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いまは緑色の芝生  作者: 三号


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イパナカ

 ちょうど正面に港を視界に据えることができる公園の、木目を模したベンチに座りながら、狐塚良一郎は港湾の彼方で悠然と回転している風車へ投げやりな気持ちを向けていた。

 もう少し細ければ鉛筆のような風車の羽は、ゆっくりと周りならが風が吹いていることを示しているだけではなく、回転ごとに電力を生み出しているのだという。風力発電の風車は、いくつも連なって並んでいる。いつかあの風車の下で煙草を吸ってみたいと、彼は考える。

「煙草なんて自虐的な趣味は、いつか世界から消えると予想しているのだけれど」

 良一郎が座っているベンチの横、ベンチに寄り添うでもなく離れるでもない距離、車椅子の少女は彼と同じ方向を見やりながら呟く。

「別に当人からすれば自分を虐げているわけじゃない。結果、身体としては虐げているのだけど、それは煙草にかぎったことではないだろう。すくなくともマヨネーズを大量に絡ませた油にまみれた肉を食べるよりは健康的な気がするけどね」

 どうして自分が煙草が吸いたくなったことが少女にばれてしまったのか、深く考えることは初めからしなかった。伝わっている情報によれば、少女は「いわゆる表沙汰にできない」部類の人種であると聞かされていたからだ。大方、ジャケットの煙草に手をやろうとした一瞬の動きでも見て予測されたのだろう。後は蓋然性の話だ。狐塚のようなヘビースモーカにとってみれば四六時中、無意識レベルでさえ喫煙を渇望しているのだから、鎌を掛けてみれば当たらないはずがない。

 少女は狐塚に対して名乗っていない。そもそも、初対面だが挨拶すらしていない。指定された時間に、指定されていた場所にいただけだ。いつのまにか、それこそ音もなく、車椅子の少女は彼の隣に存在していた。現実を超えていない証拠に、少女はくしゃみをした。

「潮の臭いがする」

「その様子だとあまり外には出かけないのじゃないかな。滅多に外出しないことと、潮の臭いと、くしゃみがつながるかどうかについては、また別の意見があるだろうけどね」狐塚は今度は気持ちだけでなく行動へ移して煙草を取り出し、無精髭に囲まれた口元にくわえ、ジッポで火を点けようとする。「ところで、煙草の煙は、君のくしゃみにつながるだろうか」

 少女は口元で不愉快な表情を作って見せた。

「もし、いまが待ちに待った夕食どきで、美味しい料理を食べるための個室で、貴方がそのような質問をわたしにし向けたのだとしたら」と、そこで少女は口元に笑みを浮かべる。そしてやっと狐塚の方へ顔を向けた。「貴方は即座に撃ち殺されていたでしょうね」

「なるほど、気をつけることにするよ」

 方法と実行力には疑念を挟まなかった。少女がするといったのならば、それはできることなのだろうし、必ず実行するのだろう。

 港湾からの風が、都合よく煙草の煙を少女から遠ざける風向きに変わった。同時に、彼女の腰まで届くようなまっすぐな髪がなびいた。乱れた髪は風が止むと同時に、まるで彫刻の定位置であるかのように整った。実に日本人らしい、きれいな黒髪だと、狐塚は関心する。

「それで、まあ、こういうのはどちらが切り出すか、いつも迷うわけなんだけれども、つまるところ私がここに呼び出された理由については、そろそろ、訊いてもよい頃合いだろうか」

「ええ、そうですね、抜群の頃合い。貴方にはこれからある人物を探してもらいたいのです」

 ちょうど煙草が一本吸い終わると同時に、少女は依頼でもなく依願でもなく懇願でもなく請願でもなく申請でもなく要求でもなく指示でもなく指揮でもなく、珈琲をスプーンでまぜるようにして命令をした。


 人生というのは一見不条理の固まりに見えて、絡み合った不条理と極めつけの理不尽や、行き止まりばかりの迷路みたいにして作られた選択肢、そういった物事をややこしくしているように絡み合っている糸を時ほぐしていくと、単純なものだというのが狐塚の信条だった。どれだけ難しく輻輳しているかのように見える難問でも、実際に答えなければいけないのはせいぜい一問か二問なのだ。要は、解かなければいけない問題にたどり着くまで、あるいはその問題が見つかるまでに何をするか、ということなのだ。

 じいと動かず、問題が表面まで現れるまで待つか、それとも周りを巻き込んで動き、跳ね、飛び、水紋がいくつも重なって原型をとどめなくなるくらいに水面を乱して出てくるものを掴むのか。どちらかというと、彼は動かず、彼に反してして動く周囲の様子をガラス越しに眺めるようにしながら、物事の問題を見いだしていく方が得意だ。得意というよりも、その方が彼の性に合っているともいえる。

 あの後、少女は狐塚が探さなくてはならない男の名前だけを告げて、誰かに助けられるわけでもなく自分で車椅子を動かして彼の前から去った。名前を告げるときは丁寧に漢字での書き方まで教えてくれた。あの少女は意外と気遣いのできる性格なのかもしれない。

「それにしても、手がかりが名前だけだとは」

 さして広くない日本海側の地方都市とはいえ、名前だけで一人の人間を探すとなると、ほぼ不可能に近い。インターネットで検索するなり、図書館で過去の新聞を漁ってみるのも、方法論としてはあるかもしれない。だが狐塚はその何れの方法を試してみることも、やめた。とりあえず彼は、公園から自分の部屋、家賃が五万円のワンルームへ戻ると、寝ることにした。果報を寝て待つつもりはないが、と言い訳をするように独り言を言いながら。彼には、ささやかな目算があった。あの少女と、あれほど人目がつくところで会った自分に対して、少なからぬ反応があるのだろう。ならば、こちらから動くのは無駄な労力なのではないか、と。彼のささやかな目算は、ささやかどころではない速度で報われることになる。

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