南満洲油田
昭和16年10月27日月曜日、南満洲、新民
増田信夫は、兵舎から出てくると、伸びをした。今日も忙しい一日になるだろう。
駐満海軍部の機関将校と日本石油の技術者の一行が大連を出立したと言う。奉天から車を飛ばせば、昼前にはここに着くだろう。それまでに、地層図の清書と資料の整理だ。
増田は、本部へ向かう。本部の天幕に入ると、日鉱の技師たちはすでに仕事にかかっていた。
技師長が振り向く。腫れぼったい眼を擦りながら、笑顔を見せる。
「図面の清書は済みました。後は、資料の並べ替えですね」
「それはありがたい」
笑顔で返して、勧められた椅子に座る。
「この数日は強行軍でしたね」
「まったく」
増田は、ここ数日の出来事を振り返ると、深く頷く。
予定より早く、発破による人工地震は金曜日に終わった。日本鉱業の技師長は土曜の朝に合流すると、すぐに反射波の解析に入った。もちろん、増田も李も一緒だ。解析結果は恐ろしいほど、明確な兆候を示していた。教科書に載せたいぐらいに、理想的な反射波である。再試は、ほんの数ヶ所だけですんだ。夜になって作図も始める。安いわら半紙に、曲線が何本も書きなぐられる。見分けが付かなくなり、太くなぞると紙が破れた。夜が更けていくとともに、作業の効率が落ちていく。
上気した李五光学長が、大騒ぎして好々了と叫びだしたのは、日曜の、夜が明ける頃だった。
「先生、間違いありません」
「ああ、ここだ」
「このまま、試掘に入りましょう」
「好々了、太好了」
朝食後に全員が2時間の仮眠をとった。それから、誰かの差し入れのコーヒーを飲むと、検算にかかる。技師たちは、それまでの担当を入れ替わり、最初から解析作業を始める。検算と再解析の結果を最初の結果と突き合わせ、検証作業が完了したのは、やはり深夜だった。
「資料はそれでいいですか。増田先生?」
技師長の言葉に、増田は我に返った。硫酸紙の図面を見ていたところだった。
手早く、海軍と日石への説明内容を打ち合わせる。
「これで一段落ですね」
「ええ。ちょっと外の空気を吸ってきます」
「ああ、それがいい」
外に出た増田は、油田があるあたりを眺めようと、見晴らしのいい場所を探す。
数分かけて、小高い場所を見つけた。どういう訳か、周りには兵がいない。
後ろから足音がする。
「なかなかの眺めですね」
李五光が、増田の後に立っていた。増田が振り返るとニコリと笑う。
李は増田の横に立つと、右手を後ろに向けた。
「増田先生、ずっと北の方向に斉斉哈爾があります」
「え?」
それから、李は手を上げたまま、ぐるりと回し南を指す。
「そして南に済南」
「あ、ああ」
李は増田に顔を寄せるといった。
「この南北の線に沿って活断層があり、背斜構造もまた多い」
増田は、ぎくりとした。
「増田先生の理論でいくとそうなりますね」
「それは」
「つまり、北の斉斉哈爾あたりにも油田があるだろうし」
「あっ」
「渤海の対岸、黄河の河口周辺にもまた油田が」
「李先生。それは」
「教えて下さい。増田先生にはお考えがあるのでしょう?」
「知れば、大学に戻れませんよ?」
「いいですとも」
二人は、しばらくの間、遼河の平原を見つめる。
西山の雲ははれつつあった。




