第6話 ご配慮いただき感謝します
リーゼロッテは、無言で差し出されたバケツとぼろきれにしばし固まった。
「……掃除でしょうか?」
「それ以外ないでしょう? ほら、新入りの役目よ」
押し付けるように渡されたそれを受け取りながら、リーゼロッテはなるほどと頷いた。厩舎の掃除は新入りの役目なのか。
女騎士4人組は「分かったら、早くしなさいよ」と顎で乱暴に厩舎を示す。
「しかし厩舎は部隊ごとに分けられているはずです。全ての厩舎を私が担当するのは不自然不合理に思いますが、これが“新入り”の役目だというのはどなたの指示なのでしょう。特に“新入り”は私だけではないはずですし――」
「うるさいわね! いいからやれって言ってんのよ!」
他の掃除道具を叩きつけながら怒鳴る、その女騎士は歓迎会でリーゼロッテに団服を投げつけた者だ。名前は「フロレンティーナ」というらしい、誰かがそう呼んでいた。
彼女の長い金髪はピチリと後頭部で結ばれ、ストンと腰の下まで落ちている。ふんわりとくせ毛交じりのリーゼロッテには羨ましいストレートの美髪で、気の強そうな険のある美人顔によく似合っていた。
そのフロレンティーナは、リーゼロッテの頭のてっぺんからつま先までを見て鼻を鳴らし、愉快そうにその唇を歪めた。
「歓迎会では虚勢を張っていたようだけれど、そのみすぼらしい恰好、大変お似合いよ。貴女のくすんだ髪には薄汚れた色がぴったりだわ」
散切りの薄い青の髪に、色褪せて灰色に近い団服。フロレンティーナから繰り出された罵倒と、それを盛り上げるクスクスという笑い声。リーゼロッテはハッと息を呑む。
「それは……トータルコーディネートというものですね!」
「は?」
「私、美的センスにはとんと縁がなく、既存の組み合わせを機械的に覚えるしか能がないのです。言われてみれば私の髪の色は黒色に負けてしまいます、だからあえて少しくすんだ色を合わせてくださったのですね!」
唖然とするフロレンティーナらに構わず、リーゼロッテは自分の団服をドレスのように摘まんで確認する。女性用の騎士団服は上着の丈が長く、膝上に届くくらいあるのだが、リーゼロッテの場合は足首まであった。
「そして体より少し大きなサイズ、これは私が十三部隊に配属されたことに対する配慮なのでしょう? 十三部隊には女騎士がいないそうですし、男性の中にいて体のラインを強調する団服は不適切ですものね!」
ベルトを締めてなおダボッ……と緩い団服は体のラインを隠す通りこしてリーゼロッテをチビデブに仕立て上げていた。女騎士といえばそのほとんどは男の騎士を絶好の婿がねと狙うので、団服を見栄えよく改造する者さえいるのだが、リーゼロッテはそんなことは知らない。帝国騎士といえば大陸の秩序と安寧を守る騎士の筆頭だと思っている。
「ありがとうございます、先輩方。お陰様で十三部隊でもうまくやれそうです」
リーゼロッテは、つい長年の癖で上着の裾をドレスのように摘まんで膝を折り、お辞儀をしてしまった。予想外の反応にフロレンティーナ達はポカンと立ち尽くしてしまったし、なんなら、まるで極上のドレスで優美なカーテシーを見てしまったかのような錯覚をし、目を擦らずにはいられなかった。目の前にいるのはただのチビデブで空気を読めない新入りのはずだが、まるで高貴な令嬢を前にしているかのよう……。
「ところで話は戻りますが、厩舎掃除を私一人でというのはどなたの指示――」
「ッだから、黙ってやれって言ってんでしょ!」
リーゼロッテの声で我に返り、フロレンティーナは掃除道具を蹴っ飛ばして踵を返すしかなかった。残る3人も、あまり効果のなかった嫌味にバツの悪そうな顔をしながらその後を追う。
ろくに説明もしてもらえないまま取り残されたリーゼロッテは、しばらくぽかんと呆気に取られていた。
(仕事の不合理な分担……これはもしかして……噂に聞く嫌がらせ……?)
さすがのリーゼロッテもそれくらい気が付いた。大陸随一を誇る帝国騎士団、その総本山ともいうべき帝都にある騎士団の厩舎だ、一人で掃除をするとなれば一日では足りない。
幼い頃から王子妃と目されていたリーゼロッテは嫌がらせなど受けたことがなかった。特にエレミート公爵は他に追随を許さぬほどの権威の持ち主、リーゼロッテとその座を争おうとする者も、エレミート公逝去後のヘルシェリン侯以外にいなかったのだ。
ゆえに、リーゼロッテは、初めての経験に目を輝かせてしまった。
「本当に掃除の押し付けから始まるんだ……! お前は女社会を知らないってケヴィン様もよく言ってたもんな」
そういうお前も女社会に属したことなんてないだろう、と思っていたのだが、それはそれとしてケヴィンの指摘は正しくはあった。リーゼロッテは今日も素直に自省する。
しかし、押し付けるものが厩舎掃除とは。リーゼロッテは、見渡すほどある広い厩舎に顔を向けた(ちなみにシュトルツに預けたシャインがいないことは確認済みだ)。
戦うために馬との信頼関係は必要不可欠、そしてその信頼関係は一朝一夕にならず。地道に毎日世話をすることが何より大切なのだ。
つまり、自分はすべての馬に対してアドバンテージを有したに等しい。リーゼロッテはフフンと一人で得意な笑みを浮かべる。嫌がらせにしては詰めが甘いものだ。
「帝国騎士になるくらいだし、皆さんいわゆる女社会に慣れてないんだろうな……嫌がらせをしようと頑張っても上手くできない、ウッ、何かが上手くできないその辛さ、分かる……」
斜め上の共感をしながら厩舎の掃除を進めていたリーゼロッテは――人の気配に気付いて振り返った。