第三章【26】「抗いの意志」
明滅する光線によって、繰り返される爆発。
広がる炎や巻き上がる硝煙の中を駆け抜け、俺は近くの建物へと入り込んだ。
「っ、が」
フロントの硝子に、背中から衝突し突き破る。転がり込んだのは、小さな敷地の携帯ショップか。床に散らばる機器や広告の束が、ここも決して無事ではないことを把握させる。
見渡せばやっぱり、倒れている店員たち。見たところ外傷はなさそうだが、店先の炎上や地響きの中でピクリとも動かないのは、完全に意識を奪われている故だろう。
手を伸ばせば届くところに居る。なのに、それを助け出すことも出来ない。出来たとしても、精々一人や二人。運び出したところで、無事安全圏まで連れていける確率は限りなく……。
俺は今まさに、渦中の中に居て、こんなにも動くことが出来るのに。
それでも、俺には、ッ。
「くそッ」
吐き捨て怒りや悔しさを拭う。しゃがみこみ、低い態勢のままで頭を回す。
考えろ、状況は最悪だ。
東地区はもう、半ば壊滅状態といっても過言ではないだろ。
街の被害状況も相当だが、脅威は今尚続き、更にはそれへの対抗手段がない。みんな意識を失って逃げることすら不可能な中、少しずつその命を散らされていく。
唯一奴らに対抗できそうなサリュさえも、上空で戦い未だ街へ降りて来る気配はない。百鬼夜行や他の妖怪・転移者たちは既に駆け付けてくれているのか、定かではないが、状況に変化は見られない。
そして俺にも、現状を打破出来る力はない。こうして逃げ腰に、僅かに抵抗するくらいしか。
その時、響き渡った断続する破裂音。
聞き覚えのある乾いたそれは、恐らく銃声だ。
遠くない場所で神守黒音が戦っている。その反響音に違いない。あいつも俺と同じで、公園での爆発をなんとか逃れたみたいだが。
「……あっちもあっちで、どうにかなるもんなのか?」
いや、先日相対したあいつなら。あの数多くの銃火器や、神の力ってやつを持っているあいつであれば、渡り合うことも。
だったとしても、どの道、手を借りることも貸すことも難しい。
現状、俺は俺一人で、この状況を切り抜けなければいけないんだ。
そう歯噛みした、途端に。
「ッ!?」
割れた入口フロントガラスのすぐ手前、目と鼻の先で、巨大な爆発が巻き起こされる。暴風によって硝子が散らばり、テーブルや椅子が放られ、壁や床板までもが大きく剥がされ削られていく。
しかし、事態はそれに終わらない。
燃え盛る残火の中へと、白影がその身を降り立たせたのだ。
『――――』
言葉はない。
ギシギシとなにかの軋みを上げて、ゆっくりと歩みを始める。
その爪先は店内へと、真っ直ぐ俺へと向けられている。額を覆った白面は、確かに正面から俺へと向かい合っている。
距離にして十メートルあるかないか。すぐに手足の届く距離ではないが――、
「ッ!?」
直後。
人型は両腕を左右に広げ、その背後のマントを大きく翻した。
そして瞬く間に、幾つもの陣が光を発して浮かび上がり――、
「くそッ!」
魔法の光が視界を埋め尽くすと同時に、すぐさま右方へ駆け出した。
一足、大きく踏み出し転がり込む。そうして背後で巻き起こる爆発に煽られ、更に二転三転の距離を開く。
だが一度躱して終わる筈もない。続け様の青白い光線が空を貫き、そのまま態勢を低くしたこの身へ突き刺さった。
「――ゴ」
一閃は、左の脇腹を大きく抉る。
更に叩き込まれた二本の熱線が、重ねて左の肩口や右脚の腿を削り取っていく。
やがてそのまま貫いた光が背後で炸裂し、爆炎が身を焼き吹き飛ばす。横転する頃には床に血反吐や剥がれた皮膚が散らばり、言葉にならない唸りが喉を震わせた。
「が――あ、ぐ」
だけどすぐに治る。
立ち上がれ、立ち向かえ、その隙に噛み付け。
踏み締めれば力も加わり、踏ん張りも効く。だから力一杯踏み込んで、一気に敵対者へと飛び出した。
が、握り締めた右の拳を、届かせることは叶わない。
振り上げられた戦斧が、その右腕を肘元から捻じ斬り飛ばしやがった。
「な、んで」
刃先から持ち手まで、全てが真っ白な大刃の大斧。なにも握られていなかった両腕に、突如として携えられた。
先刻の神守黒音や神守真白のように、そういった衣服や装備による収納がされていなのか。――いや、そうじゃない。
「……マントか、っ」
魔法陣を浮かべ、光線を放った白布。奴の背後ではためいていた筈のソレが、忽然と姿を消していた。恐らくは変化したものとみるべきか。
「ンなんだ、コイツら!」
千切られた右腕を引き下げ、そのまま後退して距離を開く。
すかさず振り下ろされた戦斧を寸で躱し、更に二歩三歩、遠くへ。
それを重ねて追い縋るように、今度は斧の側面から魔法が放たれる。肩を、胸部を、頬を、大きく削る炎や雷の連撃。
それらをこの身で受けながら、真っ赤な流体を散らしながら、それでも後退を。痛みを噛み締め、思考の回転を。
サリュのような高火力の魔法攻撃に加えて、鬼血の硬化を易々と千切る近接武器まで。考えなしにただ突進するだけじゃ、どうにもならない。
それに、コイツら。
「――人間じゃ、ねぇな」
斧を振るう腕の動きや、踏み出す足の捌き。それら身体の動作が緩慢だ。ニュースやら映画で観たロボットのような、綺麗ながら堅苦しい動き。一つ一つ駆動する度に、僅かな制止が挟み込まれている。
恐らく、コイツらは手足を使う生物じゃなかった。人型をしているが、それは形をしているだけだ。注視すれば、その違和感を察せられる。
ああ、だけど、それだけじゃなくて。
注視する以前に、何故か。
一目見ただけで、相対しただけで、なんとなくそれが分かった。
コイツらは人間じゃなくて、きっと生物でもないって、そんな判断を初見から下していた。
「…………」
理由は思い当たらない。納得出来る根拠もない。
だけど、注視して気付いた『動きの違和感』なんて、紛れもない後付けだ。むしろ人間じゃないと確信していたからこそ、気付けた情報だ。
なにか、説明出来ない気付きによって、俺はコイツの正体を看破している。
「……今は」
今はそんなことを考えている場合じゃない。余計なことに気取られるな。そう懸命に、自分自身に言い聞かせる。
でも、嫌な感じが拭えない。
漠然とした不安が、胸中を渦巻き思考を占領していく。
なにより、
今尚脅威と相対しながら、
この身に幾つもの穴を穿たれながら、
恐怖や痛み以上に、自身への違和感に囚われるなんて。
――どうかしている。
そしてそんな隙だらけな思考の合間を、敵は見逃しはしない。
突如、目前で巻き起こされた爆発によって、身体が大きく吹き飛ばされた。
「が、あああぁぁぁアアアアアア!?」
額や頬の皮膚を灼熱に焼かれ、両腕の肘から先が爆炎で塵にされる。一瞬の喪失感の後、思案を断ち切る程の激痛に声を上げた。
きっと普通の人間だったなら、この痛みに苛まれることもなく即死。生きていたって、これ程痛みを伸ばされる間もなくショックで意識を落としている筈だ。この身であっても視界が白に潰され、音も匂いも全ての感覚を忘れてしまう。
だけどその代わりに、大きく退き標的との距離が開かれた。
ぼんやりと戻って来た視力で捉えたのは、破壊され大きく開かれた壁だ。爆発の衝撃で店の外まで弾き出されたらしい。
「が、――アッ!」
だから腕が治り切るよりも先に、身体を振り向かせ走り出す。
良くも悪くも、放り出されたのは店の裏側。建物の間を通る、細く薄暗い裏路地だ。他の連中に見つかりにくいのはありがたいが、追って来られれば逃げ場が限られる。それこそ腕が再生し次第、外壁を破って別の建物へ飛び込むべきか――。
そう改めて、目前の脅威へと向き合った、その時だった。
響いた通知音に、はっと気付く。
ピピピと単純な通知は、スマホじゃない。
先日の事件時に渡されていた、小型の通信機器だ。
「――っ」
慌てて後方を確認するが、今のところ追ってはない。さっきの爆発で始末したと考えたのか、それとも。
とにかく、遅れて元通りになった左手で、急いで通信機を取り出す。そのまま左の耳へと取り付ければ、ザザザと擦れたノイズの後に、聞き覚えのある声が発せられた。
予想外だったのは、その声の主が姉貴ではなく。
『応答せよ、片桐裕馬。応答するのじゃ』
「東雲、八代子?」
それはつい先程まで膝を着き合わせていた、八ツ茶屋の店主の声だった。
何故、このタイミングで。
「なんでアンタが!」
『番号なら神守真白に聞いた。まさか離反した者に知られたまま、今まで変えておらぬとはな。驚きだが、いや、こういう事態を想定してそのままにしておいた可能性が――』
「なんなんだよ! 今どういう状況か分かってんのか!」
思わず声を上げれば、即座に、
『当然じゃ。故に、単刀直入で言わせて貰う』
東雲八代子は言われるままに、その本題を口にした。
『これより妾は南地区の図書館へ避難する。その旨をお主の姉君に伝えろ』
「は? なんで――」
なんで、そうなる?
『何故かなど、突然の事態に情報通達や連絡網が混乱しておるからじゃ。姉に繋がらんのは当然のこと、あやつの側近らにも繋がらん状況。程なくすれば、現地に向かわせたお主へと連絡が入るであろう。だからその際にお主から――』
「そうじゃない! なんで図書館なんだよ!」
彼女の言葉を遮り、叫んだ。
この異常事態に、図書館へ?
『決まっておろう。施設としても広く複雑な造りをしており、関係者の数も多い。なにより、秘密裏に開発された地下道を通れば、そのままあの施設の地下へ行ける手筈じゃ。身を潜めるには持って来いであろう』
「地下道って、なにを――、ッ」
いや、今はそれよりも。
コイツは一体、なにを考えてるんだ?
「関係者が多いって言っても、一般の利用者だって居る。そこへ、お前、なんのつもりだよ!」
『言っておろう、逃げる、と。それに妾の見た目は人間の少女故、施設に居るだけであれば大事にはなるまいが?』
「冗談言ってんじゃねぇよ!」
そんな話があるか。
逃げる? しかもよりにもよって、あの場所に?
そんなの、有り得ねぇだろうが!
「この状況で、特級が、わざわざこの場所から身を潜めるだって? お前らにはこの状況を打破する力があるから、特級なんじゃねぇのかよ!」
俺なんかとは違う。
今も近くで戦っている、神守黒音とも違う。
東雲八代子。
お前は他でもない、特級の位を与えられた戦力だろうが!
「お前ならこの状況を、なんとか出来るんじゃねぇのかよ!」
『――生憎、説明の時間がない。じゃが、力にも向き不向きがある』
「向き不向き、って」
『妾に奴らとの戦う手段は、皆無に等しい』
「ッ」
だったらどうして、お前は。
再度そう叫び出す、その時だった。
『――じゃが、まあ、妾でなければ』
裏路地の上空、下ろされていた日差しが、影によって遮られる。より深く暗闇に落ちる光景に、連中の接近を許したと身構え、見上げる。
が、そうではなかった。
上方より降り立ったのは、白い人型とは大きく違う。
人の形とは、まるで違った――。
「――なん、で」
ソイツは、他でもない――東雲八代子だ。
通信機の向こう側に居る筈で、図書館に逃げるなどと言って、戦う手段はないと言った。
なのに、彼女が目の前に現れた。
この渦中へと、その身を晒した。
「ふむ。力にも向き不向きがある。店に居る妾では、戦う手段は皆無に等しい」
言って、車椅子に座った小さな少女は俺を見下ろす。
そう、この路地の上部から見下ろしている。
何故ならその身体は、彼女の背面から突出した、黒塗りの長肢たちによって持ち上げられているのだから。
「じゃがまあ、店の妾でなければ、――違う個体であれば、このような荒事向きよな」
肢の、その数八つ。
黒く尖れた鉤爪たちを広げた彼女は、その正体、女郎蜘蛛の名に相応しい。
異形なる、人型ではない風体。
禍々しい八つ肢の影を下ろしていた。