第十三話 ゴブリン迎撃戦
村の南西では大勢の村人が集まっていた。集まっているのは全員男性で見張りをしていた者だけでなく、休んでいた者の姿もあり、武器代わりの農具を持っている。全員が緊迫した表情を浮かべながら村の外を見ていた。
南西側の平原の中に複数の影があり、ゆっくりと村に向かって近づいて来ている。村の中に立ててある篝火の明かりで薄っすらと薄緑の体で身長1m強の小柄な人型モンスターたちの姿が見えた。今回の騒ぎの元凶、ゴブリンの群れだ。
ゴブリンたちの手には石や獣の骨などで作られた短剣や斧、木製の弓矢などが握られており、目を光らせながら村に近づいて来る。そして、その中に身長2mほどで錆びだらけの鎧と木製の棍棒を持つ、他のゴブリンよりも体の大きなゴブリンが一体いた。
「今回は今までと比べて数が多いな」
「もしかすると、今回で村の全てを奪い尽くすつもりなのかもしれないぞ」
「冗談じゃない! 食料だけじゃなく、家畜や女まで奪われたら本当にこの村はお終いだ!」
集まっている村人たちは農具を握りながら騒いでゴブリンに対する闘志と怒りを燃やす。しかし、今まで何度もゴブリンの襲撃を許してしまっていたため、村人の中にはこのままゴブリンに滅ぼされてしまうのではと不安そうな顔をする者もいた。
村人たちの中には休んでいたアーロリアとバドバン、村長の姿もあり、集まっている村人たちの後ろで村の外を確認している。アーロリアと村長はゴブリンが迫ってきていることに不安を露わにしており、バドバンは自分の実力を見せつける時が来たと思っているのか、余裕の笑みを浮かべていた。
アーロリアたちがゴブリンたちを警戒していると、他の場所を見張っていた村人たちも次々と合流する。その中には北西を見張っていたユーキとアイカの姿もあり、走ってアーロリアの下にやって来た。
「アーロリアさん、状況はどうなっていますか?」
「ア、アイカさん……村の人たちは動ける男の人を除いて全員、家や倉庫の中に避難しています。前の襲撃で負傷した人も女の人たちと一緒に隠れているそうです」
「そうですか、それでゴブリンの方は?」
「えっと……ゴブリンを見つけた人の話だと、ゴブリンの数は確認できただけでも十七体で今までで最大の数だそうです。あと、ゴブリンの中に倍近くの大きさのゴブリンもいるそうです」
「倍近くの大きさ、やっぱりホブゴブリンがいましたか……」
予想していたとおり強力なゴブリンがいることを知り、アイカは面倒そうな表情を浮かべる。ユーキもアイカの反応を見て、間違い無くそのホブゴブリンが他のゴブリンと比べて強いと理解していた。
しかし、やはり自分の目でホブゴブリンを見てみないと、どれだけの強さなのかは分からない。ゴブリンたちがどれ程の脅威なのかを知るためにも、ユーキはホブゴブリンが戦う姿を見ておきたいと思っていた。
「心配ないっスよ、サンロードさん。ホブと言っても所詮はゴブリン、俺らメルディエズ学園の生徒の敵じゃないっスよ」
緊張状態の中、バドバンがゴブリンを見下す発言をし、それを聞いたユーキとアイカはバドバンを見ながら呆れたような反応を見せる。アーロリアと村長は不安そうな顔でバドバンを見ていた。
「……村長、さっきアーロリアから聞いたんですけど、今回ゴブリンたちは今までで最大の数で攻めてきたんですよね?」
「え? あ、ハイ」
「今まではどれぐらいの数で攻めてきたんです?」
「え~確か……十体ぐらいだったかと……」
村長が過去に襲撃してきたゴブリンたちの数を思い出し、数を聞いたユーキは難しそうな表情を浮かべながら腕を組む。隣に立つアイカはゴブリンの数を聞いたユーキを不思議そうに見ている。実はユーキはゴブリンと村人たちの戦力差からある疑問を抱いていた。
カメジン村には若い男性が大勢おり、今集まっている男性も過去の襲撃で負傷した者を除いても三十人近くいる。ユーキたちが村を訪れる前もそれなりに戦える人数がいたのは間違い無い。いくら戦いに慣れてない村人たちでも十体ほどのゴブリンと戦い、何度も敗北するのはおかしいとユーキは思っていたのだ。
(ゴブリンたちはモンスターの中でも弱い。それなのに倍以上の人数がいる村の人たちが何度も負け、食料を奪われているのは妙だ……ゴブリンたちは数が少なくても村人たちに勝てる作戦を持っているのか? それともホブゴブリンが数の少なさを補えるほどの力を持っているのか……)
ユーキは腕を組みながらゴブリンたちがカメジン村の襲撃に成功した理由を考える。しかし、村長から教えてもらった情報が少なく、ゴブリンたちの実力をまだ確認していないため、ハッキリとした答えを出すことはできなかった。
(……いずれにせよ、相手はこっちが思っているより面倒な存在みたいだ。ゴブリンたち、特にホブゴブリンと戦う際は注意しないとな)
改めてゴブリンの力を警戒しながらユーキは右手で月下、左手で月影を抜く。アイカも武器を手にしたユーキを見て佩してある二本の剣、“プラジュ”と“スピキュ”を抜いた。
村人たちは農具を強く握りながら近づいて来るゴブリンたちを睨んでいる。ゴブリンたちは村人たちの鋭い視線を気にすることなく村に向かっていき、とうとう篝火でもハッキリと姿を確認できる所まで近づいた。
もうすぐゴブリンたちとの戦いが始まる、村人たちは今度こそ勝つという気持ちを胸に闘志を燃やす。しかし、アーロリアや一部の村人たちは勝てるのか分からず、不安そうな顔で自分の武器を握る。そんな時、アイカが一歩前に出て、周りにいる者たちに聞こえるよう大きな声を出した。
「皆さん、落ち着いてください! 体の小さいゴブリンたちは柵を簡単に乗り越えることはできません。柵を越えようとしたらピッチフォークなど柄の長い物で距離を取りながら攻撃し、もし柵を越えられてしまったら後退して自分の身を護ることに集中してください」
アイカが村人たちに指示を出すと、村人たちは的確に指示を出すアイカが頼もしく思えたのか士気を高める。不安そうにしていた村人たちも心に余裕が出てきたのか、少し安心したような表情を浮かべた。
まともに戦うことができなかった村人たちにとって、メルディエズ学園の生徒で戦闘経験があるアイカの指示は信頼できると思えたのだろう。その場にいる村人たちは不満そうな顔はしなかった。
村人たちに指示を出したアイカは次にユーキたちメルディエズ学園の生徒たちの方を向き、アイカと目が合ったユーキは真剣な表情を浮かべ、アーロリアも緊張したような反応をする。
「私たちも村の方々と共に柵を越えようとするゴブリンたちを攻撃します。そして、もし柵を越えられたら私たちが前に出て、村の方々を護りながら侵入してきたゴブリンたちを迎撃します。私とユーキ、バドバンさんは前衛で戦い、アーロリアさんは後衛から魔法で援護をしてください」
「分かった」
「ハ、ハイ!」
指示を受けたユーキとアーロリアは返事をし、バドバンは自由に動けないことが不満なのか、返事をせずにつまらなそうな顔をしていた。返事をしないバドバンをアイカは無言で見つめるが、注意はせずに話を続ける。
「分かっていると思いますが、深追いなどはせず慎重に戦ってください? あと、ホブゴブリンが攻撃して来たら無理はせず、近くにいる仲間と連携して戦うように」
アイカが念入りに忠告すると、ユーキとアーロリアは無言で頷く。バドバンは不満そうな顔のまま、ゴブリンがいる方角を向いていた。
全ての指示が終わり、ユーキたちはいつでも戦闘を始められる態勢に入る。ゴブリンたちはまず何をしてくるのだろう、どうやって戦おうなど、色々なことを考えながら村人たちは持っている農具を構えた。その数十秒後、遂にゴブリンたちはカメジン村を囲む柵に辿り着く。静寂に包まれた深夜、ユーキたちとゴブリンたちの戦闘が開始された。
ゴブリンたちは村に侵入するために柵を乗り越えようとしたり、持っている武器で柵を壊そうとする。しかし、村人たちがそれを黙って見過ごすはずがなく、持っているピッチフォークや熊手でゴブリンたちを攻撃した。
攻撃してくる村人たちにゴブリンたちは声を上げながら暴れて威嚇する。その姿に村人たちは小さな恐怖を感じていたが、怯まずに柵を越えようとするゴブリンたちを攻撃し続けた。
村人たちがゴブリンたちと戦っている中、ユーキたちも一緒にゴブリンたちと戦った。村人たちと違ってリーチの長い武器を持っていないユーキたちはギリギリまで柵に近づき、反撃を受けないよう注意して攻撃する。
ユーキとアイカは柵を乗り越えようとするゴブリンを刀と剣、バドバンはレイピアで攻撃する。まだ戦いが始まってそれほど時間は経っていないが、既に数体のゴブリンが傷だらけになっていた。
「いいぞ、ゴブリンたちの勢いが少しずつ弱まっている!」
「このまま一気に押し切れ!」
戦況が優勢であることから村人たちは余裕の表情を浮かべ、近くで戦っているバドバンも自分たちが勝つと確信して笑みを浮かべていた。しかし、ユーキとアイカは気を抜かずにゴブリンと戦っている。二人はまだゴブリンたちが村に侵入してくる可能性があると考えていたからだ。そして、二人の予想を的中することになる。
村人たちが笑いながらゴブリンたちを攻撃していると、ゴブリンたちの後ろから棍棒を持ったホブゴブリンが近づいて来る。他のゴブリンより体の大きなホブゴブリンを目にした村人たちは驚き、先程まで浮かべていた笑顔を消した。
ホブゴブリンは驚いている村人たちを無視し、持っている棍棒で柵を攻撃する。ゴブリンよりも体が大きく、人間以上の筋力を持つホブゴブリンの一撃は木製の柵を簡単に凹ませてしまい、それを見た村人たちは驚きのあまり攻撃の手を止めてしまう。
「おい、何やってるんだ! 驚いてないで攻撃しろよ!」
近くでゴブリンと戦っていたバドバンは驚愕する村人たちに指示を出すが、村人たちはバドバンの声が聞こえていないのか誰も攻撃を再開しない。バドバンは村人たちを役立たずと思いながら柵を壊そうとするホブゴブリンを止めようとする。
だが、バドバンが動こうとすると今まで相手をしていたゴブリンたちが柵を越えようとするため、バドバンは思うように動くことができない。バドバンはホブゴブリンと自分の前にいるゴブリンのどちらを止めるべきか、表情を険しくしながら考える。
(……ゴブリンどもは雑魚だから村に侵入されても村人たちが何とかするだろう。それならホブゴブリンを倒した方が後々楽になる。それに今奴を倒せば高く評価されて中級生に近づけるはずだ)
欲を優勢したバドバンはゴブリンたちをそのままにしてホブゴブリンを止めに向かう。その様子を離れた所で見ていたアイカは目を大きく見開いた。
「何をやっているの!? 今、ゴブリンの近くには彼しかいないのにその場を離れるなんて!」
バドバンの愚行にアイカは思わず声を上げる。先程までバドバンが食い止めていたゴブリンたちの近くには他に誰もおらず、バドバンが離れればゴブリンを止めることができなくなってしまう。つまり、ゴブリンに柵を越える隙を与えてしまうのだ。
アイカはバドバンが護っていた場所を何とかカバーするため、周りを見て誰かを動ける者はいないか確認する。アイカの近くには四人の村人がおり、必死にゴブリンたちを食い止めていた。
ゴブリンの数は三体で殆どが傷だらけの状態なので、村人たちだけでも大丈夫だと感じたアイカは自分がバドバンが護っていた場所へ向かおうと考えた。
「皆さん、私は護りの薄い場所を向かいますので、此処の防衛をお願いします」
「わ、分かった! こっちは何とかするから、他のゴブリンを何とかしてくれ。あと、あのホブゴブリンも……」
村人の返事を聞いたアイカは小さく頷き、バドバンが護っていた場所へ走る。何とか柵を越えられる前にゴブリンたちを倒したいとアイカは考えていた。だが、アイカが護りに就くよりも早くゴブリンたちに柵を乗り越えられてしまい、アイカはゴブリンたちを見て悔しそうな顔をする。
侵入してきたゴブリンは二体で、その内の一体はバドバンの攻撃を受けたのか腕や腹部に傷を負っている。ゴブリンたちは大きく口を開けながら声を上げ、村人たちはゴブリンに侵入されたのを見て驚愕した。
「ゴ、ゴブリンが村に入って来たぞ!」
「何ぃ!?」
村人の声を聞いてホブゴブリンを食い止めようとしていたバドバンは驚き、侵入したゴブリンたちを見る。さっきまで自分が護っていた場所からゴブリンが侵入したのを知ったバドバンは目を見開く。
「……何だよ、何で誰も護ってねぇんだよ! ゴブリンが柵を越えようとしてるんだから誰かが護るのは当然のことだろうが!」
自分の失敗を棚に上げるバドバンはゴブリンの侵入を許してしまったことに文句を言う。そんな時、柵を攻撃していたホブゴブリンも棍棒を勢いよく振り下ろして柵の一部を破壊し、壊された箇所からゴブリンたちが次々と村に侵入してきた。
ゴブリンたちの侵入を許してしまった村人たちは騒ぎながら後退し、バドバンもゴブリンたちを見て思わず後ろに下がった。ゴブリンたちは散開して近くにいる村人たちに攻撃し、ホブゴブリンもゆっくりと村人たちに近づいて行く。
「しまった、ゴブリンたちが村に!」
先に侵入してきたゴブリンたちの相手をしていたアイカは大勢のゴブリンとホブゴブリンの侵入を見て目を鋭くする。できることなら村に侵入されることなくゴブリンたちを倒したかったため、アイカにとっては侵入を許したことは大きな失敗だった。
アイカが侵入してきたゴブリンたちを見ていると、アイカの前にいた二体のゴブリンが獣の骨でできた短剣で同時に攻撃してきた。
ゴブリンたちの攻撃に気付いたアイカは両手に持っているプラジュとスピキュでゴブリンたちの短剣を素早く払い、そのままカウンター攻撃でゴブリンたちを斬り捨てた。ゴブリンを難なく倒したことから、アイカの剣の腕が優れているのがよく分かる。
胴体を斬られたゴブリンたちは苦痛の声を上げながら仰向けに倒れ、そのまま息絶える。アイカはゴブリンたちを倒すと後から侵入してきたゴブリンたちを止めるために走り出した。
村に侵入したゴブリンたちは村人たちに近づいて短剣で斧で襲い掛かる。後方では弓矢を持つゴブリンが村人たちを狙っており、ホブゴブリンも棍棒を振り回して村人たちを襲う。既に村人の何人かはゴブリンの攻撃を受けて傷を負っていた。
無傷の村人たちは必死に抵抗するが、ただ農具を振り回しているだけなのでなかなか攻撃を当てることができずにいる。バドバンも近づいて来るゴブリンたちを攻撃しているが、村に侵入されたことで動揺し、上手く攻撃を当てられずにいた。
「クソォ、どうして俺がゴブリン相手に苦戦しなくちゃいけないんだ。村人たちも役に立たねぇし、ふざけやがって!」
バドバンは目の前にいる二体のゴブリンを睨みながらレイピアを振り回す。しかし、ゴブリンは後ろに下がったり、体を反らしたりしてバドバンの攻撃を難なくかわした。
見下していたゴブリンが自分の攻撃をかわす姿を見てバドバンは奥歯を噛みしめる。すると、後方にいたアーロリアがバドバンに近くにやって来て持っている杖の先をバドバンが戦っているゴブリンの一体に向けた。
「フ、火球!」
アーロリアが叫ぶと杖の先から火球が放たれてゴブリンに命中し、ゴブリンは炎に包まれる。火だるまになったゴブリンは熱さと痛みで声を上げ、黒焦げになって倒れた。
バドバンは焼け死んだゴブリンを見て驚き、もう一体のゴブリンは黒焦げの仲間を見て恐怖したのか慌ててバドバンから離れた。ゴブリンが離れるとアーロリアはバドバンの下に駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか?」
「……え、援護するならもっと早くやれ!」
「す、すみません」
助けられたのに礼も言わずに文句を言うバドバンにアーロリアは思わず謝ってしまう。どうして助けたのに文句を言われなければならないのか、アーロリアはそう思っていたが、今は戦闘中であるため何も言わなかった。
アーロリアは杖を構えて他に魔法の援護が必要な者はいないか周囲を見回した。その時、一本の矢がアーロリアの右大腿部に刺さる。
「うあぁっ!」
大腿部の痛みにアーロリアは声を上げながら倒れ、隣にいたバドバンは倒れるアーロリアを見て驚く。アーロリアは痛みに耐えながら矢が飛んで来た方角を見ると、数m離れた所に弓を構えるゴブリンの姿があるのを見た。
アーロリアは涙目になりながら立ち上がろうとするが、少し動いただけで大腿部に痛みが走り、立ち上がることができない。そんなアーロリアに斧を持った三体のゴブリンがゆっくりと迫ってくる。
近づいて来るゴブリンを見たアーロリアは杖を構え、魔法で応戦しようとする。しかし、痛みと恐怖で上手く集中することができず、魔法を使うことができなかった。そうしている間にもゴブリンは少しずつ近づいて来ており、戦えないと感じたアーロリアは座り込んだまま後ろに下がろうとした。
ところが、後退しようとした瞬間に腕や足が痺れだし、アーロリアはその場で仰向けに倒れてしまう。突然体が麻痺したことにアーロリアは訳が分からずに動揺する。そして、隣にいたバドバンの方を向いて目で助けを求めた。
「ク、クソォ、これ以上ゴブリンの相手なんかしてられるか!」
アーロリアと目が合ったバドバンは戦況が悪いと感じたのかアーロリアをその場に残して走り去った。自分を残して逃げ出したバドバンにアーロリアは言葉を失い、同時に逃げられない現状に更なる恐怖を感じ、近づいて来るゴブリンを見ながら涙を流す。
ゴブリンたちは動けなくなっているアーロリアを見ながらヨダレを垂らし、持っている斧を振り上げる。自分は殺される、そう悟ったアーロリアは絶望の表情を浮かべた。
すると、アーロリアを襲おうとした三体のゴブリンが突然背後から何者かに斬られ、その場に崩れるように倒れる。何が起きたのか分からないアーロリアが涙目で呆然としていると、ゴブリンの後ろで月下と月影を構えるユーキの姿を目にし、ユーキが助けてくれたのだと知った。
「大丈夫か?」
ユーキは倒れているアーロリアに声を掛けると、アーロリアは涙目のまま無言でユーキを見つめている。ユーキは周囲を見回してゴブリンが近くにいないのを確認するとアーロリアに近づき、月下を地面に置いて大腿部に刺さっている矢を握った。
「ちょっと我慢してくれ?」
そう言うとユーキは刺さっている矢を勢いよく引き抜く。同時にアーロリアは強い痛みに襲われた。
「ぐうぅっ!!」
奥歯を噛みしめ、涙を流しながらアーロリアは痛みに耐える。ユーキは苦しむアーロリアを見つめながら抜いた矢を投げ捨てた。ゆっくり抜こうとすると時間が掛かる上に長い間、痛みを感じることになるため、痛みを一瞬で済ませるためにユーキは勢いよく矢を抜いたのだ。
ユーキは自分のポーチを開け、中から水色の液体が入った小瓶を取り出す。メルディエズ学園が生徒に支給する回復用のポーションだ。ユーキは小瓶の蓋を開けるとアーロリアの傷にポーションを直接かける。すると大腿部の傷は綺麗に消え、最初から怪我をしていなかったような状態になった。
ポーションは傷口にかけて治療する方法と経口摂取して治療する方法がある。直接傷口にかける場合は経口摂取するよりも早く傷を治すことができ、経口摂取できない者の傷でも治すことが可能だ。経口摂取する場合は外傷の治りは遅いが、内臓の傷など体内も治すことができるため、状況によってポーションの使い方を変えた方がいいと言われている。
アーロリアの傷が治るとユーキが月下を拾い、ゴブリンが近づいて来ていないか警戒する。
「前に出過ぎるのは危険だ、後方に下がって魔法で援護してくれ」
「……ご、ごめんなさい。体が痺れて、動かないの」
体が麻痺していることを聞かされたユーキは軽く目を見開く。どうしてアーロリアが麻痺しているのか考えていると、ユーキはアーロリアに刺さっていたゴブリンの矢を思い出した。
(もしかして、あの矢に毒が塗ってあったのか?)
アーロリアが麻痺した原因が矢にあると考えたユーキは目を僅かに鋭くする。アーロリアは矢傷以外に怪我はしておらず、毒を体にかけられた形跡もない。それらの点からユーキは矢に塗られた毒が原因で麻痺したと考え、同時に今日まで数で勝っていたカメジン村の村人たちがゴブリンたちに敗北し続けた原因が毒による麻痺なのかもしれないと想像する。
動けなくなっているアーロリアをこのままにしておけず、ユーキはまずアーロリアは後方まで運んでから戦闘に戻ることにし、月下と月影を鞘に納めようとする。するとそこにアイカがやって来て、倒れているアーロリアに駆け寄った。
「アーロリアさん、大丈夫ですか?」
「あ、ハイ、何とか……」
ユーキだけでなく、アイカも助けて来てくれたことに喜びを感じるアーロリアは小さく笑みを浮かべる。アイカはプラジュとスピキュを地面に置くと片膝を付いて仰向けになっているアーロリアを起こして状態を確認した。
「アーロリアはゴブリンの毒で動けなくなってるみたいだ」
「毒? 間違い無いの?」
「断言はできないけど、その可能性は高いと思う。あと普通に喋れるから命を奪うような毒ではないはずだ」
「そう……」
「今回の支給品に解毒薬は無いからすぐに麻痺は治らないだろう。彼女は安全な後方へ運んだ方がいい」
「……大丈夫、その必要は無いわ」
アイカの言葉にユーキは不思議そうな顔で反応をする。ユーキが見ている中、アイカはそっと右手でアーロリアの体を触った。
すると、アイカの右手の甲に入っている混沌紋が薄っすらと紫色に光り出す。混沌紋が光るのを見たユーキはアイカが混沌術を発動させたことを知って驚く。
「私の混沌術、“浄化”を使えば毒を始め、あらゆる有害物質を瞬時に消すことができるわ」
能力の名前と効力を口にしながらアイカはアーロリアに混沌術を使用する。アーロリアの体はアイカの混沌紋と同じように薄っすらと薄い紫色に光り出し、しばらくするとアーロリアの顔から苦悶の表情が消え、次第に驚きの顔へと変わっていく。
アイカはアーロリアの反応を見ると混沌術が解除し、同時にアーロリアの体から光が消える。アーロリアは上半身を起こしたまま自分の体を見てまばたきをした。
「嘘、体から痺れが無くなった……」
「これで問題無く動けるはずですよ」
麻痺が治ったのを確認したアイカは小さく笑い、アーロリアは自分を簡単に治してしまったアイカの混沌術に驚きながらアイカを見上げる。
アイカの浄化を目にしたユーキは戦闘向きの混沌術ではないと思っていたが、毒を使う敵と戦闘する場合は非常に役に立ち、仲間を助けることもできるのである意味で自分の強化よりも優れた能力だと感じた。
アーロリアは体が元に戻ると立ち上がって落ちている杖を拾う。アイカも地面に置いてある二本の愛剣を拾って立ち上がり、周囲の状況を確認する。ゴブリンたちは村人たちを襲っており、村人たちも必死に抵抗を続けていた。
「このままだと何時か村人たちは押し切られてしまう。そうなる前にゴブリンたちを倒しましょう」
「ハ、ハイ!」
自由に動けるようになったことでアーロリアの表情に少しだけ余裕が戻る。ユーキも安心してゴブリンとの戦いに戻れるようになり、アーロリアを見ながら小さく笑う。
ユーキたちはゴブリンを倒すため、ゴブリンたちが集まっている場所へ向かおうとした。すると、ユーキの背後から棍棒を肩に担いだホブゴブリンが近づいてくる。ホブゴブリンの気配に気付いたユーキは振り返り、アイカとアーロリアもホブゴブリンを見て目を見開く。
ホブゴブリンは荒い鼻息を出しながらゆっくりと歩いてきており、その後ろには数人の村人が倒れている。倒れている村人の全員が顔や腕から出血しながら苦痛の表情を浮かべていた。それを見たユーキたちはホブゴブリンの棍棒の餌食になったのだと知る。
「クッ! 既にあれだけの人が……」
「ど、どうしましょう?」
「急いで救出しましょう。放っておいたら他のゴブリンたちに止めを刺されてしまいます。幸い、まだ誰も死んではいませんから、安全な所へ運びましょう」
「ハ、ハイ!」
落ち着いて指示を出すアイカを見てアーロリアは杖を強く握りながら頷く。やはり中級生は頼りになるとアーロリアはアイカを見ながら改めて思った。
「私がホブゴブリンの相手をします。貴女はユーキと一緒に手の空いている村人たちに声を掛けて彼らを……」
アイカがアーロリアに負傷者救出の指示を出していると、ユーキがホブゴブリンの方へ歩いて行く。それに気付いたアイカは目を見開き、アーロリアも目を丸くしながら歩くユーキの後ろ姿を見た。
「ユーキ?」
「アイツの相手は俺がする。君はアーロリアと一緒に負傷者を助けてくれ」
ユーキは月下と月影を構えながらホブゴブリンに近づいて行き、ユーキの発言に驚いたアイカは目を見開いたまま無言でユーキを見つめる。
優れた剣の腕を持っているとはいえ、子供がホブゴブリンに戦いを挑もうとすれば止めるのが普通だ。しかし、アイカはユーキが優秀な剣士で混沌士であることを知っているため、ユーキならもしかしてホブゴブリンに勝てるかもしれないと思っていた。
同時にユーキの実力を確かめるいい機会だと思い、アイカは止めずにユーキを見守ることにした。
「あ、あの、サンロードさん。止めなくていいんですか?」
アーロリアは慌てながらアイカに声を掛ける。アイカは視線だけを動かしてアーロリアを見ると、視線をユーキに戻して口を開く。
「……彼ならきっと大丈夫です。彼も私と同じ混沌士ですし、いざとなったら私が助けます」
「で、でも……」
「ホブゴブリンは彼に任せて、私たちは負傷者を救出しましょう。アーロリアさんは村人たちを連れて来てください。私はそれまで負傷者の護衛に就きます」
「わ、分かりました」
まだ少し納得できないが、今は負傷者を助けることが大切だと考えたアーロリアは走って近くにいる村人たちを呼びに行く。残ったアイカはユーキとホブゴブリンを見ながら負傷した村人たちの下へ移動した。
ユーキは月下と月影を握りながら目の前にいるホブゴブリンを見上げる。逆にホブゴブリンは棍棒を担いだままヨダレを垂らして小さなユーキを見下ろしていた。
「……こうして間近で見ると本当に他のゴブリンと比べてデカいな。力も普通のゴブリンより強そうだ」
ホブゴブリンを見上げたままユーキは思ったことを呟く。不思議なことにゴブリンより大きなホブゴブリンを前にしても恐怖は一切感じなかった。
ユーキが見上げていると、ホブゴブリンは肩に担いでいた棍棒を振り上げ、それを見たユーキは素早く双月の構えを取る。その直後、ホブゴブリンはユーキに向かって勢いよく棍棒を振り下ろした。
負傷した村人の護衛をしていたアイカはユーキに攻撃するホブゴブリンを見て目を鋭くし、ユーキも頭上から迫ってくる棍棒を無言で睨む。
棍棒がユーキの頭部に命中しそうになった瞬間、ユーキは姿勢を低くしながら素早く左に移動してホブゴブリンの振り下ろしを回避する。そして、ホブゴブリンの右側面へ回り込むと月下と月影を同時に右から横に振ってホブゴブリンの脇腹を切り裂く。
脇腹を斬られたホブゴブリンは苦痛の声を上げながら持っている棍棒を杖にしながら左膝を付く。流石に普通のゴブリンと違って体力のあるホブゴブリンは一撃で倒すことはできなかった。
ユーキは攻撃の手を止めず、そのままホブゴブリンに月下と月影で逆袈裟切りを放ち、ホブゴブリンの右腕を斬る。ホブゴブリンは右腕の上腕部と前腕部を斬られて更に大きな声を上げ、持っていた棍棒を離して崩れるように倒れた。
アイカはホブゴブリンが倒れる姿を見て目を見開き、離れた所で叫び声を聞いたアーロリアや村人たちもホブゴブリンが倒れる姿を目にして驚く。特にアーロリアと村人はホブゴブリンが児童相手に押されていることが信じられなかった。
ユーキは構えを取りながら苦しむホブゴブリンを目を細くしながら見つめる。右腕を斬られたことでホブゴブリンはもうまともに戦えない状態だが、ユーキは油断せずに警戒していた。すると、ホブゴブリンは倒れたまま左手で落ちている棍棒を拾い、大きく横に振ってユーキを攻撃する。
棍棒はユーキから見て右から勢いよく迫ってきており、ユーキは棍棒を見つめながら混沌紋を薄っすらと光らせ、混沌術を発動させる。そして、月下を縦に持って迫ってくる棍棒を月下で防いだ。棍棒が細長い月下で防がれたのを見て、倒れているホブゴブリンは驚きの声を漏らす。
ユーキは強化を使って自身の腕力を強化していた。そのため、棍棒を止めても吹き飛ばされることなく、その場で普通に立っていることができたのだ。
「ガキだからってナメるなよ?」
驚くホブゴブリンを見ながらユーキな低めの声で呟き、月下を素早く振って棍棒を粉々に切る。切る直前に腕力だけでなく、月下の切れ味も混沌術で強化したため、簡単に棍棒を切ることができた。
粉々に切られて柄の部分だけとなった棍棒を見てホブゴブリンは愕然とする。視線を棍棒からユーキに向けると、ユーキは鋭い目でホブゴブリンを睨んでおり、ホブゴブリンは声を上げながら起き上がって無傷の左手でユーキを殴ろうとした。
ユーキは既に結果が見えているのに何も考えずに向かって来るホブゴブリンを哀れに思いながら月下と月影を構え直し、足の位置を少しだけ動かした。
「ルナパレス新陰流、朏魄!」
呟いたユーキはホブゴブリンに向かって踏み込み、月下と月影で素早く袈裟切りを放ってホブゴブリンを真正面から斬る。更に月下と月影を横にして左横切りを放つ。二本の刀による袈裟切りと横切りの連続攻撃はホブゴブリンに致命傷を負わせた。
連続攻撃を受けたホブゴブリンは声を上げることなく倒れて動かなくなる。倒れたホブゴブリンを見ながらユーキは月下と月影を外側に向かって強く振った。




