綾 そして 暴力
(十)
外出許可はそんなにしょっちゅう取れる訳ではない。
その貴重な外出は綾のために使った。いや使いたかった。
加藤と武井の共通点はそれまで恋人を持ったことがないことだ。
二人とも、もてない訳ではなかったが、女性と一対一で面と向かうと、上ずって
しまって、まともに会話が出来ないのだ。
だから、お互いに綾のことを好きだと分かっていても、外出日を合わせざるをえ
なかったし、三人でテーブルを囲んでも会話の主は綾だった。
綾は加藤と武井とをまったく対等にあつかった。もし、綾でなく他の女性だった
としたら、どんなにぎこちないことになっただろう。
綾は、歳は下でも恋愛に関してはずっと大人だった。
それまでつき合った男達は、ハンサムで、良い車で迎えに来てくれて、しゃれた
会話もさりげなく出来た。けれども、どの男達にも何か足りないものを感じていた。
そんな時、店に入って来たこの二人には何か違う臭いがした。
側を通るとき耳に入る会話はまったく分からない内容だったし、街の男達のよう
な軽さがない。二人ともめったに笑わないし、何気ない仕草が普通の男達とは違う
のだ。
何回か店に来た時に片方の男が声を掛けてきた。
「あの......失礼ですが、お名前は何とおっしゃるのですか?」
声かけ役はじゃんけんで決めてあった。武井が負けたのだ。綾は、その固い物言
いに吹き出しそうになる。
「はい、長谷見綾と申します」と、節度を持って返した。綾は文学部の学生で、ヘ
ッセやロマン.ロランを愛していたが、中原中也の透明感のある詩も好きだった。そ
ういう生活の中に、加藤と武井は不思議な存在感を持って現れた。
二度目の時は加藤が声を掛ける番だった。
「あの、宜しかったら今度映画を見に行きませんか?」
真っ赤な顔をして怒ったように言う加藤に、綾は「三人で、ですか?」と問う。
(まるで中学生だ)
「いけませんか?」と言う加藤に、「いいえ、それではご一緒させていただきま
す」と答えた。
戦争映画だった。綾一人だったら絶対に見ることはなかっただろう。
映画の後の食事も、二人が「ここはうまいんです」という『カレー屋』だ。
今まで付き合った男たちは、はやりのフレンチやイタリアンだった。
それが名前も知らない場末のカレー屋。
しかし不思議と嫌ではなかった。
綾は、三人でテーブルを囲み、今こうしてカレーを食べている姿を客観的に想
像で俯瞰して見、吹き出しそうになった。
二人の男は大盛りの激辛カレーを、額に玉のような汗をかきながら黙々と食べ
ている。
いや、決して綾を無視している訳ではない。その証拠に「おいしいですか?」
とか「福神漬いりますか?」とか声をかけてくれる。
ただ、センテンスの長いことが言えないのだ。
もっと言うなら、綾の顔を見続けることが出来ないと行った方が、当たってい
るかもしれなかった。
そんな不器用な二人にひかれていったのは偶然ではないような気もした。
人は自分に無いものを持っているものに憧れる。
この二人は、世慣れしていて、お洒落に女を口説くテクニックなどは微塵も持
ってはいないが、その辺の軽い男達の持っていない純朴さと、うかがい知ること
の出来ない何かを感じさせた。
(二人のどちらかを選ばなければいけないのかしら)綾は思う。
(このままでも楽しいのに、三人ずっと一緒で......)
加藤も武井も同じことを考えている。どちらの愛が深いのかは分からなかった
が、お互いに同じくらい好きなのだろうと思っていた。
しかし、いつかは、どちらかが引くことになる。
(その時は.........俺が身を引く)
二人の男は、またしても同じことを考えていた。
出来ることなら、その日が一日でも遅くなることを願わずにはいられなかった。
古びたリュックサックを寝床の奥から引っ張り出すと、その底からアメ色にな
った二本の樫の棒を取り出した。その棒は太い紐で繋がっている。ヌンチャクだ。
使いようによってはコンクリートブロックさえも粉砕する。
暴力団の事務所に行くのだ、何か獲物を持っていた方が良いと思う。
ヌンチャクをベルトの後ろにはさみ、シャツで覆ってみる。これで見えはしな
い。
焼酎のビンを取ると、グビグビと二口ほどラッパ飲みして腕時計を見る。20時
15分を指している。指定された時間は21時だ。
(ガキの頃は腕時計なんて高級品だったのになあ)
今は千円で買える時代だ。ファッションとやらで、次々と買っては捨てる奴が
いる。(よし、行くか)腰をあげて一歩踏み出して、ふと立止まった。
ヌンチャクをベルトから抜くと元の様にザックに仕舞う。
(下手に抵抗しない方がいい、ミチがいる)
地図など無くても佐伯組の事務所は知っていた。
街の西側、繁華街から少し入った雑居ビルの1階だ。
歩きながら、相手がどう出て来るだろうかと考えていたが、やめた。
こう来たら、ああ来たらと考えていたのでは後手を踏む。その時に、瞬時に思
ったこと、動いたことが正しいのだ。それが間違っていたのなら、それは自分の
積んで来たものが足りなかったということだ。
ノックもせずに事務所のドアを押す。テーブルにいた3人の若い組員が飛び退
いた。
左側の応接用のソファでは、二人の五十代くらいの、仕立ての良いスーツを着
た男が将棋を指している。加藤を一瞥すると何事も無かったかのように将棋を続
ける。
奥にいた一人の男と目が合って驚いた。加藤の脳裏に焼き付いて離れなかった
男だ。けれども相手は自分のことなど覚えてはいないだろう。
若い組員の一人が奥のドアを開けて入って行くと、30秒ほどしてから『細ネク
タイ』が出て来た。
「おう、来たな」
「美知子を返してもらおう」
「美知子? なんだそりゃあ」
「とぼけるんじゃねえ。お前んところ以外、誰がさらっていくっていうんだ!」
「ああ、あのちっちぇえガキか? さらうなんて、人聞きの悪いことを言うもんじ
ゃねえぜ。ありゃあ、うちの事務員がトイレに入ろうとしたら、おめえに頼まれた
って言っていたぜ」
「御託はいい! 呼んだのはそっちだ、早く美知子を返せ!」
「まあそこに座れや、今連れて来てやる」
そう言って椅子を指し示した。
言われるまま座った瞬間、組員二人が左右から腕を取る。振り払おうとすると、
「おっと、大人しくしてた方がいいんじゃねえのか? 娘に、もしもの事があっち
ゃ困るだろう」
細ネクタイは口を歪めて笑った。
組員が椅子の背を挟むように腕を縛り付けていると、河原で『兄貴』と呼ばれて
いた男が奥の部屋から出て来た。
「おう、乞食の兄さん来てたのかい、この間は世話になったな」
「用件はなんだ」
「まあ、そんなに急がなくともいいだろう。夜が明ける迄には随分と時間がある
ぜ」
ジャラっと将棋盤の上の駒が音をたてる。
「畜生、また負けた。あんた、本当に強ええや」
将棋に負けた男は「ほれ、これ使え」と言うと、木箱に駒を入れて『兄貴』に
手渡した。
勝った方の男はその駒を見ると「古い手を使うんだねえ」 と言いながら笑う。
『兄貴』が顎をしゃくると、組員二人が加藤の頬に指を入れ、無理矢理口をこじ
開け、駒を加藤の口一杯に押し込んだ。
『兄貴』は事務机の引き出しから革手袋を出すと、ニヤニヤしながら手にはめた。
「まあ、別に用はねえんだ。山木と京子を締めたら、実はあんたに関係ねえって
ことが分かったからな。でもよ、俺らみてえなスジモンが、素人にやられたまん
まじゃ、カッコつかねえんだよ」
『兄貴』はそう言いながら口元を緩めて加藤に近づくと、いきなり力一杯のフッ
クを顔面に放った。椅子ごと倒れた加藤の口は、将棋の駒でズタズタになって鉄
臭い血で溢れる。
『兄貴』は組員に起こせと言うと、今度は裏拳で逆の頬を殴る。それを交互に5
回ほど繰り返すと、加藤の意識は遠のいていき、口からは、唾液と混ざった血が
糸を引きながら止めどなく流れた。
『兄貴』は一歩下がると、駆け込むように勢いをつけ、加藤の腹に固く尖った靴
先をめり込ませた。加藤は、椅子と一緒に吹っ飛んで、横倒しに倒れる。
「グフッ、グエッ」
胃の中の消化されていない貧しい吐瀉物は、血と混じって、蓋の役割をしてい
た将棋の駒と一緒に、ポンプの様な勢いで吹き出し床に広がった。
「汚ねぇなぁ、このやろう。おい川西、おめえの番だぞ」
『兄貴』がそう言うと、細ネクタイが30センチ程の鉄パイプを簡易ロッカーから
出した。
「またそれか、おめえも好きだな」
『兄貴』がそう言うと、
「ヘヘ、どうも生の感触ってのが好きじゃないんすよ。それに、これの方が梃の原
理ってやつですかい、合理的なんでさぁ」
そう言って、倒れている加藤の人差し指にパイプをはめ、一生曲げることの無い
方向に力一杯ヘシ曲げた。
『グキッ』という音がして、朦朧としていた加藤は激痛に現実に引き戻され「ぐわ
ぁっ」と声を上げた。
「ヘヘヘっ、この呻き声がたまらねえんだよな」
川西と呼ばれた細ネクタイは、ヤクザとは言っても、人の群れに入ってしまえば
分からなくなる『普通さ』を持っていたが、今の目は完全に(いってしまっている)
者のそれで、狂気そのものと化している。
「ええと、次はどれがいいかな?」
醜い笑みを浮かべながら、薬指にパイプをはめて加藤の目を覗き込む。そこに怯
えがあればある程満足するのだが、加藤の目は死んではいなかった。
「このやろぅ!」
骨がグリッという音とともに折れる。しかし、今度は声を出さなかった。
(こいつを悦ばせてたまるか)と、ぐっと堪える。
なんとか悲鳴を上げさせてやろうと、折れた指を時計の針のようにグリグリと回
す。加藤は裂けた唇を、千切れるほど噛んでこらえた。
「おい、そのくらいにしておけ。まだ若えモンが待っているんだからよ」
『兄貴』にそう言われ、川西はオモチャを取り上げられた子供のような不満そうな
顔をしたが、渋々引き下がった。
替わって若い組員が入れ替わると、思う存分殴り、蹴る。
加藤にやられた奴がいれば、そうでない者もいた。しかし、どいつも寸分の加減
もしない。まるでズダ袋のようにボロボロになるまでの容赦ないリンチだった。
加藤はふたたび意識が遠のいてゆくのを感じていた。




