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第肆拾捌話 Compensation of the choice

 千恵と那由他に助け出されたあと、千恵のベッドに寝かされたまま一晩目を覚まさなかった風花は、夜中のうちに夏也宅へと移され、今、夏也の隣で食卓についている。

 だが、その卓上には食べ物はおろか、飲み物すらない。

 

 ――向かいの席で、淡々と語られる、幼馴染みの親友と、つい最近知り合ったばかりの彼女の“いとこ”の正体。そして彼らの選んだ未来を風花は、膝の上の手を強く握り締め、唇をきつく噛み締めながら聞いた。夏也も、深く項垂れたまま顔を上げようとしない。


 「そんな……。やっと一人じゃなくなったはずだったのに。……やっと千恵に笑顔が戻ったって、喜んでいたのに。……また、私たちのせいで千恵は」

 風花は、わななく唇で小さく呟いた。――落ちてくる涙をふくことすらせず、ただ呆然とするしかない。

 「言ってたのに。千恵、京だけはやめたほうがいいって、言ってくれてたのに。私、真面目に聞いてなくて……」


 不意に、がたんと大きな音を立てて夏也が立ち上がる。そのまま踵を返し、玄関へ早足に向かう。

 「こら、夏也! 何処へ行く?」

 父と祖父の叫びを無視して、夏也は扉を押し開き、がしゃんと乱暴に閉めた。


 ガレージから、自転車を引き出す音がして、彼がそのまま飛び出していった。

 「……あの、馬鹿者めが」

 もう、何度目になるかも分からない罵倒を聞きながら、風花は鼻をすすった。

 

 聞けば、千恵は那由他とともに伊豆へ旅行に出かけたのだという。


 旅行から戻れば、那由他はどことも知れぬ異界とやらへ出向き、当分戻ってこれなくなるのだという。

 千恵の方も、こちらの世界にとどまることはできるものの、神様になるための修行とやらで、忙しくなるらしい。

 会えるのは、年に数回。

 「……それも扉越しで、直接会えるのは10年に一度だなんて。そんなの酷すぎるよ!」

 自分たちさえ京に唆されたりしていなければ、あの二人は平穏無事に共に居られる未来を当たり前に享受できていたはずなのに。


 「千恵……」


 せめて、今だけでも。親友が、彼と楽しいひと時を過ごせるよう、風花は祈る。

 ――聞きなれた、教会の鐘の音を聞きながら。




 降り立った駅のホームで、千恵は思い切り空を仰ぐ。――雲一つない、秋晴れ。天気は上々だ。

 さわさわと、心地の良い秋風が、山肌を覆う木々を揺らし、美しい紅葉が波打つ。


 風が、潮の香りを運んでくる。耳をすませば、ここまで波音が聞こえる。


 ホームから階段を上り、連絡通路を渡り、階段を下り、改札を出る。

 ロータリーには、メモに書かれたものと同じ名前の書かれたマイクロバスが停車しており、すでに大荷物を抱えた数人の客が傍にたむろしている。

 あれが、宿の迎えのバスであるらしい。

 「行こう、那由他」

 千恵は、那由他の手を取り、そちらへ彼を引っ張っていく。

 

 ほどなく、乗客の名前を確認し終えた運転手がアクセルを踏み込み、バスは海沿いの道を走り始めた。

 波は穏やかで、水面が光を反射してキラキラ輝き、沖には小さな漁船や、大型の船舶が行き来している。


 地元も海沿いの町であるから、海自体はそう珍しいものではないのだが、やはり旅行気分のせいなのだろうか、何故だかわくわくしてくる。


 「あのね、今から行く旅館、ご飯が美味しいので有名なんだって!」

 「……相変わらず、お前は花より団子だな。私はそれより、こちらの方が気になるぞ。どうやら彼らはかなり良い部屋をおさえてくれたらしい。ほら見ろ、部屋に貸切の露天風呂がついているらしい」


 那由他が開いているのは、本屋でよく見かけるご当地観光雑誌。確かにそこには「貸切露天」とでかでかと書かれ、たらいを大きくしたような、こぢんまりとした風呂の写真が載っている。

 ――部屋に、という事は。

 那由他が少し意地悪い笑みを浮かべてみせた。

 「まあ、そう広くはなさそうだが、2人くらいは入れるだろう」

 千恵は思わず顔を赤く染めながらも、なんとか叫びだすのだけはこらえた。

 

 ――今夜にも、彼と契約を結ぶのだから。……混浴くらい、今更ではないか。

 と、必死に自分に言い聞かせる。

 ああ、いっそ。チエのままであれば、からかわれていることにすら気づかず純粋に喜べただろうに。

 余計な知識があるばかりに、色々……それはもう色々いらない事ばかり考えてしまう。

 思わず爆発しそうになる頭と心臓を無理矢理押さえ込み、千恵は必死に笑みを浮かべて言った。


 「そ、そうだね。っていうか、そもそもそのためのお風呂なんだし。か、家族連れが皆で一緒に入れるように、って」


 明らかに引きつった不自然な笑みを無理矢理貼り付け、必死に応える千恵に、那由他はぷっと小さく吹き出した、かと思えば向こうを向いたまま顔を俯け、盛大に肩を震わせる。

 ほんの10分程でバスは旅館に到着したが、その間中、那由他はずっと笑い続けていた。千恵は恥ずかしいのと悔しいのとで、その背中をポカリと叩いておいたが、那由他はそれでも笑い続けていた。


 バスは、旅館のロータリーを周り、正門の前で停車する。

 バスの到着を待っていたらしい着物姿の年配の女性――おそらくこの旅館の女将だろう――が、深々とこちらに頭を下げている。

 「ようこそいらっしゃいました」と挨拶を受けながら、わらわらと出てきた仲居に荷物を預け、まずは宿泊手続きを行う。


 その後、案内された部屋は――。


 「わー、ひろーい!」

 上がり框で靴を脱ぎ、板間に上がるとトイレと洗面所があり、まずは12畳の和室がある。四足の広い卓に、座椅子が4つ。右隣にもう一つ、12畳の和室があり、さらに奥には長細い板間があり、椅子と小さなテーブル、冷蔵庫がある。その先には広いバルコニーがあり、そして……

 「あ……、これが露天風呂……」

 奥の間側のバルコニーに、写真で見た通りの露天風呂がある。……当然だが更衣室の類などはない。


 預けた荷物を受け取り、一通り部屋の説明を受けたあとで、食事の時間と場所を尋ねられ、千恵は、

 「あーと、じゃあ、部屋でお願いします。時間は……うーん、6時……かな?」

 と、考えながら答えた。

 「かしこまりました。では、ごゆっくりおくつろぎください」

 丁寧に頭を下げ、部屋を出ていく仲居さんを見送りながら、千恵はもう一度ちらりとそれを眺めた。


 「……入る?」


 ポツリと、小さく呟いた千恵の言葉に、那由他は肩をすくめた。

 「だがな。……宿に着いてまず先に風呂に浸かるのは良くないと、この本に書かれていたぞ。まずは部屋で落ち着いて、茶でも飲みながら茶菓子を楽しむのが、正しい温泉の楽しみ方だそうだ。今日明日にも帰るというならともかく、4泊できるんだ。まずは落ち着け」

 那由他は、窮屈そうだった洋服をさっさと脱いで、部屋に備え付けの浴衣に着替えると、座椅子の一つに腰を落ち着け、饅頭をぱくついた。

 

 明らかに、くつろぎきった彼の様子に、千恵は心の中の何かがくじけそうになるのを必死に食い止めながら、彼にお茶をついで渡す。


 「――静かだな」

 那由他は、窓の外を眺めながら言った。部屋はオーシャンビューで、こうして黙って座っていると、絶え間なく波の音が聞こえる。

 「……そうだね」

 「あそこは、いつでも騒がしかったからな。山のモノノケたち、迅、それに……」

 「う、分かってるよ。一番騒がしかったのは私……っていうかチエだったって言いたいんでしょ?」

 「ああ、あの5年のあいだは本当に賑やかだった。それまでは、ただ騒がしかっただけの山を賑やかにしたのは間違いなくお前だ。……それにしても、私がまさか神格を得ることになろうとはな。お前はいつも、私の前に新しい路を拓いてみせては私を驚かせる」

 「今回に限っては私だって驚いてるよ。だって、神様って……。那由他はさ、いつも違うって否定するし、実際正式には違うのかもしれないけど、でも、あの場所で確かに土地神様やってたじゃない。でも、私は今も昔もただの人間なのに」


 「……ただの、とは少々語弊がないか? 少なくともただの人間は、モノノケ相手に気安く喋ったりしないし、迅を従えてみせるなんてのもまず不可能だろうし、猪と遭遇してまず“旨そう”だなんて感想は抱かないと思うがな」

 茶をすすりながら、那由他は笑った。

 「そも、ただの……普通の人間なら、私と契約を結ぼうなどとは考えないだろう。ましてや、あの場で契約を結ぶ覚悟ができる人間など、お前しかいない」

 那由他は優しく微笑み、そして千恵の頭をぐりぐり撫で回し、髪を乱して彼は立ち上がる。


 「さて。では汗でも流してくるかな。――まずは身体を清めてから。……それが、この国の風呂の入り方の常識だろう?」


 那由他は、クローゼットからハンドタオルとバスタオルをひと組取り出し、脇に抱える。

 「さて。では風呂を楽しんでくるとしよう。……お前も行くか?」

 ようやく、那由他が大浴場へ行くつもりなのだと気づき、千恵は慌てて立ち上がる。

 「い、行く……」

 乱された髪をなでつけながら、千恵もまたタオルを手に廊下へ出る。


 「千恵。……時間はまだある、急がずとも……焦らなくともいい。お前の心が決まるまで、私はいつまででも待つ。――そう、百年でも、二百年でも」

 「そ、そんなに時間ないでしょう……? 旅行は四泊五日だけだし、応竜様からいただいた猶予だって、一週間しか……」

 那由他は、せっかくなでつけた髪を再び乱しながら、千恵の頭をぐりぐり撫でる。

 「さっきはつい、あんな事を言ってしまったが。……別に私は今でなくとも構わないんだ。任を受け、神格を与えられることがほぼ決定した今、互いに永久の時間がある。百年などあっという間に過ぎるぞ」

 那由他が浮かべる苦笑を見上げながら、千恵は即座にそれは嫌だと思った。……百年なんて、自分がそんなに待ちたくない。


 だから、千恵は首を横に振った。


 「そんなに、待たせないよ」


 大丈夫。だって、もう覚悟は決まってる。あと、最後の一歩を踏み出すだけ。その、勇気が必要なだけだから。

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