後編
大学二年になって、教職課程を降りた。
立派な志望理由があったわけではない。数少ない身近な職業の一つが教員であったが、教員になりたいという強い意志があったわけでもなく、なんとなく取っておこう、という程度の動機で履修していた課程だった。
その年、中学生の少年による事件が世間を騒がせていた。被害者の遺体の一部が、通っていた学校の前に置かれていたという報道を、部屋の小さなテレビで見た記憶がある。犯行声明文が添えられていたこと、犯人がまだ中学生だったことが、繰り返し繰り返し報じられた。専門家と呼ばれる大人たちが、テレビの中で子供の心の闇について何かを語り続けていた。
その一件を機に、というよりその一件に衝撃を受けた、というのを口実に、卒業に必要なのと同じくらいの単位が必要だった教職課程にうんざりしていた私は、あっさりと撤退を決め込んだ。
◇
三年、四年と学年が上がり、周りが就職活動を始めたが、私はビジュアルノベルゲームを立て続けにやっていて、少し出遅れていた。
ある晩、大学の同期数人と居酒屋に集まった。就活が本格化してひと月ほど経った頃で、誰の顔にも疲労の色が濃く出ていた。
「もう何十社受けたか分かんねえよ」
一人がジョッキを傾けながら言った。
誰かが、面接で「暑ければ上着を脱いでいいですよ」と言われた話をした。素直に脱いだ学生だけが、その場で「今脱いだ方はもうお引き取りください」と告げられたのだという。別の一人は、説明会で「服装は自由です、私服で構いません」と案内されたのに、実際に私服で行くと、それだけで印象点を落とされた同期がいた、と話した。
「彼女がさ、会社説明会に行ったらさ、志望動機聞かれて、答えたら『それ、もっと具体的に』ってずっと詰められて、具体的に言い直したら今度は『薄っぺらいね』って鼻で笑われたって」
別の一人は、面接官がひたすら黙り込む面接を受けたと言った。何か喋らないといけない気がして、しどろもどろに喋り続けたが、面接官はメモを取るでもなく、ただこちらの顔を見ているだけだったという。「圧に耐えられるかどうかを見てるらしいよ」と、したり顔で誰かが解説した。
履歴書をその場で破られた、という話も出た。本人が話しているのか、又聞きなのか、酔いも回っていたのでもう定かではない。
求人倍率はその年、とうとう一倍を割り込んでいた。大卒者の就職率も、五割台まで落ち込んでいるという数字が、新聞の片隅に載っていた。
面接の交通費や宿泊費まで出ただの、研修と銘打って内定者をハワイに連れて行くだの、売り手市場だった数年前の先輩たちの話を、誰もが別世界の話だと思った。
私はその晩、ほとんど何も話さなかった。相槌を打ちながら、ただ聞いていた。何か言おうとしても、言葉が出てこなかった。自分の中の何かが、静かに折れる音を、確かに聞いたような気がした。
◇
その数日後、父の知人が経営する会社から、連絡が来た。
小さいが、堅実にやっている会社だった。父が世間話のついでにその知人に私のことを話し、知人が「じゃあ一度うちに来てもらって話してみようか」と言い、面接の日取りが決まった。
行ってみると、面接というより、世間話に近かった。座って十五分ほど、大学での専攻と、健康状態と、趣味を聞かれただけだった。通勤時間が長いことを少し心配されたが、「大丈夫です」と答えた。
「うん、じゃあ、追って連絡します」と言われ、翌々日には採用通知をもらった。
数年に一度、一人か二人しか採らない規模の会社で、同期と呼べる相手もいなかった。
あの居酒屋の席から、まだ一週間しか経っていなかった。
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入社してからの数年は、ほとんど家と会社の往復だけで過ぎた。実家から会社までは、電車を乗り継いで片道二時間近くかかった。始発に近い電車で家を出て、日付が変わる直前の終電で帰る日が、週の半分ほどを占めた。終電にも間に合わない日、帰る気力がない日は、会社の近くのカプセルホテルに泊まった。月に四、五回、多い月ではそれ以上あった。ホテルのスタンプカードを何枚も埋めた。
仕事のマニュアルは有ったが、手書き混じりの古いもので、書いていないことのほうが多く、先輩や上司のやり方を見て覚えるしかなかった。
向かいの家の窓明かりを気にする余裕すら、当時の私にはなかった。正直に言って、智子の存在すら忘れていたと思う。
◇
入社三年目、会社の家賃補助の制度ができた。私もその制度に乗る形で、会社に近いアパートに移った。
私は仕事にようやく慣れ始めていた。終電を逃す日が減り、カプセルホテルに泊まる回数も、月に一度あるかないかまで減っていた。少しずつ、時間に余裕ができ始めていた。
その年の年末、中学の同窓会があった。
一、二年に一度出ていた同窓会で、智子が顔を出したことは一度もなかった。今回、たまたま彼女の都合と重なったらしく、十年ぶりに顔を合わせた。
会場の隅にいた彼女は、記憶よりも少し痩せたように見えた。だが、表情も話し方も、あの頃とそう変わっていなかった。
「今、フリーターなの。実家。まだあの部屋にいるよ、子供の頃のまんまの部屋に」
笑いながら、そう言った。
「この時期はおでんの需要でさ、川のところの水産加工の工場、あそこが季節労働を募集するから、そこでも働いてる。ちくわとか、はんぺんとか。手が荒れるんだけど、時給はいいんだ。それに工場でずっと同じ作業してるとさ、逆に無心になれて悪くないんだよ」
深刻ぶった調子は、まるでなかった。ちょっとした武勇伝でも語るような口ぶりだった。私はうまい返しも出来ず、「そうなんだ」としか言えなかった。
やがて、声のでかいヤツが、でかい声で恩師への感謝の辞を述べ始め、智子との話もそれきりになった。
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三十五歳になっていた。
仕事は中堅と呼ばれる立場に落ち着いていた。若い頃に比べれば、残業も休日出勤も、随分と減っていた。
◇
その年の年末、また同窓会があった。
会場に着いてすぐ、声をかけてきたのは高野久美子だった。
「久しぶり」
結婚して、今は県外に住んでいるのだと言った。今回は実家に帰省していたタイミングと同窓会が重なったので、顔を出す気になったのだという。他愛もない近況を二言三言交わしただけで、久美子はすぐに別の輪へ移っていった。
◇
しばらくして、会場の少し離れた席に、智子がいるのに気づいた。
近づいて声をかけると、彼女は少し驚いた顔をした後、懐かしい笑顔で笑った。まだ独身で、派遣社員をしていると言った。三十五歳になった彼女は、記憶の中の姿より、当然ながらいくらか大人びていた。だが口調そのものは、あの日、門のところでチョコレートを渡してきたときと、あまり変わっていないように思えた。
「今、書道やってるんだ」
そう言った。子供の頃、部屋に書道具があった記憶はなかったので、大人になってから始めたことなのだろう、と私は思った。
「今度、上野で展示会があってさ。グループ展だけど。教室の先生に、そろそろ人前に出してみたら、って言われてさ。通りかかったら見てみてよ」
場所と時期をざっと聞いたところで、別の元同級生が智子に話しかけ、会話はそこで途切れた。私はまた元の輪に戻った。
これが、智子と直接言葉を交わした、最後の機会になった。
◇
後日、私は一人で上野に足を運んだ。
会場は、思っていたよりも大きなギャラリーだった。数十点の作品が、壁に沿って並んでいた。智子の姿は、どこにも見当たらなかった。会期のどの日に来るのか、どころか会場に来る予定があるのかも、聞いていなかった。
智子の名前が添えられた作品は、すぐに見つかった。大きな一枚に、まとまった量の文字が、勢いよく崩された筆致で書かれていた。
何が書いてあるのか、私には読めなかった。
達筆すぎて読めない、というよりは、私の側にそれを読み取るだけの素養が、そもそも備わっていなかった。しばらく立ち止まって眺めてみたが、一文字として判読できなかった。墨の濃淡と、紙の余白の取り方だけが、なんとなく良いもののように見えた気がした――もっとも、それすら本当に見えていたのか、後になって作った記憶なのか、今となっては怪しいものだった。
誰かに感想を伝えることもなく、誰かに見に来たことを話すこともなく、私はそのまま会場を出た。
社交のつもりでもなかった。ただ、行かずにはいられなかっただけだ。
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三十六歳のとき、結婚して、会社と同じ市内に小さな戸建てを買った。同じ年、両親は名古屋に住む姉夫婦を頼って転居することになった。
実家は、人手に渡った。貸すという選択肢も出たが、遠方から管理する手間を考えて、結局は売ることになった。買い手はすぐについた。
これで、東が丘との地縁は完全に切れた。以後、同窓会の案内が来ても、顔を出すことはなくなっていった。
◇
六十五歳で、定年を迎えた。子どももとうに巣立っていた。
二十代の終わり頃からなんとなく積み立て続けていた投資信託が、結果的に株高の波に乗って、結構な額に育っていた。保険の営業に勧められるまま入っていた個人年金も、満期を迎えていた。定年後にどこかへ再就職する必要は、特になかった。
◇
定年後、これといってやることのない日が続いた。
ある日、駅前のバイク販売店の前を通りかかり、原付二種の小さなバイクが目に留まった。特に理由があったわけではない。学生時代以来、数十年ぶりに、なんとなく欲しくなった。
手続きを済ませ、翌月には納車された。
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バイクが届いて数日後、元の実家があった辺りまで走ってみることにした。
下道しか走れないバイクだが、いつしか出来ていたバイパスを走り、国道に入り、記憶にある角を曲がると、見覚えのある街並みが、少しずつ形を変えながら現れた。子供の頃は真新しかった家々は、どれも半世紀分の年輪を刻んでいた。庭木はどこも太く育ち、外壁の色は褪せたまま塗り替えられていない家も多く、建て替えられた家もいくつか混じっていた。
実家のあった区画には、知らない表札の、知らない形の家が建っていた。それ自体には、思っていたほどの感慨はなかった。人手に渡ったのは知っていたし、最後に訪れてから三十年近く。覚悟していたことでもあった。
問題は、その向かいだった。
◇
智子の家があった場所は、更地になっていた。
雑草に覆われた空き地に、古びた「売地」の看板が一枚、傾いたまま立っていた。それ以外には、何もなかった。門も、塀も、窓も、あの部屋があったはずの二階の位置すらも、もう分からなかった。かつてそこに何十年も家が建っていたことを示すものは、地面のどこにも残っていなかった。
バイクを停め、ヘルメットを脱いで、しばらくその場に立っていた。何を考えるでもなく、ただ空き地を眺めていた。
◇
「あら」
声をかけられて振り返ると、見覚えのある顔があった。高野久美子だった。
三十五歳の同窓会以来だから、三十年ぶりということになるが、互いにすぐ分かった。散歩から戻ってきたところだったという。子育てを終えたあと、熟年離婚をして、二年ほど前から実家に戻って母親とともに暮らしているのだと、聞く前に教えてくれた。
しばらく世間話が続いた。バイクのこと、互いの子供のこと、この辺りがどう変わったかということ。ひとしきり話が途切れたところで、私は空き地に目をやりながら、智子のことを尋ねた。
「そういえば、林原の家、こうなってるけど……今、どうしてるか知ってる?」
久美子の表情が、一瞬だけ曇った。
「ああ、何年か前ね。あの家で一人で亡くなってるのが見つかったんだって。大騒ぎだったらしいよ。ご両親もその少し前に相次いで亡くなってて――」
その先は、耳を素通りしていった。
久美子はその後も何か話し続けていたと思う。相槌は打っていたはずだが、何を話したのか、まるで覚えていない。
代わりに、ずっと古い記憶ばかりが、勝手に浮かんでは消えていった。
「どこから来たの?」――向かいの家の表札。
牛乳を入れたお椀を持つ細い指。
「手が荒れるんだけど、時給はいいんだ」――ちょっと誇らしげだったあの顔。
登校班で前を歩く、彼女のおさげが揺れた。
「余ったからあげる」――どういうつもりで渡してきたのか、結局聞けなかった百円のチョコレート。
制服の紺のジャンパースカートから覗く白い脚。
「今、書道やってるんだ」――読めなかった文字。
夕闇のなか、道路の向かいの彼女の部屋の明かりが灯る。
「大丈夫?」――中学三年間でたった一度きりの会話。
――ぬいぐるみが、たくさん並んでいた、小さなローテーブルとピンクのベッドの部屋。
一人で見つかったのも、同じ部屋でのことだったのだろうか。子供の頃、一度だけ見たあの部屋で。
帰路、バイパスの速い流れに乗るためにスロットルをいっぱいに捻る。小さなエンジンが咆哮をあげた。
完




