孤独
「……くっ!」
堪らず声が漏れる。
敵の技量はなかなかだ。
2機は個々で間断なく攻撃を続ける。
両機ともプライドがあるのか、明らかな連帯こそしないものの、獲物への嗅覚が鋭い。
片方を照準すると、もう片方が後ろに回り込んでくる。
厄介な敵だ
いっその事、連帯を組んでくれれば各個撃破が可能になるのだが
弱気な思考が頭をよぎった。
その瞬間、図太い敵の機体が正面に現れる。
危ない!
咄嗟に左ラダーを踏み込み、操縦桿を右斜め上へと引く。
視界が地面と平行した機体を軸に回る────バレルロールと呼ばれる機動だ。
敵は空中に生まれた渦の中心を通り抜ける。
すれ違いざま、風防の真上に敵搭乗員の姿が見えた。
表情は見えない。
しかし、飛行眼鏡に隠されたその瞳は想像できる。
群青色で、零戦とは対称的な太く、力強いフォルム。
それが敵、『グラマンF6Fヘルキャット』だ。
バレルロールで適度に減らした速度で、最小半径の旋回を行う。
Gへの耐久、それより失速させない技術が要求される。
速度計の針が失速域ギリギリを震えている。
焦るな、焦るな……
自身に言い聞かせる声がうるさい。
見えた!
敵の1機を視界に捉えた。後ろにもう1機はいない。
……チャンスだ
思考が更に研ぎ澄まされていく。
距離は300。高度は若干、敵が低い。
一秒毎に敵との距離がひらいていく。
護衛任務はまだ、帰りの行程も残っている。無駄撃ちはできない。
一掃射のみだ────当てる!
敵よりも機体2個分前の空間を狙う。
指は既に発射レバーを握っている。
今!
指に力を込めた。
機首と翼内から、大小の死の弾が撃ち出される。
真っ赤な弾が敵機を通過した。
外したか!?
その瞬間、悪い期待を裏切り、敵機の右翼が煙をはいた。
機銃弾には、4発に1発の割合で〝曳光弾〟つまり、光る弾が入っている。
視認は出来なかったが、それ以外の3発の内、数発が命中したのであろう。
だが、残念な事に、敵は未だ飛行を続けている。
グラマン鉄工所のあだ名は伊達ではない。
命中したのはおそらく20ミリ弾であろうが、切り込みは浅かったようだ。
それでも、そもそもこの遠距離から命中できた事が奇跡だ。
最終的には500メートル近い距離があった事だろう。
しかし、そのかいあってか、敵機は単独で逃げていく。
……単独。
思考が徐々に広いものへと変わっていく。
前の敵機の速度、色、精密な機動、それらが消えていき、やがて敵機はただの飛行機と認識する。
同時に視界が広がり、全方位に薄い警戒が広がる。
まさか……っ
悪い予感に集中が乱れる。
早く……早くっ!
乱れた思考の中に、突然のノイズが割り込んだ。
『こちら小林、敵1機を確認。位置は……』
冷静な声は俺の思考に冷水を浴びさせた。
急いで、地図を取り出し、お互いの位置を確認する。
────遠い
俺が追っていた敵は〝囮〟だったのだ。
俺はまんまと策にかかった。結果、隊長を援護するには手遅れの位置まで釣られている。
「すぐに、そちらへ向かいます!」
────どうか、ご武運を……っ!
心の叫びは表に出さず、己の中を翔ける。
機体を反転させ、機首を隊長の方へと向ける。
機体を最大速力まで上げ、機体を地面スレスレに降ろす。
意識を前方180度に向け、展開する。
前を向く瞳から涙がこぼれた。
眼がチカチカする。
冷静な思考が、全身の神経を動かしているのだ。
しかし────
『あっ、二番機、急がなくていいぞ。』
気の抜けたような声がきた。
訳が分からない。
質問しようとした瞬間、無線が切れた。
「隊長、隊長!」
返事はない。
突如、何もない空間に置かれたような感覚が全身を包んでいた。
……ふっ
機内には彼しかいない。
先程、無線も切ったため、その声を聞いたものは誰もいない。
心臓の鼓動は早い。身体は震えている。
怖い? そうではない。彼は武者震いをしていた。
「久しぶりの空戦か────フフフ、ハッハッハッ!」
彼は壊れた人形のように笑う。
獰猛な笑みは全てを喰らう、肉食獣だ。
伝説となった男は、その記録に新たな記憶を書き込もうとしていた。
機銃音が聞こえた。
「降下」
誰に言うのでもない。
敢えて挙げるなら、過去の自分に命令する。
戦闘機乗りの血が全身を回る。
血は手を媒介に機体を含めて循環する。
身体の一部、それが愛機だよ。
トンッ
静かな音は下から聞こえる。
地面は砂漠だ。視認は出来ないが、後方に砂埃が上がっているのは分かる。
「日本機は全てが戦闘機だ」
その呟きを機に、俺の見えない瞳に光が生まれた。
右、左のラダーを交互に、そして不規則な動作で踏み込んでいく。
その間、機体が横転しないように、そして翼が地面につかないように操縦桿を動かす。
歪なS字となる機動だ。その航跡には巻き上げられた砂埃が壁を作っている。
地上は砂壁による迷路とされていた。
人工的に作られた、自然の迷路は一瞬ごとにその形を変え、地上の視界を奪っていく。
後方の敵機は、堪らず高度をとった。
「救助任務に以降する」
敵の上昇に合わせて、操縦桿をゆっくりと左に倒し、緩やかな左旋回を行って、機首を反転させる。
自分が作った迷路に飛び込む形だ。
迷路────視覚的な壁である砂で分割されるそれは、〝小林さん〟にとって操縦に支障はない。
スロットルを徐々に絞り、速度を下げていく。
背中の砂埃の勢いを弱める為だ。
先程の勢いで砂埃を出しては、地上に砂の濃いところが出来てしまい、折角の隠れ蓑を台無しにしてしまう。
機首は真っ直ぐ、救助を待つ味方の方へ向けられている。
────今
隊長の操る一式陸攻は、味方の上を通過した。
彼らの瞳いっぱいに暗緑色が映り込んだ事だろう。
通過から程なく、砂埃とは違う。箱型テレビがたてる、不快音のような音が数秒続き
『私はこの機体の機長、大塚だ。救助に感謝する。────現空域の状況を頼む』
不時着時に無線だけは生きていたのか、それとも後で修理したのか。何にせよ、救助対象と連絡が取れるのは嬉しい事である。
「味方は護衛の零戦1機、そして我の一式陸攻1機である。敵は戦闘機2機。以上だ」
『報告感謝する。────我らに指示はあるか?』
大塚の声は太く、敵機の存在を知ってもその声音が変わる様子はない。
ベテランなのであろう。余程、肝が座っているのが感じられる。
もしかしたら、不時着してからこれまで、他の搭乗員の心の支えにもなっていたのかもしれない。
「あぁ、あるよ。何、難しい事は要求しない────〝走ってくれ〟無事、回収した後は貴殿等には機銃手になってもらう」
『……』
妙に芝居がかった口調に対し、指示は端的だ。
大塚の沈黙は、そのあまりにも情報不足な説明のためか、それでもその意図を理解したからか。
どちらにしろ私は、それを無言の肯定と受け取る。
「タイミングは私が────いや、私が先程来た方角に向けて走り出してくれ」
『……了解』
マイペースな指示に答える声は戸惑いがある。
大塚には私の行動理由もその気持ちも分かるのであろう。しかし、戦場で他事を考える余裕などありはしない。
それでも────
『酒、奢りますよ』
光が動き出したのを確認後、私はまた、静かに機体を左に傾け、緩旋回を行う。
機体は反時計回りに動き、やがてその機首を反転させる。
次にスロットルを更に絞り、失速しようとすると機体をラダーで押さえつける。
機体が安定しているのを肌で感じ、こんどは着陸脚をおろす。
「そろそろ追いつく」
それを聞いた、光の走行速度が上がった。
開かれたドアから大量の砂が入り、そして出ていく。
やがて一瞬、長さ170センチほどの〝砂〟が機体に入り込んだ。重量の増加、そしてバランスの変化を微妙なラダーの踏み込みで堪える。
これが1ミリでも加減を誤ると、機体は落下する。
そうなると、後に残るのは、肉と鉄の残骸のみだ。
焦ってはいけない。辛抱強くそれが終わるのを待つ。
続いて、1人、また1人。
計3回の変化が済むと、〝生の声〟が聞こえた。機械を通さない。より、その意思を感じられる距離。
「戦闘配置につけ! 側方だ!」
大塚の命令に、素早く、2人が動く。移動は同時に行われた為、機体のバランスはほぼ保たれる。流石に乗り慣れている。そう、素直な感想が浮かんだ。
「俺は尾部につく」
「了解」
3人が持ち場につき、上がった気温が、若干薄らいだ。
その熱気は単発機では決して感じられる事のない温かさであり、孤独な空を塗り替える。一種の〝麻薬〟でもあった。
この先、配慮などは出来ない。それをしようものなら、救われるものも失ってしまう。
操縦席の気温が下がった。
〝孤独〟をつくり、〝孤独〟に浸り、〝孤独〟を是とする。
意識の海が広がる。水面に水滴を垂らすように、索敵を行う。
居た!────敵機だ
同時に空間の地形────風向き、温度、湿度────をイメージし、機動の最適解を探し当てる。
《これより、敵を堕とす》
〝孤独〟の声が機内を流れた。
それが温かい事を自身だけが知らなかった。




