第1話 チューしたら子どもできちゃうからっ!
「おかーさん。おとーさん。子どもってどうやったらできるの?」
そんな質問をしてお茶の間を凍り付かせたのは、たしか小学二年生の頃だったと思う。子どもの知的好奇心は凄まじく、疑問に思ったことは何でも口から出てしまう。
俺は小2にして『ぼくはどうやって生まれたんだろう?』という不思議を抱いたのだ。
「おとうさんっ! おしえて、子どもはどうしたらできるの!」
「ああ……ええと。いいか蓮斗。子どもはな、コウノトリが赤ちゃんを運んできてくれるんだよ……」
「おとうさん、うそくさい! ねえママ、ただしいこと教えてよ」
「そうねぇ。ち、ちゅーよ! 男の子と女の子がちゅーしたら生まれるのっ」
「そうなの!?」
その夜。お母さんの言葉を信じ、3DSでこっそり
『男女 ちゅー 子供うまれる』
と検索した。すると、白人のカップルが大きな声を出してプロレスをする動画がヒット。
『Oh、yes……』
『Ah……don't stop! Ahhhh――!!』
当初はわけがわからなかったが、当時同じクラスで『博士』と呼ばれていた同級生のエロガキにこのビデオについて聞いたところ、真実を知った。
両親は齢7歳で性に目覚めてしまうのは早すぎると判断し、セックスという事実を隠していたのだ。そして、それから俺は様々な性知識を身につけながら成長した。
まあ誰しもこんなもんだろう。苦い経験をしつつ思春期を迎え、少しずつ常識を身につけていく。
もし高校生にもなって『チューしたら子どもができる』なんて信じているやつがいたら――そいつは純粋なダイヤモンド、あるいはとんでもない世間知らずだ。
※※ ※※ ※※
「――蓮斗? どったの、ぼーっとして。入学式遅れちゃうよ?」
苦い思い出にふけり足を止めていた俺の背中をぽすっと叩いたのは、幼馴染の白波瀬奈夏だった。
ついこの間まで見慣れていたセーラー服は、今日から高校用の真新しいブレザーに変わっている。胸元のリボンも膝下で揺れるスカートも、まだどこか着こなしがぎこちない。
しかしそれは俺も同じだったようで、奈夏は小さくため息を吐く。
「も~。シャツ出てるしネクタイずれてる! 入学式で制服崩れてたら恥ずかしいよ?」
そう言うなり、奈夏は返事も待たずに腰元へ手を伸ばしてきた。制服のズボンとシャツの隙間に指をぐいっと差し込み、はみ出していた裾を腰のラインに沿って押し込んでいく。
まるで母親が子どもの身なりを整えるかのような慣れた手さばきだ。世話焼きなところは、今も昔もずっと変わらない。
「ありがとな、奈夏。でも……人のことをいう前にだ。桜の花びらはそこそこ似合ってるけど、それで入学式出るつもりか?」
「ひゃっ!?」
桜並木の道を歩いていたからだろう。綺麗で短い黒髪に、ピンク色の花びらがちょこんと乗っかっていた。俺は奈夏の肩をつかむと、ふっと息を吹きかけて遠くへ飛ばしてやる。
「なんだよ、変な声出して」
「蓮斗ー。紛らわしいことするから焦ったじゃんっ!」
「いや、べつに肩掴んだだけだろ。俺たち何年一緒にいると思ってんだよ」
紛らわしいことをやめてと言っていたが、その言葉をそっくりそのまま返してやりたい。さっきのシャツ直しムーブはだいぶ際どかったぞ。
俺に至っては慣れているので耐えられるが、初見で思春期の男どもがあれを食らったらsonが暴走してもおかしくない破壊力だ。
自分自身はピュアなのに、他人には無自覚で距離感が近い。それが俺の幼馴染だ。
奈夏を見ているとキュートアグレッションというか、無性にからかいたくなる。こんな風に。
「なあ奈夏。もしかしてお前、期待してたのか?」
「ほぇ?」
「紛らわしいこと、されたかったのかよ」
俺は真剣な眼差しを向ける。途端に、ぼんっと奈夏の顔が茹でダコになった。その反応を味わいつつ……。
「ちょ。え、蓮斗?」
「じっとしててくれ奈夏。ほら、目つぶって」
「は。え……えぇっ!?」
ぐいっと一歩前へ踏み出し顔を近づける。そして、奈夏の唇を意味ありげに見つめた。
「大人しくしてろよぉ?」
「ちょ、やあぁっ! まだ覚悟できてないし、養育費とかどうするの!?」
「大丈夫だ。俺が何とかしてやる」
「しかも、高校生で育休とか取れないよっ!」
あたふたと騒ぐ幼馴染は、観念したのか目を瞑った。そして俺は口づけ――なんてするわけもなく、髪にまだついていた桜の花びらを取ってやる。
そして、ぱしっと奈夏の頭を軽く叩いた。
「バカだなぁ。チューでもされると思ったのか?」
「えっ?」
「なに変な妄想してんだよ。育休て……ぶふっ」
ぽけーっとしたその表情を見てると、思わず笑いが止まらなくなってしまった。通学路を行く生徒たちが不思議そうにこちらを見る。
「……蓮斗! またからかったなぁ、もうっ」
「悪かったって。養育費はちゃんと払ってやるからさ」
「うぎぃ〜〜!!」
奈夏は、ぷくっとフグみたいに頬を膨らませた。この反応が面白いので、やはり我が幼馴染に意味深ムーブを仕掛けるのはやめられない。
「もぅ。ほんとにデキちゃったらどうするの」
「んなわけあるか」
奈夏は恥じらい交じりにぼそりと呟く。それを聞いて、俺は思わず頭を抱えてしまった。
高校生になれば、少しは知識がアップデートされているのではと思ってたが……やっぱりダメだったか。
「あのなぁ奈夏。別にキスくらいどうってことないんだぞ」
「っ!? ……そ、そんなチャラ男みたいなこと言わないでっ」
「チャラ男て。いいか、キスなんてもんは初歩の初歩なんだよ!」
「チューシタラ、アカチャンデキルンダヨ?」
俺が諭すも、奈夏は馬鹿の一つ覚えのように主張を変えない。このラリーは中学生の時から何回もしてきたので慣れている。
この後飛んでくる反論は「じゃあ実際に子どもできないって証明できるの!?」だろう。
そう。信じられないことに、俺の幼馴染は高校生になった今でも『キスをしたら子どもができる』と本気で信じている………。
まあ、奈夏が『キスをしたら子どもができる』と信じ込んでいるのにはちゃんと理由があり――むしろ被害者でもある。
あいつは決してバカじゃない。勉強も運動も得意で誰にでも優しい美少女なのに、ある出来事がきっかけでキスのことだけは頑として譲らなくなってしまったのだが……それは後々話そう。
「せーんぱーいっ!! 探しましたよーっ♡」
「げっ」
おいおい、今度はこっちか。
やけに甘ったるい声が俺を呼ぶ。後ろからどたどたと、元気な足音が聞こえてきた。
「日高先輩、高校入学おめでとうございま〜す! ぎゅーしてあげますっ」
「ちょ、いきなり抱きつくなよ芽衣。暑苦しいって」
「もー。いいじゃないですかぁ♡」
後方から現れた少女は、俺の背中にぎゅっと抱きついてくる。入学式の朝っぱらからこんな大胆なことをしてくる後輩なんて、俺の知る限り一人しかいない。
淡い紫色のポニーテールに、小柄な体格と大きな赤瞳。
田上芽衣。中学時代、俺が部長を務めていたサッカー部の後輩だ。
高校進学を機に、さすがにこいつとも離れ離れになると思っていたのだが……ウチは附属だ。高校と中学は隣接していて徒歩五分ほどしか離れていない。
「あ。白波瀬先輩も、ついでに入学おめでとうございまーす」
「ありがと〜。芽衣ちゃんもいよいよ中学三年生だねぇ。一応、おめでと?」
にこにこと笑顔を交わす二人。しかし、二人の間にはバチバチと火花が散っている。女の戦い……は別にいいんだが、温かな春の日にやることではない。
しかも、二人とも声がでかい。おかげで周囲の新入生や上級生たちまで、なんだなんだとこちらを見始めている。
「なあ、見ろよ。あの女侍らせてるヤツ、日高蓮斗だろ? 中学ん時FWでエースだった」
「あー、あれか。自分のヒエラルキー振りかざしてたぶらかしてるって聞いたけど」
「たしかあの幼馴染ちゃんとヤりまくってるって話だよな?」
おい最後のやつ。誰から聞いたんだその情報! もう入学式の前からメチャクチャだ。
幼馴染の奈夏とは昔から勝手にカップル扱いされることも珍しくなかったが、高校生になると噂の内容まで一段と生々しくなるらしい。
「ほら、日高先輩。ちゅーもできないウブな白波瀬先輩はほっといて、一緒に登校しましょ」
「なっ!? 蓮斗、中学生のお子ちゃまは放っといてもう行くよっ。入学式遅れちゃうよ!」
「ぐげげ……お前ら、左右から引っ張るな!」
二人の強引さにため息がもれるが、なんだかんだピュアな幼馴染をからかって過ごす日々は充実しているし、奈夏とはずっとこんな関係のままでいいんだ。
そんな呑気なことを思いながら、ぽかぽかした春の道を歩き入学式へ向かう。
――俺の高校生活が、これから混沌極まる唇争奪戦に突入するとはつゆ知らず。




