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彷徨う雷雲   作者: 佐伯 蒼太郎
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16/26

ボロボロ


                      (十六)


(いつまでも休んではいられない)

 アバラの折れた胸にボロ切れを巻き、右手の折れた人差し指と薬指は、中指と小

指との四指をまとめて布でグルグル巻きにする。リヤカーは左手で持ち、右手は添

えて腰で押す。


「ミチ、乗っていいぞ!」


 加藤はそう声を掛けたが、美知子は押すと言ってきかなかった。

 真夏の太陽は容赦なく照りつけ、油のような汗が吹き出し、殴られた傷口は化膿

しているのか嫌な臭いがする。右手の腫れは収まらずに、痛みは倍加するばかりだ

った。

 けれども養生している余裕はない。今日働かなければ、美知子に明日食わせるこ

とが出来ないのだ。


(今日は残飯を漁って、なんとか凌しのごう)


 昼時を狙って、いつもの中華屋の裏にあるポリバケツに向かう。

 蓋を開けるとハエが数匹ブーンと舞っていた。この暑さだ、傷まないはずもな

く、何時も以上に饐えた臭いがきつく鼻をつくが、美知子はさっそくゴソゴソと漁

っている。

 鼻の良い美知子は、なかなか食うに可能なものを見つけられないでいたので、結

局そこはやめ、数軒の食堂のポリバケツを点々とした。しかし、どこも似たり寄っ

たりだった。 

 ここが最後、という天ぷら屋のゴミの中から、辛うじて食えそうなものを探す

と、公園の水道から、空の焼酎のペットボトルに水を汲み、橋の下へ戻り、ビニー

ル袋からその残飯を出す。

 いつになくためらいを感じはしたが、臭いを無視して口に入れ、無理矢理水で飲

み下した。

 橋の陰にいても風は動かず、上を走る車の排気ガスの臭いが妙に鼻をつく。

 しばらく横になっていると、加藤は腹に嫌な痛みを感じた。

 いきなり美知子が吐いた。

 それも普通の吐き方ではない。加藤は懸命に背をさすってやったが、その加藤も

猛烈な吐き気に襲われ、胃が裏返るかのように胃の中のものを全て吐き出した。と

ともに強烈な痛みが腹部全体を襲う。

 美知子も吐くだけ吐くと、顔面蒼白となり、身体が小刻みに痙攣をはじめた。

(く、くそ!)加藤は、苦痛とその絶望的な状況に対する悔しさに歯を食いしばっ

た。


(なんとか美知子だけは.......)


 そう思い、助けを求めようと橋脚の裏から這いずりでたが、堤防の斜面を転げ落

ちた。

 水の入った焼酎のペットボトルも一緒に落ちた。

 そこには食事を終え、午後の始業までブラブラと川縁の芝生公園を散歩する人々

がいた。 

 加藤は「助けてくれ」と叫んだつもりだったが、それは声にはならない。

 そばを通りかかった、いかにも会社員の二人連れは、蔑むような目で見おろし

た。


「ちっ!昼間から酒を飲んで、ホームレスってのはいいご身分だな。俺たちが懸命

に働いたって、こういう奴等が日本の足を引っ張っているんだからかなわねえよ」


 加藤は懸命に助けを求めたが、口はただアウアウと泡を吹いているだけだった。

 皆、冷たい視線で汚いものに触れないようにと、加藤の身体を避けて行く。

 胃の痛みは限界を越え、身体が震えるのを押さえることが出来ず、意識が徐々に

失われていった。


 堤防の土手を歩いていた人が美知子を見つけた。

 尋常ではない状態は一目で分かった。そしてそこにあったビニール袋の中身を見

て、下で泡をを吹いている男が酔っぱらいではないことも。

 救急車が来て、二人は病院に搬送された。

 翌日の夕方、そんなことがあったとは知らない土屋は、いつもの様に酒ではなく

食料を持って加藤を訪れた。

 怪我に酒は良くないだろうと、そして仕事も出来なかったら食うにも困るだろう

と。 

 橋には二人ともいなかった。


(動ける身体じゃないはずなのに)


そういぶかって橋下の橋脚裏の寝床に立ちすくんでいると、犬を連れて散歩してい

る男が


「ホームレスなら救急車で運ばれてったよ。なんでもひどい 食中毒だったらしい」


そう教えてくれた。

 病院を聞いたが、どこへ行ったかは分からないと言う。

 警察に行き、友人だと言って、どこの病院に運ばれたか調べてもらった。


 区立中央病院の5階のエレベーターが開くと、ナースステーションで加藤の友人

だと言って部屋を教えてもらう。

 看護士の目が、(あの人の友人?)という興味を示している。

 長い廊下を部屋番号を見ながら歩いた。703。


(ここだ)


 病室は広く、左右に4人づつ、八床のベッドがある。ひとりひとり顔を確認して

ゆくと、右の列の三番目に加藤はいた。腕には点滴の針が絆創膏で固定されてい

る。

 寝ているのだろうか、目を閉じていたが、小さな声で「加藤さん」と声をかけて

みる。 

 弱々しく瞼を開けた加藤は、土屋を確認すると「よう」と返事をした。


「面目無いぜ。この道のプロが食中毒とはな」


 そういうと自嘲気味に笑うが、無理をしているのは一目瞭然だった。


「みっちゃんは大丈夫だったのですか?」


「ああ、酷かったみたいだが、命には別状ないそうだ。今、子供の病棟にいる」


「よかった」


 土屋は胸を撫で下ろした。

 あんなに小さく、同年代の女の子のように洒落た服も着られず、美味いものも食

べられず、楽しい所にも行けないまま、もし死んでしまったら.........あまりにも可

哀想で、ここに来るまで土屋の胸は張り裂けそうな想いだった。

 ベッドの下から椅子を出して座ると改めて加藤を見た。

 たった二日しか経っていないのに、随分げっそりと痩せて頬骨が浮き出ている。


(このままの生活を繰り返していたら、二人とも死んでしまう)


「加藤さん、うちの会社で働きませんか?工場での作業なんですが、ここんとこ退

職者が続いて人手が足りなくて困っているんです」


 土屋は嘘をついた。この不景気に退職などする奴はいない。けれども、そうでも

言わなければ、人に借りを作ることを嫌う加藤が、うんと言うはずがない。会社が

何と言うかは分からなかったが(俺がなんとしてもねじ込んでやる)そう思った。

 しばらく黙って何かを考えていた加藤は、土屋を見ると「すまんが世話になる」

そう言った。

 まさかそんなに簡単に返事をするとは思ってなかった土屋は、少し驚きはした

が、嬉しかった。


「そうですか。よかった。社宅も空きがあったと思います。そう決まったらからに

は早く良くなってください。アバラも指も治して。結構重いものを持ちますからね」

 土屋は少し力になれたと満足した。本当は『男の腕』として力になりたかったの

だが、それは当分、いや永遠に無理だろうと思い始めていた。

 

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