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第参拾陸話 Bride of the falling into enemy hands

 ――おかしい。

 そう、何かおかしい。色々、色々おかしい。

 

 確か、昨日も同じ感想を思い浮かべた覚えがあるが、――でも、やっぱりおかしい。


 まず、夏也だ。

 ……もう、4限目の終了時刻が刻々と近づいている。じきにチャイムが鳴って、昼休みになろうかという時間だというのに、彼の席は今だ空っぽのまま。

 夏也は、お世辞にも真面目なタイプとは言えない。正直、昨日のように授業をサボること自体はそんなに珍しいことではない。

 だが今日は、彼の席に彼の荷物がない。

 そもそも、学校に来ていないのだ。

 朝、ゴミ出しの時に会った夏也の母は、彼が今日学校を休むだなんて事は一言も言っていなかったのに。

 

 千恵はそろりと先生の目を盗みながら、ちらりとケータイに目をやるが、彼からメールも電話も一切ない。

 朝のHRの出席確認は、咄嗟に“風邪で休み”だと担任に伝えてしまったが――実際には無断欠席という事になる。


 流石にこれは単なるサボりであるとは考えにくい。……特に、昨日から彼の様子は妙だった。


 そして千恵は、無反応なケータイをポケットに戻しながら、更に視線を別の席へと移す。


 ――風花の席、だ。……こちらも今日は空っぽのまま。やはり、欠席の知らせはなかった。

 HRが始まる直前、千恵は彼女のケータイにも、家電にもかけてみたが、どちらもすぐに留守電のアナウンスに切り替わってしまい、彼女自身と連絡を取ることはできなかった。

 先日から彼女の両親は揃って旅行に出かけているはず。今、風花は家に一人で居るはずだ。

 ……単なる盛大な寝坊、というなら良いのだが。


 今日は、さらにもう一つ、空席がある――その嫌な“偶然”が、千恵の不安を煽る。

 本日、3人目の欠席者の名は……、そう、百世京。


 折しも彼が宣戦布告をしてきたと、聞かされたその翌日の事。

 ――遠くで、教会の鐘の音が響く。


 昼の、12時だ。……あと20分で学校のチャイムが鳴り、昼休みになる。

 遅々として進まない時計の針に、千恵はジリジリと焼き焦がすほど熱い視線を送り続ける。

 今か、今かとその時を待つ。

 ……本当に、こういう時に限って時の過ぎるのはもどかしいほど遅い。


 イライラしながら、シャープペンシルを無意味にノックし、無駄に芯が伸びていく。ほとんど使われていない、長いままの芯が一本、ぽとりとノートの上に落ちた。――が、壁にかかった時計の針は、まだら3分も進んでいない。

 千恵は、手の中のシャープペンシルを折れんばかりに握りしめ、行き場のない思いをそれにぶつける。シャープペンシルの柄が、ミシミシ嫌な音を立てるその上に、そっと那由多が伸ばした手を重ねた。

 『落ち着け。――大丈夫だ、もし仮にあの二人が京の手の内に堕ちていたとしても、だ。今、我らがここでこうしている限りは少なくとも命は無事なはずだ』

 那由多の落ち着き払った低い声音が、直接頭の中に響く。

 『奴は優れた謀略家だ。なればこそ、無意味に彼らを手にかけるような真似はすまいよ』

 それをするなら、最も効果的なタイミングを選ぶはずだ。――そう、千恵の目の前で。

 そうだ。……それなら。今の自分だからこそ、できる事がある。あの日のチエには不可能だった事が、チエの記憶を取り戻した今の千恵だからこそ、できる事が。

 『大丈夫だ、千恵。お前の大事なものは、私が守ろう。決して、奴のいいようにはさせない』

 彼の言葉が頭に響く度、焦燥感が不思議と凪いでいく。那由多の声が、とても心地よい。

 千恵は、詰めていた息を大きく吐き出し、目を閉じた。


 ――そして。待ちに待った音が、千恵の耳に届く。4限の終了を告げるチャイムの音。それと同時に、千恵のケータイが震えた。

 着信。――メールだ。

 急いで開けてみると、液晶画面に送信者の名前と件名が流れる。風花の名前。件名は――no title。

 千恵は急いでメールを開き、本文を読む。

 いつも彼女が送ってくるカラフルなデコメではない。ただ、真っ白な背景に、黒い文字で書かれた、簡潔すぎる一文。


 ▼――裏山で待つ。


 ……差出人の正体は、容易に想像できる。

 千恵は、ケータイを制服のポケットにしまい、那由他の目を見上げた。彼も千恵の目を見返し、頷く。

 「山の中に、確かに奴の気配がある。……奴め、何を考えてか私がかつて奴を封じたあの場所に居るようだ」

 因縁の場所ではあるが、ただそれだけで彼がその場所を選んだとは思えない。

 ――何か、考えあってのことだろう。……千恵や那由他にとっては歓迎できない類の、考えが。


 だが、送られてきたメールは確かに風花のケータイから発信されたものだ。少なくとも風花は、彼と一緒に居る。

 「……奴に先手を打たれたのは痛いが、どちらにせよ早いうちに決着をつけねばならない相手だ。この機会に謀略ごと奴を叩く」

 

 千恵と那由他は、急いで学校を抜け出し、裏山への道を辿る。

 祠を過ぎたところで、かつて巫女のための小屋があったあの場所へと続く道から脇へ逸れ、あの日の苦い記憶の舞台へ向かう。


 ――あの日。那由他を封じようとやって来た祓魔師に傷つけられた彼に血を与えて癒すどころか、祓魔師を足止めすることすらままならなかった、無力な己を呪うしかできなかった、辛すぎる記憶。

 でも、今は違う。

 

 うっそうとした茂みが、開けた先に、彼は居た。――京。あの日、あの時分と何ら変わることのない姿かたちのまま、隣に千恵の友人を従えて――。

 風花は、虚ろな瞳のまま彼の隣で立て膝をついて俯いたまま、ぴくりとも動かず、何か言葉を発することもない。

 

 「――京、風花に何をしたの」

 千恵はまず、京に鋭い問いを投げかけた。


 「うん? 僕は彼女の望みを叶えてあげただけだよ? 力が欲しいと願った彼女の、心血と引き換えに、ね」

 「血の、契約――!」

 千恵は、思わず呻いた。

 「この間のミスキャストを反省したんだよ。――大事なものは自分で守るんだよね? なら……その大事なものが相手なら、君は……どうするのかな?」

 嫌味なくらい、さわやかな笑みを浮かべて見せる京に、那由他が眉間にしわを寄せ、鋭い目つきを向ける。

 「……相変わらず、周囲を巻き込むのが好きだな、京」

 「まあね。いくら長いこと寝こけていた化石野郎とは言え、やっぱりアンタ相手に1対1でまともにやり合いたくはないし」

 京は、わざとらしく肩をすくめて見せる。

 「けど、こないだのたちと違って、なかなか大変だったよ、彼女を堕とすのは。――“彼”の件がなかったら、恐らく不可能だっただろうね」

 

 「“彼”? ――何のことかしら?」

 千恵は全力で京を警戒しながら、問いを投げた。

 「2年前の夏の事。彼女、物凄く気にしてたみたいでね。……犯人を見つけて、捕まえて、事件の全容を解明するための力を、彼女は欲していた。――だから、僕は彼女の心血と引き換えに僕の力を彼女に貸し与えた」

 風花が気にする、2年前の夏の事――。心当たりは、一つしかない。

 「……秋刀」

 「犯人に心当たりがある、って言ったら、簡単に堕ちてくれたよ。――そう、確かに僕はその事件の犯人を知っている。だから、心血と引換えに、僕はその情報を彼女に渡した。……だからもう、契約自体は履行済みだけど。……ついでだから、彼女の心臓に僕の印を埋めちゃった。その意味は……分かるよね?」

 「――彼女を、花嫁にしたのか。……お前の目的は、千恵を花嫁にする事ではなかったのか?」

 「そうだよ。花嫁イヴに出来るのは、一度に一人きりだけど。……要らなくなった花嫁を切り捨てれば、すぐにまた新しい花嫁を迎えられるだろう?」

 京は、無邪気な笑みを浮かべながら、首をすこし傾けてみせた。――何も知らずに見れば、可愛らしく映るだろうその仕草が、今は憎らしい。

 「……そんな台詞を聞かされて、私があんたの花嫁になりたいと思えると思う? それに。……秋刀の事件の犯人の心当たりって、……本当なの? デタラメを言ってるんじゃないの?」

 「――それは、本当だろう。契約が成立した、という事は、そういう事だからな」

 

 「ああ、心当たりというより、そのものズバリの情報を持っていたからね」

 京は、ニヤリと牙を見せて笑う。

 「2年前。百年前に失った僕のイヴを探し歩いていた僕の前を、一人の子どもが歩いていた。……彼女に、とてもよく似た匂いをさせた子ども。まさか、と思って喰らってみたら……、そのものではなかったが、彼女の――君の縁者であると知れた。君の新たな名や住処、通っている学校や交友関係……。実に良い情報を彼は持っていた。血も、滅多にない上級品だったしね」

 くすくす笑いながら語られる内容に、千恵は息を飲んだ。

 「……じゃあ、秋刀を襲ったのは」


 京は、楽しくてたまらない、と言わんばかりに満面の笑みを浮かべながら言い放った。

 「そう、僕だよ」

 

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