小林さん
「敵、直上!」
砂埃から飛び出すや否や、発見の報告があがる。
この時点でまだ敵は、こちらの存在に、気づいていない。
全ての戦闘機の死角、それが下方であった。
もちろん、この位置取りは偶然ではない。
小林さんには全てが見えている。彼の感覚を遮るものはいない。
一式陸攻はその重い身体で少しづつ加速していく。
加速に従い、徐々に高度も上がっていく。
高度300メートル
やっと、地上から離れた感覚があるのと同時にそれは起こる。
「敵、向かってきます!」
後方上方。対戦闘機戦において、最も有効となる射撃位置である。
相対距離は500メートル。
……よし
「自由射撃を許可する。指示は一つだけ、敵の射程距離に入る前に撃ち始めよ!」
「「「了解!!!」」」
後方上方の射撃位置。それは、多くの機銃手ありの爆撃機においては、弱点とはなり得ない。
通常の戦闘機ならば、それが例えどれ程の威力や、量があろうが、全てが前方を向いている。
しかし、爆撃機は、複数人で操縦するため機銃手といわれる仕事が存在する。
役割は言葉そのまま。機体に備え付けの機銃での銃撃だ。
そして、この一式陸攻には、機銃手付きの機銃を3門有している。
それぞれ、右方、左方、そして後方上方だ。
後方上方の機銃が火を吹いた。
真っ赤なアイスキャンデーが、一直線で敵に向かう。
風が押される感覚と、空気が焦げる臭いが意識に届いた。
────外れたか
味方の弾は、寸でのところで機体を傾けた敵によって、ただ、空気を焦がした。
敵は右翼を上方に横向きになる不安定な姿勢を保ち、更にこちらとの距離をつめる。
その距離がゼロとなる時、敵機はこちらの真左を通過する。
それは、零コンマ一秒のチャンス。
人間の反応速度を遥かに凌駕するそのチャンスに、〝実践〟での〝反復訓練〟に鍛えられた、脊髄反射の機銃が食らいつく。
優秀な部下は、優秀な上官の下でのみ育つと言う。
機銃手の腕と、敵の操縦者腕と────微量の運によって弾の機動が作られる。
敵機が通り過ぎた。その姿は未だ健在である。
「目視での損傷は確認できません!」
敵機は高度を下げ続けている。位置エネルギーから運動エネルギーへの変換により敵機の速度は加速度的に増加しているはずである。
目測高度500メートル。敵機は降下角度を緩め、右下方旋回を開始した。
小林さんの心に敵機の主翼にかかる空気抵抗が送られる。
翼のたわみぐわい、フラップ、補助翼の展開。
敵の操縦者も伊達の腕ではないと言うことか。鋭い切り返しの中で、速度減少を最小限に抑える機動には無駄がない。
しかし、その完璧さ故に。その洗練された機動故に。
────水面に落ちた水滴は良く目立っていた。
ふっ、流石は歴戦の機銃手といったところか。
小林さんはその素直な賞賛の気持ちを内に留める性格をしてはいない。
「おい、敵の左翼の補助翼の動きが鈍い。おそらく奴の左旋回は恐れるにたらん。……よく、当てたな」
不意討ち的な賞賛の声に機内にざわつきが生まれる。
ざわつきの原因は2つ。歴戦の先輩搭乗員から飛び出した言葉への驚きと────
ベテラン搭乗員というものは一匹狼が多く、素直に後輩を褒める事などは少ない。
彼らも今の帝国軍の中ではベテランの内に入るのであろうが、如何せん、小林さんは真珠湾以来からの超ベテランである。
────そして、敵の不調を見破った眼力についてである。
正確には〝眼〟では無いのだが、それを抜きにしたら一番適当な言い方であろう。
「敵機、後方下方より接近!」
一瞬のざわつきは無かったかのように静まる。
敵は右旋回で機体を切り返すと、そのまま自機から見て後方に半月を描く形で後方宙返りを行っていた。
月の頂点は獲物。つまり、小林さん達である。
宙返り中で上下に反転している敵機が光を上げた。
アイスキャンディーが機尾を摩る。
機体に小さくはない衝撃がはしる。
「後部より被害報告。機銃がやられた。……もう、使い物にならない」
悔しげな声は確かな重みをもって紡がれた。
零戦と比べれば広い機体。
〝何故、この飛行機は大きいのか?〟
誰かがそう問うた。
問われた者は、その無知な質問者に
〝爆弾を積むからだよ〟
と、答えた。
同日、無知な質問者はまた同じ質問を別の搭乗員にした。
その搭乗員は
〝それだけ沢山の生命を運ぶからさ〟
と、言った。
昔見た少年漫画のクライマックスに、多数の敵に対して背中を預けて立ち向かう2人の男達が描かれていた。
この飛行機もそれと同じだ。
搭乗員それぞれが自分の役割を持つ。彼らは互いに信用しているが為に自分の役目に集中できる。
「何、心配するな。後、必要な機銃は前方のみだ。隊長さん、頼みますよ」
状況は、背後を敵にとられ、普通なら逆に堕とされる事が必然ともいえるところ。
しかし、彼の声の持つ、力強さがそれを不利なものだと思わせない。
「しっかり捕まってな!」
その言葉が聞こえると共にさらなるアイスキャンディーが機体を襲う。
しかし、その弾は全弾右にそれ、機体には当たらない。
機体が滑っているのだ。車で言うところのドリフトのようなものである。
「敵機、後方300メートル!」
機銃を破壊されてなお、敵の目視確認を行っていた後部機銃手が叫んだ。
距離が縮まるにつれて、弾はそのそれ幅を縮める。
「距離150!」
弾が機体の1メートルほど右を通過する。
「距離100!」
機体が若干下に傾き、速度が上がる。
「距離70!」
……いまだっ!
操縦桿を渾身の力で引き、同時にフラップを展開。
左右への傾きをラダーの踏み込みで抑えこみながら、スロットルも抑えてエンジンの出力を下げる。
身体が機体の前に押し出されようとする力と、ベルトが搭乗席に押さえつけようとする力が拮抗し、半ば身体が空中に浮こうとする。
その視界の片隅に大きい鉄の塊が飛び出すのが見えた。
「撃て!!」
「了解!」
これこそ 〝撃てば〟響く。の連帯で弾が発射される。
一瞬後に残るのは、敵の上げる黒い花火と、添えられた炎の花であった。
────1分程遡る────
小林さん達が飛行する空戦空域から8キロ程離れた空域。そこに俺は居た。
はるか前方に一つ、黒点を確認。……小林さんか?
無線から聞こえた声を思い出し、胸に浮かんだ不安を打ち消す。
一度、腹を据えるように、ぎゅっと目を瞑り脳を切り替える。
目を開く。瞬き一回分、まさに一瞬と呼ばれる間に戦況は動いていた。
砂埃の上に、忽然と現れた存在。
陽炎が立ち、どこか幻想めいた空間にそいつはゆらりと現れる。
やがてその輪郭が鮮明さを増す。砂埃を抜けたのだ。
そこでやっとその存在に気づいたのか、上空の黒点が降ってきた。
2機は一度交差したかと思うと、後は上空からの小さな点が後ろをとり、幻覚の様であった機体に狙いを定める。
この時点で俺との距離は3キロ。戦況はもちろん、その両機体の正体も見えている。
狙われているのが小林さんであった。
第三者から見ても絶対絶命の状況。それでも俺の心は何故か静かだった。
俺は感じていたのだ。小林さんの〝見ている〟ものを。
更に距離が縮まる。小林の機体が前傾姿勢をとった。
まるで今からショーを始めようとする奇術師のように優雅に、一式陸攻はお辞儀した。
そして────奇術師は空中に大きな螺旋を描いた。
突如現れた空のゲートに敵は直進する。
空の────死のゲートは抜けると敵は気づく。
狩る側から、狩られる側への転換を。
敵の視点では、小林さんの機体は当然消滅したように見えた事であろう。
花火が〝堕ちた〟そこから分裂するように一つの落下傘も〝落ちた〟
ゆっくり、ゆっくりと、儚く散る花びらのように。風に流され、〝落ちていく〟
空に、世界に、1機だけが残った。
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2015年 日本 『戦後80年特別企画〝小林さん〟写真展』会場
────帰ってきた。
まさにそういう気分であった。俺はあの時を感じていた。
あの日以降、俺があの基地を去るまで小林さんとの交流は続いていた。
濃い青春だった。
あの救出作戦の後、小林さんは傭兵という形で隊に復帰した。
その時の武勇伝は今日の写真展にも見る事ができる。
生きての再会は終に叶わなかった。
しかし、小林さんに伝えられた〝光〟は今なお、俺の中に生きている。
写真の中に光が見える。
彼の写真は戦争の悲惨さや卑劣さを伝えるものでは無い。
まして、戦争肯定の意思を伝えるものでももちろん無い。
写真から感じられるのは、〝人生〟という名の真っ白なノートに、〝青春〟という名の色をつける若者の煌めき。
──── その男は昔、生命を取る仕事をしていた。彼は今、生命を撮る仕事をしている
短い生命を精一杯生きる
短く、儚いけれども
名も残らぬ若者達は人生で一番輝いている姿をそこに残す
生命は燃えている時にこそ真に美しい
燃やしきる、きらないの違いはあれ
若者達は皆、等しくその生命を燃やしていた────
初の連載完結作品です。4話という少ない間でしたが、お付き合いして頂いた読者の皆様に心からの感謝を申し上げます。
PS.筆者は感想貰えたらものすごく喜びます^^*




