303.「ポワレとエーデルワイス」
【バンブルビー・セブンブリッジ】
──崑崙宮から帰ったその日のうちに、アビスがとんでもない事を口にした。
「枢機卿のハング・ネックの巣穴を見つけたよ。明日殺しに行くから皆そのつもりでね」
アビスは白身魚のポワレに背徳的な量のマヨネーズをかけながら、ポツリとそう言った。
一心不乱に料理をかき込むバブルガム、そのバブルガムにおかずを横取りされて嬉しそうなライラック。
仲悪いくせに隣に座って、肘と肘をぶつけ合いながら無言で火花を散らすイースとスカーレット。
料理の感想を楽しそうに話すラテとヘザー。
アビスの食への冒涜を諌めようと奮闘するスノウ。
料理ではなく食卓を囲んだ魔女を見ながら舌なめずりするブラッシュ。
──そして、まだ料理に手をつけることが出来ていなかった俺。
同じ食卓を囲みながらも、それぞれ全く違うことをしていた全員が、息を合わせたようにピタリと固まった。
「アビス……今の、本当なの?」
最初に口を開いたのはラテだった。そして動揺するラテに対してアビスの答えは、やはりあっけらかんとしていた。
「うん。ほんとだよ」
堰を切ったように食卓がざわめいた。当然だ。なにせ枢機卿のハング・ネックといえばバーンズ・ステークスに並ぶ魔女狩りのNo.2……俺たちのターゲットとしては大物中の大物だ。
これまで本人はアナグマのようになりを潜めていたけど、その悪名だけはおさまることを知らなかった。
この数百年間ずっと探し続けていた仇敵そのものなのだ。
そんな奴の居所が割れて、そのうえ明日にも首を取りに行くという……。
「……今回もいつもの情報屋か?」
「うん。そうだよ。どうしてそんなこと聞くのバンブルビー?」
「俺たちがずっと追っていたのに手掛かりすら掴めなかったハング・ネックだぞ。有能な情報屋っていうのは分かってたけど、いいかげん何者なのか気になるだろ」
鴉の仕事は主に魔女狩りの発見と殲滅。戦闘班だって各々独自に情報集めはするけど、基本的にいつも魔女狩りの情報を手に入れるのはアビスだった。
アビス曰く、情報の出処は極度に神経質な情報屋との取引の結果だと聞かされていた。
情報屋はアビス以外のメンバーとは一切面識がなく、また関わることを猛烈に拒否しているらしい。
それゆえにその情報屋とやらを知っているのは鴉でもアビスだけなのだ。正直なところ、俺は本当にそんな情報屋がいるのか未だに疑問に思っている。
「きっと今日まで私たちが頑張って沢山殺してきたから、ようやく尻尾を出してくれたんだよ。聞いてびっくり今の巣穴は日本にあるんだって」
「なにぃ!? それ晴人んとこの国じゃねぇかぁ!!」
「……最近支部を置いたばかりよね。すごいタイムリーじゃない?」
イースとスカーレットが顔を見合わせてそう言った。
「魔獣災害の被害が凄すぎて、まだろくに復興の目処が立っていない地方に堂々と施設を作ってたらしいんだ。敵ながら豪胆というか、思い切ったことするよねほんと」
「むはぁ、災害起こしたうえに被災地を隠れ蓑にしてたわけか! 人として最低じゃんね! むはは!」
バブルガムはケラケラと笑って料理を口に放り込んだ。
「ああそうそう、ハング・ネックの主人の魔女の情報もついでに手に入ったよ。エーデルワイスって魔女だってさ」
「……エーデルワイス、し、知ら、知らない名前、なの……」
俺も聞いた事がない。ハング・ネックが主人に選ぶような魔女なのだから、それなりに力のある魔女だとは思うけど。だいたいそんな情報ついでに手に入るもんなのか?
「ま、皆知らないよね。私も知らなかったし。けど昔の通り名は聞いた事くらいあるんじゃないかな? “疫病”の魔女……黒き死のツェツェグ」
アビスの言葉に何人かが反応した。俺もその一人である。
「あらあら、ツェツェグって……彼女実在したの? てっきり与太話の類だと思っていたけれど」
「むはぁ、病気を振りまく魔女の話だろー? 昔流行った黒死病も実はそいつの仕業だった〜!……とか、アホらし〜! ガセに決まってんだろ!」
バブルガムが言うのも無理はない。俺だってその話は随分昔に聞いて知っていたし、その頃から信じちゃいなかった。
なにせ本当だとするならば、そいつはヨーロッパの人口の3分の1を殺した虐殺の魔女だということになる。いくらなんでも突拍子もない──
「魔女狩りが20年前にばらまいたウイルスがあるよね。人間が魔獣もどきになっちゃうやつ」
「……? 急に何の話……まさか──」
「そのまさかだよ。20年前の魔獣災害を起こしたのはエーデルワイスの魔法……そもそも、魔法じゃなきゃ人間が魔獣になるウイルスなんて無理があるでしょ。そうなると、エーデルワイスは黒死病だけでも何千万人と殺してるわけだけど、魔獣災害はその比じゃないよね」
「……間違いなく、史上最悪の大量殺戮だな」
「そういうこと。心置きなく殺せる理由が出来たね」
アビスはそう言って微笑むと、もはや白身魚だかマヨネーズだか分からないモノをパクリと頬張った。
──俺は唖然とした。
アビスの舌がイカれてるからではない。『心置きなく殺せる』という、その言葉にだ。一切の冗談も含まれていないその言葉に、耳を疑った。
「──むはぁ、いやいや……笑えねー冗談だな?」
俺より先に、バブルガムがそう言った。言葉で睨めつけるような、冷めた声色だった。
「魔女狩りの人形を殺すのなんて、今に始まった事じゃないじゃない。何か問題あるかな」
「……エーデルワイスがマジでツェツェグで、魔獣災害を引き起こした張本人なら、殺す前にケツ拭かせねーとだろーが」
そう、魔獣化ウイルスと呼ばれているモノの正体がエーデルワイスの魔法であると言うのならば、この20年間人類を蝕み続けた魔獣災害を根絶出来る可能性がある。
本人を引っ捕えてみないことには分からないけど、単純な話、エーデルワイスが魔法を解除すればいいだけなのかもしれないし、それが無理だとしても魔法の特性を鑑みれば“抗体”のようなモノを作れる可能性は高いのではないか。
そしてアビスがその事に思い至っていない筈がない。だからこそ、分かっていながら試さずにただ殺すなんて、正気の沙汰とは思えないのだ──
「アビス、お前が人間嫌いなのは知ってるけど今回ばかりは見過ごせない。エーデルワイスを殺すのは考え直せ。いくらなんでも浅慮に過ぎる」
──ピリッとした空気が食卓を包んだ。長机の向こう、アビスは落ち着いた様子でワイングラスを傾けてからゆっくりと俺の方を見た。
「考えなしに言ってると思われるのは心外だね」
「なに?」
「エーデルワイスを捕まえて、殺さずに魔獣災害の元を絶ったとして……その後どうなると思う?」
呆れたような声音のアビスが、フォークの先端でぐるぐる円を描きながらそう言った。
「まぁ数年は何ともないだろうね。けど数十年したら? 人間は魔女を排斥しようとするよ。間違いなくね」
「……そんな、どうして?」
アビスの言わんとしている意図が全く読めていないのであろう。ラテが首を傾げた。
「この20年、魔女と人間の共生が上手くいっているのは魔獣災害のおかげなんだよ。魔女が人間を護り、護られた人間が魔女を受け入れる……ただそれだけの関係。現状、人間が魔女に牙を向けないのはただ単に利害が一致してるってだけ」
「……そんな冷たい言い方……」
ラテが何か抗議しようてして俯いた。
「人間にとって今の脅威は魔獣もどき……ならそれが無くなったら人間は安心できるかな。安心して魔女と仲良く暮らせるかな。違うよね。次の脅威が魔女に置き換わるだけだよ。人間は異物を受け入れられない。国や人種が違うだけで殺し合う。種族が違う私たちを受け入れることなんて本来出来っこないの。だったら、今はヴィヴィアンが作ったこの歪だけど奇跡的な共生を、少しでも長引かせないといけないと思わない?」
アビスの説明を聞いて、ラテはしゅんと肩を落とした。その肩をヘザーがそっと支えたけど、かける言葉は見つけられなかったらしい。
「ということで、エーデルワイスは殺すから。皆もそのつもりでね」
アビスはそう言って何事も無かったように食事を再開した。
俺はしばらく押し黙った後、バブルガムとほんの一瞬視線を交わして、ようやくナイフとフォークを手に取った──




