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第肆拾玖話 Eternal a Contract

 昨夜は闇の中を進んだ道のりを、今日は太陽の光が惜しげもなく降り注ぐ中を登っていく。

 ――祠には、そうかからずたどり着いた。

 

 街に、鐘の音が響く。……聞きなれた、12時を告げる教会の鐘の音。あの夜、自分の決意を後押ししてくれているように感じたそれも、今では審判の鐘の音のように思える。


 一歩、一歩、ゆっくり歩を進めるに連れ、徐々に記憶が鮮明になってくる。

 京と契約を交わしたこと。京に身体を乗っ取られたこと。乗っ取られた身体で那由他に襲いかかったこと。――那由他に命を救われたこと。


 そして、その代償が。


 「……異界の扉の、番人って」

 一応の説明は聞いたけれども、いまいちピンと来ないその役目に就くため、あの2人は――。


 ざわりと、風が辺りの木々を強く揺さぶった。――のそりと、低木の影から大きな狼が姿を現す。既に絶滅したと言われる、ニホンオオカミ――にしては少々身体が大きいが……

 「小僧。……何をしに来た」

 夏也の首くらい容易に噛みちぎってしまいそうな鋭い牙の並んだ口を開け、殺気に満ちた低い声音で問いかけた。

 人の言葉を解す狼。……普通の獣ではありえない。ならば、これもモノノケなのだろう。

 「主にその命を救われた身で、まさか性懲りもなくまた妙な事を考えてるんじゃなかろうな?」


 狼の問いかけに、周囲の空気までもが尖り、殺気に満ちていく。


 「お前の命を救いたい。……チエ様がそう望み、主はそれを叶えた。だから、俺たちはお前を八つ裂きにしたくてたまらないのをやっとの事で我慢してるんだ。命が惜しいなら、さっさとここから去れ。……二度とその面、見せるんじゃねえ」

 ボボっと狼の周りに青白い炎がいくつも揺らいだ。こんな真昼間だというのに、随分とホラーチックな光景だ。

 

 今の彼はもう、土地神ではない。彼が居なくとも、街は困らない。あの夜、そう思っていたのはどうやら大間違いだったらしい。

 あの時、彼らは那由他を救うため、どんな犠牲も厭わないという気迫に満ちていた。

 那由他が居なければ、悪夢が再来していたに違いない。――那由他は今でも間違いなくこの地の土地神であり、彼が居なくなれば街は大いに困ったことになる。


 夏也は目の前の光景を目に焼き付ける。これが、自分のやらかした事の結果なのだ。

 千恵はもう、自分では手の届かないはるか高みへ行ってしまう。あんな馬鹿な事を考えさえしなければ、自分のものにはできずとも、幼馴染みとして傍にいられたはずだったのに。

 次に彼女に会うとき、一体どんな顔をすれば良いのか。いや、合わせる顔などあるはずがない。

 風花は何も知らずに騙されただけだが、自分は知っていて自ら契約を望んだのだ。風花は、彼らに幸せになってもらいたいと望んだ想いを京に裏切られた被害者だが、夏也は彼らの仲を裂きたくて力を求めた加害者なのだ。


 夏也は、己の罪を心に刻み、一つの決断を下した。


 「……こんな事、頼めた義理じゃないのは分かってるけど。……でも、頼む。ひとつ、伝言を頼まれてはくれないか? 千恵と、若宮に」





 夜闇に包まれた空はよく晴れて、たくさんの星が濃紺のキャンパスに散りばめられている。

 観光シーズンを外した平日の今日は、宿泊客もそう多くなく、客層も年配の人が大半で、夜も更けたこの時間は、窓を開けていても実に静かなものだ。

 ただ、波の音だけが絶え間なく聞こえ、海から吹きつける潮風が、その水面を僅かに揺らす。


 千恵は、手にしたペットボトルを傾け、水を一口、口に含んだ。

 入浴を終えたのは食事の前なのだから、もう3時間は経つのというのに、まだ身体から湯気が立っているように思えるほど全身が熱い。


 かすかに、波音とは違う水音が、千恵の鼓膜を刺激する。その刺激は、そのまま心臓へと伝播し、心臓が鼓動を早めていく。

 千恵はもう一度、ボトルを傾け、残った水を一気に干し、ままよとばかりに浴衣の帯をとき、部屋へ衣服を乱暴に放ると、那由他の隣へ豪快に水しぶきを上げながら身体を湯の中へと沈めた。 

 入ったその瞬間にはもうのぼせてしまいそうな熱を必死に堪えながら、千恵は羞恥に赤く染まっているはずの顔を湯の中へ沈める。


 隣で那由他が苦笑を浮かべている。やがて、息がもたなくなった千恵が、そろそろと湯の中から顔を出した。

 熱っぽい頬を潮風が撫で、心地よく覚ましてくれる。

 

 那由他が苦笑を深めながら、そっと千恵の頬に手を添えた。とたんに、心拍が倍速に跳ね上がる。ただでさえ、湯に浸かって温まった身体の血圧は上がっているというのに、このままではどこかしら血管が破裂してしまいそうだ。那由他の顔が近づき、その唇が額に触れた。

 晩秋と初冬の堺の夜の気温は低く、吐いた息が白くなる程寒いはずなのに、暑くてたまらない。


 「――このまま続けたら、契約を結び終える前にお前がのぼせてしまいそうだな」

 このまま続けたら、どころか今入ったばかりだというのに既にのぼせかけている気さえする。那由他はザバリと湯から上がると、バスタオルで適当に水気を拭い、部屋へと戻る。

 部屋には夕食を運んできた仲居さんが敷いてくれた布団がふた組。那由他は掛け布団をめくり、敷布団の上に腰を下ろした。

 千恵は、一度大きく深呼吸をしてから、そろそろと湯から上がり、しっかりと身体の水気を拭き取ってから、彼のあとに続いた。


 部屋の明かりは、消したまま。部屋は闇に包まれているが、星明りのおかげで、千恵の目でも彼の様子を目に映すのには困らない。

 ましてや、彼の目は闇などものともしない。彼の目には、全てが鮮明に映し出されているはずだ。

 千恵は羞恥を必死に堪えながら、おずおずと彼の隣に座った。肌に直接触れるシーツが、冷たくて気持ちいい。


 「――いいんだな?」

 ほんの少し、唇が触れるだけの口づけの後で、那由他が囁くように尋ねた。

 「……うん。だって、そのために私は生まれてきたんだもん。……だから、那由他――」


 「――契約、を」


 波の音と、風の音。僅かな水音だけが響く部屋で、甘やかな時がゆっくりと過ぎていく。

 命と、魂を懸けた誓約が今、ここでようやく果たされる。ほんのひと時の、ささやかな幸せを互いに求め合い、与え合う。

 

 少しの痛みと、待ち望んだ喜びを受け入れ、受け止めながら、千恵は確かに結ばれた絆を大事に抱きしめる。

 この先に待ち受ける過酷な未来も、これさえあれば乗り越えていけると、そう思えたから。

 

 だから、せめて今だけは、もう少しこの温もりに浸っていたくて。千恵は身の内を満たす歓喜に静かに身を委ねた。



 契約は、無事結ばれた。――永遠の誓いが。永久の契約が。今――



 

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