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第参拾参話 the truth of that day

 「――ごめん、お待たせ」

 風花は、京を自室に招き、マグカップに注いだ暖かい紅茶でもてなした。

 「安物のティーパックで申し訳ないんだけど」

 先日の一件で、京が紅茶好きである事を知った風花は言った。

 「いや、突然押しかける格好になっちゃったし、気にしないで」

 京は、嫌な顔一つせず、差し出されたお茶に口をつける。

 「それより、秋刀くんの写真っていうのは……」

 「あ、うん。ちょっと待って。たしか……この辺に……」

 風花は、本棚を物色し、水色の薄い冊子を一冊取り出した。

 「あった、これだ。3年前、夏也と悠兄――夏也のお兄さんと、私と、千恵と秋刀くんとで水族館に遊びに行った時の写真」

 見開きページに、4枚のスナップ写真が入れられる、写真屋で貰った簡易のアルバム。

 「3年前の夏……。夏也のとこのお父さんは刑事さんで、なかなかまとまった休みは取れないし、千恵のとこのお父さんも単身赴任中でしょ? お母さんたちもなんだかんだで都合つかなくて。うちらはもう中学生だったから、特に家族で旅行ってのにそんなに執着はなかったけど、秋刀くんは小学生、遊びたいさかりだからね。夏休みにどこにも連れてって貰えないのはかわいそうだろ、ってことで、うちらだけで出かけたわけ」

 「ああ……、じゃあこの子が秋刀くんなんだね?」

 イルカをバックに、皆で揃って写った写真の中、唯一直接面識のない子どもを指して京が言った。

 風花が頷く。

 京は、パラパラとページをめくり、アルバムに収められた写真に一通り目を通していく。

 「……やっぱり、この子だった気がする。見たのはほんの僅かな間の事だったし、2年も前の事だから、絶対とは言い切れないけど」

 真剣な眼差しで写真を眺め、時折過去の記憶にある光景を透かして見るように遠くを眺め。

 そうして最後のページへ辿りついた彼は頷きながら言った。

 京の言葉に、風花は後ろのベッドに背を預け、両手で顔を覆ったまま仰向いた。

 「なら……、そのTシャツにGパン姿の30代くらいの男ってのが犯人の有力候補……」

 「うん、そういう事になるね。さすがにどこの誰かまでは分からないけど、もし容疑者候補が見つかったとして、その人の顔さえ見ればそいつがそうだって証言出来ると思う」

 だらしがないと分かっていながら、力の抜けた体を起こせないまま、風花はベッドに顔を伏せた。

 「これまで、ホントに犯人の情報が一切なくて。年齢どころか男か女かも分かってなかったの。どこの誰が、何の目的で秋刀くんを狙ったのか一切分からないまま……時間だけが過ぎていって。――あの日。私、一晩中起きてて電話番をしてたのに、身代金の要求の電話とか一切かかってこなかったの。もちろん、千恵のお父さんのところや職場にもね。見つかった秋刀くんの身体に目立った外傷もなかったから、特に乱暴されたわけでもなさそうだったっていうし……」

 でも今、初めて糸口が見えた。

 「何で、どうしてあの子があんな目に合わなくちゃならなかったのか……。それすら分からなくて。いろんなモヤモヤが未消化のまま……唯一はっきりしてるのは、あの日私が掃除当番を千恵に押し付けてさえいなければ、あんな事にはならなかったんだって事だけで」

 だが、犯人さえ捕まれば、“何故”、“どうして”彼があんな目に合わなければならなかったのか分かる。

 ――例えそれがどんなに筋の通らない理不尽な理由だったとしても、何も分からないよりマシだ。

 「犯人さえ捕まれば、少なくともやり場のない思いを一人で抱え込まずに済むから。だって、そいつさえ居なければ、別にお互い掃除当番を代わるなんて珍しい事じゃなかったんだもん、こんなに罪悪感に苛まれなきゃいけないような事じゃなかったのに……」

 ずっと、ずっと一人で抱え込んでいた鬱屈とした感情が、堰を切ったように溢れ出す。

 小さな折りたたみ式のテーブルに、風花と向かい合わせに座っていた京は、空になったカップを置いて風花の隣にそっと移動し、彼女の背をそっと撫でた。

 「千恵は、もちろん私のせいだなんて一言も言わない。悪いのは、犯人だもの。でも、でも……!」

 京の前で、泣き喚くなんてみっともないこしたくないのに、止まらない。声が勝手に上ずり、涙が溢れる。

 京は、あえて口を挟むことなくただ背を撫で続け、じっと聞き役に徹していた。

 

 そして、ようやく風花の気が静まった頃、京が改めて口を開いた。

 「あのさ、改めて思い出して、ふと思いついたんだけどさ」

 「……うん?」

 「あの倉庫街の周辺調べたら、あいつに繋がる情報があるんじゃないかなって」

 「え、でも……あそこは秋刀くんの発見現場でもあるから、もうあの辺は捜査しつくした後だと思うんだけど……」

 「うん。けどそれは犯人の手がかりが一切何もない状態での捜査だろ? あの辺って、確かに人目につきにくい場所だけど、だからこそ逆にある程度事情に通じた人間じゃなきゃ、あんなところに何時間も子どもを留めておきながら誰にも見られてないって、ありえないと思うんだ」

 京は一つ一つ、丁寧に持論を説明していく。

 「僕がそいつを見かけたのは夕方、時間は……確か4時過ぎくらいだったと思う。今頃の季節だったらそろそろ暗くなり始める時間だけど、当時の季節は夏、まだまだ明るい――というか、ようやく真昼の暑さが和らいでくる時間だろ? 定時だってまだだ。当然、仕事中の作業員だってまだ居る時間だ。確かに空き倉庫も多い場所だけど、それだって一通り鍵はかかってるからね。たとえその犯人が職人並みの鍵開け名人だったとしても、嫌がる子どもを抱えながら誰にも見られず短時間で……て、考えにくいだろ? だとすれば、事前に鍵を持っていた可能性が高い。――鍵を事前に用意出来たってことは……」

 「関係者の可能性が高い?」

 「もちろん、真夜中に人目を忍んでやってきて、合鍵作って……って可能性も否定しきれないけど、でも、ああいう鍵って家庭用のと違ってちょっと特殊だろ? もしもどこかに外注してたとしたらその辺りに手がかりが残ってるかもしれない」

 それに、空き倉庫って言ったって、外からぱっと見ただけでは、どれがそうなのかは分からない。

 「もしも使っている倉庫であれば、その日人や荷物の出入りがないことを知っている人間でなくば使わないだろう。やっぱり、ある程度事情に通じた奴じゃなきゃ、状況の説明に道理が通らないだろ?」


 ついさっきまで煙にまかれていたようだった場所に、理路整然とした道筋が整えられていく――。風花は固唾を飲んで京の話に聞き入った。

 「凄い、すごいよ! たった今日一日、ううん、たった数時間でここまで絞れたなんて……。もちろん、まだこの情報だけじゃ候補はごまんと居るんだろうけど、でも、少なくとも雲を掴むような話じゃなくなったもの!」

 希望と、期待と。これまで程遠かった感情が、一気に押し寄せて気分が何だか高揚してくる。自然と、笑顔が浮かんだ。


 「――ああ、良かった。…・・やっと笑ってくれた」

 京が、優しい微笑みを向けてくれる。

 「うん。……京のおかげだよ。ありがとう」

 「いや、本番はまだこれからだからね。君が、本当に何の憂いもなく笑えるようになるまで、僕は君にいつでも力を貸すよ」

 「――いいの?」

 「もちろんだよ。でも……そうだな……。こういう風に切り出すとちょっと卑怯かなあ、とも思うけど……」

 京が、さりげなく体を寄せ、風花の頬に手を添える。

 「でも……もう、我慢できそうにないや。ねえ、キスしてもいい?」

 京は必殺の下から目線攻撃で尋ねた。

 「え、ええ!?」

 多分、千恵よりはこういう話題に耐性があるはずで、知識だって興味だって人並みにあるし、何より相手は京だし……

 頭の中で、色々な考えがもの凄い勢いでぐるぐる回りだす。

 「……ごめん、やっぱり卑怯だよね、こんなの。やっぱりやめ――」

 「え!」

 なのに、引きかけた京に思わずといった風な声が勝手に口から飛び出した。

 とてつもない羞恥に一気に顔が熱くなるのが分かる。

 「あ、えっ、い……今のは……あのっ、そのっ、ね??」

 あたふたと必死に取り繕おうとすればするほど、おたおたとまごついてしまう。


 「――っ、ぷっ、ははっ、」

 それを見て、京が小さく吹き出し、肩をぷるぷる震わせながら必死に笑い出すのを堪えている。

 「あっ、ちょっ、笑うことないでしょ??」

 京の目尻に涙が光るのを見とめ、憤りながら、更に顔が熱くなるのを感じる。


 にこっと無邪気に笑いながら、京はもう一度下から目線攻撃を試みる。

 「じゃあ……いい?」

 尋ねているのに、顔が、どんどん近づいてくる。

 もう、目を開けていられなくて、咄嗟に目をつぶる。


 ――ちゅっ、と、唇に僅かに触れただけの軽い感触と、小さな音。


 ドキドキと、耳の奥で嫌に大きく聞こえる拍動の音にかき消されそうなそれはすぐさま離れていった。

 (え、あれ……? こ、こんなもん?)

 欧米の映画で見る挨拶のキス。本当に、軽く触れるだけのそれに、戸惑いを覚える。

 そろそろと目を開けると、京の悪戯っぽいにやにや顔が視界いっぱいに広がる。

 あまりに軽い触れ合いにちょっぴりの不満を抱えている事など全てお見通し、と言わんばかりの顔で笑う。


 猛烈に恥ずかしいのと、悔しいのとで何も言えない風花に、京は更に笑みを深める。


 「……いい?」

 風花は何も言えないまま、一度だけ小さく頷いて再び目を閉じた。


 京の気配が再び近づき、唇と唇が触れる。

 一度、二度。軽く触れる。ぺろりと、舌で唇を舐められ――

 「ふぇ!?」

 驚いた拍子に漏れた間抜けな声が生んだ隙に、舌と舌が触れ……

 「――っ」

 ピリッと一瞬、唇に鋭い痛みが走った。

 乾燥した唇を切ってしまった時のような、小さな痛み。その上を京の舌が這い、ちゅっと強くついばむ様に吸われる。


 ――その瞬間、ゾワリと体の中で何かが湧き上がるのを感じた。

 (え、なっ、何、コレ??)

 熱い。体の芯が、異様に熱い。心臓の拍動が――初めてのキスで既に舞い上がっていたそれが、更に速度と強さを増す。

 頭が、くらくらしてくる。……まるで、酒にでも酔っているように。

 

 ジュっ、と、痛む箇所を何度も何度も執拗に啄まれるごとに、その感覚が徐々に強くなっていく。

 「あっ……」

 喉から、自分のものとは思えないような甘い吐息が漏れた。

 クスリ、と京が笑うのを、風花はぼうっとした頭で眺めた。

 「――気持ちいい?」

 (え……、気持ちいい……って?)

 良く分からない事を尋ねられた風花は、よく回らない頭で考える。だが、まともな考えがまとまる前に、京が再び口を開いた。

 「何も、考えなくていい。……もっと、気持ちよくしてあげるから」

 京の唇が、風花の唇から遠ざかり、代わりに首筋をなぞるように降りていく。

 「け、い……? 何……を……っ!」

 京の唇が、ある一点で止まった――それを認識するより早く、激痛がそこを襲った。

 「ッ!」

 じゅるじゅるっ、とやけに生々しい音が、聞こえてくる。

 (な、何……?)

 一体、京は何をしているのか。自分は何をされているのか。考えをめぐらそうとするも、もう、頭がまともに働かない。

 体中で湧き起こる、ひとつの感覚に、全てが支配されていく。


 体温がどんどん上昇し、体中が熱くなり、全身にじっとりと汗が浮かぶ。

 呼吸が、まるで激しい運動でもしている時のように乱れ、荒くなる――のに、漏れる吐息は何故か甘い。

 (何、これ……)

 耳の奥、京の言葉が響いた。

 『――気持ち、良い?』

 「……んっ、」

 ぺろりと、傷口を京が舌で嬲る。

 「ああ、なかなかいい味だ。――彼女にはもちろん及ばないけど。いいね、ここ最近じゃ一番の味だ」

 その舌で、自らの唇をぺろりと舐め。

 「風花。力が欲しいと思うかい? ――君の憂いを晴らすための……事件の真相を暴く力が」

 鼓膜に響く、魅惑的な声。甘い声音。ぼうっとした頭に、響く声。

 「それは……もちろん――」

 「ならば……僕の力を君に貸してやろう。――代わりに……僕は君の心血を貰う。それで、契約は成立だ」

 「契……約……?」

 「そう。君は、ただ肯けばいいだけだ。それだけで、君は力を手に入れられるんだ。――悪い話じゃないだろう?」

 痺れた脳髄に、京の言葉が否応なく染み渡っていく。


 『あの人は……やめておいたほうがいいと思うな――』


 千恵が言っていた言葉が、脳裏をちらりとよぎる。

 (千恵……は、……知ってた?)

 ――何を? こうなる事を? いや、だから今、自分は一体何を……されているのか。


 「犯人を、捕まえたくはないの? 事件の真相を知りたくはないの?」

 風花は首を左右に降った。

 「――なら、頷け。全てを知りたいなら」


 京は、それまでの甘い口調から一転、冷たい命令口調で尋ねた。


 「――知りたいか?」

 風花は、頷いた。

 「知りたい。犯人、とっ捕まえて……それで……」

 

 「そうか。ならば我が名のもとに契約を結ぼう。我が名は京。我が力を貸し出す、その対価としてお前の心血を差し出せ。――今、ここに血の契約を結ばん」


 京は、勝利の笑みを浮かべ、風花が身につけていたシャツを乱暴に破き、胸元を顕にすると、すぐさまそこへ口づけを落とした。

 心臓の気配を、本能のままに探り当て、牙を立てる。

 深々と、皮膚を裂き肉を穿ち、心の蔵まで届く傷を穿ち、溢れる血を飲み下す。


 (いやっ、何? ――痛い、痛い!)


 凄まじい痛みと混乱と、それ以上の快楽とに翻弄され、風花の意識はふつりとそこで途切れた。

 

 「――ッ、クッ、アハ、アハハハハハ!」


 京は、それまで貼り付けていた優しげな笑の一切をかなぐり捨て、狂気の笑みを浮かべた。

 

 「――思ったよりずいぶん早く収穫できた。まあ、少し苦労はしたけど……、フッ、馬鹿な女。……教えてあげる。秋刀を襲ったのは TシャツにGパン姿の三十路男じゃない。……僕だ」

 意識を失い、くたりと横たわる風花を見下ろしながら、京は酷薄な笑みを浮かべる。

 「彼女の血に連なる者――。ああ、実に味わい深かった。男の血なんか興味なかったはずの僕を思わず唸らせた、最高級クラスの血だったよ。おかげで、彼女の魂の在処も知る事もできたしね」


 「――さあ、那由他。……この駒を相手に、お前はどう戦う?」


 京は堪えてもこみ上げてくる笑いに口元を引きつらせながら、牙で自らの親指に傷をつけ、滲んだ血で“印”をつくる。

 薄く透けるような赤い鱗。人魚マーメイドの鱗――。

 それを、穿ったばかりの風花の胸の傷に無理やり押し込む。


 「これで、君は僕の忠実な手駒。――さぁ、ゲームを始めよう」


 

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