航空総監
昭和16年10月20日月曜日 陸軍航空総監部
朝、出勤した土肥原賢二は、久し振りに二日酔いを感じていた。
今年4月に陸軍大将に昇進した。6月から航空総監、すなわち陸軍航空本部長を務めている。航空畑は他の兵科に比べて歴史が浅いので、中佐大佐の中堅層が薄く、若い軍人が多い。深酒していると、思わぬ若い軍人と飲んでいることがある。昨日もそうだった。
たしか中尉だったと思うが、人を殺したことがあるのではと感じた。ふつう、いくら軍人といっても、将校が人を殺すことはない。実際に敵兵を撃つのは兵、二等兵から伍長、せいぜい軍曹である。上官の命令で敵兵を撃った兵と、自分の意思で敵を殺した兵の目つきはまったく違う。特務機関が長い土肥原にはそれがわかる。配下にそれを命令したことがあるからだ。
その中尉は、年恰好からも経歴からもそういう機会はなかった筈だ。しかし、土肥原の目には、騎兵から転科したというその中尉がほかの将校とまったく違うと映った。
ま、いいだろ。二人きりで飲んだわけではないし、その中尉の裏も取ってあった。他ならぬ陸軍省兵務局長の報告だ。抜かりはない。
愉快な酒だった。こちらが胸襟を開くことは決してない。が、向こうが本音を言えば、それ相応の言葉はある。「・・・本分を尽くせ」そう言ったような気がする。ひょっとして二人きりになる時があったか?
今朝は陸軍大臣、いや総理大臣の来訪が入っていた。
航空総監執務室で東條総理と土肥原総監が向き合う。
陸軍大将土肥原賢二は陸軍士官学校第16期、東條の一期上である。
陸士16期は傑物揃いで、特に岡村寧次、永田鉄山、小畑敏四朗は、陸軍三羽烏と言われた。その3人は、大正10年、中佐の時に欧州で会同し、陸軍の将来を論じた。バーデンバーデンの密約である。これが二葉会となり、のちに木曜会と合同して、陸軍随一の結社である一夕会へと発展した。
土肥原と東條は共に、二葉会発足からのメンバーである。
「東條、ついに総理になったか。一夕会から総理が出るとはな」
「昨日の朝、青山霊園に行ってきました」
「そうか。で、永田の墓で何を誓った?」
「一夕会、いや二葉会の趣旨そのままです。高度国防国家を完成させます」
「つまり、戦争はしないということだな」土肥原がにやにやしながら応える。
「はい。御勅です」東條は一礼して言う。
「それはいいが、抵抗は大きいぞ。貴様が全部、泥をかぶるというのか?」
「無論です。お上はわたしを指名された。身命をかけて御勅に添い遂げます。大御心を実現します」
(何があったか知らんが、ずいぶん人が変わったのかな?)と、土肥原は思った。
その時、突然、土肥原の脳裏に『本分を尽くせ』という言葉が浮かんだ。
(そうだ、わしにも陸軍軍人としての本分がある!)
「よかろう。覚悟があるならば、わしも協力するぞ」と、土肥原は口にしていた。
「政治力はない。そうだな、抵抗をいくらか排除することぐらいはできる」
「それが一番願ったり、です」
「早速、昨日は一悶着あったそうじゃないか」
「ま、あれはガス抜きです」
「そうか。で、裏で反逆するやつらはどうする」
「殲滅します!」
「よし。いいぞ。存分にやろうではないか」
東條は満面の笑みで帰っていった。
土肥原は思った。さて。簡単に言ったが、ことは容易ではない。
騒擾・暴動の類は、これは東條がなんとかする。左翼は内務省で処理できるし、東條は内相も兼任だ。表ではなく、裏の妨害を排除することこそ、わしの本分だろう。暗殺もある。
問題は右翼だな。国粋主義者、アジア主義者、彼らの主張は過激だが、その根底の流れを日本人は否定できない。だからこそ、志望者も協力者も現れる。観念右翼こそ危険だ。
土肥原はしばらく考えた後、決心した。
本家を抑えるか。玄洋社の頭山、黒流会は内田の後釜の葛生。
誰にやらせる?
土肥原の頭に一人の日本人が浮かんだ。大男である。
やつならできる。よし。
 




