第六十一話 堕ちた者との激闘
屋敷の中庭ではユーキとアイカがアレスたちと激戦を繰り広げていた。取り囲むモイルダーたちの攻撃をかわしながらユーキとアイカは反撃する。しかし、モイルダーたちも負けずと攻撃をかわした。
アイカは目の前には二体のモイルダーがおり、両手の爪を光らせながらアイカと向かい合っている。アイカもプラジュとスピキュを構えながら出方を窺っていた。
自分から攻撃を仕掛けず、アイカは動かずにモイルダーたちを睨んでいる。すると痺れを切らせたのかモイルダーたちはアイカに襲い掛かった。
素早く距離を詰めてアイカの目の前まで移動すると、アイカから見て右側にいるモイルダーが鋭い爪で攻撃した。アイカは後ろに下がって爪をかわすと右手のプラジュを振り下ろして反撃する。だが、モイルダーも後ろに跳んでアイカの反撃を回避した。
攻撃をかわされたアイカは少し悔しそうな顔でモイルダーを見ている。すると、もう一体のモイルダーがアイカの左側面に回り込んで攻撃してきた。
もう一体の攻撃に気付いたアイカは咄嗟にスピキュで爪を防ぎ、プラジュを横に振ってモイルダーの胴体を斬った。プラジュはモイルダーの体に切り裂き、斬られたモイルダーは後ろに下がってアイカから距離を取ろうとする。だが、アイカはモイルダーを逃がす気は無かった。
「距離は取らせません!」
アイカは大きく前に出るとスピキュで逆袈裟切りを放ってモイルダーを切り裂く。再び胴体を斬られたモイルダーは鳴き声を上げながら後ろに倒れて仰向けになり、黒い靄と化して消滅した。
一体目のモイルダーを倒したアイカはすぐにもう一体の方を向いて構え直した。もう一体のモイルダーは仲間が倒されても動揺は見せず、威嚇するように鳴き声を上げながら両手の爪で連続切りを仕掛けてきた。
アイカは慌てずに全ての攻撃を防ぎ、連撃が止まるとその隙をついて姿勢を低くして両腕を交差させ、プラジュとスピキュを外側に向かって振る。プラジュとスピキュはモイルダーの腹部を切り裂き、モイルダーは崩れるように倒れて消滅した。
モイルダーを二体倒したアイカは体勢を直してプラジュとスピキュを軽く外に向かって振る。すると今度は背後から別のモイルダーがアイカに飛びかかってきた。モイルダーに気付いたアイカは素早くプラジュとスピキュを左に倒して横構えを取る。
「サンロード剣術、倒景斬!」
剣を横にしたままアイカは勢いよく右に回って背後から迫ってきたモイルダーに回転切りを放ち、モイルダーを斬ると何も無かったかのように再び背を向ける。モイルダーは胸部や腹部を斬られ、傷口から出血しながら倒れて消滅した。
「これで三体、残りは三体とアレスだけね」
敵の数を確認したアイカがユーキの方を向くと、ユーキは少し離れた所でアレスと一体のモイルダーと向かい合っていた。双月の構えを取るユーキの前にはアレスが右手を顔の横、左手を前に伸ばした状態で構えており、モイルダーもアレスの右隣で爪を光らせている。
ユーキは鋭い目でアレスとモイルダーを睨み、アイカはユーキに加勢しようと走り出す。だが、アイカの前に残り二体のモイルダーが立ち塞がり、アイカは行く手を阻むモイルダーを鬱陶しそうに見ながら構える。
「アイカ、こっちは大丈夫だからソイツらの相手を頼む」
「分かったわ。すぐに倒して加勢するから、それまで頑張って」
アイカは目の前のモイルダーたちを見ながらプラジュとスピキュを強く握る。既に三体のモイルダーを倒しているアイカにとって、二体のモイルダーを相手にすることなど何の問題も無かった。
「フッ、生意気な女だ。下位ベーゼを三体倒しただけで調子に乗るとは……」
モイルダーと向かい合うアイカを見てアレスは鼻で笑い、そんなアレスの反応を見たユーキは目を僅かに鋭くする。仲間を馬鹿にされた少しカチンと来たようだ。
「女だからって馬鹿にするなよ? 彼女はああ見えて強いんだからな」
「ほぉ? 随分あの女を高く評価しているのだな? ……まさか、お前の女か?」
「さあ、どうだろうね」
笑いながら尋ねるアレスを見てユーキも笑みを返す。アレスは自分の発言でユーキが取り乱すと思っていたのか、余裕の笑みを浮かべたのを見て意外に思い、同時に予想とは違う反応を見せたことをつまらなく思い小さく舌打ちをした。
「まあ、あの女がお前の仲間であることは事実だ。仲間が傷つけばお前もそんな余裕の態度を取ることはできなくなるだろう。お前を動けなくなるくらい痛めつけた後、あの女を甚振ってお前の顔を苦痛と悔しさで歪めてやろう」
「……どうやら本当に心もベーゼの心に変わっていってるみたいだな」
アレスの発言と考え方から、もうアレスは人間ではないとユーキは感じる。今のアレスを此処で倒しておかなくては後に人々の脅威となると確信するユーキは絶対にアレスを倒さなくてはいけないと思っていた。
ユーキはアレスを睨みながら両膝を軽く曲げる。すると、ユーキが膝を曲げた瞬間にアレスの右隣にいたモイルダーがユーキに向かって走り出し、右手の爪で攻撃してきた。
左斜め上から迫ってくる爪を見たユーキは回避行動は取らず、軽く左に動きながら月下と月影を弧を描くように動かしてモイルダーの攻撃を流す。
攻撃を流すとそのまま月下と月影で逆袈裟切りを放って反撃し、モイルダーの体を切り裂いた。まともに斬られたモイルダーは膝をついて前に倒れ、黒い靄と化して消滅する。
「ガキだからってナメるなよ」
前を見ながらユーキは僅かに低い声で呟く。一瞬にしてモイルダーを返り討ちにしたユーキを見てアレスは軽く目を見開いた。児童がベーゼを前にしても怯えず、いとも簡単に倒したことが信じられないようだ。
モイルダーを倒したユーキはアレスの方を向いて再び双月の構えを取る。余裕な表情を浮かべるユーキを見たアレスは気に入らなそうな顔をしながら自分の爪を光らせた。
「……生意気で口が達者なだけの子供だと思っていたが、どうやらそれなりに戦えるようだな」
「人を見かけで判断しちゃダメだって、親から教わらなかったのか?」
「チッ、本当に生意気な奴だ。先に言っておくが俺はお前がさっき倒した下位ベーゼとは訳が違う。徹底的に甚振って俺に挑んだことを後悔させてやろう!」
自分はモイルダーよりも力が上だと力の入った声で語りながらアレスはユーキに向かって走り出す。ユーキは向かって来るアレスを睨みながら月下と月影を強く握った。
アレスはユーキとの距離を一気に縮め、ユーキが自分の間合いに入った瞬間に右手の爪を右から横に振って攻撃する。
ユーキは迫ってくる爪を月影で難なく防ぐ。だが、防いだ直後にアレスは左手の爪を振り下ろして攻撃し、ユーキは爪を見ると慌てずに月下を横にして振り下ろしを防いだ。
連続攻撃を防いだユーキを見てアレスは舌打ちをし、軽く後ろに跳んでユーキから離れる。そして距離を取った直後に再び前に踏み込み、右手の爪でユーキに突きを放つ。しかしユーキはこの突きも月影を左から振って受け流し、月影の後に続くように月下も左から振り、アレスの頭部を狙って反撃した。
月下を見たアレスは咄嗟に上半身を後ろに倒して月下をギリギリでかわす。回避に成功したアレスは一度態勢を立て直すべきだと考え、今度は後ろに二回跳んで距離を取る。
ユーキは離れたアレスを追撃せず、その場で再び双月の構えを取って警戒する。すると、背後からモイルダーの鳴き声が聞こえ、ユーキはアレスを警戒しながら背後を確認した。
後ろには黒い靄となって消滅する二体のモイルダーとプラジュとスピキュを下ろすアイカの姿があり、ユーキはアイカがモイルダーたちを片付けたことを知ると心の中で「よし」と思いながら微笑む。
「ユーキ、こっちは片付いたわ」
「そうか。……アイカ、こっちは俺が何とかする。君はパーシュ先輩たちの所へ行ってアレスが現れたことを知らせて来てくれ」
「え? でも、残っているのはアレスだけだから、先に彼を倒してからの方が……」
「屋敷の中には他にもベーゼが侵入してるんだぞ? 先輩たちなら大丈夫だと思うけど、もし侵入したベーゼが強敵だったら先輩たちでも苦戦するかもしれない。だから知らせに行って、もし先輩たちが苦戦していたら加勢してあげてくれ」
アレスはジーゴたちを確実に仕留めるために強いベーゼを差し向けた可能性が高い。もし、そのベーゼがパーシュたちでも苦戦する相手だとしたらジーゴが殺されてしまう可能性が高くなる。何よりも強力なベーゼだったらパーシュたちも殺されてしまうかもしれない。
アイカは一人残ってアレスと戦おうとするユーキを見て複雑そうな顔をする。ユーキは一度、自分やカムネスと協力して上位ベーゼを倒すことに成功している。だから並のベーゼには負けることはないとアイカは思っていた。
しかし、目の前にいるのは元A級冒険者がベーゼになった存在で間違い無く手強い。そんなベーゼの相手をユーキ一人に任せ、自分は屋敷に戻って大丈夫なのかとアイカは不安に思っていた。
「心配するな、無茶はしない。だからパーシュ先輩たちの所へ行ってくれ」
小さく笑いながらユーキは大丈夫であることを伝え、ユーキの顔を見たアイカは不安そうな顔のまましばらくユーキを見つめる。そして、軽く息を吐いてから真剣な表情を浮かべた。
「分かったわ。パーシュ先輩たちが無事だったらすぐ戻るから、それまで頑張って」
「ああ」
ユーキが返事をするとアイカは背を向けて屋敷の方へ走っていき、アイカが行ったのを確認するとユーキはアレスの方を向く。アレスは一人で自分の相手をすると語ったユーキを見て、完全に格下に見られていると感じて険しい表情を浮かべていた。
「あの小僧、どこまでも俺をなめやがって……いいだろう。だったら本気を出して鼻をへし折ってやる」
アレスは左手の爪を元に戻し、構えるユーキに向けて左手を伸ばす。すると、左手の中に紫色の光球を作り出し、それをユーキに向かって放った。どうやら光球を撃つには伸びた爪を元に戻す必要があるようだ。
光球を見たユーキは咄嗟に右へ跳んで光球を回避する。かわされた光球は地面に当たると爆発し、薄っすらと砂煙を上げた。
アレスは光球がかわされるとユーキを追うように左手を動かして再び光球を放って攻撃する。ユーキは光球を見ながら右に走り、二発目の光球をかわした。
「アイツ、近づいて戦うよりも距離を取って攻撃した方が戦いやすいと思ったか?」
ユーキは光球を放つアレスを面倒に思いながら走り続け、そんなユーキにアレスは光球を連続で放ち攻撃する。ユーキは足を止めず、走って飛んでくる光球を全て回避した。
かわされた光球は地面に当たって爆発し、中庭を少しずつ破壊していく。依頼主の屋敷の庭を破壊するのは少々問題があることかもしれないが、攻撃を受けてしまったら庭を壊すよりも大変なことになるため、ユーキは余計なことを考えずに回避し続けた。
ユーキが中庭を走り回って光球をかわし続けていると、一発の光球が走る先の地面に当たって爆発する。目の前で起きた爆発に驚いたユーキは思わず急停止してしまい、その隙をついたアレスはユーキに急接近し、左側面から右手の爪で攻撃した。
アレスの接近を許してしまったユーキはアレスを見て目を見開き、何とか回避しようとアレスがいる方とは反対側に跳ぶ。咄嗟の回避で直撃は免れたが、爪の先がユーキの左頬を掠めて僅かに切られてしまった。
頬から伝わる痛みにユーキは微かに表情を歪めるが取り乱したりはせず、落ち着いて態勢を立て直して月下で袈裟切りを放ち反撃した。だがアレスはユーキの反撃を後ろに跳んで回避し、距離を取りながら左手をユーキに向けて光球を放つ。
「ヤバいッ!」
突然の光球にユーキは思わず声を出す。だが、すぐに左へ移動したため光球を回避することに成功した。
何とか光球をかわしたユーキはアレスから離れるために後ろへ大きく跳んで距離を取る。すると、アレスは距離を取ったユーキを見ると不敵な笑みを浮かべ、ユーキに向かって全速力で走り出す。その速度は最初にユーキに近づいた時と比べて遥かに速かった。
ユーキは最初とは明らかに移動速度が違うアレスを見て驚くが、落ち着いて双月の構えを取って迎撃態勢に入った。
アレスは爪を光らせながらユーキの目の前まで近づき、ユーキはアレスの攻撃を警戒する。ところがアレスは攻撃せず、素早くユーキの左側面に回り込み、左に移動してから右手の爪を斜めに振って攻撃した。
正面からではなく、左側からの攻撃にユーキは僅かに表情を歪めるが、月影を器用に動かしてアレスの爪を防ぐ。防いだ時に月影から僅かに衝撃が伝わり、ユーキはアレスの攻撃が重たくなっていること知った。
攻撃が防がれたアレスは左手の爪を再び伸ばし、ユーキの顔面に向けて突きを放つ。迫ってくる爪の先を見たユーキは目を鋭くして月下で爪を払った。
左手の爪も何とか防いだユーキはがら空きになっているアレスの腹部に右足で蹴りを入れてアレスの体勢を崩し、その間に後ろに跳んでアレスから距離を取る。
アレスから離れるとユーキはもう一度双月の構えを取ってアレスを睨む。一方、アレスはユーキを押すことができて気分がいいのか笑いながら構えていた。
(危ねぇ危ねぇ、双月の構えじゃなかったら一撃貰ってたかもしれないな……)
状況によって攻撃重視と防御重視を切り替えられる双月の構えを取っていたことにユーキはホッとしながらアレスを見る。先程の攻撃でアレスが本気を出したことをユーキは改めて知り、これがベーゼ化した元A級冒険者の全力なのかと感じていた。
(元冒険者だからモイルダーよりも強いと思ってたけどこれほどとは。……予想はしてたけど、やっぱり剣の技術だけで勝つの無理か)
アレスの実力から自分も本気で戦わないといけないと感じたユーキは混沌紋を光らせて強化の能力を発動させる。
ユーキは決してアレスのことを弱いとは思っていなかった。ただ、混沌術を使わずに勝つことができるのなら使わずに勝ちたいと思っていたので今まで混沌術を使わなかったのだ。
しかし、先程の攻防でアレスは混沌術を使うべき存在だと判断し、ユーキは強化の能力を使って戦うことにした。
混沌紋を光らせながらユーキはアレスを睨み、アレスもユーキの右手の甲が光っていることに気付いて目を鋭くした。
「その右手の紋章……そう言えばお前は混沌士だったな。混沌士は通常の戦士とは比べ物にならない戦闘能力を持っていると聞いたことがあるが、お前のような小僧が混沌術を使ったところで強さは変わらないだろうな」
児童であるユーキが混沌術を使っても自分には勝てない、そう考えているアレスは鼻で笑う。ユーキは自分の混沌術の能力を知らずに見下してくるアレスを見ながら心の中で哀れに思っていた。
ユーキの意思に気付いていないアレスは左手の爪を元に戻して左手をユーキに向ける。それを見たユーキはアレスがまた光球を撃ってくると気付き、撃たれる前に接近しようと考え、強化の能力で脚力を強化した。
アレスは不敵な笑みを浮かべながらユーキに向かって光球を放とうとする。だがアレスが攻撃するよりも早くユーキは地面を蹴り、もの凄い速さでアレスの目の前まで近づいた。
「何っ!」
一瞬で距離を縮めたユーキにアレスは思わず驚きの声を出す。アレスに近づいたユーキは双月の構えを崩さず、月影でアレスに袈裟切りを放つ。アレスは後ろに下がってユーキの攻撃をかわそうとするが、アレスが回避する前に月影がアレスの体を斬った。
「ぐああぁっ! ば、馬鹿な、避けられなか……」
まともに斬られたアレスは驚愕の表情を浮かべる。今までは回避することができたユーキの攻撃が今度は速くてかわすことができなかった。
実はユーキは攻撃する直前、脚力だけでなく腕と肩の力も強化して腕を速く振れるようにしていた。そのため、アレスはユーキの攻撃をかわすことができなかったのだ。
切傷からは血が流れ、アレスは痛みに耐えながらユーキを睨む。しかし、まともに攻撃を受けてしまい、速い攻撃を仕掛けてくるユーキの近くにいるのは危険だと悟り、大きく後ろに跳んでユーキから離れる。
ユーキは追撃するために距離を取ったアレスの後を追おうとするが、アレスは後ろに跳びながらユーキに光球を放ち、ユーキの走る先の地面に命中させて爆発させた。爆発を見てユーキは足を止め、距離を取るアレスを見つめる。
離れたアレスは体の切傷を確認した後にもう一度ユーキの方を向いて睨み付けた。ベーゼ化したことで治癒力は人間だった時よりも高くなっているのですぐに出血は止まるだろう。だが、アレスにとっては出血よりもベーゼ化した自分が人間に傷つけられたことの方が問題で、傷つけたユーキに対して苛立ちを感じていた。
「おのれぇ、人間の子供如きが俺に傷を付けるとは!」
「アンタだって元は人間じゃないか」
ユーキは呆れたような口調で人間だったことを指摘するが、アレスはそれを無視して右手を顔の横へ持って行き、左腕を前に伸ばして構える。ユーキはアレスを哀れむような目で見つめながら月影を前に出して横に構え、月下を月影の上で同じように横にして二ノ字構えを取った。
構えた二人は相手を睨みながら出方を窺う。ユーキは強化を使用したことで一段と強くなったが、アレスがまだ何かを隠している可能性があったため、油断せずに警戒している。一方でアレスは斬られたことに対する怒りがまだ治まっておらず、ユーキを睨みながら奥歯を噛みしめていた。
「一太刀入れたからと言って調子に乗るなよ。お前が俺を傷つけることができたのは運がよかったのと混沌術を使ったからだ。決してお前の実力ではない」
「フン、アンタがどう思っていようが、俺がアンタに攻撃を当てたことは事実だ。それに運も実力のうちって言うだろう」
「コイツ、その減らず口、今すぐ塞いでやる!」
アレスは大きな声を出し、左手から光球を放ってユーキを攻撃する。ユーキは飛んできた光球を左に軽く跳んで難なくかわした。
光球がかわされるとアレスは再び左手から光球を放って攻撃する。今度はユーキに確実に当てるために連続で光球を放った。
ユーキは飛んでくる無数の光球を見るとジグザグに走って光球をかわし、少しずつアレスに近づいて行く。強化で身体能力を強化した今のユーキには光球を回避しながら近づくことなど簡単なことだった。
「クッ、ちょこまかとぉ!」
光球による攻撃は通用しないと感じたアレスは左手の爪を伸ばし、ユーキに向かって走り出す。そして、ユーキが間合いに入った瞬間に左手の爪で攻撃した。
ユーキは迫ってくる爪を月下で防ぐと月影で左上に向かって振り上げて反撃する。しかし、アレスも右手の爪で月影を防ぐと地面を強く蹴ってジャンプし、ユーキの真上を通過した。
アレスは空中を移動しながら体を動かして向きを変え、ユーキの方を向いた状態で彼の背後に着地する。
着地した直後、アレスは右手の爪を斜めに振ってユーキの背中に攻撃した。着地してすぐに攻撃したため、防御は勿論、振り返る余裕すらないとアレスは考え、間違い無くユーキの背中を切り裂けると確信する。
背後からの攻撃に気付いたユーキは振り返らず、視線だけを動かして後ろを確認してから素早く姿勢を低くする。姿勢を低くしたことでアレスの爪はユーキに当たらず、空を切っただけで終わった。
「何っ! 今のをかわしただと?」
必ず当たると思っていた攻撃を振り返ることなく完璧に回避したユーキにアレスは目を見開く。そんな中、ユーキは姿勢を低くしたまま左に回り、アレスの足元に横から蹴りを入れた。
足元を蹴られたアレスは体勢を崩して仰向けに倒れる。アレスは急いで立ち上がろうとするがそれよりも早くユーキが姿勢を直し、倒れているアレスに向かって月下を振り下ろす。アレスは慌てて右に体を回し、ユーキの振り下ろしをギリギリでかわした。
振り下ろしをかわしたアレスは急いで立ち上がり、左手の爪でユーキに顔に突きを放つ。ユーキは体を左へ反らして突きをかわすとアレスの左腕に向かって月下を勢いよく振り上げる。
左腕を斬り落とされると感じたアレスは咄嗟に左腕を引く。素早く引いたため、腕は斬り落とされずに済んだが左手の爪は真ん中から切られて地面に落ちる。切り落とされた爪を見てアレスは再び驚きの表情を浮かべた。
「ば、馬鹿な、俺の爪は鋼鉄に匹敵する硬度があるんだぞ。いくら切れ味が鋭いと言われている刀とは言え、俺の爪を切り落とすなんて……」
「俺の混沌術、強化はあらゆるものを強化することができる。筋力や感覚は勿論、武器の切れ味も強化することが可能なんだ」
能力を知られても問題無いと考えたユーキはアレスに自分の混沌術の秘密を明かす。ユーキの混沌術の能力を知ったアレスは自分の爪を切り落とせたのも刀の切れ味を強化したのが原因だと知り、鬱陶しそうな顔でユーキを睨んだ。
「強化する能力だと? ふざけた能力を使いやがって……そんな能力を使わないと俺と戦えないのか? 卑怯な小僧め」
「戦いに勝つために自身の能力を使うのは当たり前だろう。都合のいい時だけ相手を卑怯者呼ばわりするな。そもそも、奇襲を仕掛けるような男にそんなことを言う資格は無い」
「黙れ! 少しばかり優勢だからって調子に乗るな」
切り落とされた爪をそのままにしてアレスはユーキに向かって踏み込み、右手の爪を右から横に振って切り裂こうとする。しかしユーキは慌てず月影で爪を防ぎ、月下でアレスに袈裟切りを放つ。
アレスは爪を切り落とされたことから防御はできないと感じ、後ろに下がって袈裟切りをかわす。そして、回避した直後に左手の爪を振り落として反撃する。左手の爪は真ん中から切り落とされてしまったがまだ武器として使うことはできた。
頭上から迫ってくる爪を見たユーキは後ろに大きく跳んで爪をかわす。距離を取ると膝を曲げ、地面を強く蹴ってアレスに向かって大きく跳んだ。
「ルナパレス新陰流、繊月!」
ユーキは一気にアレスに近づき、アレスの左側を通過する瞬間に月影を素早く振って攻撃し、アレスの背後に移動する。アレスの後ろに移動した直後、アレスの左脇腹に切傷が生まれ、斬られたアレスは左手で脇腹の傷を押さえた。
とてつもない速さで自分の横を通過し、二度も自分を斬ったユーキにアレスは驚きを隠せず、痛みに耐えながら背後に移動したユーキを見る。
「な、なぜだ。人間であることを捨て、ベーゼとなった俺がなぜ人間、それも幼い小僧に苦戦する?」
強大な力を得たはずの自分が押されていることが信じられないアレスは微量の汗を流す。すると、ユーキは月影を軽く振ってゆっくりとアレスの方を向いた。
「確かにアンタはベーゼになって人間以上の身体能力と生命力を得た。だが、復讐する力を得るために人間であることを捨てた心の弱い奴に俺は負けない」
「何だと?」
ユーキの言葉に反応したアレスは目を細くしながらユーキを見つめる。ユーキはアレスを見つめながら真剣な表情を浮かべて語り続けた。
「昔、俺の爺ちゃんが言っていた。『人は強い力を得ても、心が強くなければ持っている力を最大限に利用できず、その力をどう使えばいいのかも理解できない。心が弱ければその人間はどんなに大きな力を得ても本当に強くはなれない』ってね」
祖父から教わった言葉を思い出しながらユーキは静かに語り、アレスは喋るユーキを黙って睨んでいる。
「強い力を得たとしても、アンタは心が弱いから俺を殺すことができないんだ。もしアンタの心が強ければ混沌術を使う俺が相手でも有利に戦えたはずだ」
「心が弱いから勝てないだと? ……ふざけるな! 俺は復讐のため、仲間の仇を討つ力を得るために人間であることを捨ててベーゼになった。目的のために人間であることを捨てるなんて心の弱い人間にできることじゃない!」
「……だから、人間であることを捨てたアンタは心が強いと?」
「そうだ、並の人間にできないことを俺はやって見せた。つまり、ベーゼになったことで俺がそこら辺の人間よりも強い心を持っているということが証明されたということだ!」
両手を広げ、自分の覚悟や意志が他人よりも強く、大きいということをアレスは誇らしげに語る。アレスは自分が道を誤ったとは思っておらず、正しいことをしたと思っているようだ。
「……思い上がるな! アンタの心は強くなんかない。寧ろ他の人と比べてとても弱い」
「何ぃ?」
心が強いことを否定されたアレスは険しい顔でユーキを睨む。そんなアレスをユーキも鋭い目で睨み返した。
「アンタは恋人だったマディソンさんに裏切られ、ロイダス子爵によって大切な仲間を殺されてしまった。裏切られ、仲間を殺されればアンタじゃなくても相手を憎いと思うさ。でも、復讐するために人間をやめてベーゼになろうと考えたのはアンタの人間としての心が弱かったからだ。もし、アンタの心が本当に強ければベーゼにならず、別の方法でマディソンさんと向かい合ったはずだ」
「黙れぇ! お前に何が分かる!? 愛していた女に裏切られ、そのせいで殺されかけ、大切な仲間を奪われた俺の気持ちがお前みたいに女を愛したこともない小僧に分かるのか!」
アレスは感情的になり、自分の味わった苦しみと怒りをユーキにぶつける。ユーキはすぐには言い返さず、黙ってアレスを睨み続けた。
確かにユーキは女性を愛したことはない。転生前も剣術を極めるために祖父の修業を受けていたため、恋をしたことは勿論、異性と関りを持つ暇は無かった。だから恋人に裏切られたアレスの苦痛は理解できない。
しかし、それでも大切な人を失う苦しさやどんなに辛い目に遭っても道を踏み外してはいけないということは理解できた。
「確かに俺にはアンタの苦しみは理解できない。いや、恐らくアンタがどれだけ苦しい思いをしたかはアンタにしか理解できないだろう。だがな、目の前の現実から目を逸らし、間違った方法で目的を達成しようと考えた時点でアンタは負けてるんだよ。人間としても、一人の男としてもな!」
「うるさい! 世の中の厳しさも知らない小僧が生意気な口を叩くなぁ!!」
これ以上ユーキと口論をすることに耐えられなくなったのかアレスはユーキに向かって突撃する。ユーキは双月の構えを取ってアレスを迎え撃つ体勢を取った。
ユーキに近づいたアレスは両手の爪を交互に振ってユーキに攻撃し、ユーキも月下と月影を素早く動かしてアレスの爪を防ぐ。感情的になっているせいかアレスの攻撃は先程よりも重く、強化で腕力を強化しても少し衝撃を感じるほどのものだった。
ただユーキは腕力だけでなく、肩や刀の切れ味なども強化しているため、腕力はあまり強化できていない。そのため、アレスの攻撃を防いだ時に衝撃を感じてしまうのだ。
腕力のみを強化すれば衝撃も重さも感じないが、それだと移動速度や切れ味が低下して戦い難くなるため、ユーキは敢えて腕力一点を強化せずに戦っている。もとより、今の状態でも十分アレスと戦うことができた。
ユーキはアレスの連撃を防ぎながら反撃の隙を窺う。すると、アレスの連撃に一瞬止み、その隙をついたユーキは素早くアレスの左側へ回り込んで月影で袈裟切りを放つ。だが、アレスはユーキの方を向くと後ろに下がって袈裟切りを回避した。
攻撃をかわしたアレスはユーキに反撃をしようとする。だがユーキは反撃される前に月下で突きを放ち、アレスの左肩を貫いた。
「グウゥ! 小癪な真似を!」
左肩の痛みに耐えながらアレスは右手の爪を斜めに振ってユーキに反撃する。ユーキは素早く月影でアレスの爪を防いだ。しかし、その直後にアレスは左手の爪でユーキの腹部に向けて突きを放つ。
突きに気付いたユーキは回避するために左へ移動しようとするが間に合わず、爪はユーキの右脇腹を掠める。脇腹の痛みにユーキは奥歯を噛みしめ、それを見たアレスはニヤリと笑う。
「フン、心が弱いからお前には勝てないと言ったな? だが、その心の弱い俺はこうしてお前に一撃食らわせてやったぞ。これでも俺の心は弱いって言うのか?」
「……ああ、弱いよ」
静かに語るユーキを見てアレスは更に表情を険しくする。児童でありながら傷を負っても声を上げず、自分を弱いと語るユーキにアレスは次第に我慢することができなくなってきた。
「どこまでも俺を見下しやがって……最初はお前を半殺しにして一緒にいた女を甚振ってやるつもりだったが、やめだ。半殺しにはせず、今すぐ殺してやる!」
死刑を宣言したアレスは再び両手の爪で連撃を放つ。ユーキは先程と同じように月下と月影でアレスの攻撃を防御する。ユーキは連撃の隙をついて攻撃してきたため、アレスは隙を作らないよう警戒しながら攻撃した。
アレスの連撃を防ぎながらユーキは先程と同じように反撃する隙ができるのを待ちながら防御する。しかし、アレスが同じ失敗を犯すとは思えず、このまま防御し続けても隙ができる可能性は低かった。
(このまま隙ができるのを待っていたらこっちの体力が削られちまう。何とか強烈な一撃を叩き込んで勝負をつけないと。だが、どうすれば……)
何かいい作戦がないか、ユーキは攻撃を防ぎながら考える。すると、何かに気付いたのかユーキは軽く目を見開く。
(……“あれ”を使ってみるか? だけど上手くいくかどうか分からないし……でも、警戒心を強くしているアレスに大ダメージを与えるにはあれを使うしかない)
何かを悩んだ末、ユーキは思いついた行動に移ることを決める。
しばらく連撃を防いでいるとユーキは爪を払って大きく後ろに跳び、アレスから距離を取る。アレスはユーキが離れると反撃の隙を与えないためにユーキの後を追って走り出す。
前から走ってくるアレスを見たユーキは月影を鞘に納め、両手で月下を握り上段構えを取る。今までとは違い、一刀流の構えを取るユーキを見てアレスは意外そうな顔をした。
「二刀流でも勝てない俺に一刀流で挑む気か? ハッ、勝ち目が無いと思ってヤケになったか!」
ユーキの行動を鼻で笑いながらアレスは走る速度を上げて一気にユーキとの距離を縮めようとする。そんな中、ユーキは走ってくるアレスを睨み、同時にユーキの混沌紋の光も僅かに強くなった。
「アレス、アンタがどれだけ辛い思いをしたのか、どれだけ苦しんだのか俺には分からない。だけど、これだけはハッキリと言える。人々を脅かすベーゼとなったアンタに情けをかけることはできない!」
「ほざけぇ!」
声を上げながらアレスは両腕を横に伸ばして爪を光らせる。ユーキはアレスを見つめながら両手に力を入れて月下を強く握った。
「ルナパレス新陰流、湾月!」
ユーキは走ってくるアレスに向かって月下を勢いよく振り下ろそうとする。しかし、まだアレスはユーキの間合いには入っておらず、月下を振り落としてもアレスを切ることはできない。傍から見れば意味の分からない行動だった。
だが、ユーキが月下を振り下ろした瞬間、月下の刀身から月白色の斬撃がアレスに向かって放たれる。そして、放たれた斬撃はアレスの体を右斜めに両断した。




