76、セイネ川に落ちました。
すでに稼働をはじめていた浄水場の効果と、定期的に水の浄化をしてくれている神官達のおかげで、セイネ川の水は見違えるほど綺麗になっていた。
今では川を泳ぐ魚の姿も増え、それを狙う水鳥の数も増えている。
セイネ川の遊覧を楽しむ人も増え、遊覧船による観光を手掛ける業者も増えていた。
私が乗ったのは、中型の屋形船と同じくらいの大きさをした、木製の船だった。
「素敵な船ですね。」
水が綺麗になったおかげで、川面を渡る風も心地好く髪を揺らした。
「この川が美しくなったのも、あなたのおかげだ。」
シャルマーニュ王太子は、私の向かいに座り、川面を見ていた。
「いえ、それも全て、私の拙い意見を全て取り入れてくださった、シャルマーニュ様のおかげです。」
そう言って再びシャルマーニュ王太子の方を見た時、私は自分の目を疑った。
そこに、さっきまでシャルマーニュ王太子が座っていた場所に、人とも魚ともつかない、不思議な生物が浮かんでいたのだ。
「え?」
突然のことに、私は理解が追い付かなかった。
七色に光る長い髪に、ずんぐりとした鳥のような顔、そしてうろこに覆われた身体は、神か魔物のようでもあった。
「あ、あなた…は…?」
その生物から発せられる光は、神の後光のように、とても良いものに感じた。
『私は…、この世界を作った神…。』
その生物……神は口を動かさずに、そう語った。
「神…様……。」
神は無言で、前ヒレのような手を私に差し出した。
私は思わず、その手を取った。
『あなたは…、もう、死ぬべき……。』
その声と一緒に、私の身体はセイネ川の中へと引き摺り込まれた。
ああ、こんな風にして私は死んでしまうのかと、私は冷静に考えていた。
まさか、川に落ちて死ぬとは予想していなかった。
不思議と苦しくはなく、水面が七色に輝いているのを、川の下から見上げていた。
神は、やはり私が生き残るのを許してはくれなかった。
それが悲しかった。
神があんな半魚人のような姿をしていたのには驚いたけれど、恐らく神とは、この世界を書いた作者のことで、今回は何かの姿を借りて、この世界に出現したのではないかと感じた。
けれど、と思う。
やはりまだ、死にたくないと。
私はまだ、医療保険の話をシャルマーニュ王太子にしていなかった。
この世界をもっと良くできるアイディアが、まだ沢山あるのに、それらを伝えることもできないまま、こんな風に私は死ぬのか、と。
こんな時だけれど、セイネ川の水を綺麗にしていて本当に良かったと思った。
汚い水を飲んで死ぬのは、あまりにもつらい。
川の底が見えた。
水草と、泥と、そして魚も見える。
『死なないで。』
ふと、魚がしゃべった気がして、私は耳を疑った。
水中で言葉は聞こえないはず、けれどその魚は、確かにそう言っていた。
魚は白く輝き、私に近づいて、私の身体を水面に押し戻そうとした。
(シルヴィ……?)
その魚の気配は、ずっと一緒にいた聖女シルヴィと同じものだった。
『死なないで!』
ふと気がつくと、他の魚達も一緒になって、私の身体を押し上げてくれていた。
何故だかその魚達には、プリエの市民達や、一緒に仕事をしていた皆と同じ気配がした。
魚の力で水面が見える位置まで押し戻された時、水の中に、シャルマーニュ王太子の姿が見えた。
飛び込んで、助けにきてくれたのだと分かった。
シャルマーニュ王太子は、魚達に支えられた私の身体を抱きかかえると、再び水面へと上がってくれた。
そこで、私の意識は途切れた。
気がつくと、私は岸まで上げられていて、大量の水を吐いていた。
九死に一生を得たのだと、その時に気がついた。
空から七色の光が降り注いでいた。先ほど私を川に引き摺り込んだ、この世界の神が空中にいるのだ。
『あなたは、死ぬ運命だった…。けれど、皆が死を望まぬのであれば…、あなたがあなたの大切な人達から生を望まれ続けている間に限り…、生きるのを許そう…。』
神の声は、その場にいる他の人達にも聞こえているようだった。
「私が、カミーユの生を望まない日など来るわけがない!」
私を抱きかかえながら、シャルマーニュ王太子は神に向かって反論をした。
「シャルマーニュ…様…。」
王太子が助けてくれたのだと、その力強い腕が嬉しかった。
「分かり…ました。チャンスを与えていただき…、ありがとう…ございます…。」
私は掠れる声で、なんとかそう神に返事をした。
光の向こうで、神が小さく頷いたのが分かった気がした。
光は徐々に薄くなってゆき、やがて、全ての光が消えて空は元の青空に戻った。
それを見届けて、私は王太子の腕に抱かれながら、再び意識を失ったのだった。




