第21話 脱出計画
「自由も富も、勇気と覚悟がなければ手に入れることはできない」
撤退を進言した僕に対し、キャプテンは感情的になることなく、それでいて力強く答えた。
昼食の時間、僕はノーラとともにキャプテンの部屋にお邪魔した。ブルーとグレイを基調にした上品な部屋に、この間と同様、キャプテン、副長、ノーラ、そして僕が座った。
昼食としてキャプテンの机の上に置いてあったのは、黒パン、パック入りのユーグレナドリンク、そして、コオロギの素揚げだった。相応の地位にあるのに思いのほか質素な食生活だ。キャプテンは相当ストイックな性格らしい。
「だとしても対策は必要ですよね。僕に戦術は明かせないにしても、カマラちゃんをはじめとする非戦闘員はどうするんですか? 地球連邦宇宙軍が攻め込んできたら真っ先に犠牲になりますよ」
キャプテンの冷静な返答に、逆に僕は感情をあらわにしてしまった。
「それは……」
「拠点を制圧する場合、宇宙艦艇を無力化した後、強襲揚陸艇で装甲擲弾兵を送り込むのが地球連邦宇宙軍のセオリーです。その際、拠点内の戦闘能力も出来る限り殺いでおくのが常道です。装甲擲弾兵に射殺されたり捕虜にされたりすることもですが、この小惑星アエトラの内部にいる人間は、艦砲射撃やミサイル攻撃にさらされる可能性が高いんです」
僕はじっとキャプテンの青い瞳を見つめた。その端正な顔に優しい表情が浮かんだような気がした。
「君は優しいな。私が見込んだとおりだ」
胸の中に温かいものが詰め込まれたような気がした。イケメンのこの表情とセリフは反則だ。女子だったらすっかりハートを鷲掴みにされてしまうだろう。
「そんなこと言われても……」
困惑するとともに、嫉妬心のような感情がじわじわと頭をもたげてきた。
「改めてお願いがある。非戦闘員の脱出を手伝ってくれ」
「えっ?」
「責任者はノーラだ」
「そんな! キャプテン、私は!」
ノーラは悔しそうな表情を浮かべ、上目遣いにキャプテンを見つめた。
「お願いだノーラ、これも重要な仕事だ。わかってくれ」
キャプテンはノーラを見つめ返しフルフルと首を振った。二人の間に無言の会話が交わされている。
僕の目から見る限り、キャプテンはノーラを危険から遠ざけようとしているように見えた。
彼にとってノーラは特別な女性なのだろう。不満そうなノーラに対し、キャプテンは自分の決定に満足しているようだった。
「脱出にはステルス輸送船オフィーリアを使うといい、パイロットは君だ」
キャプテンは僕の方に温かい視線を向けていた。
腰を痛めたとかいうマクベスの正規パイロットは、もう大丈夫なのだろうか。
「皆さんはどうするんですか? 一緒に撤収しないんですか?」
「戦うさ。火星の未来のために」
ひょっとして昨日の戦闘で勝利したことに味をしめてしまったのではないだろうか?
だとしたら大間違いだ。
「勝てませんよ」
憎まれるのを覚悟で、僕は残酷な事実を口にした。
「簡単にはやられないさ」
キャプテンは、そう言いながら爽やかな表情を浮かべていた。
「皆さん、聞いてください」
僕とノーラが採掘現場に戻ると他の連中は午後の作業を再開しようとしているところだった。ノーラが簡易宇宙服のヘルメットにつけられた通信装置を通じて作業員たちに話しかける。
「ん? なんだ」
「どうかしたの?」
赤と黒の簡易宇宙服姿の男女が、ノーラと僕の方に顔を向け、あるいは近寄ってきた。
「キャプテンの命令で、私たちは、この基地を撤収することになりました」
「撤収って何? どういうことなの?」
ノーラの宣言に真っ先にリアクションしたのはカマラちゃんだった。父親のカマル・カーンと一緒に磁力靴を使って、こちらのほうに歩いてくる。
「採掘基地の皆さんには、輸送船オフィーリアで、アエトラを脱出してもらいます」
「なんでじゃ?」
年寄臭い声が聞こえた。作業員の一人らしいが不満の感情が思い切りにじみ出ていた。
「先日の戦闘でアエトラに我々がいることが地球連邦宇宙軍に露見してしまったからです。彼らは戦力を整えて再度侵攻を試みるでしょう」
ノーラは真面目で丁寧な口調で説明した。
「なら、もう一度、返り討ちにすりゃあいいことじゃ。わしらが逃げなけりゃあいけないことなど、これっぽっちもありゃせんわい」
「こちらの戦力はわかってしまいました。次回は、きっと大軍で攻撃してきますよ!」
物わかりの悪い老人の発言に、僕は多少のイライラをにじませながら答えた。
「はん、地球人の若造の意見なぞ、聞いてはおらんわ!」
ムッとすると同時に、僕は少し悲しい気持ちになった。この人たちの安全のために頑張ろうとしているのに、この態度は何なんだろう。
「トンプソンおじさん、失礼ですよ。マサヤさんは前回の戦闘では我々の勝利に貢献してくれたんですから」
ノーラの助け舟は嬉しかったが『勝利に貢献』の部分は素直に喜べなかった。地球の裏切り者だと強く認識してしまう。
「ノーラちゃん、敵が大軍で来るのなら援軍を呼べばいいんじゃないかしら」
落ち着いたおばさんぽい声が別の提案をしてきた。採掘作業員は高齢者が多いらしい。
「残念ながら私たちの組織は、まだそこまで育っていないのよ。マダム・ヤン」
「キャプテンたちも一緒に逃げるのか?」
別の男性の声が聞こえた。少しとぼけたような声だ。
「いえ、マクベスはこの採掘基地を守るために戦います」
「じゃあ、俺もマクベスに乗せてもらおう」
聞きなれたカマル・カーンの声だった。
「いえ、カマルさんもカマラちゃんと一緒に、オフィーリアに乗ってください」
「こいつらを拿捕した時には乗せてくれたじゃねえか」
僕とダニエルを捕まえた時のことだ。
「あのときは乗員の捕獲が目的だったから、白兵戦のエキスパートが必要だったんです」
非戦闘員を逃がすという仕事は意外と大ごとだった。みんな素直に従わない。
ノーラは粘り強く丁寧に説得を続けた。
僕にはとてもマネできない。僕は彼女の横顔を尊敬のまなざしで見つめた。
そうこうしていると、ダニエルが僕の腕をつかんで通信装置を使わずに話しかけてきた。
「なあ、マサヤ、本当に火星解放戦線の奴らに協力するのか?」
宇宙服を音波の通り道に使う内緒話だ。僕は通信装置のマイクの音量をミュートにした。
「あくまでも非戦闘員の脱出に協力するだけだ。この間みたいにステルス戦闘艦に乗るのとは違う」
「いっそのこと、全面的に協力しちまえばいいのに」
ダニエルの声からは楽しそうな表情が想像できた。
「そうだよな。お前は随分とここに馴染んでるよな」
「まあ、俺様は生粋の火星人だし」
「宇宙海賊になりたかったみたいだしな」
「まあな……」
ほぼ馬鹿話だったはずだが、最後のダニエルの声には妙な感情がにじんでいた。薄暗く弱々しい、そんな感じだ。彼らしくない。何かあるのだろうか。ヘルメット越しではなく、直接、目の奥を覗き込んで確認したかった。
「地球連邦宇宙軍のパトロール艦隊を発見。距離三〇万キロ。秒速四十二キロで相対接近」
耳につけていた携帯端末からバラクの声が響いた。僕がノーラやダニエルとともに宇宙輸送船オフィーリアの中央制御室に到着したタイミングだった。
オフィーリアは全長三〇〇メートルの巨大な船だったが、その中央制御室は、僕たちがここに来るのに乗ってきた資源探査船スズカゼの中央制御室と大差なかった。
操縦士と副操縦士二人での運用が可能で、座席は三つ。後部に設置された一つの座席はお客さん用の予備シートだ。
内装は薄いグレーが基調で、空間投影されたスクリーンが辺りをぼんやりと照らしている。
事態の流れは予想通りだったが、スピードは予想を超えていた。
ノーラがなんとか非戦闘員を説得し、彼らは、ようやく荷物をまとめ始めたばかりだ。
全員搭乗するまでは、もう少し時間がかかってしまうだろう。
「敵艦隊の構成は、ヘラクレス級宇宙巡航艦一、ソロモン級宇宙駆逐艦二の計三隻です」
バラクからの追加情報を聞いて、さらに僕の心はかき乱された。
僕が、かつて乗っていた宇宙巡航艦ペルセウスはヘラクレス級宇宙巡航艦の二番艦で、通常二隻の宇宙駆逐艦とともにパトロール艦隊を編成していた。接近している艦隊と同じ編成だ。
「ノーラ、撤収準備の方はどうなっている?」
キャプテン・ノルデンフェルトの声が耳につけた情報端末から聞こえてきた。
「皆さん荷物をまとめています。私はマサヤさんたちと輸送艦オフィーリアにいます」
「そうか、マクベスは出撃する。パトロール艦隊を小惑星アエトラから引き離す」
パトロール艦隊が近くにいる状況で宇宙輸送船オフィーリアがノコノコ出て行ったら、多少のステルス機能があるにしてもすぐに見つかってしまうだろう。拿捕してくださいと言っているようなものだ。だから、キャプテンたちが先に出港せざるを得ない。
これで、戦闘が始まる前に非戦闘員を脱出させるという目論見は完全に潰えてしまった。
「わかりました。私たちはオフィーリアで待機します。ご武運を」
僕の後ろの予備シートに座ったノーラが背筋を伸ばしていた。
「ノーラ、外の様子ってわかるの?」
僕は、輸送船オフィーリアのレーダーや各種センサーを起動させていたが、小惑星アエトラの外の様子はさっぱりわからなかった。まだ小惑星の中にいるはずのステルス戦闘艦マクベスが、地球と月ほど離れた距離にいる地球艦隊を捕捉できるのには何か仕掛けがあるはずだ。
「わかります。小惑星アエトラの周辺には偵察用ドローンが数十機展開しています。そちらの情報はこれです」
ノーラは後ろから身を乗り出すと僕の正面のコンソールを操作した。僕の顔のすぐ横の小さな顔から優しい香りと体温を感じる。煩悩たっぷりの僕は胸の中をかき乱された。
すぐに新しいスクリーンが空間投影され、地球艦隊の姿が確認できるようになった。
艦隊の中心は白銀に輝くマッコウクジラのような宇宙巡航艦だ。艦底部にはデルタ翼の強襲揚陸艇が逆さまに張り付いている。
ヘラクレス級宇宙巡航艦は同型艦でも高主力レーザー砲の配置や形に若干の個性がある。だから、その艦の正体はすぐに分かった。それは僕にとって最も出会いたくない相手だった。
「これって、この間の宇宙巡航艦じゃねえか。確か、ペルセウスとかいう名前の……」
僕の横、副操縦士席に座ったダニエルの無神経な声が、僕の心にやすりをかけた。