第7話 この野望は秘密です
「……シュトルツ様! どうされましたか、騎馬の演習ですか?」
一方シュトルツといえば、気配を隠して近付いたつもりだったので面食らってしまった。やはり、ナーハ・アームング大騎士を打ち負かしたのは偶然ではないようだ。
ただ、それを顔に出すほど未熟ではない。「こんにちは、リゼ」といつもどおりの微笑みを浮かべた。
「歓迎会では余計なことをしてしまってごめんねと謝りたくて。ギルからもうるさく言われたし……」
「え? 何のことでしょう?」
リーゼロッテは薄汚い団服を投げつけられたことを嫌がらせだと思っていないし、現状も意にも介していない。謝罪のやり場を失ったシュトルツは「ああー……」とらしくない間抜けな声を出してしまった。
「いや……それならいいんだけれど」
「それより“ギル”ってギルベルト様ですか? 仲が良ろしいんですね」
「まあ同盟国同士だし、同じ十三隊だしね。それに一応血の繋がりもあるし」
「そういえば、帝国皇帝がアインホルン王国王女を娶った歴史がありましたね」
まさしくフェーニクス帝国とアインホルン王国が平和的な同盟を締結して久しい理由だ。当時以来、帝国皇家と王国王家の血が交わったことはないはずだが、血統重視のこの大陸では充分尊重するに値する歴史的事実だ。
リーゼロッテは何気なく頷いたのだが、シュトルツは少し考えこんでしまった。もちろん皇家と王家では有名な話なのだが、そうはいっても昔話だし、特に平民が知っていることではないはずだが……。
「……まあ、そうだね。だから俺とギルも従兄弟のような関係なんだ」
「そうなのですね。私には兄弟がおりませんでしたから、羨ましいです」
やっぱりな――。シュトルツは一人で納得しながら「それより、これはどうしたの?」とリーゼロッテ以外に誰もいない厩舎を見渡す。
「厩舎の掃除は当番制のはずだけど、他の連中は?」
「これはですね、おそらく嫌がらせです」
「……台詞と表情が一致してないね?」
相変わらず張り切ってそう口にしたリーゼロッテに、さすがのシュトルツも怪訝な顔をせざるを得なかった。
「何事も経験と言うでしょう? 私、嫌がらせを受けるのは初めてですので、これが自分にどんな知見を与えてくれるかと楽しみにしているのです。それを措くとしても、厩舎の掃除は馬との信頼関係を築くいい機会ですから……」
そう口にした後で、ハッとリーゼロッテは気が付いた。つい嫌がらせだと断じてしまったが……。
「……もしかして新入りの私ができるだけ早く馬と仲良くできるように配慮してくれた……?」
絶対違う。シュトルツは内心でそう断じたが、面白いもの見たさで黙っておくことにした。
「リゼ、君、変わってるねってよく言われなかった?」
「世間知らずの愚か者とはよく言われました。ただいま世間を学んでおります」
「ははっ、世間か」
リーゼロッテは大真面目だったのだが、シュトルツは声を上げて笑い、そのまま腕まくりをした。
「何をなさっているのですか?」
「何って、手伝おう。一人でやっていては終わるものも終わらない」
「いえ、これは私が任されたことですし、どうぞお気になさらず。特にシュトルツ様は帝国騎士としての先輩に当たりますし」
「それを言うならおおもとの原因は俺だからね。それに、見たところ年齢は変わらないんじゃない? 俺は十七歳だけれど」
「あら、それでは同い年です」
「だろう? 遠慮しないでいいし、敬語も遣わないでいいよ」
喋りながらシュトルツは既に厩舎の掃除に取り掛かってしまい、リーゼロッテは止めるタイミングを見失った。闘技大会のときといい、シュトルツには何かと面倒を見てもらってばっかりのような気がするが、既に始めてもらったものは仕方がない。また何か別の形で恩を変えそう、と自分を納得させる。実際、新人として他にも仕事を与えられていたので、丸一日かけて厩舎掃除をしているわけにはいかなかった。
「……巻き込んでしまって申し訳ありませんが、助かります。ありがとうございます、シュトルツ様」
「だから原因は俺だからね。敬語も、様なんて仰々しい呼び方もしなくていい」
「敬語は癖なのですが……ではお名前はルッツーと呼んでも」
「距離の詰め方とネーミングセンスおかしいね? 分かった、シュトルツと呼んでくれ」
はて、とリーゼロッテは小首を傾げてしまった。可愛いと思ったのだが、ルッツー。
「それでリゼ、騎士団寮に入ったんだってね。生活には慣れた?」
「はい、だいぶ。任務が始まるとそうは言っていられないでしょうけれど、今はまだありませんから。そういえば、十三部隊の部隊長はどんな方なんでしょう?」
「ヴォルフガング隊長ねえ……」
名前だけはリーゼロッテも聞いていた。ヴォルフガング・ツヴェルフ・ゲヘンクテ部隊長、若干二十五歳といえば聞こえはいいが、要はお荷物の第十三部隊を押し付けられている人だ。
「悪い人では全くない。でもリゼにはいささか気難しい人かもしれないね」
「どうしてですか?」
「女嫌いだと有名だ。性愛の対象は女性らしいけれどね、見ていると腹立たしい気持ちになるのだと。複雑だよね」
それは確かに、リーゼロッテにとっては気難しいかもしれない。同時に、現在の第十三部隊に女性がいない理由が判明した。ついでに、ナーハ・アームング大騎士への胡麻すりはあの場で首を刎ねられなかった以上の効果を持たなかったのだと。
しかし、実に十年間ケヴィンから罵倒を受けてきたリーゼロッテにとって、見ていると腹立たしくなるという言いがかりじみた趣向など大した問題ではない。
「それでは連携は少し苦労するかもしれませんね。公私混同されない方だといいんですが」
そんなリーゼロッテを、シュトルツはやはり面白そうに眺めていたが、リーゼロッテは掃除に夢中で気が付かなかった。
「……リゼはどうして帝国騎士に?」
「どうして?」
ややあってシュトルツが訊ねたときも、リーゼロッテは純粋に女騎士の割合が少ないから気にされている程度にしか考えなかった。
「……私、世間知らずとよく言われていたと申しましたでしょう?」
「そうだね」
「だから、各地をこの目で見て回ることにしたのです。そうして実際に見て回って気付いたのですが、やはりそれなりに身分と素性を担保してくれるものがないと受け入れてもらえない場所が多いなと」
かつての自分は、歩くだけで恭しく頭を下げられるばかりだった。誰もがリーゼロッテの家柄を、血筋を、容姿を、中身を褒めたたえた。あなたは誰ですかと訊ねたくなるような人まで、まるで旧知の間柄かのように誉めそやす。ケヴィンを除けば、賛美以外が“王子の婚約者”リーゼロッテに与えられることはなかった。それが、リーゼロッテにとってはいささか不満だった。
しかし、二年間の流浪の旅の間、まるで乞食のようなリーゼロッテを見て嫌な顔をする人はいても、好ましい反応をした人は誰一人としていなかった。ただいるだけで石を投げられたり、後ろから蹴られそうになったりしたことも珍しくなかった。
肩書のない人間はこんなにも不当な扱いを受けるものなのか。そう知ったリーゼロッテは、グライフ王国を出たときの決意を新たにした。
「だから帝国騎士になることにしたのです。優遇されたいというわけではありませんが、まずは自身の言葉を正当に受け入れてもらえる肩書が必要ですから。また、男女の区別なく騎士になることができるのは帝国だけですからね」
「……その正当に受け容れてもらいたい言葉というのは?」
シュトルツが興味津々に訊ねるのに対し、リーゼロッテはにっこりと微笑んだ。
「それは――」
グライフ王国を獲ること。王国を出る際、リーゼロッテはそう決意した。
ケヴィンは王の器ではない。十二年間ケヴィンを見ていたリーゼロッテは、その事実に気が付いてしまった。
大言壮語、舌先三寸そして傲岸不遜――浮かんでくる言葉はどれもこれも暗愚の王に相応しく、呆れることさえできなかった。こんなケヴィンが王となった日には、我がグライフ王国は沈むほかない。
しかし、王位継承順位は生まれた順。ケヴィンが筆頭継承者であることは変えようのない法にして伝統であった。
であれば、王国そのものを獲ればいい。親亡き公爵令嬢でしかなかったリーゼロッテの考え付いた策はそれだった。
が、それを口に出しては素性が知れてしまう。
「秘密ですよ」
人差し指を唇に当てて微笑んだリーゼロッテが一瞬美少女に見え、シュトルツは我が目を疑った。が、瞬きした瞬間に「あっ名も知らぬお馬さん、大事な団服を食べないでください!」目の前にいるのは間抜けに喚きながら袖を引っ張り、小汚い団服をさらに馬の涎で汚す少女に変わっていた。
本作の短編版を予定しています。本作の予告編のようなイメージです。近日中に公開予定なのでよければご覧ください!




