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「紅葉が泣くなんてそうそうないこと。何があった」


 普段の無表情さは鳴りを潜め、こちらをにらみつけてくる灰田さん。


 いつもなら壁1つ隔てた部屋でこちらのことなど我関せずと部活にいそしんでいる彼女だが、さすがに幼馴染が泣きながら部屋を出ていったとなるとそうもいかないらしい。

 険しい雰囲気で事情を追求してくる。


 お前が泣かしたんだろうと言わんばかりの態度だけど、これは仕方がないことだろう。

 白石さんが泣いてしまったのは僕の話が原因だとしか思えないし、僕自身も自分のせいだと思っている。

 ただ、僕の話の何が引き金になったかがわからないから、困惑しているのだ。

 僕は、彼女を傷つけるようなことを、何か言ってしまったのだろうか。


「信じてもらえるかわからないけど、白石さんを泣かせるようなことをしたつもりは一切ないんだ。僕の黒歴史というか、ちょっと暗めな過去話をしただけのつもりだったんだけど……」


 そう正直に告げると、灰田さんは責めるような雰囲気を霧散させた。


「紅葉にどんな話をしたの。教えて」


 しかし、追及が止まるというわけではないらしい。

 

「えっと……」

「あなたはきっと嘘をついていない。でも、紅葉が泣いていたのはきっとあなたの話が原因。だからその内容知りたい」

「灰田さんのその気持ちはよくわかるんだけど、今は白石さんのことを探さないと」


 今も白石さんはどこかで泣いているかもしれない。

 ここで話しているより、一刻も早く彼女の元へ駆け付けたかった。


「泣いている理由がわからないのに、紅葉を見つけ出したとしてどうするの。なんで紅葉が泣いてしまったのかを考えてからのほうが適切な対応が取れると思う」

「それは……」


 焦る僕とは対照的に冷静な様子の灰田さん。

 いや、彼女も焦ってはいるんだろうけど、僕と比べると非常に理性的だ。


 後輩のそんな姿を見て、僕も少しだけ冷静さを取り戻した。

 さっきの僕は、白石さんが泣きだした理由も、彼女がごめんなさいとこぼした理由もわからなかったがために、動揺し、固まってしまった。


 勢い任せに白石さんを探して見つけ出したとして、同じ無様を晒さないと言い切れるだろうか。

 それに、無自覚だっただけで、彼女を傷つけるようなことを僕がもし話してしまっていたら?

 もう一度白石さんを泣かせてしまうようなことだけは絶対に避けなくてはいけない。


 ここは灰田さんにも話を聞いてもらって、白石さんが泣いた理由を一緒に考えてもらうべきなのかもしれない。


 正直、僕の昔話は誰にでも聞かせたいものではない。

 白石さんに話したのは、これまでの付き合いで話そうと思えるだけの信頼があったからだ。

 だから灰田さんにこの話をするのは結構な抵抗があるのだけれど、僕の恥ずかしい過去を話すくらいで白石さんの涙を止められる可能性が少しでも上がるのであれば、それを躊躇している場合ではないのだろう。


「あなたが紅葉にした話があまり話したい類のものではないというのはわかる。それを無理に聞き出そうとしていることを申し訳ないとも思う。でも、私にとってはあなたの気持ちよりも、紅葉が泣いている理由の方が大事。あなたから聞いたことは絶対に他言しないと誓う。事態の解決に向けて協力もする。だからどうか、何を話したか教えてほしい」


 真摯な声音で、頭まで下げてくる灰田さん。

 その様子から、白石さんのことを大切に想っていることが伝わってくる。


 灰田さんは初めて会ったときから今この瞬間まで、一貫して僕に関心なんてないのだろう。

 それなのに、白石さんのために頭を下げてまで話を聞かせてほしいと懇願している。


 淡泊そうに見えて、その実結構な幼馴染想いらしい灰田さんの力を借りるべく、僕は白石さんに何を話したのかを話し始めた。


「――って話をしたら、突然白石さんが泣きそうな顔になって。あとは灰田さんも知っての通り、ここから出て行っちゃったわけなんだけど……」

「……ちなみに、紅葉は部屋を飛び出す前何か言ってた?」


 時間としてはそう長くなかったと思う。

 淡々と相槌を打ってくる灰田さんに若干のやりづらさを感じつつも、白石さんが部屋を出ていく前に何があったかを話し終えると、最後にそんなことを尋ねられた。


 思い出すのは、白石さんが涙を零しながら掠れるような声で告げた一言。


「ごめんなさいって言ってたかな……」

「そう……」


 考え込むように俯いてしまう灰田さん。

 少しの時間を置いた後、僕はおずおずと彼女に尋ねた。


「えっと……何かわかったかな……?」

「大体はわかった」

「ま、まじで……?」


 動揺して言葉遣いが乱れてしまった。

 このわずかな時間で、灰田さんは白石さんが泣いてしまった理由にたどりついたらしい。


 灰田さんに話をしたことで頭の中が多少整理されたものの、僕はいまだに白石さんを泣かせてしまった理由に検討がついていない。

 改めて話の内容を振り返ってみても、彼女が泣くようなことは何もないように思えた。


 それを話を聞いただけで大体わかったと言ってしまう灰田さんには、もはやすごいを通り越して恐ろしさすら感じてしまう。

 以前、白石さんが観察力や勘が鋭すぎると評していたのは伊達じゃないみたいだ。


 まあ、そうはいっても灰田さんの推理が当たっているかはわからないか、なんてちょっと失礼なこと考えたところで爆弾発言が投下された。


「まじ。結論から言うと紅葉が悪い」

「……」


 今度は驚きすぎて声すら出なかった。

 

 え、白石さんが悪い?あんなに辛そうな顔で泣いていた白石さんが?僕が悪いの間違いじゃなくて?

 内容だけでも衝撃的なのに、立ち位置的には白石さんの味方だろう灰田さんの口からその発言が出てきたことが、驚きに拍車をかけている。


 思考のキャパがいっぱいいっぱいになってしまった僕は、恥も外聞もなく灰田さんに一体どういうことかと答えをせがんだ。

 すると、灰田さんはわずかに苦々しさがにじんでいた表情を真顔に変え、こんなことを尋ねてきた。


 

「それを話す前に尋ねたい。この部屋で紅葉の勉強を見てきた1か月間、あなたにとってはどうだった?」


 

 この質問には、一体どんな意味があるのだろう。

 それはわからないけれど、灰田さんの雰囲気から誤魔化していい場面じゃないことはわかった。


 だから、僕はありのままに思うことを答えることにした。


「楽しかったよ。すごくすごく楽しかった。さっきも話したけど、僕の中学校生活ってろくでもなかったし、高校生活は高校生活で毎日息が詰まりそうだからさ。気負わずに接することができる白石さんとの時間は、僕にとってかけがえのないものだったよ。ここ最近は、この時間がもうすぐ終わってしまうことが惜しくて仕方なかったくらいに」


 だいぶ恥ずかしいことを言っている気もするけど、まごうことなき僕の本音だ。


 白石さんとの放課後があったから、最近は学校に行きたくないと思うこともなくなった。

 白石さんがメッセージを送ってくれたり連れ出してくれたりしたから、ひたすら勉強ばかりで味気なかった休日が色づいた。

 白石さんと関わり始めてからの時間は、僕にとって本当に大切な時間だった。


 それを聞いた灰田さんは柔らかい表情を浮かべた後、僕の目をじっと見つめてきた。


「……いまから話すことは、あくまで私の推測。さらに言うと、仮にこの推測が当たっていたとしても、本来だったら紅葉の口から直接聞かなきゃいけないこと。第三者が勝手に喋っていい内容じゃない。……でも、あなたには聞く権利があると思うし、伝えた方がいいと思った。これを聞いた後の行動は……あなたに任せる」

「わかった」


 灰田さんの真剣な表情にこちらも居住まいを正す。

 彼女の口から淡々と語られた"推測"は、僕では予想できないものだった。

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