息を吐いて、空を見上げた。

 夕暮れの空は薄い群青色に変わり始めている。どこまでも高くて冷たい。


 文化祭のあと、自分は一度身を引いた。

 凛花と青の想いが通じていると知って、それでも背中を押した。

 でも今は違う。


 凛花は家に止められている。

 青はそれを一人で抱え込んでいる。

 そして二人とも、傷ついている。


 だったら。


 結愛の中で、静かに何かが燃え上がった。


「青は、きっと何も言わない」

「え?」

「凛花ちゃんも、たぶん言えない」

「……うん」

「だったら、私が動くしかないじゃん」


 真凛が目を丸くする。


「え、結愛、なにするつもり?」

「まだわかんない。でも、このままはやだ」

「結愛……」

「だってさ」


 結愛は苦く笑った。


「好きなのに、勝手に遠ざけられて、はいそうですか、って終わるの、むかつくもん」

「……うん」

「青、そういうの全部一人で飲み込むから」

「それは、なんかわかる」

「凛花ちゃんも、たぶん自分だけで耐えようとするし」


 それが想像できてしまうのが、余計につらかった。

 青の優しさも、凛花の不器用さも知っているからこそ、放っておけない。


 結愛は俯き、もう一度手を握り直した。


 泣きたくなるのは、自分が関係ない立場じゃないからだ。

 青のことが好きだ。

 今も、ちゃんと好きだ。

 だから本当なら、凛花のために動くなんて少しおかしいのかもしれない。


 それでも。


 あんなふうに苦しそうな二人を見て、自分の恋心だけを優先するほど器用ではいられなかった。


「……最低だなあ、私」


 ぽつりと零した言葉に、真凛が首を傾げる。


「何が?」

「だって、青のこと好きなのに、凛花ちゃんのことも放っておけない」

「それ、最低じゃなくて結愛だからでしょ」

「なにそれ」

「そのまんまの意味」


 真凛はそう言って笑った。

 軽い言い方だったけれど、その一言が不思議と胸に染みた。


 結愛も少しだけ笑う。


「ありがと」

「どーいたしまして。で、どうするの?」

「……まずは、ちゃんと確かめる」

「誰に?」

「たぶん、凛花ちゃんに」


 そう言ってから、結愛は前を向いた。


 冷たい風が頬を撫でていく。

 冬が、少しずつ近づいている。


 文化祭の熱はもうない。

 日常は戻った。

 受験は目前に迫っている。


 それでも、消えないものがある。


 傷ついたまま黙る優しさも。

 言えないまま抱える恋も。

 守りたいと思う気持ちも。


 それら全部が、この季節の冷たさの中で、かえって鮮やかになっていく気がした。


 結愛は歩き出した。

 その隣で真凛もついてくる。


 校門の向こうに伸びる帰り道は、夕暮れの色に染まっていた。


 青はきっと、何も言わない。

 凛花もきっと、何も言えない。


 だったら――。


 このまま終わらせない。


 そう胸の中で強く言い切ったとき、結愛の目にはもう迷いは残っていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ