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聖印を焼かれた令嬢、ヒストリア・フランドール


「ヒストリア・フランドール。我が妃、大聖女に対する殺人未遂の主犯として、身分剥奪のうえシルドバーニュ・ルキリュ領・ディート地区への追放を言い渡す。無論、第一王子ベルナルドとの婚約は解消とし、貴様の聖印は烙印をもって抹消を命ずる」


夜明け前の荘厳な王座の間、白い石造りの壁に揺れる蝋燭の灯りだけが極秘に執行される断罪の舞台を照らしていた。

処分を言い渡されたのは十八歳を迎えたばかりのフランドール侯爵家の次女、ヒストリア・フランドールだった。

国王陛下の他には第一王子、そして政務執行人と兵士数名。隣には義理の兄が控えており貴族や宮廷の使用人が居ないこの場は一瞬の吐息も全て暴かれるような静けさが漂っていた。

異様な雰囲気だった。


言い渡されたのは身に覚えのない罪状、両手には鉄の拘束具。

まるで身体を芯から冷やされたような錯覚に陥ったヒストリアは眼を瞠っていた。

そして時が止まっているような感覚と同時に、脳裏では急速に様々な記憶が蘇ってくる。

はっとして周りを見渡すと、周囲の視線はヒストリアの身に集中していた。


「国王陛下、私は……」

咄嗟にかぶりを振って出た声は、闇が一番深い時間に叩き起こされ城へ上がったためか、唐突に降りかかった災難のためか上擦っていた。

しかし訴えようとした言葉は遮られた。

「私は憤っているぞ、ヒストリア」

これまでになく厳しい表情が伺える国王にびくりと肩が跳ねた。

「将来、我が息子と結婚しこの国の大聖女となる貴様を迎えるために王家はこれまで丁重に扱ってきたつもりだ。貴様は王妃を嫌っていたようだが、彼女は心を砕き貴様の教育に取り組んでいたと聞く。その恩を仇で返すとは」

「そんな……違います!」ヒストリアはもう一度強く首を振った。

確かにヒストリアは王妃を嫌っていたが、だからといって殺す理由などない。

しかし国王は嫌悪を隠そうことなく眉根を顰めた。

「証拠はすでに揃っておる」

囁くような小声で政務執行人の一人が兵士に何かを指示すると、速やかに現れたのは赤く色づく炭火の入った火鉢と焼きごてだった。

国王の言葉がよぎり、それが聖印を消すためのものと否応なく理解する。

ヒストリアは焦り、声を荒げた。

「お待ちください!私は王妃様に毒など盛っていませんっ……理由がありません!そうよ、きっと罪をなすりつけられているのよ……お姉様だわ、お姉様を調べてください!」

釈明の言葉に隣からは「なんて愚かな……」と嘲笑混じりの呟きが聞こえる。

瞬間、ヒストリアは青冷めた。

今この場で告げられていたのは罪状と執行内容のみである。

「なぜ、毒と知っていた?」

「っ……」

「王宮内の一部の者しか知らない情報だ。フランドール家に伝わっているわけがない。知っているとするなら害意を持つ者のみ。証拠に加えて先ほどの発言……もう言い逃れはできんぞ」

鎮座する国王の声音は冷たかった。

咄嗟に国王の傍に控える婚約者だった王子へ縋る視線を向けたが、ヒストリアに返ってくるものは何も無かった。

「そんな……何かの間違いです!」

現大聖女である王妃が何者かに毒殺されそうになった、ヒストリアがその情報をメイドから聞いたのは昨晩のことだった。

国の宝である大聖女を害そうなど愚かな行為。しかし実行した何者かに対しこの時までは心の内で賛辞を送っていた。

聖女信仰の強いこの国は大聖女と王族が婚姻する慣習を持つ。

これまで大聖女を排出したのは貴族のみであったが、王妃――もとい、現大聖女は平民の間に生まれた女だった。

前代未聞の出来事に貴族から反発はあったというが、王妃はこれまでの大聖女の誰よりも慈悲深く聡明で、国王の寵愛を受け美しい淑女として成長し日々公務に邁進している。

平民からすれば夢物語。聖印を持って生まれた子は王室に入り立派に育ち、その親は大聖女を設けた功績として貴族籍まで与えられたという。

今や聖女の鏡と言わしめ、国中から愛され平和の象徴となっている。

もはや貴族の中に表立って反発を訴える者はいないようだが、同じく大聖女の印を持つヒストリアには理解できず、これまでも幾度となく露骨に態度へと出していた。

もしも自分が一世代早く生まれていれば高貴な血を汚すことはなかっただろう。

そのような考えを持っていたのだ。

一命を取り留めたと聞いた時には、いっそ死んでくれていれば予定より早く自分が聖女の頂きに立てたとすら考えていた。そんな妄想に耽り心地よい眠りについたはずが、断罪の場に引き摺り出されたのは他でもないヒストリアで、思いつくままに訴えた言葉は破綻の決め手となっていた。

「違います陛下!毒が使われたと私はメイドから聞いただけでっ……」

「ならばその使用人の名を申せ」

「名前なんて……」

使用人の名前に関心のないヒストリアは一々覚えていない。そのことを深く後悔していたが、しかし昨晩のメイドは新人だからと名乗っていたことを思い出した。

記憶の中で再現される声を頼りに曖昧だった顔が徐々に浮かび上がってくる。

「いいえ、覚えております!アンと名乗っていました。黒髪の若い女です!」

刹那、政務執行人らによる訝し気な囁きがあった。それらに国王は反応せず、ヒストリアの生家であるフランドール家から当主代理として登城している義兄のロイド・フランドールに視線を向けた。

「ロイドよ、フランドール家にヒストリアが告げた名の使用人は?」

「恐れながら、陛下。妹が挙げた特徴の使用人は我がフランドール家に在籍しておりません……メイドの名は私がすべて把握しております。髪色についても父の命令でブロンドの髪を持つ者しか採用しておらず、まして黒は最も忌諱される色。どのような理由があれどフランドール家の邸を跨ぐなど許されないかと」

粛々と告げるロイドからはヒストリアに対する配慮が一切なかった。

それどころか肩で緩くまとめ上げた鳶色の長い髪から梳けて見えるロイドの横顔からは一抹の笑みすら捉えられた。おそらくそれに気づいたのはヒストリアだけだろう。

頷いた国王は兵士に命令し、王妃に使われたものと同じ毒薬と共に売人との間で交わされた証拠として数枚の手紙をヒストリアの目の前へ出した。


手紙は紛れもなくヒストリアのものと同じ筆跡で綴られてあった。当然偽装の可能性も鑑みられたであろう、息をつく間もなく現れたのは野盗らしからぬ荒っぽい風貌の壮年の男で、彼もまた両手を手錠で繋がれていた。

「この者で間違いないな」

「あぁ。何度も言ったろ、この別嬪さんに間違いねぇよ。俺は金で雇われてこの女に包みを渡しただけだ」

ヒストリアには面識のない相手。しかし男の方は既に何度かヒストリアとの面識を何度も確認されているようだった。

「もう良いだろうがっ!」苛々とした調子で揺れた鎖が擦れ合い錆びた音が響く。

「よい。刑に処せ」

王命を受けた兵士によって一瞬のうちに羽交い絞めにされた男は、無理やり毒薬を服用させられた。

瞬く間に悶え、男は苦しみ転がり始める。酸素を求めるかの如く喉を引っ掻き、最後には酷い形相でヒストリアを睨みつけたまま泡を吹いて息途絶えた。

「ひっ……」

国王はじろりとヒストリアを見下ろした。

「致死量以上を与えればこうなる。貴様は以前にも同じような手口で使用人を苦しませたな?」

「それは昔の話で……メイドが私に嫌がらせをしてくるから……っ」

「事実か。当時は子供の悪戯として内々に処理されたと聞くが、王妃を害そうとした今回の行為は悪戯ではすまされん。これはれっきとした殺人未遂だ」

「だから違うのです!私ではありません……陛下も、ベルナルド殿下も、私を信じてください!」

しかし懇願は届かず火鉢で熱された灼熱の焼きごてを持つ執行人の姿がヒストリアの視界を遮った。

「お姉様よ!私じゃない、エリザベートが私を陥れたのよ!」

わなわなと首を振り後退る。肩は震え、逃げ場を探すように視線を彷徨わせた。

しかし兵士によって両手の拘束具から伸びる鎖を引っ張られたヒストリアはバランスを崩しその場に倒れ込んだ。衝撃を受けた膝には鋭い熱が集まる。しかしそれが痛みだと理解するよりも先に拘束具が乱雑に床へと押し付けられた。

「これより罪人であるヒストリアの聖印を抹消する」

国王の号令によって政務執行人の影が落ちた。

「本来ならば斬首に値する大罪。にも関わらず陛下より過分な恩情を頂けたことを感謝しなさい」

「ちがう、違うの私じゃない……お願い、信じて……」

兵士を振り払おうともがけども屈強な男を相手になすすべはなかった。

露わになった手の甲に宿る緋色の聖印に、位置を確認するかのように焼きごての熱が慎重に近づいてくる。

「いやよ、お願い、私じゃないの……本当に、っ……!!」

執行人の若い男は柔らかな笑みを湛えると端切れを丸めた布をヒストリアの口内へと押し込んだ。

「……一度で消えるといいですね」

言い終わらぬ間に熱が左手へと落ちる。

「っうぐ……っ!!!」

全身から汗が噴き出るかの如く苛烈な痛みが耳の奥まで貫いた。

焦げ臭い、肉の焼ける匂いが頭上に立ち上がる。

一瞬のうちに汗と涙に濡れ、ヒストリアは手首に突っ伏して固く眼を瞑り顔を歪めた。

端切れがなければ舌を噛み切っていただろう、繰り返し刺々しい痛みが身体の隅々まで伝番してゆく。冷めることを知らない甲の痛みとは反対に、焼き印を当てられた瞬間に跳ね上がった胸の鼓動だけが徐々に緩やかになって時間の経過を物語った。

ヒストリアは震えながら恐る恐る瞼を開いた。

いつの間にか、窓からは澄んだ日の光が差し込んでいた。

悔しさと恐ろしさが合い混ぜになった頭は思考を鈍らせ執行人の話し声が遠くに響く。


――――終わったのか?

「やはりそう簡単には消えませんね……ではもう一度」

落ちてきたのは悪魔の声。

再び振りかざされた焼きごては一度目よりも強引で皮膚を割かんとする勢いで押し当てられる。

「い゛っ…ぁ、あ゛あっ!!!!」

莫大な聖力の象徴とされる大聖女の印。

それは肉を抉るほどに行われた何度目かの烙印によってようやく消滅した。

それからの手続きはあっという間だった。

ボロ雑巾のように王城の地下牢へ乱雑に収監され最低限の火傷の手当てを受けたあと、申し合わせてあったかの如く、ヒストリアはすぐに荷馬車に詰め込まれ追放先へと送還された。

慣れない馬車移動では身体に響く振動と嵐のように起きた断罪劇の恐怖に幾度となく吐いた。


そうして最低限の護衛と共に数日かけて到着した辺境の地は心が折れたヒストリアを無慈悲に踏みつけるかの如く、寂しい景色が広がっていた。


ルキリュ領・ディート地区はシルドバーニュの最北端の地。国の末端というだけならまだしも、今から五十年前に瘴気で崩壊した国の国境付近に位置する。そのため結界の外の瘴気は濃く、一歩出れば有象無象の魔物が徘徊する土地に近したディート地区は他と比べて薄暗く曇り空に覆われていた。

シルドバーニュにおいて、結界付近の地域は防衛拠点と神殿さえあれど人が好んで住む場所ではない。ディート地区も例に倣って人口が少ない区域だが、他の国境地域よりもさらに人気がなく、そこに滞在する者といえば軍と神殿関係者が中心となっており、彼らを目的とした商人や娼館ともともと在った小さな村ぐらいだ。

ディート地区は聖女の加護に守られながらも瘴気の最前線の土地というのもあって作物は育ちにくく岩石の多い不毛の地だった。そのため大聖女の祈りによる結界の障壁で瘴気に侵された魔獣に襲われる心配こそないが、汚染された地と地続きであるこの辺境で暮らそうと考える者はほとんどいなかったのだ。

そのような場所にヒストリアは着の身着のまま古びた煤臭い小さな家に送還され放り込まれた。軍の駐屯地や教会からも離れた結界の袂、貴族の娘が追放されたこの場所へと送られた意味は実質死ねと言われたようなものである。

追放当初のヒストリアは己の不幸に泣き叫び、疲れ果てると不安を拭うように誰かが迎えに来てくれるかもしれないなどと妄想に耽っていた。

しかし王太子の慈悲という名目で運び込まれていた数日分の水と食料が底をつくと、もう自分を迎えにくるものは居ないのだと流石に理解させられる。空腹と喉の渇きの恐ろしさに震え、気力もなく硬い寝台の上で薄い布に包まっていた。

体の限界は近い。しかしヒストリアは自ら外に出て助けを求めることはしなかった。

移送の護衛を担当した兵士から近隣に村があること教えられていたが、聖女であり未来の王太子妃でもあった自分が平民に頭を下げて物乞いするなどプライドが許さなかったのだ。


もういっそのこと命を断ってしまおう。

そう思い立つとヒストリアの行動は早かった。

空腹と脱水で力の入らなかった体も、強い目的を持てば案外動くものだった。

身投げできる場所を探してゴツゴツとした岩場の多い道を選んで歩いてゆけば、いつの間にか結界の外に出ており、視界を時折阻むような強い風が吹き荒れ目を細めた。

結界の外に出るのは初めてだったが恐怖はない。身投げするという意思がヒストリアを突き動かしていた。

流行りの装飾が施された上質なドレスや宝飾で輝く靴が汚れようが気に留めることなく切り立った岩場を登り続け、とうとうちょうどいい絶壁を見つけたヒストリアは底の深さを物語る暗闇を見つめた。

錯覚か、深い闇の中に蠢く何かが手を伸ばしてヒストリアを招いている。

カサついた口元は綻び、抱き返すかの如く両手を広げ目を閉じた。目的地に辿り着いた身体はふっと力が抜け、深い亀裂へと倒れるように飛び込んだ。

自分を軽んじる世界なんてもう要らない。


しかし身体は降下の風圧を受けることなく宙で止まり、次の瞬間には強い力で後ろへと引っ張られ地面へと叩き落とされていた。

「い゛っ……」

砂埃が舞い、粒度の粗い小石がヒストリアの肌を突く。

不意に何かが影を落とし、見知らぬ声が降ってきた。


「……そっちは瘴気溜まりだ。身投げするなら結界内にしてくれないか?」

深くフードを被った上背の高い男だった。

先端に蒼く光る水晶をつけた杖を携えた男は屈み込むと無遠慮にヒストリアの右手を取った。

普段のヒストリアならばすぐにでも男の手をはたき落としただろうが、しかし一世一代の決意を挫かれ唖然とした今はされるがままである。


男は潰れた聖印を眺めては傷口を指でなぞり、そして結論付けたように、なるほどと独りごちた。

「君は大聖女だろう?ここにその印があったはずだ。君みたいな女が瘴気溜まりで死んだりすると、厄介なことになる」


厄介という言葉に身体がカッと熱くなり、ヒストリアは訝しげな瞳を男に向ける。

これでまで何度となく影で言われてきた言葉だった。

死を望んでもなお「厄介」など言われれば怒りが湧き、感情の起伏と同時についぞ今まで忘れていた疲労と餓えが一気に身体を襲った。

男に反論しようと乾いた唇を開いたヒストリアだったが、出た言葉は男を罵るものにはならなかった。


「だったら……水を、よこしなさいよ…」

どんなに非難されようが、もう一歩も動けなかったのだ。

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