第8話 雑魚に構うほど暇じゃないです
昼食を摂っていたリーゼロッテを待ち受けていたのは、決闘の申込みだった。
「……私と、貴方がですか?」
「嫌だなんて言わないだろ? なんたってナーハ・アームング大騎士を負かし、いずれ自身が女性初の大騎士になるとまで言われているリゼ・ノエレ様だ」
小馬鹿にしたように言ってのけた彼はエルマー・アショフと名乗った。リーゼロッテが王国で学んだ知識とこの二年間に得た情報とを総動員すると、その家には聞き覚えがあった。帝国の分類でいえば現在は三級に分類される魔術血統を持つ伯爵家だ。
「……嫌ですが」
「嫌だって?」
苦い顔をすると、エルマーは大袈裟なまでに手を広げて驚いてみせた。そのせいで周囲の人々の目が一斉に2人に向けられる。
「なぜ? やはり噂のとおり、ナーハ・アームング大騎士との勝負には裏があったのかい?」
エルマーが持ち掛けてきた決闘の内容は至極単純だ。互いに訓練用の槍を用い、三本先取で勝負を決め、敗北したほうが1週間分の食事当番を引き受ける。少年同士のやりそうな遊びで、実際にこの手の勝負をしている騎士は多いらしい。
「安い挑発には乗りません。貴方と決闘をすることに意味が見いだせないと言っているのです」
が、リーゼロッテも、さすがに自分が“空気の読めない”行動で注目の的となっていることは分かっていた。エルマーは文字通り声が大きいし、そんな騎士と決闘して余計目立つのは御免だった。
「決闘は訓練の一環になりますし、それ自体を否定するつもりはありませんが、私を選ぶ理由はないでしょう」
「新人の君に訓練の場を与えてあげようというのだが。その厚意を無下にするのかい」
「間に合っております。叙された直後は何かと忙しいので、貴方に構う暇はないのです。決闘など名ばかりの子供の遊びに付き合うつもりはありませんから、他を当たってください」
「子供の遊びだと……」
午後のうちに読んでおきたい資料もあったせいでつい乱暴にあしらうと、エルマーは唇を戦慄かせて苛立ちを露わにした。しかし、見れば分かる――エルマーはリーゼロッテより遥かに格下なのだ。
(というか、天下の帝国騎士だというのに、ピンキリが過ぎる……)
リーゼロッテが知る限り、階級付はともかく、平騎士はその実力の差が激しすぎる。例えばギルベルトはなぜ平騎士なのか疑問だし、シュトルツは実力を隠せるほどの実力者だ。対してこのエルマーは見てのとおりの雑魚だ。
どうせならギルベルトかシュトルツと打ち合いでもしたい。自分より弱い相手と勝負をしたって時間の無駄だし、食事当番をするほうがよっぽど有意義だ。そう判断したリーゼロッテは、例によってパンに肉と野菜を挟んで丸かじりし、最後の一口を押し込んで立ち上がる。
「それ以外に話がないのでしたら、私はこれで」
ほとんど無視された状態のエルマーに、先日厩舎掃除を押し付けてきた女騎士が何か話しかけている――それを視界に映しながら、気付かないふりをして食堂を出た。
そこでばったり、ギルベルトに出くわした。珍しくその隣にシュトルツはいなかった。
「こんにちは、ギルベルト様。おひとりですか?」
「四六時中シュトルツと一緒にいるわけじゃない。……何かあったのか?」
夕暮れ色の視線が食堂へ動く。そこからはエルマーの大きな声が聞こえていた。リーゼロッテが決闘を断ったことについて、闘技大会は八百長であっただの弱腰の女だの悪口を言っているようだ。
「はい。さきほどエルマー殿から決闘を申し込まれて断りましたのでそのせいでしょう」
「断ったのか」
「エルマー殿の実力は私より下ですから。互いに損しかございません。……なにか変なことを言いましたでしょうか?」
「いや、別に」
訝しむリーゼロッテを前に、ギルベルトは口元を手で隠す。その口角が少し上がっているように見えたのは気のせい……ではない。ギルベルトは“氷の彫像”などと呼ばれているらしいが、人の噂がいかにあてにならないかは王城にいればよく分かる。歓迎会の晩、肩を震わせて笑っていたことも考えれば、きっと彼は照れ屋な笑い上戸なのだろう。
ということは、存外気さくな方でもあるのでは? ハッとリーゼロッテは思い立つ。
「そうだギルベルト様、いまお時間はございますか?」
「何か用か」
「せっかくですので、私と決闘いたしましょう!」
できるだけ明るい顔をしたつもりだったのだが、ギルベルトには珍獣でも見るような顔をされてしまった。
「あ、もちろん邪な心などございません! ギルベルト様の実力をぜひ体感したいと常々――いえこれは邪な心ですね、失礼しました。あ、でも通常の決闘と同じで構わないのです、私が負けましたら食事当番から厩舎の掃除当番まで引き受けます。寮部屋の掃除……もギルベルト様さえよろしければ代わりにいたしましょう」
これでもかと思いつく限りの対価を挙げても、ギルベルトはしばらく表情を変えなかった。やはり駄目だろうか、とリーゼロッテは眉を八の字にしたが……、ややあって「まあ、そうだな」と頷かれる。
「よろしいのですか?」
「俺も君に興味がないとは言わない。シュトルツも入れあげているしな」
「確かに女騎士の数は少ないですものね」
「俺が勝っても食事当番等は代わらなくていい。ただし手加減はなしだ」
無視されてしまったが、おそらくギルベルトはせっかちなのだろう。ふむ、とリーゼロッテは一人頷いた。
そうして2人で訓練場に向かうと、他の訓練兵達がどよめいた。いかんせん、ギルベルトはこのフェーニクス帝国の皇位継承者で、そもそも皆が気を遣ってばかりだというのはもちろん、本人もシュトルツ以外とはろくに話そうとしないことで有名だ。そしてリーゼロッテは、闘技大会に不意に現れ不意に優勝を決めたことから「あの見た目でありながらナーハ・アームング大騎士を籠絡した」と不本意な噂が流れていた。もちろん本人は知る由もないが。
「使用するのは訓練用剣でいいな。槍のほうがいいか」
「いえ、剣で構いません。私達は騎士ですし」
「ではそうしよう。一本先取でいいな、魔法はなしだ」
「はい。よろしくお願いします」
すう、とリーゼロッテが息を吸って構える頃、いつの間にか訓練場にいた兵が審判に立っていた。
その手が上がり、リーゼロッテが先に間合いを詰めた。それは騎士の中で比較的小柄なリーゼロッテの強みだった。
ギルベルトは顔色ひとつ変えず、まるで埃でも払うように剣を振るう。ガァンッ、と重たい鉄の音が響き渡り、リーゼロッテは後ろに下がった。
(お、もい……さすが軍事大国の皇子……)
ビリビリと走るしびれに驚いてしまった。自分の魔術血統は男女の筋力差を相殺して余りあるはずで、お忍び従軍中も二年間の流浪の旅中も、女であることを不利に感じたことなどなかった。
しかし、ギルベルトは違う。同じ訓練用剣を使い、しかも片手で軽々と振っているのに、それだけで剣が払い飛ばされそうだ。
このギルベルトを上回るものがあるとすれば、体の小ささのみ。そう即断したリーゼロッテはすぐに腰を低くしたが、間髪いれず剣が繰り出され、上体を仰け反らせる。
「くっ――……」
その剣を下から弾くと、温度のないギルベルトの目が少し開いた。その隙に足を払おうとしたが華麗に躱されたどころか――逆に膝下から蹴り上げられて体勢を崩した。
そうなってしまえば、最早反撃することは敵わない。それどころか容赦なく足を払われ、ろくに受け身も取れないよう肩ごと体を押さえつけられた。しかもほぼ同時に首の真横に切っ先が突き刺さる。
勝敗はあっさり決した。リーゼロッテを押さえつけたギルベルトは息一つ乱していない。しかも、リーゼロッテの真横に振り下ろされた剣は、散切りの髪一本傷つけていない――恐ろしい腕だ。
「重心移動が分かりやすいな。次の手がバレバレだ」
長い睫毛を上下させながら、ギルベルトが剣を抜く。
「剣筋が素直過ぎる、魔法もあわせて使えばまた話は変わってくるかもしないが、頭の悪い連中にしか通用しない。他に通用するとしたら賊くらいだな、力で押せる」
まさしく、この二年間でリーゼロッテが剣を振るう相手は、魔獣でなければ盗賊がほとんどだった。盗賊のほとんどは元平民、つまり大抵は魔術血統がないし、あっても使い方を分かっていない。魔術血統がある者がない者と相対するとは、それは赤子の手を捻るようなもの、よってリーゼロッテは多少の不利もものともせずに力で跳ね返すことができた。
もちろん、ケヴィンの剣の師に習い、従軍し、この二年で研鑽を積んだこと、それに加えて圧倒的な魔術血統があるお陰でリーゼロッテの剣は相当なものなのだが、ギルベルトという帝国皇子の前では形無し。はあ……とリーゼロッテは反省しながら起き上がる。
「ありがとうございます、ギルベルト様。大変勉強になりました」
「いや……」
が、ギルベルトはただただリーゼロッテに対する不信感を募らせた。
帝国皇子としてクラフト家の血を引くギルベルトは、帝国どころか大陸でも指折りの魔術血統の持ち主。もちろん血統だけで強さが決まるわけではないが、そうでなければ単純な物理力か剣の腕等々それ以外の技術が魔力の差を補って余りある必要がある。
では、この少女はどうか? 団服から砂埃を払う姿をじろじろと眺める。もちろん“手加減はなし”と言いつつ相手が少女だと思い手加減はした、しかし剣を弾かれるほど手を抜いたわけではない……。
「……お前、ラストネームをなんと言った?」
「ノエレです」
「……出身国は?」
「シメーレ国です」
ギルベルトから向けられる不審な目に、リーゼロッテは内心冷や汗を流した。グライフ王国公爵令嬢にして元王子の婚約者と知られてもすぐには困ることはないだろうが、少なからずやりにくくなるのは間違いない。特に、グライフ王国を獲ろうなどと言い出した日には二重スパイと疑われかねない。
「あ、あの、そうだ、私が敗けましたので食事当番や掃除当番は代わりますよ! こう見えて私食事作りは得意ですから! ……掃除は苦手ですけど」
慌てて拳を握りしめて張り切ってみせたが「それは構わないと最初に言った」とクールに素っ気なく断られてしまった。
剣を納めたギルベルトは顎を指で挟んで考え込む。帝国皇子として魔術血統のある家は把握しているが、ノエレ家なんてものはない。しかし、シメーレ国は半分未開の地、自分が知らない家の可能性はあるし……妾腹で血統あるラストネームを名乗ることを許されていない可能性もある。
「しかしそうなると私だけ得してしまったような……」
「構わないと言っている。代わりにまた手合わせはしてもらおう」
「いいんですか?」
ところどころ雑な剣筋があるが、基本の型は消えるものではない。手合わせしているうちに素性は分かりそうなものだ、ギルベルトはそう判断し、リーゼロッテは思いがけない寛容な態度に感激した。
「ギルベルト様っていつも無表情ですけれど、意外とお心が広いんですね!」
その余計な形容のついた誉め言葉にギルベルトは頬をひきつらせたし、観客は冷や汗をかいたが、例によってリーゼロッテが気付くはずもなかった。
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