子分
(七)
翌朝、加藤が起きると二人が橋の下で待っていた。
銀髪は新田京子、男は山木剛と、頼みもしないのに自己紹介をした。
「なんでもしますから、子分にしてください」
子分という古臭い言葉を山木が言ったので、加藤はおもわず笑う。
「ホームレスの子分になってどうするつもりだ、帰れ」
「いえ、帰る所なんてありません。お願いします」
「仲間はどうした」
「みんなヤクザに脅されて、グループも解散状態です。使えるだけ、使ったらポイ
ですよ。こいつもソープで稼がなきゃ、実家に火を着けるって言われて」
山木はそう言うと、昨日までの派手な化粧を落として、十七歳の顔に戻った京子
を見た。
「火を着ける……か、お前は本当に着けたけどな」
「申し訳ありませんでした。昨日も助けていただいて.......」
「助けた訳じゃねえ、女、京子か、お前が俺と何か関係が有るようなことを言った
から、やらざるを得なくなったんだろうが」
「ごめんなさい。ああ言わなかったらあなたが助けてくれないと思ったから、つい.
.......ここへ逃げて来たのも、あなたがいると思って.......」
「もう悪さから足を洗って実家に帰るんだな。まだ若いんだ、やり直しはきくぜ。
俺と違ってな」
そう言って自嘲する。
二人とも黙っていた。加藤は敢えて問おうともしなかった。
リヤカーにミチを乗せて今日の稼ぎに行く。
二人も距離を置いてついて来る
「来るな! 帰れ!」
そう怒鳴ってもついて来る。
京子はリヤカーのミチとにらめっこをして笑っている。
とても「タマを潰せ」などと男共を動かした女には見えなかった。
二人は慣れない手つきでダンボールを積んだり、空き缶を袋に詰めたりした。
加藤は、帰れといっても帰らないので、最後の手を出した。
「二人とも手伝ってくれたから、昼飯でも御馳走するか。ついてこい」
そう言うと、十分ばかり歩いて、とある中華食堂に着いた。
ところが店の中には入らず裏に回ると残飯を捨てるためのポリバケツを指して言
う。
「ほれ、好きなだけ食え。ここのは中々いけるぞ」
加藤はそういうとポリバケツのフタを開けた。
夏の熱気に蒸されたポリバケツの中からは、色々な残飯の饐えた、酸っぱい匂い
が漂よう。
呆然と突っ立っている二人を押しのけるように、ミチはバケツに首を突っ込むと、
好物のエビはないかと探しはじめた。
「エビないや。あっ!」
何かを見つけたらしい。
「おねえちゃん!はい」
そう言ってミチは京子にまだ形の残っている餃子を差し出した。
京子は引きつった笑顔を作って恐る恐る受け取ったが、口に運ぼうとはせずに、そ
れをじっと見ている。
「あっ、もうひとつあった。おにいちゃん、これ!」
そう言って今度は山木に渡した。山木も口を付けようとはしない。
「それが食えねえようじゃ、子分もクソもねえな」
二人は無言のまま餃子を見つめている。
京子は覚悟を決めたように口に入れたが、噛もうとはしない。ほっぺたを膨らま
せたまま、目からは大粒の涙がこぼれている。それを見ていた山木は「畜生!」と
叫んで、色々な臭いの染み付いた餃子を怒ったように飲み込んだ。
その日の晩、土屋がやってきた。手には一升瓶をぶらさげている。
土屋に乞われて山木と京子のいきさつを話した。
「それでどうしたのです?」
「泣きながら残飯食ったけど、追い払った。自由気ままにやってきたあいつ等にゃ、
ホームレスは無理だ。俺たちの家業は一見自由気ままに見えるかもしれないが、あ
いつ等の自由とは根本的に違う。あいつらの自由はカタログを見て好きに選べる自
由だ。やがては自滅する自由だ。まあ、俺はとっくに自滅しているがな」
そう言って笑った。
「あいつ等と一緒にいると、こっちまで危なくなる」
土屋は、持って来たスルメを焚き火で炙っている。
焼けたやつを裂いて、ミチに「みっちゃん、ほら」と言って手に持たせた。ミチ
はそれを口に入れたが、まだ歯が幼いのでしゃぶっている。
「あの......みっちゃんはミチっていう名前なんですか?」
「ふん、本当は美知子って言うのさ。美を知る子だ」
「へ〜、いい名前ですね」
土屋は炎に照らされている加藤の横顔を見ている。
もみあげから顎、鼻の下まで一体となった髭と垢じみた皮膚とで、老けては見え
たが、努めてそれらを除いてみると、高い鼻といい、深い眼差しや絞まった口元と
いい(なかなかハンサムじゃないか)と思う。
土屋は加藤を四十代半ばだと踏んでいたが、もっと若いのかもしれないと思った。
「加藤さん、おいくつなんですか」
「さあな、忘れちまった」
「こんなこと聞いていいかどうか分かりませんが.......奥さんはどうされたんですか
?」
加藤はスルメを噛みながら酒をグイッと煽った。
「今日はへんなことばかり聞くじゃねえか」
そう言いながら、加藤の目は集点を合わせぬまま、流れる水面に注がれていた。
(つまらないことを聞いたかな)土屋は悔いたが、いずれ聞こうと思っていたこと
だし、自分がこうして加藤の元に来るようになったのも、元はと言えば加藤という
男を知りたいが為だったのだから仕方ないと諦める。
「土屋、もうここへは来ない方がいいぜ、ヤバくなってきそうな予感がする」
「予感ってどんなですか?」
「さあ、分からん。が、血を見るようなことになるかもしれない」
「血、ですか」
酒は、もう一升瓶の底に少ししか残っていなかった。土屋はそれを加藤と自分の
茶碗に均等に注ぐと、目の高さに持って行き、加藤の目を見て微笑んだ。
加藤も同じ仕草をすると二人で一気にそれを飲み干した。
暑い夜だったが、涼やかな川風が土手を流れて、酒で火照った身体に気持ちが良
い。
ミチは、加藤のほころびたジャケットのなかでスースーと寝息をたてていた。
相変わらず、橋の上を引っ切りなしに車が通っている。その音は、橋下に通奏低
音のように、ぬぐい去ることの出来ない汚れのようにへばりついていた。
(この二人に平安があらんことを)
祈りにもならないような、そんなことを心の中でふと思い、(無神論者の俺が)
と土屋は一人苦笑する。
ふいに土屋の手を加藤が両手で握った。
「俺に何かあったらこいつを頼む」
そう言って、安らかな眠りのなかにいる美知子を見る。
酔っているのかと思ったが、いつもぶっきらぼうな物言いしかしなかった男の目
は、土屋に否定の言葉を選ばせる余裕を与えない、真剣な眼差しをしていた。