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第参拾玖話 self complacence

 学校の、始業のチャイムが鳴る――。

 さすがに、校内放送のその音は、ここまで届かないが、時計の針はその時間を示している。

 夏也は、埃だらけの腰掛けの一つに、無造作に荷物をおろし、段の上を見上げた。


 昔から、何故かその上にぽつんと置かれていた真っ黒な柩。

 ほぼ廃墟と化した教会は、幼い頃の夏也や悠にとっては格好の遊び場だった。もちろん、その謎の柩は、幼かった自分たちにとってはいわゆる“開かずの間”のような、ひどく魅力的な秘密が詰まっているように思え、ぜひ中を見てみたいものだと2人でうんうん唸りながら蓋を開けてみようと何度も挑戦してみたが、結局、ただの1ミリすら蓋を持ち上げられたことはなかったというのに。

 何ということだろう。柩の蓋は無造作に打ち捨てられ、柩は空っぽの中身を晒しているではないか。


 「――じゃあ、本当にこの中に、あいつが……若宮が、封印されてたってのか」


 そうだ。普段なら、真っ先に率先して挑戦していそうな千恵は、この柩に触れることにだけは、決していい顔をしなかった。

 なにか、それが特別なものであるかのような――。

 そっと、まるで壊れ物に触るような手つきで触れては、何故だか泣きそうな表情を浮かべていた。

 たとえ、記憶を失っていても。――それでも、この柩の中身に何かを感じ取っていたのか……。


 ほんの数日前。千恵が那由他に向けた笑顔を思い出す。――あの笑顔を、自分に向けて欲しい、と、そう切実に思うのだ。

 

 初めは――悠と共にやんちゃをしていた幼い時分にはまだ、確かにただの幼馴染でしかなかった彼女を、そういう意味で好きだと想い始めたのは……いつからだっただろうか?


 悠と、千恵と共に祖父がやっている道場に通わされるようになり、何をどうしても千恵を負かせなくて、悔しくてたまらなかった時は、まだ、こんな想いは抱いていなかったはずだ。

 あの当時のことは、今でも覚えている。ひたすら悔しくて、格好悪い自分が嫌で、“女のくせに”とか“男女”だのと八つ当たりで負け惜しみの悪口を彼女にいくつもぶつけた。まさに悪ガキの典型、というか。さすがにあの頃の記憶は今思い出すと恥ずかしい。


 けれど、そんな彼女がある時ふと見せた悲しげな表情に、夏也はハッとしたのだ。どこか、遠くを見るような目で、何かを切なげに見つめていた彼女は、まるで今にも泣き出してしまいそうに見えた、あの時。

 あれは――そう。小学校のスキー教室で、二泊三日で雪山へ出かけた時のことだ。

 

 「でも……、そうか。それも……若宮を想ってのこと、だったのか……」


 彼女は、記憶を失いながらもずっと待ち焦がれていたのだ。――その日が来ることを信じて。

 

 『当たり前の方法で、彼女が君に振り向くことはない』

 京の言葉がまた、耳奥で木霊する。

 『命を懸けてでも救いたいと願った男と再会した彼女が、単なる幼馴染みでしかない君に、振り向いてくれるとは到底思えないんだよねえ、僕には』


 何しろ、そもそもが、那由他に焦がれる千恵に、自分は焦がれたのだから。

 「不毛なのは当たり前、ってか? ――けど。……けど、その相手が人間じゃないって、それは不毛じゃないのか?」

 夏也の先祖は祓魔師だが、夏也自身はキリスト教徒ではない。……聖書など、手に取って見たことすらほとんどないくらいだ。

 だが、現代の常識の範囲内に生きてきた夏也にとって、人間でない――モノノケだなどと……完全に常識外の存在を、認めることはできなかった。

 ましてや、そんなものに大事なものを奪われるなど。


 「――だから。……頼むぜ、ご先祖様。あいつをどうにかする力を、俺に貸してくれ」

 夏也は、制服のズボンの尻ポケットを探り、古ぼけた一本の鍵を取り出した。


 教会の鐘が吊るされた尖塔に上るための階段。てっぺんまで続くその途中に、いくつか踊り場が設けられているのだが、その一つに、それはある。

 何も知らずにいれば、まず気づくことはないだろう、小さな鍵穴が、壁にぽつんと一つ。

 夏也は、そこへ鍵をさしいれた。


 ――隠し扉だ。


 代々、橘家の者にしか伝えられない扉。――橘家に嫁いできた母は、この扉の存在を知らない。

 今、この扉の存在を知っているのは祖父と父、悠と夏也の四人だけ。

 永らく閉ざされたままの扉は、ギギギギ、と嫌な音を立て、埃を派手にまき散らしながらゆっくり開く。


 扉の中は――せいぜい3畳ほどのごく狭い空間。そこに、床から天井まで続く棚がぎゅうぎゅう押し込まれ、その棚いっぱいに、古ぼけた本や巻物、紙束が所狭しと詰め込まれている。

 夏也は、手近なものを手当たり次第取り出し、パラパラとめくってみる。

 ボロボロの紙に記された、半分カタカナ表記の文章。またやたら流麗に書かれた――筆で書かれた続き文字。やたらと小難しい言い回しや見慣れない単語が続出する文章。

 一部は完全に英語か……、何語かも良く分からない言語で書かれた資料すらある。


 「う、げ……」


 お世辞にも、頭のいい方ではない夏也は早速見ただけで頭痛を感じた。

 「なにコレ……。うー、なんかこう、ないのか? ああいうのに効く必殺技とか、そういうの……」

 夏也は、埃だらけの階段に腰を下ろし、黄ばんだ紙面を眺めながら眉間にしわを寄せ、ため息を吐いた。


 「――馬鹿だねぇ、そんな簡単に特別な力が手に入るもんか。ああいうのはね、ある程度能力に恵まれたものが、それなりの修行を経て、初めて使えるようになるんだよ」

 突如、背後に影が落ちた。聞き覚えのある声が、クスクスと嘲笑を漏らす。

 「――! 百世!」

 「ふうん、……こんな部屋があったなんて知らなかったなぁ」

 思わず立ち上がった夏也を無視して、京は興味深そうに隠し部屋を覗き、資料を眺める。

 「あは、成程ねえ。あの祓魔師、君のご先祖様だったんだ。それはそれは、大した因縁だねえ?」

 「お前、何でここに……」

 「やだなぁ、僕のねぐらに朝っぱらから無遠慮に踏み込んできたのは君の方じゃないか」


 京は肩をすくめ、穏やかな笑みを浮かべてみせた。

 「言っておくけれどね、君の独力では那由他どころか僕を倒すことだって不可能だ。だって、祓魔師の能力は血に継がれていく類のものじゃない。その魂を神に気に入られたもののみが扱える術なんだから。それも、ある程度修行しなければ実践には到底耐えられない。――君はどう見てもキリスト教徒には見えないし。そこに書かれた術なんか、一つも使えやしないよ」

 夏也には、一見しただけでは到底読みこなせない文面を、京は一瞥しただけで理解してしまったらしい。

 「確かにそこには、かつてあの祓魔師が那由他を封じるのに使ってた術がいくつも載っているけど、ね」


 ニヤリ、と京が嫌な笑みを浮かべた。

 「――まず、読むことすらままならないんじゃ……いったい那由他を倒すまでに一体何年かかるんだろうね?」

 夏也は、ギリっと奥歯を噛み締め、目を逸らした。

 手の中の本の内容を読み解くには、それなりに時間を要するだろう事は言われなくとも分かる。……だが、自分がのたのたしているうちに、千恵と那由他がその契約を果たしてしまったら?

 「まあ、あえて止めはしないけど。――幸い、君より良い駒はすでに手に入れたしね」

 京が、うっそりと笑う。

 かつ、こつ、かつ、こつ。ゆっくりと階段を上ってくる足音が、徐々に近づいてくる。

 「――風花?」

 それは、見慣れた幼馴染みの姿。……だが、何か変だ。

 「紹介するよ、僕の彼女だ」

 京が、風花の肩を抱き、その身を大胆に引き寄せる。だが、あの風花がそれに対し全くなんの反応も見せない。ただ、虚ろな瞳を俯けるばかりで……。

 「……お前、風花に何をした?」

 京は、夏也の質問に無言のまま意味深な笑みを浮かべて返した。ただ、何かを指し示すように人差し指を掲げて――


 次の瞬間、夏也の視界から風花の姿が突如消え失せた。――そう、頭が認識するかしないかのうちに、背後から突然首根っこを掴まれ、壁に叩きつけられた。

 「――っ!?」

 夏也は目を疑う。夏也の身体を――仮にも、男子高校生として一般的な体格を有した夏也の身体を、軽々と投げたのは……

 「風花!?」

 驚く夏也の顔のすぐ傍を、風花の拳が唸りを上げて掠めた。

 ガツン、と鈍い音がして、石造りの壁からパラパラと小石がこぼれた。――よく見なくとも、壁にはヒビが入っている。……石の壁に、ヒビ。

 当然、風花の拳も無事では済まなかったようで、手が血まみれになり、指の骨がいくつかおかしな飛び出し方をして――いたが、まるでビデオの早回しを見せられているような勢いで、怪我がどんどん修復されていく。


 夏也の知る限り、すくなくともついこの間まで、当たり前だが風花にそんな能力など無かったはずだ。

 ――だとするならば。

 夏也は涼しい顔で微笑む京を睨みつけた。

 「……百世、お前、風花に何をした!?」

 「おや、僕は君に教えたはずだよ? 僕は、力を与えることができる。人の精神を操る術も持っている、と」

 

 「――お前が、風花を操っているのか……?」

 「そうだよ。彼女の血と引き換えに、ね。君よりも彼女の方が決断を下すのが早かった、ただそれだけだよ」

 ……風花が、あの日のことをずっと悔いていたのは、夏也も知っていた。だからこそ、千恵には幸せになってもらいたいのだと、そう言って夏也の応援もしてくれていたのだが。

 「風花は、俺より若宮に肩入れしているように見えたんだがな……」

 「それは、奴の正体を知らなかったからだろう。だが、奴が真に望む事を教えてやったら……この通りさ」

 

 京は、窓越しに裏山の方角を見やり、そして夏也に背を向けた。

 「――那由他は、この娘に手を出すことを躊躇うはずだ。その隙をついて、奴を倒す。僕はもう行くよ。一刻も早く、イヴを僕のものにしたいから」


 イヴを――、僕のものに。……例え那由他が倒されたとしても、京が居る以上は、結局千恵に安寧の日々は訪れない。

 

 だが……力を手に入れられれば? どうだろう? 夏也は、今しがた風花によって穿たれた壁のヒビを眺める。手に入れた力で、那由他も、京も自分が倒してしまえば……。

 

 「――百世、待て」

 夏也は、階段を降りて行こうとする京を呼び止めた。

 「……待てよ。――なあ、駒は一つでも多い方が得だよな?」

 夏也は、知らず握った拳に力を込めながら、その一言を放った。


 「――いいぜ。こないだお前が言ってた契約とやら。受け入れてやろうじゃないか。……だから、俺に力を寄越せ。若宮を倒すための力を」

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