第三章【28】「未来測定」
「っ――!?」
得体の知れない怖気に、思わず息を呑む。
咄嗟にわたしは、右の手のひらに特大の焔を造り出した。
なにかが目に入った訳でも、気付かされた訳でもない。魔力の感知や、敵の動きに大きな変化が見られた訳でもない。
理性的なモノではなく、直感的に。
ナニかが変容したと、そう感じ取った。
その変化は、敵対する人型たちの向こう側。
少なくとも同じ相手と戦ってくれている、共闘者のものだった。
「……ヒカリ?」
一見、その様相に変わったところは見られなかった。
だけど、遅れて気が付く。
開かれた彼女の双眸が、淡く金色の輝きを帯びていることに。
「……目」
遠くながら、その瞳と向き合わさる。すると向こうも気付いた様子で、微かに口元が緩んだように思えた。
それから、今更になって理解する。合点がいく。
先刻の立ち合いで、どれだけの魔法を放っても逸らされ弾かれた。全ての攻撃が通用することなく、退けられた。
力尽くじゃなくて、もっと別のナニかの影響によって傷付けることすら敵わなかった。
わたしはそれを黒薔薇のお守りや、がしゃどくろの黒い力と似通ったモノだって考えていたけれど、――そうじゃなかった。
目だ。
きっとその目が、ヒカリの持つ力なんだ。
それは現状見る限り、ただ、そこに在るだけだ。
きっと特殊な守護を発生させたり、視線を送った対象を無効化するような、そういう類のモノとは違う。自分や周囲に、なんの影響も与えていない。
にも関わらず、これ程の緊張を覚えるのは、間違いなく。
それこそが、彼女を特級たらしめる異能だと感じ取ったからだ。
間もなくして、その力の全容が振るわれることとなる。
『――――!』
直後、宙で制止したヒカリへと、覆い被さるように襲い掛かる白面。
彼女との交戦で衣服やマントをズタズタにされ、魔法ではなく振り上げた両腕での攻撃だ。裂かれた布地の奥、堅く組み合わさった岩石の剛腕が、風を切る勢いで下ろされ――。
それをヒカリは、ゆっくりと。
「――ここだ」
ただ一刺、人型の胸部へと銀剣を突き立てた。
そしてそれが腕を振り下ろす最中に、身体を貫き刃先が背面へと突き出され。
直後、大きな動きもなく。
人型は振るった腕が届く寸前に、その身を粉々に砕かれたのだった。
「――え?」
驚いたのは、それが強引に斬り裂かれた訳でも剥がされた訳でもなく、ただ自然と分離していくように崩れていったこと。継ぎ接ぎで合わさり人の形を成していた土石が、その集合を解かれたかのように見えた。
それと、もう一つ。
その瞬間、その個体から魔法の発動が感知され、すぐさま消失した。
「――今の」
ヒカリが魔法を発動させた?
……いいえ、きっとそうじゃない。
今のは――。
『――――!』
直後、棒立ちするわたしへ、背後で音を立て迫る土色の影。
もはや装飾の全てを焼き裂かれ、ヒカリの時と同様、剥き出しになった岩の外皮を以って圧し潰しにかかってくる。
わたしは振り向きざまに、その身体の胸部――人間であれば心臓が躍動する、その位置取りへ目掛けて。
「――雷を!」
右手を突き出し、号令を。
つんざく雷撃が、標的の胸部を大きく削り取った。
最初は敵対を躊躇っていたから。後には人ではないと明らかにしていたから。思えばわたしは胸中を撃ち抜くことはあっても、この人体の急所を狙うことはしていなかった。
だから今更気付かされる。
そこに隠されていた、全てのからくりに。
「……ああ」
左胸を撃ち抜かれた個体は、するといとも簡単に、空中での制御を失い街へと落ちて行ってしまった。きっと再び危害を加えることも、動き出すことすらもない筈だ。
そしてヒカリと同じように、その瞬間にあった、ほんの僅かな魔力感知。すぐに消えてしまった理由も、納得する。
「ここが、核」
彼らは核によって駆動していた。
堅い外皮の内側に隠されていた、魔法式によって。
それもわたしに、魔法使いに感知出来ないように施されていた、巧妙で高レベルな魔法式によって。
「――ッ! 焔よ!」
続け様、わたしは近くを浮遊する個体へ焔を撃ち放った。
もはやその個体の身に白布は少なく、残る僅かな魔法で滑空し、距離を詰めて来ていた。咄嗟の焔を躱すことも、迎え撃つことも適わなかった彼は、真正面から身体を焼かれることになる。
丁度その分厚い岩だけを焼けるよう、加減はしておいた。
だから魔力の反応を消失させることなく、胸部の内側が暴かれる。
胸の奥、土石のその身へと刻まれていた、光を帯びた魔法陣。
この目に映したソレは、今度こそ。
「……どう、して」
間違いなく、
わたしの知識と寸分狂わない、わたしたちが使う魔法式だった。
「やっぱり、でも、……どうやって、なんで!」
思わず声を上げる。
けれどそれを、呆然自失に考えている時間もない。
「サリーユ! 上だ!」
「ッ!」
そして、
「上だ! 焼き払え、サリーユ!」
ヒカリの呼びかけに、わたしは上空へと焔を撃ち放った。
◆ ◆ ◆
瞳の力を解放した、その瞬間。
ボクは、サリーユが空から地上へ落ちていく、そんな未来を視てしまった。
まだなにも起こっていない、遠くで敵たちと相対する彼女の姿。にも関わらずボクの脳裏には、真っ赤に流体を散らしながら落下する光景が鮮明に描かれている。
間もなく襲い掛かって来る目前の標的を斬り裂き、続く強撃や魔法も全てを捌いて。ただそれだけの処理の先にあるのは、ボクだけの生存だ。このままでは、魔法使いの敗北が待ち受けている。
「――ああ」
要因は、連中の核心だ。
コイツらが胸の奥に隠していた核となる魔法陣が、サリーユの使っている魔法とまったく同じ法則だから。それが明らかになって、気を取られて立ち尽くして、その隙を突かれて大きく負傷する。
間抜けだけれど、生憎笑えない。彼女の負傷の更に先に待ち受けているのは、ボク一人に対して十数の敵たちだ。別段引けを取ることもなく確勝ではあるようだが、多少の負傷は免れない。
それに、この戦いの、もっと先に。
サリーユが倒れたずっと未来に、漠然とした暗雲の気配を感じる。
見えない遠くの果てで、ボクの死が、待ち受けている。
「――それで、か」
ボクにはもう、標的の全てが視えていた。
相対する人型、その全身の微動。白い衣服が片時も制止していないのは、風や爆風などの要因だけだ。
人間等の生物であれば呼吸による上下や筋肉の収縮による微かな動きがみられるけれど、それらが一切起こっていない。彼らの身体は止まっている間、内臓から指先に至るまで、完全に動きを殺している。
それはやはり、彼らが生命体ではないということ。
それでも駆動しているのは、この目で暴けたその『核』となっている魔法の効力だ。核の魔法陣が、土色の身体の全身へ動力を流動させ、どころか継ぎ接ぎの土石を動けるように加工し組み合わせている。
設計の図式そのものが自律的に完成品を組み立てて、必要なエネルギーまで発生させている。
これが魔法。思わず目を疑うデタラメな現象が、力尽くに成立させられている。
ああ、だけど驚くべきは、このボクの目も、だ。
「こんなモノまで、理解してしまうなんて」
知識にない記号が用いられた計算式を、なにも分からないままに答えている。
ヤツらの正体も、ヤツらの次の動きも、そこから連なる、この戦況の一本筋の結末までも。
随分遠くまで、視定めて測定している。
そしてこの目は強化をしていなくとも、常人より遥かに見えている。
だからこの戦いにおいて、使っておいた方がいいのかもしれないと、そんな風に感じた時点でソレが見えていたんだ。待ち受ける急速な暗転、この身の危険を。
常時では、ただ自覚出来ないだけ。情報の処理が追い付いていないだけ。
それでも見えているから、意識がなくとも急き立てられた。使わなければいけないと、力の解放に漕ぎ付けることが出来た。
なにがヒントになって、確信になって、未来を確定したものとして情報が組み立てられているのか。ボク自身のことながら、その原理はまったく理解不能だ。
だけどこの目が視て取った情報が、導き出された未来の光景が、間違いでないということを知っている。信じたり得る程に、ボクはこの目に生かされて来た。
目前に刃物を突き立てられて、それがどうしてなんて考えない。明確に迫る危険を前に、迷うことなど有り得ない。
だからボクはその未来の舵を取り、別方向へと漕ぎ出した。
後に暴かれる連中の核を先んじて晒し、
予定より早まった露見に、それでも驚愕で動きを止めてしまったサリーユへ、
「サリーユ! 上だ!」
警告を叫ぶ。
捻じ曲げた別の未来の、それでも迫る危機を回避する為に。
「上だ! 焼き払え、サリーユ!」
それを叫んだ時点で、ボクは安堵していた。
すぐさま、更に曲げられた違う未来の光景が見えたからだ。業火によって攻撃を退け、無事無傷で乗り切ってみせた彼女が、脳裏に描かれたからだ。
だけど、遅れて気付く。
その未来が現実に追い付かれて、現在時として生き延びたサリーユに、思う。
ボクの警告を聞き入れていなければ、彼女は打ち落とされていた。上空から放たれた白塗りの一矢に胸部を貫かれて、瀕死の重傷を負わされていた。今までとは比べ物にならない程に鋭利な刺突が、咄嗟に展開した防御の魔法すらをも貫いてしまったんだ。
恐らくは、全ての力を一点に集めた必殺。正面からの防御は得策でなく、たとえ万全で迎え撃っても流血は避けられず、おまけに彼女は完全に不意を打たれてしまう。
ボクには、その未来が見えていた。
だけどそんな事実は、サリーユには関係のないものだ。
ボクにとっては絶対の要素であっても、彼女にとってはそうでない筈だ。
なのに、サリーユは。
「……今、キミは」
――たった一瞬たりとも、ためらわなかったのか?
どころか、彼女は、
「ありがとう、ヒカリ!」
何故かなんて、一言も尋ねることなく。
そんな風に言って、小さく歯を見せたのだった。