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POETRY WITCH(ポエトリー・ウィッチ) -言の葉の代償(テノア)は琴音(こえ)で払え-  作者: ちとせ鶫
第1部 言の葉の重み

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22/92

第21話 翌朝のこと

 翌朝、ノエルは早起きした。


 いつもより一時間ほど早かった。まだ空が白んでいる時間に目が覚めて、そのまま眠れなかった。


 悪い理由ではなかった。ただ——昨日のことが、頭の中を大きく占めていた。


 足が地面についた感じ。


 あの感覚を、もう一度確かめたかった。


 ノエルは宿の部屋で、小さな声で言ってみた。


「ノエル・ブライトガーデン」


 噛まなかった。


 もう一度。


「ノエル・ブライトガーデン」


 噛まなかった。


 書く時はいつも噛まない。声に出す時も、誰も見ていない時は噛まない。昨日は依頼の最中に噛まなかった。


 何が違ったんだろう、とノエルは考えた。神霊の視線が来た。それは感じた。でも——足場があった。視線が来る前に、すでに立っていた。


 「足場にする」とソニアは言っていた。


 押されるんじゃなくて、立つ場所にする。


 昨日はそれができた。でも毎回できるかどうかは、まだわからない。


 ノエルは革張りのノートを開いた。振り返りノートのページに書いた。


 「昨日、噛まなかった。でも今日また噛むかもしれない。でも昨日できたのは本物だと思う。師匠もそう言ってた」


 書いて、少し考えて、続けた。


 「足場って、毎回作るものじゃなくて、最初からそこにあるものなのかもしれない。私がそこに立てるかどうかが問題で」


 ペンを置いた。


 自分で書いた言葉を読んで、少し驚いた。

 これ、自分で気づいた?


     * * *


 アルドが起きてきたのは、それから少し後だった。

 ノエルが食堂のテーブルで振り返りノートを書いているのを見て、少し目を丸くした。


「おはようございます師匠、早いですね」


 アルドがノートを取り出した。


『おはようございます、ノエル。いつもより早い』


「目が覚めちゃって」


『昨日のことを考えていましたか』


「どうしてわかるんですか」


『顔を見ればわかります』


 ノエルが両頬を手のひらで押さえて、「師匠って実は筆談より顔読みが得意なのでは」と言った。アルドはそれには何も答えなかった。


 朝食が来るまでの間、ノエルはアルドに振り返りノートを見せた。「足場って最初からそこにあるもの」という一節を指差した。


「昨日感じたことを書いてみたんですけど、合ってますか?」


 アルドはしばらく読んだ。

 それから書いた。


『合っていると思います。「作る」のではなく「気づく」に近い』


「気づく……」


『足場は最初からある。貴女の声が神霊と共鳴できる場所が、最初からある。それに気づいて、そこに立つ——昨日、貴女はそれをやった』


 ノエルがその筆談を読んで、しばらく黙った。


「......師匠って、こういうこと、前から知ってましたか」


『薄々は……』


「なんで言ってくれなかったんですか」


『言葉で教えられることではないと思っていました。貴女が自分で気づく方が、本物になると思って』


 ノエルがふうん、と言った。それから少し笑った。


「ずるいですね、師匠」


『そうかもしれません』


     * * *


 レイが窓枠から入ってきたのは、朝食が届いた頃だった。


「遅かったね、二人とも」


「私が早起きしたんです」とノエルが言った。


「知っているよ」


「全部知ってるんですよね、レイさんは」


「もちろん。全部だ」


 ノエルがパンをちぎりながら言った。


「じゃあ聞きますけど——今日も噛まないですか」


「それはわからないと言っただろ」


「そうでした」


 レイが窓枠に止まったまま言った。


「ただ——昨日より、立っている場所が少し高くなっている」


「高く?」


「足場の話だ。昨日より一段、上に立っている」


 ノエルが「一段」と繰り返した。


「百段あるとして、今日が何段目かはボクにもわからない。でも昨日より一段上なのは確かだ」


 アルドがノートに書いた。


『百段、ですか』


「例えだよ。正確な数はボクにもわからない」


『ノエルは今、何段目くらいでしょうか』


 レイが少し間を置いて答えた。


「それは……教えない方がいい」


『なぜですか』


「自分の位置を知ると、残りを数えようとする。残りを数えながら登る人間は、足元を見なくなる」


 アルドはその言葉を受け取った。ノートに書くのをやめた。


 ノエルがパンを口に入れながら言った。


「......レイさんって、やっぱり意地悪ですね」


「正直なだけだ」


「でも今のは優しかったと思います」


 レイは何も言わなかった。

 窓の外で、朝の光が街道を照らし始めていた。


     * * *


 宿を出る前に、ノエルがもう一度だけ振り返りノートに書いた。


 「百段あるらしい。今日が何段目かはわからない。でも昨日より一段上。それだけわかれば十分な気がする」


 ペンを置いて、ノートを閉じた。

 革張りの表紙を、いつもの癖でそっとなでた。


 アルドがその様子を見ていた。

 誰にも見せないページに、一行書いた。


『足場は最初からある——彼女が自分で気づいた日の朝、彼女はいつもより一時間早く起きていた』


     * * *


「百段あるとレイは言った。

 今日が何段目かは教えてくれなかった。

 でも彼女は『それだけわかれば十分』と書いた。

 そういうところが、ノエルだ」


―― アルド、筆談ノートより

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