第肆拾話 prelude
――ああ、なんだろう。体が、ひどく重い。それに……なんだかとても眠たい。
(あれ、おかしいな。俺……、あいつと契約して、力を手に入れた……はず、なんだよな? なんで俺、こんなとこで寝てるんだ?)
見上げれば、ずっと、高い高い天井の上に、鐘がぶら下がっている。そこへと続く螺旋の階段と、周囲の窓に嵌ったステンドグラス。
そして自分は、床に整然と並ぶ埃だらけの長椅子に横たわっている。
何しろ、体がだるく、重たくて、そこから一歩も動きたくないような気がするのだ。どんどん、体から力が抜き取られていくような……。
(早く、行かなきゃならないのに……。早く、あいつを倒して、千恵を……)
――グワァン、ゴゥン、グワァン、ゴォゥン……
と。突如、頭の上の鐘が鳴った。……周囲はまだ陽の光に溢れているところを見ると、どうやら昼の12時のようだ。
学校は、そろそろ昼休みになる頃だ。
(そう、早く行かねーと……、千恵が……。風花も……、俺が、助けなきゃ……。俺は……)
夏也は、上手く動かない身体を無理矢理起こそうとして、ガタン、と大きな物音を立てて椅子から転げ落ちた。
視界が、高い天上のそれから、埃だらけの床へぐるりと反転した。
「……ぐっ」
思わず呻きをもらした夏也の視界を、突如影が覆った。
「!?」
そして、不意に脳裏に閃いた、とある光景。
とても凶悪な、勝利の笑みを満面に浮かべた、京の表情――。
そして、夏也の視界は再び暗転した。
――グワァン、ゴゥン、グワァン、ゴォゥン……
突如、街にその音が響き渡った。
それは、毎日二度、必ず響き渡る音。昼と夜、12時を告げる、時の鐘。
だが、今日のお昼の鐘は先程既に鳴ったはず。空にはまだ太陽がさんさんと輝き、当然だが夜の12時までにはまだかなりの間がある。
しかも……
――グワァン、ゴゥン、グワァン、ゴォゥン……
――グワァン、ゴゥン、グワァン、ゴォゥン……
――グワァン、ゴゥン、グワァン、ゴォゥン……
普段ならすぐに鳴り止む鐘が、いつまでたっても鳴り止まない。ひたすら、鐘の音を街中に振り撒く。
しかもその鳴り方はいつもと違って滅茶苦茶だ。
――明らかにおかしかった。
京を倒し、ホッとするまもなく風花の介抱に追われていた千恵と那由他は、その不吉な音色にお互い顔を見合わせ、街の方角を見下ろした。
――が、ここからでは木々が邪魔で町並みを見渡すことはかなわない。
「……千恵、お前は一度彼女を自宅へ送り届けて来い。私が一足先に行って、様子を見て来よう」
那由他の手によって、風花の契約は解かれ、今は無茶をした反動で深い眠りに就いている。――しばらくは何をしても起きないだろう。
彼女を、このまま放り出すわけにも行かず、千恵は頷く他なかった。
千恵は、迅の背に風花を乗せ、彼女を抱くように自分もまた迅の背に跨った。
「迅、頼むぞ。――風狛、頼む、私をあそこまで運んでくれ」
那由他の身体を旋風が取り巻き、那由他を空高く放り上げる。
それを追うように、迅も地面を蹴った。
「すぐ、行くから!」
教会に向かって一直線に吹き飛ばされていく那由他を見ながら、千恵は迅が空を蹴るに従い、あの日と同じ空の路を行く。
その間も、焦燥を煽るかのように、鐘は鳴り続ける。
突風に巻かれ、空を飛ばされながら、那由他は鋭く音源の尖塔を睨みつけた。
(あれは……何だ?)
尖塔に吊るされた古ぼけた鐘を誰かが足で蹴飛ばしている。そして、その度に鐘が不快な音を立てるのだ。
(あれは……まさか……)
那由他の目に映るそれには、見覚えがあった。――だが……
(気配が……)
そこに感じるのは、その姿に相応しい気配ではない。――ありえない、決してあってはならない気配をそこに感じる。
那由他の脳裏に、ひとつ嫌な予感が浮かんだ。――いや、予感というよりは予想、という方が正しいだろう。
(……京!)
尖塔は、見る見る間に眼前に迫り、那由他は上手く受身をとって、その屋根の上に着地した。
「やあ、どうも。……ふふ、待っていたよ」
彼は、笑いながら那由他の前に立った。――うっかりすれば滑り落ちてしまいそうな、尖塔の屋根の上に。
――グワァン、ゴゥン、グワァン、ゴォゥン……
眼下では、何事かと驚く人々の様子がよく見て取れる。
千恵が隠形術で迅ごと姿を隠していなければ、今頃彼らは自分たちを見上げ、指を指して驚愕の表情を向けていたに違いない。
だが、幸い“初めて”使ったこの術も、上手く機能してくれたらしい。今のところ彼らに見つかることなく、順調に歩を進めている。
既に一度、那由他と千恵を乗せて駆けた路だ。あの時より荷物が軽い分、迅の足取りもあの日より幾ばくか軽い。
自宅は、すぐに見えてきた。
千恵は、風花を自分の部屋着に着替えさせ、ベッドに寝かせた。
――当分は起きないはずだが、もしもの事を考え、枕元にメモと水筒を残し、すぐさま教会へ駆けつけようと玄関へ突進する。
と。ひたすらうるさく鳴り続ける鐘の音に混じって、小さく玄関チャイムの音がした。……一体こんな時に誰だろう?
千恵は、迅に隠れるよう指示し、玄関を開けた。そして、そこに立っていた人物を見た千恵は驚きに目を見張った。
「――!、え? どうして……あなたが?」




