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 モモが死んだと聞いて訪ねてくる人は多かった。

 バンドのギターボーカルとして有名なだけでなく、明るくて頼りがいがあるモモは皆から好かれていたのだ。誰とでも仲良くなれる性格で、交友関係も広かった。これがナセだったら、わざわざ山のふもとの小屋までやって来る知り合いはもっと少なかっただろう。

 最初はナセもいちいち応答していたが、そのうちうんざりして、葬儀の日時と場所を書いた紙を玄関の扉に貼り、家の中に引き篭もった。どうせみんな同じことを言うのだし、こっちも同じことを返すだけなのだ。

「お気の毒に、まさかこんなことになるなんて。何と言ったらいいか、でも気を落とさないで。君が悲しむのをモモ君は望まないはずだ。葬式には必ず行くよ」

「ありがとうございます、頑張ります。葬式はいついつです」

 そんな儀式を繰り返したってモモは還って来ないし、ナセの心が和やかになるわけでもなかった。社交辞令なんかよりもやらなくちゃいけないことは沢山ある。例えば、違和感の追及、とか。

 この世界は変だ。変だという事はわかっていたのに、その原因を掴むことができなかった。でもモモが死んだことで少なくとも一つははっきりした。

 『当たり前』なんて、信じちゃいけない。

 目を離すとすぐに隅の角で蹲ってしまうホドを引きずり出し、ベッドに横たわらせる。

「ここはやだ」

 ぐずるようにホドは言った。

「落ち着かない」

「……じゃあこっちならどう?」

 ナセはホドを抱え、隣のベッドに移した。脱力した人間を持ちあげるのは重労働だ。到底軽々とというわけにはいかなかった。しかし、その甲斐あってホドはおとなしくなる。

「……ここ」

「モモのベッドだよ。いや?」

「……うぅ」

 ホドは顔を歪ませ、布団を握り締めた。また泣きそうだ。失敗したかとナセが焦ったとき、どんどんと玄関から戸を叩く音がした。

「……うるさ」

 無視しようと思っていると、「開けてナセ! ホド! アンナよ!」高い女の声が聞こえる。モモの恋人だ。さすがにこれは無視できない。ナセはホドの頭まで布団をかぶせ、玄関に出向いた。

「アンナ、遅かったね」

「ナセ……あ、あたし、びっくりして、信じられなくて……」

 アンナも目のふちが赤く腫れぼったくなっていた。元は溌剌とした赤毛の美人なのに、今はかわいそうな女の子にしか見えない。

「モ、モモ、影人と戦って死んだの? ホントに?」

「うん。目の前で見たよ」

 告げると、アンナは絶句して、その大きな瞳にますます涙を溢れさせた。

 ラブラブだったもんなぁ、とナセはぼんやりと思う。少し気が強くてしっかりもののアンナは、おおざっぱで大らかな傾向があるモモとお似合いだった。人前であからさまにいちゃいちゃすることはなかったけど、信頼し合っていることは傍から見てもすぐわかった。この二人の関係も永遠に続くと思っていたのに。

 アンナは、少し迷うように目を彷徨わせ、やがて意を決したように顔を上げた。

「よ、よかったら、形見とか貰えないかな?」

「形見って、骨とか?」

 聞くと、アンナは首を振った。

「うぅん、骨はちょっと怖いから……あのね、モモがいつもつけてたピアス、あるでしょ。緑のやつ。あれが欲しいの。あれがあれば、あたし少しは落ち着けると思う。じっとしてると、モモの顔が浮かんで、みんな笑ってる顔ばっかで、それなのにもぉい、いないなんて、す、すごい辛くて……っ」

「あぁ、ピアスな……多分役所で保管してると思うけど」

 どうしようか、とナセが考えていると、

「勝手にすれば」

 近くで低い声がした。

いつのまにかホドが隣に、幽鬼の様な面持ちで佇んでいる。

「ホド、」

 どうしたの、と声をかける間もなく、ホドは寝室に戻ってしまった。

 アンナは不安げに眉尻を下げる。

「……あ、あたし、悪いこと言っちゃったかな。ごめんね、ずうずうしいよね」

「いや、こっちこそごめん、ホドはまだショックが続いてるだけなんだ」

「うん……そうだよね」

 アンナは俯いて、唇を噛んだ。

「モモが死んだなんて……嘘みたい。だってモモなのに。あんなに素敵な人が死んじゃうなんて」

 その言葉にはっとして、ナセはアンナの肩を掴んだ。

「きゃっ、な、なに?」

「あ、あのさ、アンナ」

 言葉を選び、慎重に聞く。

「俺達がやってること、変だって思ったことある?」

「変って?」

「いつ殺されるかわからない敵と戦ってることとか。そもそもどうして戦ってるのが俺達だけなのかとか」

「え……? ごめん、言ってる意味わかんない」

 アンナは困ったように言い、ナセの手をのける。モモが死ぬ前の、モモとホドの反応と同じだ。なんでこんな当たり前のことを聞くんだろう、というような。

「だってそれは、そういうものでしょ? そう決まってるじゃない。モモが死んじゃったのは本当に悲しいし酷いことだと思うけど、仕方ないよ」

 アンナはホドのように気づきはしなかったようだ。ナセは肩を落として、「うん、そうだね、ごめん」と言った。

「気をつけて帰ってね。影人を見かけたらすぐ逃げて」

「ありがとう。きっとモモが見守ってくれてるから大丈夫だよ」

 気丈に笑って、アンナは帰っていく。

 アンナはアンナなりに本気でモモを愛していた。その気持ちが軽かったなんてナセには思えなかった。でもアンナは気づかない。それほどに、この『当たり前』というやつの根は深い。

 太陽が東から昇り、手を離せばボールが落下し、喉が乾けば水を飲みたくなる、それと同じぐらい動かしがたい決まり事なのだ。人間がどうにかできる範囲を超えた、絶対。

 そんなもの、どうやって疑えっていうんだ?

 ナセは頭を掻き毟り、すとん、と椅子に座った。

 何もかも信じられない。あんなに絶対的だと思っていたことがそうではないのなら、全てが偽りなのかもしれない。ナセは自分のことを男だと思っているが本当は女かも知れない。月は五つあると思っているが本当は一つかもしれない。そもそも、月なんてなかったのかも。この世界はないのかも。自分は生きていないのかも。

 ――そんな馬鹿な。

 さすがに話が大きくなりすぎだと苦笑してから、ナセはテーブルに突っ伏した。それだってありえないことではないのだ。何が真実かなんて、自分にはわかりようもない。

 ふと思い立って、ナセは立ち上がり、音楽部屋に入った。棚からモモが詩を描くために使っていたノートを引っ張り出して、新しいページに書き出していく。


『 本当に『当たり前』なのか、疑問に思ってること

・俺とホドとモモは、影人との戦いに備えて、定期的に試験の間に行く。

・影人が出てくればそれと戦う。

・その結果死ぬかもしれないなんて考えない。』


「……最後のは違うか」

 一番下の行に斜線を入れて、新しい項目を作る。


『  『当たり前』の違い

・俺とホドとモモにとっては、影人と戦っても死なないのが当たり前だった。

・町の人たちは影人に殺される可能性はあるって思ってた。』


 お悔やみを言いに小屋に来た人々は全員、モモが死んだのはありえないことだとは言わなかった。愕然としていたのはナセとホドだけだ。つまり、三人と町の人たちの認識は違っていたのだ。


『・俺とホドとモモは、町の人の何人かが影人に殺されたことがあるのは知ってた。←どうして自分が死ぬとは思わなかった?

・町の人たちは、俺たちが影人と戦ってもお礼を言ったりしないし、一緒に戦おうとも言わない。←危険なことだってわかってるのに?』


「……何故なら、俺達が影人と戦うことは『決まっている』から」

 誰かに頼まれたわけではない。自分たちで決めたわけでもない。気づいたら戦っていた。最初からそうなっていた。

「……なんだそれ」

 ぞくっ、と背筋に怖気が走る。この感覚が消えないうちにと、ナセはペンを握りなおした。


『 誰かが決めてる?』


 強調するように下に二重線を引く。

 ナセは苦しげに眉間に皺を寄せ、天井を仰いだ。

 怖い。気持ち悪い。頭が痛い。もうこんなこと考えたくない。もしかしたら自分は、とんでもないものを相手にしようとしているのかもしれない。

 何も知らないでいた方が楽だった。そうしたらきっと、アンナみたいに単純にモモの死を悼んでいられたのに。悲しい、可哀想、こんなことになるなんて、モモは運が悪かったんだね、って。

 今からでも知らないふりをすれば――ナセの頭に一瞬だけそんな考えが浮かんだが、すぐに打ち消した。

 それではモモに申し訳なさすぎる。

 最初に異常に気付いたのはナセだった。あの時もっと深く考えていたら、三人だけで戦うという決まりのおかしさを指摘できていたなら、モモは死なないですんだかもしれない。

 ――俺には責任がある。

 ナセは暗い気持ちで思った。それに今さら、この世界で安穏と暮らせるとも思えなかった。日常の一部として作業のように影人討伐をこなしていた以前とは違い、命の危険を感じながら戦わなくてはならないのだ。

 ノートを閉じ、棚に戻す。数日出入りがなかっただけなのに、部屋中うっすら埃がつもったようだった。床に置かれたモモのギターが、狭い部屋の中で存在感を示している。カーテンの隙間から洩れる柔らかい光が当たって綺麗だ。

 この緑の塗装がスゲーかっこいいんだ、と嬉しそうにはしゃいでいたモモを思い出し、ナセは泣いた。




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