第二部エピローグ:恋の先に、緑の国を。
妹から婚約者を奪った姉。
第二王子のお気に入りのご令嬢。
“緑のサロン”代表投票会での勝利が、そんなくだらない噂を塗り替えた後――。
代わりに増えたのは、陳情に訪れる貴族商人たちの群れだった。
「王様! どうか再度、お考え直しください」
ただ、彼らは玉座の間の扉前で閉め出されている。
彼らの処理は、私たちの仕事だからだ――。
「アリウム様、今日は数が多いですね」
「……いくわよ、シュシュカ」
書類入れを抱えるシュシュカを連れ、彼らの前に進み出ると。
「アリウム・ラグナム女史……!」
「どうか王様にお伝えください……!」
「嬢」ではなく「女史」と呼ばれるようになったのは、とても嬉しい進歩だけれど――彼らの意見は結局、“緑のサロンは貴族が管理すべき”というものだった。
「我が領の農民は、数を数えられない連中がほとんどだ! 我々貴族が手を貸さねば」
「はぁ……」
毎日のように訪れては、同じ主張を繰り返す彼らに、ため息が止まらない。
各領に増設予定の“緑のサロン”には、国政事業省から信頼できる“経営の補助役”を配置すると、何度も説明しているのだけれど――。
「農民たちに寄り添うふりをして、中抜きしようとしても無駄ですわ」
シュシュカに目で合図すると。
彼女は書類を出し、先ほど王様がくださった文書を読み上げた。
「王命による暫定規定として、『国有施設の権利証は、国政事業省が保有する魔法鑑定付きのものが正式なものとする』」
つまり、農民代表に渡された権利証を勝手に買ったり、偽物の証書で運営権を奪ったりすることはできない。
彼らのしそうなことを、先回りしたシュシュカの案が王様に採用されたのだ。
「農民に手を貸す? 隙を見て、彼らから運営権を奪うつもりでしょう? 平民の娘を舐めないでください」
胸を張る彼女に、貴族商人たちはどよめいた。
「……また後日参ります。諦めませんからね」
「小娘どもが」と、誰かの囁きが聞こえたけれど。
衛兵たちに、「外まで丁重にお見送りしてください」と言えば、彼らは帰るしかないのだ。
商人たちの背中が、完全に見えなくなったところで――シュシュカと同時にため息を吐き、笑い合った。
「これで今日の仕事は片付きましたね、アリウム様」
「ええ。夕飯、うちで食べていく?」
彼女は私の畑で取れる野菜を、いつも幸せそうな顔で食べてくれる。
最近は、お忍びの王様まで夕飯を食べにいらっしゃるほど――私の畑の評判は広まりつつあった。
「シュシュカ……?」
廊下の真ん中で足を止めた彼女は、俯いていた。
しばらくして――彼女は眉を下げたまま、「アリウム様」と、私を改めて呼んだ。
「私は最初、あなたが王子に選ばれた人だと思っていました……でも違いましたね」
「え……?」
「あなたは、国民に選ばれた人です」
国民に選ばれた人。
シュシュカの少し照れた笑顔に、目を奪われた。
(そうか、私は……)
自分の足でここへ来た。
殿下の手を取った。
“緑のサロン”の在り方を、納得のいくように決められた――。
改めて、そう唱えた瞬間。
爽やかな風が、胸の中を吹き抜けた。
「お夕飯、私もお手伝いします。参りましょう、アリウム様」
「……ええ」
夕焼け色の廊下へ踏み出したシュシュカに並び、二人で納屋へ帰っていくと。
「今日は私、帰ります」
「え、どうして……」
シュシュカがお辞儀をする先には、畑に水を撒く影があった。
「殿下……」
「また後日、寄らせていただきますね」
気を遣ってくれたシュシュカを、申し訳なくも見送った後。
私も彼に並び、雑草を間引くことにした。
「先ほどのアリウムの勇姿、遠くから見ていました」
「まぁ、声をかけてくだされば良いのに!」
「貴女たちだけでも、大丈夫だと思ったので……」
時々こうして畑仕事をしながら、その日の出来事を話す――それが王宮での日課になっていた。
今の私には欠かせない、幸せな時間だ。
「そういえば今朝、ルナティから手紙が来ました」
彼女は今、制御できるようになりつつある自分の魔法で、毎日“緑のサロン”を手伝っているという。
「『まだまだ信用されないから、もっと通わないと』って。あの子なりに、頑張っているみたいですわ」
「……そうですか」
殿下は控えめに、それでも安心したように笑ってくれた。
「……ところで、前におっしゃっていた、アストロワ卿からの書簡とは何だったのですか?」
「書簡……ああ」
代表投票会から、しばらく経ったある日。
なんとアストロワ卿から、「国有でも“緑のサロン”を支援する」と書簡が届いた。
その数日後、多額の資金が国費に献上されたのだ。
「ここしばらく、ナナ様は公務で都を離れていらしたものね」
「まさか、彼にそこまで奉仕の精神があったとは……」
今の殿下と同じくらい、少し前の私も驚愕していた。
「でもあの方、本当は利益だけを見ておられる方ではないのでしょうね」
たとえ分かり合えなかった相手の事業だとしても、彼は国全体の豊かさを育むために、資金を援助してくれた。
「そういうところだけは、素直に尊敬できます」
「……後悔していますか?」
「自分を選んで」と、俯いている殿下に、思わず笑いがこぼれそうになった。
「さぁ、中に入って夕食を作りましょう」
「アリウム……?」
不安げに私の後をついてくる殿下が、何だか可愛らしく見える。
買ったばかりのフライパンを取り出せば、後ろから、熱魔法を帯びた手が伸びてきた。
「どうぞ、料理を続けてください」
「殿下……」
先日、魔導式の火炉をここに設置してもらったばかりなのに。
無言で「役に立つでしょう?」と訴える殿下、やっぱり愛おしい――。
「あなただけですよ」
弾ける音を立てる野菜を見つめたまま、ぽつりとこぼした。
「……はい?」
あの人は、私の才能の話しかしなかった。
「私自身を欲しいと思ってくださったのは、ナナ様です」
「……っ」
耳の熱を誤魔化すように、料理に集中していると――フライパンの野菜が音を立てなくなっていった。
「あら?」
殿下が魔法を止めたみたいだ。
しかもなぜか、私の手からフライパンを取り上げようとしている。
「ナナ様……?」
ここのところ殿下は、“王太子”として立つための準備で方々を駆け回っていた。
王様が、戦の武功で第一王子を立てるのではなく、国政の手腕で彼を後継者に選んだことには、とても安心したけれど――。
それにしても働かせすぎだ。
「お疲れなら無理をせず……きゃっ!」
突然、身体が宙に浮いた。
「いったい何を……」
彼は無言で私を抱き上げたまま、ベッドと椅子の間で少し止まり――やがて椅子に下ろしてくれた。
「ナナ様……?」
納屋に入る直前から、ずっと俯いていた彼。
やっとこちらを向いた顔は、いつになく真剣だった。
「誓いの続き、今してもよろしいですか?」
「え……」
今度こそ、と差し出されたのは、もう何度か目を掠めた輝き――金剛石の指輪だ。
でも、指輪よりずっと。
彼の瞳に宿った光の方が、強く、明るく輝いていた。
「俺も納屋暮らしで結構ですから……いつまでも、貴女といさせてほしい」
飾らない言葉に、唇が震えた。
いつか湖で、彼の頬へ涙を落とした時のように――気づけば涙が溢れていた。
「……返事、聞かせていただけますか?」
今の私はもう、“私の物語”を見つけに旅立ったばかりの私ではない。
今度こそ、ちゃんと伝えられる――。
熱い涙を拭い、息を整えた。
「ナナ様と私の、“幸せ事業計画”ということでお受けいたしますわ」
「……え?」
目を丸くする殿下に、少し意地悪な口調で話した。
王宮へ入る前、彼がうちの領まで迎えに来てくれた時のことを。
「『前回の事業の件で、やり残しが』……と言われた時、たいへん傷つきました」
あの時の私は、殿下が仕事の用件で会いに来ていたのだと思ったから――「その仕返し」と言うと、殿下は苦い顔をした。
「……その節は、大変申し訳ございませんでした」
「ふふっ、丁寧な謝罪、ありがとうございます」
本気で反省していそうな殿下の前に、左手を差し出すと。
彼は唇を引き結び、かすかに震える指先で、私の手を取った。
薬指を通る指輪が少し熱く感じるほどに、彼の指が熱を帯びている。
それでも、私の手に誓いの証がきらめくと――。
「……アリウム」
彼の手が、私の頬を撫でた。
少し潤んだ瞳が近づいてくる。
耳を満たすのは、人生で初めて捧げられる言葉。
それを囁いた唇が、その温度を灯したまま、深く唇に重なった。
* * *
“緑のサロン”の広大な畑には、毎日同じ言葉が響いている。
「みんな、ご飯にするよ〜!」
おさげ髪を揺らし、赤ん坊を背負った母親が、遊ぶ子どもたちに声をかけると。
蝶を追っていた子どもたちは、一斉に母親の元へ駆け寄った。
「お母さん、今日のお昼ご飯なに?」
「坊やたちのだ~い好きな、ラグナム領特産のトマトをたっぷり使った野菜スープ」
「え~! ボク、トマトきらいだって言ったじゃんか」
同じく「きらい」だと、まだ幼い子どもたちから声が上がる中。
頬を膨らませる長男を見て、母親は柔らかく微笑んだ。
「じゃあ、とっておきのお話をしてあげる」
「とっておき?」
畑の真ん中に座り込んだ母親を、5人の子どもたちが囲んだところで。
「ここダイアフェインは昔、石の国と呼ばれていてね――」
誰もが野菜を食べられる国ではなかった。
母親の静かな声に、少しずつ、子どもたちは引き寄せられていった。
「でも、のちに王と王妃となったお二人が、痩せた土地に“あたたかい魔法”をかけたの。そしたらね……灰色の大地が、鮮やかな緑に塗り替えられていったのさ」
そうしてここは、緑の国と呼ばれるようになった。
「え~!?」
母親の、「おしまい」の合図に弾かれた子どもたちは、次々と声を上げている。
「そんなのおとぎ話でしょ」
「おとぎ話じゃないよ。お二人が恋人同士だった頃を最初に見抜いたのは、お母さんなんだからね」
「ウソだよ! お母さんが王様と王妃様に会ったことあるなんて〜」
きゃあきゃあと騒ぐ子どもたちに、母親は目を細めた。
「ほんとだよ」
母親は青々と実る畑を眺め、そして――都の方角に微笑んだ。
「今もお二人で、畑にいるのかな……」
彼女の知る王と、その妃がまだ恋人同士だった頃の甘い物語は、誰かの胸に留まったまま消えていく。
それでも。
“緑のサロン”を国中に広めた王と妃の物語は、緑の国ダイアフェインに、いつまでも語り継がれていった。
《第二部 END》
アリウムとナナラピスの物語を、第二部の最後までお読みいただき、ありがとうございました。
妹の涙によって奪われてきた物語を、ふたりが取り戻した第一部。
その先に広がる“緑のサロン”と、ふたりの恋の行方を描いた第二部。
王子に選ばれた人ではなく、国民に選ばれた人として。
誰かに与えられた幸せではなく、自分で選んだ恋と仕事の先へ。
アリウムとナナラピスが、少しずつ、それでも確かに歩いていく姿を、ここまで一緒に見守っていただけたことを嬉しく思います。
物語の先にも続いていくふたりの恋と、そこから広がった“緑の国”が、読んでくださった方の心にも温かく残っていましたら幸いです。
読了のしるしに、そっと応援を残していただけましたら、次の物語を書く力にさせていただきます。
『もう遅い? それはこちらのセリフです』に出会ってくださり、本当にありがとうございました。




