表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
POETRY WITCH(ポエトリー・ウィッチ) -言の葉の代償(テノア)は琴音(こえ)で払え-  作者: ちとせ鶫
第1部 言の葉の重み

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
78/94

第77話 名前が先を歩く

 夏の盛り、学院の掲示板には、依頼の文面に変化が現れ始めていた。


 アルドはその一枚を見つめながら、小さな違和感を覚えていた。「詠唱士を派遣してほしい」という従来の文言ではなく、「できれば、ノエルを派遣してほしい」という、名指しの依頼が目立つようになっている。


 掲示板に貼られた依頼書の数枚に、すでにその傾向がはっきりと表れていた。


 研究室で、アルドは筆談ノートを開いた。窓の外には、夏の強い日差しが降り注いでいる。机の端には、各地から届いた依頼書が、無造作に積み重なっていた。


『最近、各地で小さな異変が報告されています』


 ノエルがその文字を覗き込む。アルドはもう一行、書き加えた。


『作物の病や、天候の不順。それらが繋がっている可能性があります』


 ノエルは少し眉をひそめながら、その言葉を読み返していた。


 これまで個別に対応してきた依頼の一つ一つが、もしかしたら、もっと大きな何かの一部かもしれない――その可能性に、二人とも、まだはっきりとした輪郭を見出せずにいた。


 机の上に広げられた依頼書の束を、ノエルは一枚一枚、丁寧にめくっていった。

 それぞれの依頼書には、村の名前と、簡潔な異変の内容が記されている。

 一見すると無関係に思える出来事が、地図の上に並べてみると、どこか不穏な広がりを見せているようにも思えた。


     * * *


 翌日、街道を歩いていると、旅人らしき男性が、息を切らしながらこちらへ駆け寄ってきた。土埃にまみれた服装から、かなりの距離を急いで来たことがうかがえた。


「聖女様でいらっしゃいますか。お願いがありまして……」


 ノエルが訂正しようとする前に、男性は早口で続けた。


「北の方角で、村が一つ、作物が全滅してしまいました。三ヶ月前から、何を植えても育たない。幾人かの詠唱士や魔術師の方が精霊への詠唱は試したんですが、全く応えてくれなくて」


 その言葉に、アルドは小さく息を呑んだ。

 精霊が「全く応えない」という事態は、これまで一度も耳にしたことがなかった。

 逸脱した詠唱であっても、規定通りの詠唱であっても、精霊たちは何かしらの形で応えてきたはずだった。

 旅をしてきた数々の村で、応えなかった精霊など一柱もいなかった。


 男性は縋るような目で、ノエルを見つめていた。


「村の者たちも、もう半分諦めかけているんです。それでも、噂を聞いて、もしかしたらと思って」


 その言葉の端々に滲む疲労は、単なる一時的な不作とは思えないほどの重さを帯びていた。三ヶ月という時間は、村人たちにとって決して短いものではないはずだった。


 ノエルは男性の必死な表情をまっすぐに見つめ、迷うことなく頷いた。


「来週なら、行けますよ。それでもいいですか」


 その声には、迷いも気負いもなかった。

 ノエルは自分から、学院外依頼の正式な手続きについても申し出た。

 指名されることへの戸惑いは、いつの間にか、自分の足で動くための確かな足場へと変わっているようだった。


 その後ろ姿を見送りながら、アルドは胸の奥にざわつくものを感じていた。

 これまで旅してきたどの土地でも、精霊が完全に沈黙したという話は聞いたことがなかった。

 風が弱いことはあっても、土が痩せていることはあっても、応えること自体を拒むような事態は、前例のないものだった。


 男性は何度も頭を下げながら、村への道順を伝え、足早に去っていった。

 アルドはその後ろ姿を見送りながら、胸の奥にざわつくものを感じていた。


     * * *


 その夜、宿の一室で、アルドが一人、地図を広げていると、傍らにふわりとレイの気配が立った。

 蝋燭の灯りが、光の粒のような輪郭を淡く照らしている。


「精霊が応えないのは、珍しいことだよ」


 レイの声は、いつもより幾分か低く、慎重な響きを帯びていた。


「よっぽどのことがなければ、精霊は詠唱を無視しない」


 アルドは筆談ノートを開きかけたが、その前にレイが続けた。窓辺に近づき、夜の闇に目を凝らすような仕草を見せる。


「まだ、分からない。でも――気は抜かない方がいいね」


 窓の外では、夏の夜風が静かに葉擦れの音を立てていた。

 レイはしばらく沈黙した後、これまでにない重みを持った声で言葉を継いだ。


「もし、ほんとうに大きな変化が来るとしたら」


 その一言に、アルドは息を詰めた。これまでレイが口にしてきた言葉の中で、最も重く、最も曖昧なものだった。


「その時は、お前たちが、一番大事な役を担うことになるかもしれない」


 レイの気配が、そのまま静かに薄れていく。

 残された部屋の中で、アルドはしばらくの間、地図に描かれた北の村の位置を、ただじっと見つめ続けていた。

 各地で起きている小さな異変の点が、地図の上で、まだ繋がらない線として散らばっている。その先に何があるのか、今はまだ、誰にもわからなかった。


 隣の部屋からは、ノエルの寝息らしき静かな気配が、薄い壁を通してかすかに伝わってきていた。何も知らないまま眠る彼女の安らかさが、今のアルドには、かえって胸に迫るものがあった。


     * * *


「名前が先を歩いている。

 でも、名前が準備した場所に、本人が辿り着くとしたら

 ――その道のりを、私は隣で見続けたい」

―― アルド、宿の夜にて

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ