動く
(二十三)
加藤は山木に連絡を取った。居酒屋に誘うと三時間ほども一緒にいた。
山木と別れて、夜道を一人で歩く。
(始まったら一気呵成だ。忙しくなるぞ)
数日後、興隆会事務所は警察に踏み込まれた。
興隆会は佐伯組と違い、少年達を使って覚醒剤を捌いていたが、その少年達が一
斉に自首したのだ。
石口は若頭を首謀者として突き出そうとしたが、一緒に警察に引っ張られた。若
頭は組を守ろうと、自分が指図して勝手にやっただことだと言い張って収監され、
その御陰で石口はなんとか帰って来ることが出来た。
(ガキ共はなんで一斉に......)石口は首をひねる。(うちが薬を扱っていることを
知っているのは.....) 。
その日の深夜、加藤は佐伯組の事務所に忍び込んだ。自衛隊で侵入技術も磨いて
いた加藤にとって、その辺の鍵を開けることなど、わけのないことだった。
リンチを受けた時に、加藤の顔を見た組員がいた場合を考えて髭を剃ってきた。
顔の輪郭が変って見えるためか、自分で鏡を見ても別人のようだった。
一人寝ていた夜番が匕首を持って向かって来たが、瞬時に当て身を入れて倒す
と、電話のコードで後ろ手に縛って転がし、その匕首を男の首にあてがった。
「武器はどこだ」
「しらねえ」
声がおびえていた。
首にあてた匕首に力を入れる。
引かなければ切れはしないが、この力で刃を引けば首はパックリと裂けるだろ
う。
「わ、わかった。言う。言うから殺さないでくれ。二階のロッカーの一番右だ」
(なんでも有るじゃねえか)
鉄パイプ、匕首、白鞘の日本刀、拳銃、ライフルそれに多くの弾薬。
驚いたのはロシア製のRPG-7(対戦車擲弾発射筒)があったことだ。下の方にア
ーミーグリーンの金属の箱がある。開けてみると、米軍の使う手榴弾だった。
(戦争でもする気か)加藤は呆た。
これはと思うものを背負って来たザックに詰めると、転がしておいた男のところ
に戻った。
加藤は男の顔の上に足を置くと、力を入れながらグリグリと踏みにじりながら言
った。
「おい、あんまり興隆会をなめるんじゃねえぞ。ゴキブリみてえな、てめえの組な
んかぶっ潰すのはわけねえんだ!」
そう言って男の顔に唾を吐きかけた。
佐伯組を出た足で興隆会の事務所に向かう。
(この深夜に誰かいるだろうか? 折角いい土産を持って行ってやるんだ、いない
でくれよ。いたら使えないからな)
佐伯組から歩いて、おおよそ20分の距離に組事務所はあった。明かりは消えて
いて人の気配はない。事務所前の通りにも人影は途絶えていた。
ザックから手榴弾をひとつ出した。ズシッと手応えがある。
これはアメリカ製のレモンと呼ばれたM26手榴弾だ。
ジャングルクリップと呼ばれる安全装置のあった自衛隊のやつほど安全に出来て
はいない。
ピンを抜いた。入り口ドアの曇りガラスに向かって投げつける。ガシャンという
ガラスの割れた音と同時に走った。誰かに見られてはまずい。通りから路地に走り
込んだところで、ドンッという音がした。
「ええ! 加藤さん..........よね?」
部屋に入って来た夏美は、まじまじと加藤の顔を見、顔に手を伸ばすと、頬を撫
で回した。
「変かな?」
「へ〜、ふ〜ん」
そう言いながらいつまでも撫で回している。
「髭剃ると結構上品な顔してるのね」
「上品.......か」加藤は苦笑する。
「私は髭のあるワイルドな加藤さんが好きだな。でもなんで剃ったの?」
「なんとなく。気分転換ってやつかな」
「でもチクチクしないのがいいかもしれない」
夏美はそう言うと、加藤の頬に自分の頬をすり寄せた。
佐伯組は朝から騒がしかった。
若い組員から、興隆会の者らしき男に襲われ、武器を持ち出されたと聞いた佐伯
組長は首をひねる。
「あれはもともと興隆会から買ったもの、なんでそれを興隆会のやつが........」
佐伯組と興隆会は系列の違うやくざではあったが、佐伯は石口を恐れていた。
「佐伯さん、やくざは頭も大事だが、やっぱり腕力がないとだめですよ。最終的に
はね」
そう言いつつ、馬鹿高いアメリカルートの武器を売りつけられた。
お互い近い距離にあったので、極力争わないですむように気をつかってきた。
佐伯組よりも人数も多く、資金力もあり、尚かつ武闘派で知られた興隆会を敵に
回すのは利口ではないと。
しかし.....石口には有無を言わせない無言の暴力があった。
(確かにやくざには腕力が必用だ。やくざ相手に押し売りが出来るほどの)
佐伯はいつも石口に対して屈辱感を抱えていた。
「興隆会に爆弾が投げ込まれたってよ!」
「えっ! なんだと!」
何がどうなっているのか見当もつかない。
しばらくして警察の装甲車が来ると、佐伯組の前の道路を封鎖してバリケードを
築こうとしていた。組同士の抗争を事前に防ごうということだろう。
川西は迷っていた。指を折られたことは誰にも言っていない。
恥ということもあったが、石口を狙っている奴に名前を教えたということが広ま
ると、自分が危うくなるような気がしていたからだ。しかしこのままだと興隆会と
喧嘩せざるを得なくなるような気がした。そうなれば力の勝負で勝てる見込みは無
い。石口のことはさておき、加藤のことだけでも組長には言っておいたほうがい
い。そう結論を出した。
「組長、ちょっと話があるんですが」
「なんだ?」
佐伯が言った、その時だった。外で車が何かに当たった音と、怒声が交差した。
次の瞬間、タタタタタという乾いた連続音がして、窓という窓がピシピシとミシ
ン目をつけられ砕け落ち、部屋の中のあらゆるものが千切れながら飛び散った。
設置しかけのバリケードを突き破った興隆会の車から発射された2丁のマシンガ
ンの9ミリ弾が事務所の中を暴れ回る。
車が走り去り、静けさを取り戻した佐伯組事務所の中では、銃創を押さえ呻いて
いる者や、机や壁にもたれかかっている者、そして血のプールのなかに倒れている
者がいた。
川西と佐伯組長も静かに横たわっていた。
川西は頭から、佐伯は胸から止めどなく血が流れていた。
「佐伯組組長佐伯一哉、組員川西晃三の二名が即死。銃を発砲した車はそのまま逃
走。現在逃走した車を警察が捜索中、 詳しいことはまだ分かっていません」
加藤はテレビのスイッチを切った。
(こういう具合に転がったか)
佐伯と川西が死ぬとは思っていなかったが、ここまではおおよそ仕組んだ通りに
なった。山木はうまくやってくれた。
(しかし警察のバリケードを突き破ってぶっ放すとは.......)
頭に血が昇ると何をするかわからない、石口という男の性格が垣間見えた気がし
た。
加藤がリンチを受けていた時にチラリと見た、あの爬虫類のような目、武井と高
速の料金所で見た時の、落ち着き払った狡猾そうな態度、そして貯水槽の二人。
その時が近づいてくるのをピリピリと感じた。奴はどこへ行ったのか、どこへ行
くのか。警察がうろうろしているであろう組事務所に帰るはずはない。しかし警察
に捕まってしまってからでは遅い。ここでもタイミングが第一だ。焦るなチャンス
はある。
(美知子を土屋に預けるか、いや、まだ早い。川西が死んだ今、俺のことを知って
いる奴はいない。何事もなかったかのように全てが終わらせられればそれに越した
ことはないのだ)
「加藤さん、何か悩み事でもあるの?」
「うん?」
柔道部の方は土屋に言って休ませてもらっていた。辞めさせてくれと言うつもり
だったが、恩のある男に面と向かって言い出せないでいた。部を休んでいると言っ
てあったが、夏美は火曜と金曜には加藤の家に来ていた。
「そういう風に見えるか?」
「うん。眉間に皺が寄ってる」
そう言って加藤の眉間を人差し指でなぞると、美知子もそれを真似た。
加藤は無理をして笑みをつくった。
(この二人に安らぎを与えられている今の俺。将棋の駒を口一杯に頬張らされて、
ぶん殴られ、鉄臭い血の味を味わった俺。次の俺は一体どっちに......)
翌日の朝、夏美は洗面所で化粧をしていた。
着ているものが昨日と違う。外泊を同僚に知られたくないのだろう。美知子はまだ
目を覚ましていない。そろそろ起こさないと幼稚園のバスに間に合わなくなる。
逃走した車を発見したとテレビニュースでやっていた。
長野の山奥の温泉保養地だという。
(何故そんなところへ?)
加藤は、仲間のヤクザのところにでも隠れるのではないかと思っていた。
山木の言っていたことが頭に浮かぶ。
「興隆会はヤクザの世界の中では一匹狼なんです。一応、谷元組系列ではあるんで
すが、系列のなかでも嫌われているからです。子飼の少年達も薬のバイはやめたい
んですが、連中、打たれちゃってるんですよ」
「打たれてるって?」
「薬をです。普通売るやつが、自分で打っちゃうってのは御法度なんです。自分が
溺れちゃ商売にならないですからねえ。でも石口は足抜け出来ないようにシャブ漬
けにしちゃったんですよ。それで一人でもトンズラしようものなら、全員に、ひど
い拷問を加えるんです」
「殴る蹴るか?」
「そんな生易しいものじゃないんです。爪の間に針を刺したり、車のバッテリーを
外して、片方の電極を片方の耳に挟んで、もう片方の電極を反対側の耳に押し当て
たりするんです。あれを続けられたら、死ぬか気が狂うかのどっちかですよ」
「ひでえな」
「恐怖で縛られているんです。目には見えないけど、太い鎖で括られている象のよ
うなもんです」
(石口の残忍な性格が、組全体を支配しているのだろう。あんな世界ではあって
も、なお、興隆会は厄介者なのだ)
「俺、ちょっと用事が出来て、二三日出かけて来る。美知子を見ていてくれ」
そう夏美に言った。
「どこへいくの?」
夏美は青ざめた顔で言う。もう帰ってこないのではないか、そんな気がしてなら
ない。
「心配するな、必ず戻って来るから」
そう言うと家を出てレンタカーを借り、長野に向かった。山間の小さな温泉街。
街に入ると報道関係車が右往左往していた。
報道人らしき男がいたので、車を止めるとわざと聞いてみる。
「何かあったのですか?」
「知らないんですか、この街に東京で発砲事件を起こした......二人死んでいるんで
すが、そのヤクザ連中が逃げて来てるんですよ」
「怖いですねえ。そのヤクザってのはどこにいるんですか」
「野次馬になろうってんでしたら、やめといた方がいい、凶悪な連中らしいです。
今も旅館の客や従業員を人質にとって篭城しているようです。まあ、回りは警察に
包囲されていますがね」
「いえ、怖いから知りたいのです。宿をとるのに離れていた方がいいから」
「なるほど。本当は違う温泉町を紹介したいところだけど、事件が長引くと、不景
気なこの街全体が困るようだしな。『大室屋』っていう老舗旅館ですよ。ここから
3キロ程行って、大きく左にカーブしながら高い橋を渡るんですが、その橋の手前
の左側にあります。道路から見ると二階建てなのですが、崖にへばりつくように建
っていて、道路から下にも二階分あるんです」
「おおむろやですね。そうですか。近寄らないようにしよう。ありがとう」
そう言って別れると、大室屋を目指してアクセルを踏んだ。
1キロほど行くと検問があった。
「どちらまで?」
「この先の橋が見たくて」
「ここから先は住民の人以外は行けませんよ。あなた、事件のこと知らないのです
か」
警察官はそう言うと加藤をジロジロとねめ回した。
「恐れ入りますが、免許証を拝見できますか」
加藤は免許証を見せる。警察官はナンバーを見た。
「レンタカーですね」
そう言いつつ、助手席に積んであったザックを見て、「それを見せていただいて
も宜しいですか」と聞いた。佐伯組から盗んだ武器を入れておいたザックだ。
加藤は黙って手渡した。警察官は、丹念に中を確認すると加藤に返した。
「ご協力有り難うございました。そういう訳で、ここからは通すことができません
ので、戻ってください」
と、丁重な、しかし警戒した目でそう言った。
(良かった)加藤はため息を漏らす。
家を出た時には、ザックのなかに手榴弾ふたつと、オーストリア製の拳銃グロッ
ク17、それに予備の弾倉二本を入れてあった。
運転しながら状況を考えていると、武器は持っていない方が良いと結論を出し、
車を止めて山の中へ入り、大きな木の根元に埋めてきた。
検問所からほど近い、川沿いの旅館の駐車場に車を滑り込ませた。駐車場にはテ
レビや新聞社などの車が数台止まっている。
宿に入って空きを聞いた。
「すみませんね。こんなことで、報道の方で一杯なんです」
人の良さそうな旅館の老婆が申し訳なさそうに言う。
「あっちこっち行ったのですが、どこも一杯で泊まるところがなくって、あの、布
団部屋でもいいですから泊めてもらえませんか」
「困ったねえ。お客さんに布団部屋ってわけにはいかないし.... 東京に出て行った
孫の部屋だったら空いてるけど、そこでいいかね」
「はい、ありがたいです」
その六畳の部屋は二階の一番東にあり、駐車場がよく見渡せた。
(これはうまい。報道陣の動きが一目で分かる)
頭の中では色々な考えが渦を巻いていたが、焦りは禁物だ。
ここは風呂にでも入って落ち着こうと、浴衣に着替え一階に降り、駐車場と反対
側、建物の裏側から木の階段を降りて川が見下ろせる露天風呂に向かった。
風呂にはすでに五、六人が湯に浸かっていた。
男達からさほど遠くない位置で湯に入った。
「しかし、哀れなもんだよなあ。」
「何が?」
「いや、興隆会がさ。事務所にも戻れず、匿ってくれる組もない。それでとうとう
こんな山の中だ。ヤクザとはいえ薄情なものだと思ってね」
「そりゃあ自業自得ってものだ。同業相手でもゆすったり、たかったり、ちょっと
気に食わなけりゃすぐ喧嘩だ。あんな狂犬じゃ、ヤクザといえども寄り付きたくは
ないだろう」
「しかしあれだな、報道は第二検問所までしか行けないとすると、望遠付けても旅
館しか写せないな」
「まあ、相手はマシンガンやらなんやら持っているっていうし、俺等が万一撃たれ
でもしたら、叩かれるのは警察だから仕方がないよ」
話の内容から報道カメラマンらしかった。
加藤が止められた検問所が第一で、まだもうひとつあるらしい。
(とすれば、道路から行くのは無理だろう。さてどうするか)
風呂からは色づき始めた木々が重なり、その合間から川の流れの音が聞こえてい
た。
こんな事件でもなければ、平和な山間の温泉だ。全てが終わったら、夏美や美知
子を連れて来てやりたいと加藤は思った。すべてが終わったらと。
「旅館に近づこうとした警官が銃撃を受け一人が重傷」
夕食をとっていた食堂のテレビから流れている。
「宿泊客や従業員の安否は不明」とも。
陽はすでに落ちて山々は闇に包まれている。
それでもこの旅館だけは不夜城のように明かりは消えず。各々の部屋ではテレビ
局や新聞本社、現場との連絡などで、喧噪が途絶えることはなかった。加藤は家に
電話を入れる。声を聞いておきたかった。
一回の呼び出し音で夏美が出た。
「俺だ」
「加藤さん! 今どこにいるの?」
「何も変りないか?」
「うん」
「ミチは?」
「眠ってる」
「夏美.......帰れたら、けっ.... 」
「何? よく聞こえない。今、帰れたらって言った?帰れたらってどういうこ
と?」
「土産は何がいいかな」
「お土産なんていらない! あなたが帰って来てくれたら、それ以上何もいらな
い。お願い、危ないことしないで!必ず帰って来て、約束よ!」
「ああ」
「いつ帰ってこれるの?」
「終わったら」
「終わるって何が?」
どう答えようと少し考えたが、答えようがなかった。
「じゃあ」
そう言って受話器を置いた。




