第参拾肆話 future form to expect each other
――おかしい。
そう、何かおかしい。色々、色々おかしい。
まず夏也だ。朝、登校してきてすぐに顔を合わせたその瞬間から、何だか妙におかしい。いつも通り、当たり前に挨拶を交わしただけのつもりだったのに。
何か重たいもので頭を殴られでもしたような表情を浮かべたまま石像化してしまった。
1限の体育の授業には出席していたらしいが、2限の授業をすっぽかした上、その後、昼休みも放課後も、彼らしくない険しい表情を浮かべたまま、声をかけられることを頑なに拒絶し続けていた。
何か、気づかぬうちに彼を怒らせるようなことをしでかしてしまったのだろうか?
そして、風花も。こちらは、朝顔を合わせた瞬間から何か言いたいことがありそうな目でちらちらとこっちを幾度も見ながら、千恵が声をかけようとするとやんわりと遮られ、避けられる。
いつも、昼休みの昼食時は風花と共に過ごし、そこにたまに夏也が加わる――それが当たり前の風景であったのに。
いつもの屋上で、千恵と一緒に弁当を広げている相手は、今日は那由他ただ一人だけだった。
天気は晴れ。所々に白い綿雲が浮かび、西から東へとゆっくり流れていく。
見渡す限り、平和そのものの風景が広がる、いつもと同じ景色。いつもと同じ町並みと、裏山と。
弁当の中身は、那由他の好みに合わせたおかずの詰め合わせだ。
野菜の煮物、魚の照り焼き、ほうれん草の胡麻和え、付け合せの大根の漬物と、梅干に、ごま塩をまぶした白米。
千恵とチエは別人なのだと自覚はしたけれど。
やっぱり、こうして自分の作った食事を那由他が満足げに平らげる様を隣に置いて食べるこのひとときに感じるささやかな幸せは、今も昔も変わらない。
そう、チエが那由他と共に在りたいと願ったのは、ただ、そのささやかな幸福が続いていく未来が欲しかっただけ。
今だって、千恵が本当に望むのはやっぱりそういう未来だ。
「ねえ、那由他。……今朝の話なんだけど」
那由他は蓮根の煮物をかじりながらこちらへ視線を向けた。
「あのね、やっぱり今はいい。……寂しいけど。でも、やっぱり昔は昔、……あの日の記憶はもう、過去のものなんだよね」
千恵は裏山を眺めながら呟いた。
「あれは……チエの記憶で。私は……チエじゃないから」
那由他は口に含んだ蓮根をゆっくり咀嚼し、飲み込んだ。
「私も、あの頃と同じにはもう、戻れないから」
「――別に、戻る必要はないだろう」
静かに箸を置き、那由他は千恵を正面から見据えた。
「確かに、お前は“チエ”と“同じ”ではないだろう。事実面差しも違えば、ものの見方も違う。――だがしかし“違う”とも言い切れまい? 私の目で見る限り、お前の本質は何一つ変わってはいない。チエだろうが千恵だろうが、お前はお前だろう。無理に“同じ”に考える必要はないが、それ以上に“違う”事をことさら気にする必要もないと、私は思うぞ?」
那由他は淡々と諭すように自らの意見を述べる。
「どっちでも……私は、私?」
「そうだ。少なくとも私は、千恵、お前との契約を望んでいる。――私は、モノノケだ。モノノケが欲するのは確かなものだけ。確かでないものに心動かされたりはしない。千恵、私の心を動かしたのはお前の魂に刻まれた“本質”――私が何ものであろうと恐れもせず受け入れ、私と共に在りたいと願う心。それが変わらぬ限り、私はお前との永久を望む」
那由他は、はっきりとそう告げた。
「モノノケなど、所詮不確かな存在だ。だからこそ、確かなものに惹かれ、欲する。私が望むのは、お前との永久。それ以外にはない。――だから、お前はお前の思う通りに生き、お前が望む未来へ進めばいい。お前が私の傍を離れぬ限り、私はその未来を全力で守り、支えよう」
――何だろう。さっき、さんざん悩んだ自分が馬鹿みたいに思えてきた。
「そんな……、私が那由他の傍を離れようなんて、そんなこと考えられるわけないじゃない」
「千恵。我らには無限の時間がある。だから、急ぐ必要などどこにもない。ゆっくりで構わない。己の納得がいくまで、存分に悩み、考えるといい。必要ならば、いつでも相談に乗ろう。力が必要だというなら、いくらでも貸そう。 ――だからもうそんなことで悩むな、千恵」
結構、真剣に悩んだつもりの事柄を、“そんな事”と那由他は言い切った。
千恵が今更気づいたことを、那由他はとっくに気づいていて、それを全部分かった上で、約束をくれた。
お互い、結局本当に望むのは、互いに傍に在り、ささやかな幸せを感じられる日々を過ごす毎日が続く未来なのだと。
「私はもう、他の誰にもお前を譲るつもりはない。――そう、先程宣戦布告してきた」
那由他は再び箸を取り、食事を再開しながら言った。
一方で、千恵は思わず口の中のものを吹き出しそうになるのを堪えようとして失敗し、ゲホゲホとむせ返った。
「せ、宣戦布告って、誰に? ……って、まあ京、だよね?」
「そうだ。……奴を放置すれば奴は際限なく周りを巻き込む謀略を企て続けるだろう。――奴自身がそうと私に堂々宣言してきたからな」
那由他は険しい表情で空を睨みつけた。
「もう、過去の過ちは繰り返すまい。奴に、謀略を練る時間はやれない」
千恵も、緩んでいた表情を引き締め、重々しく頷いた。
「うん。――もう、あんな思い、二度としたくない。戦おう、一緒に」




